【3】
「お前が殺したんだよね? ジェイを保健所に連れて行って」
久しぶりに顔を出した、生まれてから中学卒業まで住んでいた家。
懐かしさなんて欠片もない。
母さんと二人で離れてから初めて。で、最後の訪問になれば……。
ううん、もっと大事で楽しみなことがあるじゃん。
「そんな昔のことを今更……」
屈むことさえしない私の唐突な台詞に驚愕してる、足元の布団に横たわる萎びた男。
もう碌に動き回ることもできなくて、買い物にも行けないから食事もしてないみたいね。
水だけは飲んでるんだ。
板張りの床に、いくつも転がったグラスや湯呑みを見やって考える。
トイレもどうにか這いずって行ってんのね。
ああ、だからLDKに布団敷いてんのか。キッチンもトイレも目の前だもんね。
背に腹は代えられない、ってか? ろくでなしには相応しい末路だねえ。惨めったらしくてぴったりだよ。
地方の住宅街で、それなりに近所付き合いは密なのよ。
三人で暮らしてた頃は、踏み込み過ぎることなく適度な距離を保った関係が成り立ってた。
都会でも田舎でもない、すべてが程々でちょうどいい街。それが何故、今は孤立してるのかも理解してないんだね。
そりゃあご近所のおばさま方だって、お前なんかと関わりたくないでしょうよ。
もう赤の他人の母さんに命令する前に、頼るところなんていくらでもあるだろうに。
まあでも、こいつには無理か。
ハリボテみたいな自尊心だけが肥大したクズには。
私が助けに来たとでも思ってるの?
お前のために骨を折るような奇特な人間なんているわけないって理解してたら、もうちょっとはマシな最期迎えられたかもね。
「昔だったら何なの? 私は忘れてないし、これからも忘れないよ。恨んで憎み続ける。お前が死ぬまで、──ううん、死んでも」
「和美……」
仁王立ちのまま見下ろした老いぼれの、震える声の滑稽さに笑いが込み上げるのを必死で抑えた。
今は、まだ。
そうね、あれから三十年近く経ってるわ。
で? だから何?
お前にとってはとっくの昔に終わったどうでもいいことでも、こっちには違う。
「ああ、心配しなくても何もしないよ。何も。お前なんかのために自分の手を汚す気ないから」
「か、かず──」
掠れた声。怯えて歪む表情。
最後の台詞と冷笑の意味は流石に通じたらしいね。
──もう外にも行けない、大声も出せないお前は、餓死するまでこのまま放置されるんだ、って。
私と大事な存在を引き離したんだから、今度はお前の番よ。
殺された『彼』の分まで、できる限り苦しんで人生から退場してもらう。誰にも存在を無視されたまま、恐怖の中を独りで。
心の底から笑うのはそのあと。
これで社会の不要品が一つだけでも片付くわ。一日も早く、くたばってくれないかな。
いや、一日でも苦痛を長引かせる方が愉快かしら。
「じゃあね〜。次見るときには、もうお前はただの『モノ』だろうけどさ」
次はいつにしようか。
あんまり放置して悪臭が出るほどになったらご近所に迷惑だし、だからってもう二度と生きてる汚物に会うのなんてまっぴらよ。
──夏ならともかく、すぐに腐ることもないから二週間、ってとこかな。
この「人間の出来損ない」を、私の人生からもこの世からも完全に消してしまうまでには。
~END~