8-1.ファン心理と男心
前半・薫視点
後半・第三者視点
私達の予想通りAioonのプレデビュー曲のMVは、新進気鋭のアイドルINCのセカンドシングルのMVの話題にかき消された。でも、だからと言って肩をおとしている場合ではないし、ファンはちゃんと見てくれている。私たちは次に進まなければならない。
「それで、それぞれのPV? ……でも、そんな金あるのか?」
「別にお金はかけないよ。撮影も編集も僕がやるし」
「……お前、編集できんのか?」
「簡単なものだけだけどね」
私の手元にはちょっとしたカメラがあった。恋星はその手元のカメラをしげしげと見つめている。
痛恨のMV公開被りの後、私はそれぞれのプロモーション映像を作ろうと会社に掛け合った。それぞれのプロモーションビデオと言っても、お金をかけるつもりはない。色々なSNSに流すちょっとしたものだ。工夫さえすればどうとでもなる。
「対抗するわけじゃあないけど、INCは海外志向が強くてアーティスト系のアイドルだから、私達は国内向けの親しみやすさをメインにプロモーションする。つまりこのカメラでみんなを撮って、それぞれの得意を各SNSに放流する。それを誰かに見つけてもらう。社長も私たちに一任してくれるって」
「なるほどな。……で、どこで歌うんだ? 声出しはしてきたけどーー」
私は「歌う」ということだけ告げて、恋星を公園へ連れてきていた。私は公園で歌わせる気満々だったが、恋星はスタジオに向かうと思っていたようで、キョロキョロとあたりを見渡している。
早朝の公園は、昼間より閑散としていたが、日課のランニングをする人や犬の散歩に来ている人がおり、全くの貸し切りというわけではなかった。そろそろ夏も始まり、朝だというのに結構暑かった。
「ちゃんとした歌ってみたなんてお金もかかるし、たくさんある他の者人のに埋もれるだけだよ。……恋星にはこの公園で、アカペラで歌ってもらう」
「はっ?」
「テーマは『デート中に口ずさんじゃった』って感じかな」
私の言葉に恋星はギョッとしたようだったが、しばらくすると、言葉をかみしめ納得したような表情に変化した。
先ほど恋星には「誰かに見つけてもらう」と言ったが、実際の所このPVの目的には、新規獲得以外にも、Aioonに熱狂していない緩めのファンを離さないことも入っている。
オーディション番組が盛り上がった後、その視聴者が継続した濃いファンにならない現象は、身近さの減少が理由だと私は考える。配信で頑張っているところを常に見ていたのに、途端に“完成品”を渡される日々に変わる。“未完成品”を供給し続ける事こそが、グループからファンを離れさせない方法の一つだと私は思うのだ。
「それで、公園かよ」
「何? アカペラじゃ、自信ないって?」
「そんなこと言ってないだろ。……分かった。画面の向こうのファンが彼女で、デートって設定な」
「そういうこと!」
恋星は照れくさそうにふわりと笑う。
本当、出会った時よりもだいぶ柔らかくなった。仕事の一種とはいえ、恋星と2人で出かける日が来るとは思っていなかった。
恋星は本当に情に熱い男だ。私を受け入れてからは、仕事の話や技術的な話を一生懸命に聞いてくれる。
今だって、私の提案を何も言わずに受け入れてくれた。
撮影に丁度よさそうな場所を見つけ、それぞれ準備をする。
「オレは準備できたけど……いいか?」
「うん。録画始めるから、自分のタイミングで初めて」
「ん」
恋星はカメラから視線を外し、二度瞬きするといつもより柔らかな声で歌い始めた。
……本当に、いい歌声だ。低く甘い、こちらを包み込むような歌声。
暫くするとカメラの画面内の恋星と視線がかち合った。恋星はカメラに視線をやっただけなのだが、目があった気分になり、どこかムズムズする。
聴覚も視覚も、恋星でいっぱいだ。アイドルとしての才能をビシバシ伝わる。
それを知ってか知らずか、恋星はおもむろに私の開いている方の手を取った。そして愛おしそうに引っ張る。引っ張った強引さと反対にその手つきは優しく、温かい体温が伝わってくる。
「……はっ!? ちょっと待って!」
「なんだよ。彼女設定なんだろ?」
「だとしても、いきなり手が出てきたら、いらぬ誤解を受けるかもだろ! あくまで設定だから、一人で歌ってくれ!」
恋星が「なんだよぉ」と言いながら眉をひそめ、その手を引っ込めた。
危ない。これが他のメンバーなら男の手であることは明白なので「他メンが彼女役とか萌える」で済むだろうが、私の手は女の手なので「この手誰よ、燃やす」になりかねない。私が女だってバレる可能性だって増加する。
だが、私が言ったことに対して、コンセプトをくみ取るセンスは良いのかもしれない。それはアイドルとして必要な能力だろう。
心のどこかで照れ隠しの思考だと理解しつつも、それに逃げるほどに私は動揺していた。
「んん゛……じゃあ、もう一回。コンセプトはそれで合っているから」
「ほーい」
火照った顔を冷ますように袖で頬を拭いながら、私たちは撮影を再開した。
× × ×
薫と別れた帰り道、恋星はボーっとしながら家までの道を歩いていた。
「あいつ、めっちゃ細かったな……」
薫を“彼女”に見立てその手を取った時、その細さに思わず歌うことを辞めてしまいそうになった。
恋星にとっての桃井薫と言う男の印象は、事務所のコネでオーディションスキップしたいけ好かない奴から、オーディションスキップするぐらいには実力がある奴。そして、アイドルに真剣な凄い奴へと変化しつつあった。その変化の渦中で毎日のようにある新発見は、恋星の心をかき乱した。
特に恋星が手を取った時の薫の表情は、恋星にとっては初めて見る表情で、心が高鳴った。
「……男にドキッとするとか」
恋星は両親が高齢になってから生まれた一人っ子であり、少しだけ昭和的な教育の下育った。時代の流れ的なことも理解しているため、堂々と言ったことはないが、男は泣くもんじゃないだとか、女はおしとやかにだとか、そう言う思想が頭の隅に合った。
「……オレ、男もいけたのか?」
しかし夏焼恋星と言う男は、そんな思想を勝るほど素直で、単純な男だった。
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