第四十七話『マイ 上』
第四十七話『マイ・上』
私、ことカホがアルトヘイムの冒険者ギルド『青き風』に入団した日。
ルームメイトと言われてこれからチームを組むことになったマイさん…に引き摺られるように受付へとそのまま拉致されています。
マイさんは私に比べると女性的な体つきで、仕草や言葉もおっとりしているような、柔らかい印象を受ける人なものの、何と言うか後輩が出来たのが嬉しいのか少し強引だと思う。
「私、先輩として頑張るね!あ、あと、男性も団長も本当に来ることないから、基本的には好きな恰好してても大丈夫だよ!」
寮の説明をしてくれているんだろうけど、もう既に寮から出て、本館の受付まで辿り着いてしまっている。
「それでね!それでね!お風呂なんだけど時間が決まってるの!しかもお金が掛かっちゃうから私は午前か午後で依頼を受けれたら入るんだけど、遠征系のお仕事の時は絶対に入っちゃうんだ!カホさんもそれでいい?」
受付の前でその説明は…どうなんだろう?と思ってしまうけど、グッと堪える。
多分、後輩が出来て嬉しいだけだし。それに、マイさんはちょっと天然っぽそうなところがあるから。それに何となく気持ちが分かる。
私も施設にいた時に、年下の子が入って来た時、すごく嬉しかったから。
世話を焼こうとしては「うざい」とか、「カホ姉ちゃん!俺はもう子供じゃないよ!」とか言われてショックを受けたこともあるし。
マイさんは得意げに、
「あとねー、ご飯も時間が決まってるけど、正直高いから私はいっつも外で食べるか、自分で作っちゃうの。カホさんも私の料理でいいなら一緒に作ってあげるね!」
そう言いながら受付の人に何かの紙を渡していた。さりげない動き。
その気持ちも分かる。慣れている、というアピールをしたいのが。
私もそうだった。昼食の片付けのレクチャーをして…
受付の女性はマイさんから紙を受け取るものの困った顔をしながら、「あの…マイさん。この依頼はもう完了してしまった案件なので」と優しく諭した。
そう…恥をかくまでがワンセット。
マイさんは目をパチクリとさせたかと思うと、数秒してようやく正気に戻ったのか、両手で口を押さえ、泣きそうな声で…
「そんなー!私、ゴブリン位しか倒せないんですよ!それに村を守るっていう格好いい仕事をしてるところをカホさんに見せたかったのに!」
マイさんの言葉に受付の女性は笑顔ながら呆れたように口元を歪め。
「マイさんはもうかなりの実力ですし、こちらの依頼はどうでしょうか?」
そう言いながら受付の人が、一枚の依頼書を差し出してきた。
『リザードマン討伐』と書かれた依頼書には、報酬の金額や期限等が書かれており、下の方にはどこの村からの依頼か、とまで書かれていた。
マイさんは依頼書を受け取ると、「報酬高くないですか?」と少し不服そうな声を漏らした。受付の女性は「適正価格ですよ。リザードマン複数ですし」と諫めていた。
諫められたマイさんは慌てて「そ、そうですよね!これくらいですよね!」と慌てた様子で取り繕っていたものの、受け慣れていないのはよく分かる。
ただ、それより気になったのはマイさんの不安そうな表情だった。
受付の人は安心しているように見えるから、多分マイさんならこの仕事をやり遂げてくれると信じているのだろうけど、マイさんにとって何が不安なのかまでは分からない。
「依頼の受け方なんだけど…」とマイさんが今更の説明をしようとしたところで、受付の女性から「もう受けましたよね?」と釘を刺され、マイさんは頭を抱え、目を回していた。
何だか見ていて面白い…と思ったのは内緒。
少ししょぼくれたマイさんは「けど、困ってるよね。行かないと…それに…襲撃が2日前…」と肩を落として寮へと歩いていく。
多分、遠征の準備をしに行くんだろうけど、出来れば声を掛けて欲しかった。さすがに全部言われなきゃ出来ない、なんてことはないけど、目的地が分からないからどれだけ物を持っていけばいいか分からないし。
ただ、少し抜けてはいるけど、可愛らしい先輩の姿には思わず私も笑ってしまっていた。
「あなた新入りの子よね?」
不意に受付の女性に尋ねられて、振り返って「今日からお世話になるカホです。」と簡単な自己紹介をすると受付の女性は小さく笑い。
「あの子、マイの腕前は本物よ。ただ、気負い過ぎる子だから、助けてあげてね」
受付の女性は少し心配そうにマイさんの背中を見ながらそう言い、私にも視線を向けてくる。
「任せて下さい。私も頑張ります!」
私が強く返すと、受付の女性は嬉しそうにその目を細め「お願いね」と優しい口調で私に頼んでくれた。
それが何だか嬉しかった。大した力なんてないのに、それでも期待してくれている人がいることに。
依頼の準備をしてマイさんと外に出たのは昼を回った頃だった。
うららかな日差し、雲は少しあるものの天気はいい。風が優しく頬を撫でて気持ちがいい。
のんびりと歩き…たいものの、マイさんはしきりに頭を抱え「でも…リザードマンって危ないし…けど、ゴブリンも…う~ん…」と物凄く悩んでくれている。
初仕事だし、私の力量が分からない以上、心配してくれているんだろうけど、そこまで悩まれると私も気まずい。
「…リザードマンかぁ。う~ん、二人でいけるかな?けど、危ない魔物だし…どうしよう…うぅ~!」
マイさんは心ここにあらずといった様子だった。
「カホさんが怪我したらどうしよう!けど、初の依頼だし途中キャンセルとか恰好つかないだろうし…」
かなり悩んでくれている。声を掛けてあげたいけれど、なんて声を掛ければいいか思いつかない。
「カホさんは戦ったことはありますか?」と不意にマイさんに聞かれた。
多分、リザードマンとのことを聞いてくれているんだろうと思う。
そこまで多くは戦ったことはないけれど、ここまで悩んでくれているマイさんの為にも虚勢くらい張らないと申し訳ない。
ここまで心配してくれているのだし。
「うん。まぁ、それなりに戦ったことはあるよ」
それでもこのザマというのは、いかに私が日和見主義なのかよく分かる。
虚勢を張ったのに…。
マイさんは私の顔をジッと見つめると、顔をそのまま近づけ鼻先が当たるほどの距離までくると、
「じゃあ、約束です!怪我しちゃダメですよ!あと、危なくなったら私の後ろに隠れて下さい!」
その強い言葉に思わずたじろいでしまう。あと、距離に。
「えっと…」
「私が、絶対に守ります!」
真剣な瞳に射すくめられる。でも、その温かさや優しさは伝わってくる。いかに私のことを大切に思ってくれているのかがよく分かる。
見ず知らずで会ったばかりの私にも優しく接してくれる。それが嬉しい。
「ありがとう。マイさん。私も頑張るね!」
私がしっかりと目を見返して返事をすると、マイさんは驚いたように目を大きくしたもののすぐに笑顔になり、
「えへへ。じゃあ、私がサポートしますので頑張りましょう!」
嬉しそうな声色で、私の手を掴むと目的地に向かって駆け出した。
私は手を引かれながら、優しい先輩の背中を見つめる。
私とそう変わらない体躯なのに、その背中が大きく見えた。
アリシアちゃん達と別れて少し寂しかったけれど、この人となら…と決意を胸に先へと急いだ。
依頼先の村『チカ』の村については夕方を回った頃だった。
木造の家が並び、どれも古い作りなものの頑丈そうな出で立ちでよく手入れされているのが分かる。
村の北側には沢があり、沢には数人の村人が降りてなにやら魚等を獲っているようだった。漁獲された魚のうち数匹が首だけになっていたり傷ついているのが少し気になる。
それが不思議に思いながらも、既にお腹の虫が不平を言っている。
村の人達はマイさんと顔見知りなのか「マイちゃん、今日も悪いね!」と何処か明るい。
マイさんは照れたように、
「今回はゴブリンじゃないので、ちゃんと出来るか不安ですけど…」
少し自信のなさそうな言い方だった。
そんなマイさんの肩を叩きながら村人の女性が、「あんたなら任せられるから、もっと自信を持ちな!」と励ましの言葉を掛けていた。
その姿が家族のようで温かく、思わず見とれていた。
マイさんは照れながらも、それでも強く「頑張ります!」と声を張り上げ村の人達の期待にしっかりと応えていた。
私は、というと…若い村人の男性達から、
「あんた、マイちゃんとどういう関係だよ。」
「新しいバディが男って、あの子に手を出すなよ!」
「なんか貧相だな…男ならバシッと守ってやれよ!」
…うーん、これは慣れたけど。
正直、新鮮な気分でもある。私に多くの男性が言い寄ってくるなんて。そして、哀しくなる。
確かにマイさんは体型も顔も仕草も女性らしくて可愛らしい。
比較対象が私なら猶更のことだけど…
「失礼な私は女だよ!」
私の一言に言い寄ってきていた村人達はギョッとし、女性や子供達は笑いだしていた。
そんな中、マイさんが楽し気に笑っている姿になんだか安心感すら覚えた。
この村もいい場所だって分かる。和気あいあいとしていて、優しいのが伝わる。
そう言えば不思議に思っていた。
依頼を受ける時に、マイさんが戸惑いながらも迷わず依頼を受けていた。
私を危険に晒したくない、その思っているのにリザードマンの討伐依頼を受けるのは少し不合理的だと思っていた。
だけど違う。マイさんからは確かに感じる。
この村の人達を助けたい…その気持ちが私にも伝わってきた。
村の人達との挨拶が済み、マイさんは早速チカの村の沢へと降りていく。
少し急いでいる雰囲気だから何も言えなかったけど、マイさんが渡してくれた干し肉を齧りながら後をついていく。
マイさんの表情は少し思いつめている様子だった。もうすぐ暗くなる。
暗くなるとこちらは視界が悪く不利になるのに、とは思ったもののマイさんは沢を上流に向けて進み始めた。
川の深さまでは分からないけど浅いのは分かる。ただ、濡れた石の所為で足元が悪い。気を抜くと滑って転びそうだ。
マイさんは少しずつ速足になり、途中石に躓いたか滑ったのか体勢を崩してしまう。
慌ててその体を支えると、マイさんは驚いて私を見つめたものの、その表情は堅い。
「マイさん、どうしたの?」
私が尋ねると、マイさんは一度深呼吸をし、
「ごめんなさい。ただ、リザードマンは夜行性だから夜になる前に仕留めようと思って…それに、依頼は2日前。満腹になって暫く休んでから、動くとしたら今日だから…」
そこまで言うと私から目を背けてしまった。
何か隠していることがあるのは分かる。そして、私にはその答えなんて分かり切っている。
「村の人達が襲われるかもしれないってことだよね」
私が答えを返すと、マイさんはバツが悪そうに俯き、すぐに顔を上げた。
「カホさん…私の勝手でごめんなさい!それでも…」
「私も賛成だよ。あの人達を傷付けさせるなんて絶対させない」
マイさんの言葉に私は1も2もなく答える。私の答えの早さにマイさんは驚いていた。
用意していたみたいな答えになってしまったけれど、マイさんの姿を見ていたら、私の答えは既に決まっていた。
守りたい―その気持ちが私にも伝わってくるから。
マイさんは少しの間だけ私の顔を覗き込んでいた。
その表情は少しだけ明るかった。それでもそれは少しの間のことであり、マイさんは悔やむように俯き、
「ごめんなさい。カホさん…けど、何かあったらすぐに逃げて下さい…」
そこまで言うと顔を上げ、私をしっかりと見つめると。
「必ず、私があなたも守ります!」
強い言葉だった。私も怖ったのが吹き飛んでいくくらい、決意のある言葉だった。
勇気を貰えるその姿に、私も手をしっかりと握り込み、
「私も、絶対マイさんと、あの村を守って見せるよ!」
二人で誓いあい、いつの間にか自然と笑顔がこぼれていた。
危険な依頼なのに、怖くない。それは、アリシアちゃんや、ファレンさんと仕事をしていた時と一緒だ。
仲間がいるのは、本当に心強い…そう思える。
マイさんと誓いあってから、沢を少し進んだところで、不意にマイさんが立ち止まり、私を手で制する。
私の察して立ち止まり、マイさんの横に並び、マイさんが見つめる先へと目を凝らす。
夕方で少し暗くなってきている。
それでも、何かが這うような音と、水切り音、石を削るような音が聞こえてくる。
マイさんは腰に差していた短い鉄製のこん棒を手に取り、両手で持つ。
「マイさんの武器って…」
「メイスですよ。ちょっと重たいですけど、打撃はかなりの魔物に有効ですし…」
マイさんが言いかけたところで、音の主の姿が見えてきた。
巨体と、トカゲに似たような姿をした魔物、リザードマン達だ。
リザードマンの数は3体。規則正しく3匹並んで村の方へと向かっている。
湿った鱗と巨躯によって剣の刃を阻まれやすいあの魔物が3匹。それもこの水辺ともなるとかなりの強敵に違いない。ウェンディさんと薬草探しをしていた時は、森の中へ逃げてある程度鱗の防御を出来ないようにしていたけど、そんな時間はない。
「3匹か…これは大変…」
「これなら楽勝ですね。私が2体倒しますので、カホさんは一体お願いしますね!」
私が大変だね…と言いたかったものの、マイさんは事も無げに『楽勝』と言って見せた。
驚いたものの、マイさんはすかさず手を突き出し、
「私の『神の恩寵』見せて上げます。行きますよ、その名も『グリナスヘッド(出来損ない)』!」
その言葉と共に、マイさんの周りに淡い光が収束していった。それが消えるのとリザードマンがこちらに気付いたのは殆ど同時だった。
リザードマンが咆哮と共に、こちらへ向かって突っ込んでくる。私は慌てて剣を抜き、盾を構える。そんな私に不意にマイさんから「目を閉じて下さい」と小さな声が聞こえた。
そんな暇ない…と言いたいけれど、マイさんなら信じられるという思いから私は目を強くつむる。暗闇が生まれ、音が響いてる。それが怖いと思うものの、隣にいるであろうマイさんの存在を思うと、それすら杞憂だと信じる事が出来る。
「天に召します我らが神よ、ここに光を…弾けよ…『閃光』!」
マイさんの祝詞と共に、瞼を透かして強い光が見えた。
「今です!」とマイさんの声が響き、私は目を開け、リザードマンを見据える。
目を押さえ、瞼の付近を必至に搔いているリザードマンが目に映った。隣にいたマイさんは手にメイスを持ち、一気に群れへと飛び込んでいく。その左手には何かの紋章が浮かんでいるのも見えた。
前に奴隷商さんから聞いた奇跡の使い手の紋章だと思う。
マイさんはリザードマンの群れに一気に飛び込むとメイスを振り上げる。
振り上げられたメイスに光が集まり、
「戦技『パワーシェイカー』!」
マイさんが渾身の力と共に、リザードマンの脳天目掛けてメイスを打ち下ろす。
その一撃は堅い鱗を何ともなく砕き、そのまま巨躯の体を地面に叩きつけ、衝撃波を巻き起こす。
鈍いひしゃげる音と振動音が沢の流れを揺さぶりこだまする。
容易くリザードマンの頭蓋を叩き割ったと分かる。それだけでなくメイスの起こした衝撃波により残りのリザードマンをも吹き飛ばした。
まだ目をこすっているリザードマンにとっては恐怖でしかないだろう。私も慌てて駆け出し手近な目標に肉薄する。腰と肩を使っての全力での一閃…を放とうとしたものの、
「集まれ、風よ。我の言葉に応えよ。その形は槌!撃ち滅ぼせ!」
マイさんの詠唱を聞き、慌てて体にブレーキを掛ける。
マイさんはにこやかに笑顔を見せ、掌を地面に叩きつける勢いで振り下ろす。
「『風槌』!」
その声と共に、私が狙っていたリザードマンとは別の個体の上に風が集まり、それが槌の形になりそのまま体を押しつぶした。
悲鳴も咆哮も上げる間もなくリザードマンは押しつぶされ、倒れた体にマイさんのメイスが閃く。鈍く乾いた音が鳴り響いた。
マイさんの余りの強さに目を奪われていた。慌てて剣を振りかぶろうとしたものの、私の眼前のリザードマンは既に槍を振りかぶっていた。
頭が混乱する。それでも体だけは正直だった。
飛びずさりながら剣を振り下ろし、私に向けて振るわれた槍をいなし地面へと叩きつける…
―パリィ
をすると共に、リザードマンから距離を取ろうとステップを踏んだところに、私と入れ替わるようにマイさんが距離を詰めた。
マイさんは両手でメイスを持ち、リザードマンの槍を踏みつけ体勢を崩す。そのまま、まるで野球の打手のように振りかぶると、
「せーの、かっきーん!」
そんな声と共にメイスが全力で振りぬかれた。
鈍く、何かを砕く音が響き渡り、あの強靭な体を持つリザードマンが成すすべなく首をあらぬ方向へと曲げられた。
一瞬だった…本当に成すすべがなかった…としか言えなかった。
リザードマンも私も…。
あっと言う間に3匹のリザードマンを倒し、その身にはかすり傷一つ…いや、魔物に反撃する余地すら与えなかった。
私なんかとは比べ物にならない強さ。その本物の冒険者の姿に見惚れてしまっていた。
マイさんの背中が、似ても似つかない師匠と被る。
力強い背中には、頼もしさと同時に、師匠へはまだまだ遠いことへの悔しさも滲み出てきてしまう。
「つ、強い…ね」
素直な私の感想にマイさんは照れたように笑顔になり、
「そんなことないですよ!カホさんの鋭い打ち払いがあってこそですよ!」
なんてフォローもしてくれた。
普通なら惨めになるかもしれないけれど、マイさんのおだやかな口調や、安堵した表情から、彼女の心からの言葉だと思える。
私はゆっくりと胸の高鳴りを押さえながら師匠の背中を思い出し、「まだまだ弱いな…私って」そう呟き、強く剣を握りしめる。
マイさんは腰から短刀を抜くと、自然な手つきでリザードマンの尻尾を切り取り、「カホさん!追加報酬のレクチャーをしますよ!」と明るく優しい声で私を呼んでくれた。
私は送れながら腰に差していた肉剥ぎ用の短剣へと手を伸ばすものの、そこには何もない。
アリシアちゃんに渡したままだったことを思い出し、思わず口元に笑みがこぼれた。
思いでの品がないのに、無いと気付いた時にはアリシアちゃんだけではなく、バルグ族長の顔も思い浮かんできたから。
私達はリザードマンの尻尾を切り取り、ついでに鱗も拝借してから村へと戻ることになった。
マイさんの手つきは…多分、私より少し上手な程度だったと思う。
鱗を剥がすときに、顔を真っ赤にしながら力任せに引っこ抜いたり、尻尾を切る際にも力任せに斬った所為か、短剣を一本ダメにしてしまっていた。
解体に手間取った所為もあり、村へ戻った頃には既に日は沈んで真っ暗になっていた。
だけど、村に着くなり1人の村人が私達の帰還を喜び、それに連なるように各戸が開き、ランプの明かりを灯して私達を迎えてくれた。
「さすが、マイちゃんだな!それに、『青き風』にも感謝だ!」
村人達が頬を綻ばせ、その帰還を祝ってくれる。
それにマイさんは照れながらも応え、囃し立てられては照れたように頬を染めていた。
その姿を見ただけで温かさが胸を伝わったてくる。
…誰かの為に戦う、本物の勇者の姿。
私はそれをマイさんの姿から見ていたから。
―夜。
一晩村に滞在することになった私達は、酒場の空き部屋という名の物置を開けて貰えることになった。
マイさんは部屋に着くと、「ちょっと」と言って、出て行ってしまった。
何か用事だとは思う。御花摘みかもしれないから、あえて生返事だけしておいた。
二人では少し狭いものの、今まで借りていた宿屋と同じくらいの間取りで、無料且つ横になれるだけのスペースがあるというのはそれだけで十分だと思えてしまう。
旅に慣れてきて、女子力が枯渇した証なのかもしれない…。
水に濡れて蒸れた靴と靴下を脱ぎ、何となく匂いを嗅いでみて腐敗臭が漂い嫌になる。
水に濡れただけじゃなくて、血の匂いも混じっている…。
ニホンにいた頃に見ていた国民的アニメのお父さんの靴下よりは臭いはマシだと思う…。
むしろ、そう思いたい…。そう思わないと瘦せこけた私の女子力でも泣き出しそうだから。
上の服も軽く臭いを嗅いでみると、香ばしいスメルが漂う。思わず顔をしかめてしまう。
自分の臭いは気にならない…とよく聞くけれど、あくまで限度があるのだとしみじみと感じてしまう。
せめて服を着替えようと、鎧を脱いで広げて見てみると、師匠から貰ったレザーの鎧も所々穴が開いている。
思えばこの鎧にも散々助けて貰った。
ゴブリンのナイフが胸に振り下ろされた時に、堅い革のおかげでナイフの白刃が逸れ命を助けられ、他にもリザードマンの槍の一撃を無理矢理いなして接近した時に、槍が右肩のパッドに当たり千切れたのも覚えている。
「私だけじゃ、ここまで来れなかったよね」
くたびれた鎧に触れながら、あれから一度も会っていない師匠を思い、ため息に似た息を吐いてしまう。
長い旅路…そう思えるけれど、未だにアルトヘイム領から出ていない。
世界から見たらきっと小さな旅なのだと思うけれど、多くの人に会えて多くのことを学んだ。
やりきった…なんて、少し思ってしまう。
シノの村のマリアちゃんに胸を張って旅をしてきたと言えるだけの冒険をしたと言える。
…だけど、私はまだ帰りたいと思わない。
もっとこの世界を見たいから…
首にかけた、狼の牙飾りを手で包み「まだ、頑張れるよ」と独り言を呟き、顔を上げると、マイさんの瞳が見えた。
言葉を失ってしまう…。
マイさんは私の視線に気付くと、バツが悪そうにしながらも「お風呂を貸して貰えるみたいですよ」と私に言ってくれる。
独り言を聞かれることが恥ずかしい。それを理解してくれるマイさんはやっぱり優しい人だと思う。
正直なところ、アリシアちゃん達と別れて、少しアンニュイな気持ちになっていた。
今までは数日や一日限りの旅先での出会いが多かったから、どうしても始めて長い間一緒に冒険したチームの解散がしこりになっているんだと思う。
マイさんに案内され、酒場から出て隣の民家にいくと恰幅の言い女性が私達に麻の服とタオルを差し出してくれて、
「服も洗うでしょ?」
とこちらの実情をしっかりと把握してくれて本当に助かる。
正直なところ、服を洗った後、濡れたままの服を着て部屋に帰って下着で寝ようと思っていたから。
お風呂場は簡単な作りの小部屋の奥に、小さな木製のバスタブが置いてあった。
バスタブは壁にくっ付けられており、外に繋がっていているのか、田んぼによくある水門のようなものが壁についている。壁の外からはちょろちょろと音がするので、多分川に併設されていて、ここから水を供給するのだと思う。
バスタブのお湯はしっかりと温まっており湯気が立ち上っている。
正直なところ…それだけでテンションが上がる。
毎日お風呂に入れない…というのは痛い程理解している。だからこそ、余計にお風呂に入れる非日常が心を躍らせる。
「あの…カホさん?」
マイさんの声が聞こえてきて、我に返る。テンションが上がり過ぎて、服も脱がずに部屋を見て回ってしまっていた。
照れ笑いしか出来ずにいると、マイさんは小さく笑い。
「分かります。私も少し前まで毎日当たり前のようにお風呂に入っていたので」
マイさんは笑顔でそう言ってくれた。だけど、その言葉は尻すぼみのような印象を浮けてしまった。
何処か哀しそうな声色に、違和感を感じながらもそれを言葉には出来なかった。
そして、お風呂に入ることになったのだけど、脱衣所がないと言われてびっくりした。
借りた服が湯気で濡れそう…と言う前に、マイさんが脱衣所の外に服を置いていたので倣って同じ場所に置くことにした。
扉は廊下に併設されている。
ソロリと廊下の先を見てみると、先ほどの恰幅のいい女性と、その夫らしき頭頂部の寂しい男性が談笑しているのが見えた。
視線と言うのは見えないものだけど存在するんだと思う。
私の視線を感じたのか、頭頂部の寂しい男性がチラリと私を見て目を丸くし、慌てた様子で「母さん!あの子達風呂なんだったら先に言ってくれよ!」と不満を口にし、一度私に向けて頭を下げて外に出て行ってしまった。
女の子を気づかってくれていて嬉しいと思う半面、家の主人を追い出してしまい悪いことをしてしまった罪悪感が生まれる。
恰幅のいい女性は高笑いと共に窓を開け、「こいつで飲みに行きな」と何かを外に向かって投げていた。
お駄賃だと思うけれど、それがまるで犬にフリスビーを投げているみたいで、微笑ましいのかどうなのか微妙な気持ちになってしまう。
恰幅のいい女性は私に気付くと軽くウインクをしてみせて、
「気にすんじゃないよ。」
剛毅な言葉に、ふとシノの村のカミラさんとウェンさんを思い出し、胸が温かくなる。
恰幅のよい女性は大声で笑いながら、
「あたしよりいい女はここにはいないからね。外で飲んでも、あいつは必ず帰ってくるからね!ま、浮気出来る甲斐性があるなら見てみたいね!」
大声で笑い出した。外から不服そうな声が聞こえてきたものの聞き取れなかった。
恰幅のよい女性は窓から体を乗り出し、
「あんたみたいな枯れ木を好きになる若い子なんていないよ!優しいだけの男なんだからね!毎日退屈で仕方ないよ!」
それがさっき出て行った主人に言っているのはよく分かる。
楽し気な言い方、相手の声は聞こえてないけれど、悪態をお互いでついているのはよく分かる。
胸が熱くなる。
何も出来なかったけれど…この笑顔を守れた。
これが『青き風』の冒険者なんだってよく分かった。
「お、おおお、ぉお背中流しますよ!」
いきなり後ろからマイさんに声を掛けられてハッとする。
私はいつまでぼんやりしているのだろう…と肩を落としたくなる。
マイさんからの提案にどうするべきか考える暇もなく手を引かれる。
「え?あはは、うん、お願いしていいかな?」
私の答えにマイさんは笑顔を見せてくれ、満面の笑顔で「ささ!どうぞ!」と私を湯殿の傍へと案内してくれた。
湯殿の近くにある小さな段差に腰を下ろすと、マイさんが「痛かったら言ってくださいね」と言いながらタオルを私の背中にあてて擦り始めた。
返事も聞かずに…とは思ったけれど、多分マイさん自身緊張しているんだと思う。
マイさんの性格的に、積極的に動くのは慣れていないような気がする。
それでも、後輩の私に優しく、頼りがいのある姿を見せたい…というのもヒシヒシと伝わる。
だって…背中に伝わるタオルの感触が痛い。
物凄く力を入れているのが分かる。
時々「え、えっと…」と戸惑うマイさんの声も聞こえてくる。不安になる。
痛いけれど言わない…といより、その優しさが伝わってくる。
苦手なことでも前を向いて必至に頑張る…それは私が見習わなければいけない姿だって思うから。
不意に背中を洗う手が止まった。
どうかしたのかな?なんて思って振り向くと、マイさんは顔を赤らめながら、
「あの…お尻とか…あの…ま…た…あはは。前も…した方が…えっと…」
顔を真っ赤にしているマイさん。
私も彼女が何を言いたいのか分かる。思わず顔が熱くなる。
「それはさすがに自分でするから…」
私の言葉にマイさんは目を丸くしてから「そ、そうだよね!冗談だよ!」と言ってから、
「先輩だからね!」
と、親指を立てて見せた。
前後の文脈がおかしいのは気にしないでおいた。
背中にお湯をかけて貰い、私はマイさんの持っていたタオルを受け取り、
「お礼に私もしていい?」
私がマイさんに伝えると、マイさんは顔を赤くし俯いてしまった。
嫌なのかな?なんて思っていると、「…し…す」と小さな声が聞こえた。首を傾げてしまいそうになりながらも耳を済ませると「お願いします」と言っているのが何とか聞き取れた。
タオルを受け取り、マイさんと位置を交代する。
マイさんの背中側に座り、私は思わずその背中を見つめてしまい…言葉が出なかった。
マイさんの白魚のような手や、柔らかな表情に私とは違う起伏に富んだ体つき…。
それからは、到底想像出来ないような右の肩口から、左の腰骨当たりまでの傷が私の目に入った。
傷は既に塞がってはいるけれど、その痛々しさに思わず目を背けてしまう。
「ごめんね。背中の傷だよね…私がまだ冒険者になる前に盗賊につけられたの」
マイさんはバツが悪そうな言い方なものの、何処かその口調は明るい。顔をあげるとマイさんが半身で私の方を見ていた。
「この傷ね…。盗賊に追いかけられてて、無我夢中で逃げてた時に斬られてつけられた傷なの…。」
マイさんは右肩に触れると、愛おしそうに目を閉じ、
「あの時は痛くて、意識が朦朧としてたんだけど…いい思い出なの。」
マイさんはそう呟いてから、目を開けると私をまっすぐに見つめて微笑んだ。
「たまたま通り掛った冒険者の人に助けて貰ったの。その冒険者さん、本当に強くて…」
そこまで言うとマイさんは慌てた様子で目を開け「ごめんなさい!自分語りしちゃって」と急に謝られて呆気に取られてしまう。少なくとも人が不快になるような自分語りはしていないし、そもそも自分語りと言えるような内容でもなかったと思う。
なので私としては、もっと聞きたかった…というのが本音。
それでも途中で止めてしまうのには何か理由があるのだと思う。
マイさんのことはもっと知りたい。けど、急がなくていい…そう言い聞かせ、私はタオルをマイさんの背中に当て。
「冷える前に洗わして貰うね」
私の言葉にマイさんは笑顔と共に背中を向けてくれた。
傷の部分はまだ痛むかもしれないからなるべくゆっくりと、それ以外のところは目一杯洗うと「いたた」と時々楽し気な声が聞こえ、私が謝ろうとすると、
「ううん!気持ちいくらい!もっと、強くしていいから!」
悪戯っぽく笑うマイさんに、私は安堵しながらも先輩の優しさを受け取り、優しく背中を洗っていく。
お互いの背中を流してから、湯殿に入ることになったのだけど、多分1人用の湯殿なので、到底二人一緒には入れない…と思っていた。
強引…としか言えないけれど、私とマイさんは並んで体育座りのような恰好で湯殿に浸かる。
「うは~…」と、マイさんは気持ちよさそうな声をあげる。
慣れているように見える。もしかしてギルドの寮にあるお風呂って結構狭いのかもしれない。私は足をゆっくり伸ばして…眠るくらいの入浴が好きなのだけど。
それでもぬるま湯に近いけれど、温かいお湯には思わず肩の力が抜ける。
レンツ子爵様のところでは熱々のお風呂に入れたけれど、こっちの世界ではこのぬるま湯に近いお湯でも贅沢に違いないのだとは、何となく感じ取ってはいる。
実際問題だけれど、お風呂のない宿もあった。ぬるま湯を銅貨で買い取り、体を拭いたこともある。この村の好意に甘え過ぎているのは間違いないと思う。
お湯に浸かっていると、ふと目の前がぼやける。瞼が落ちそうになる。
眠い…
疲れているのが自分でも分かる。そう言えば、最近は宿でしっかりと休んで、仕事を探して近場に狩りに行く…というのがルーティンになっていた。
言ってしまえばゆっくりしていた。
今までの旅なら…ボロボロの服…小汚い恰好で野営しながら遭遇した魔物と戦い休む暇もなかったから体力はついたのだろうけど、久しぶりにある程度の距離を歩いて、いきなり戦闘すると体が疲れる。
やっぱり人間だし易きに流れてしまう。
眠たい…と思っていると不意に私の頬に柔らかな物があたった。それがマイさんの肩だと分かると、慌てて顔を上げたものの「カホさん。お疲れ様」と言いながら肩を差し出してくれた。
少し気恥ずかしさはあるけれど、体は正直でマイさんの肩に頬を預けてしまう。
マイさんの体温が優しく、より一層眠りの淵が見えてくる。
「私、勇者なんです。」
不意に聞こえた声に、ようやく私の目が開いた。
ぼんやりとしながらも、顔をあげるとマイさんと目があった。
マイさんは笑顔で私を見つめていた。
条件反射で「私は勇者じゃない」と言いかけてはいたけれどグッと堪えれた。
元より出来の悪い頭なのに、より一層思考が回らないけれど、
「やっぱり、どうりで強いわけだ」
納得するように息を吐くと、マイさんは首を振り。
「…違うわ。私は弱いまま。ただ、私が貰った力が強大なだけ。『出来損ない』…『神の恩寵』…」
聞き間違えた…と思った。
『出来損ない』とそう聞こえた。
驚きで眠気が吹き飛び、言葉を必至に探していたけれど、見つからない。
マイさんはそんな私を察してか、自分の手を見つめながら、
「『戦技』、『魔術』、『奇跡』の全てが使えるけど…初級だけ。決して最高…頂上には至らない力」
マイさんは自分に呆れるように息を吐き、不器用に笑いながら、
「私らしい…よね…。何にも上手くなれない。ただ、器用貧乏なだけなんて…」
…そうなの?言いたくなるのは、私にとってはどれも使えないから、羨ましい気持ちがあるのかもしれない。
時々、勇者の『神の恩寵』とか『神の力』とか聞くけど、今一つ想像がつかない。何か凄い力…という位の認識しかない。
漠然としているからなのかもしれないけれど、どうもそういった未知の力を何とも思えない。
そんな力よりも、今日のマイさんは…気高く、強くて、綺麗だった。
村に到着するなりすぐに判断して、戦いでは率先して前に出ていて、それが能力とか未知の力がさせるものではなくマイさんの優しく、強い性格から生まれていることは分かる。
傲りなく、ただ、誰かを守りたい…マイさんの力。
「そうかな?今日とか凄かったよ。私なんか何も出来なくて…」
フォローするような言い方になってしまった。
その上から目線はどの口が言うんだ?
…と心の中でセルフでツッコんでしまう。穴があったら入りたい…。
マイさんは私の言葉に困ったような笑顔を浮かべながらも、優しく受け止めてくれていた。
「なんか…こう、組み合わせて戦ってるみたいでさ、私なんか突っ込んで斬るしか脳がないから…」
たどたどしく言い訳がましい言い方になってしまう。
本当に穴があったら入りたい。
バツが悪い。マイさんに視線を送ると、何かを考えているような雰囲気だった。
私の発言を気にしていない…ことはないと思う。
悪いこと言っちゃったかなと素直に反省する。
「組み合わせ…」とポツリとマイさんが溢した言葉に思わず体を固くしてしまう。
分からない。
怒ってるのか、それとも…何か考えているだけなのか…。
言って欲しい!
だけど…聞いたら失礼なのくらい分かる。
言ってくれたらと思ってしまうのが、私の意気地なさを顕著に現わしている。
マイさんとのお風呂が終わり、私は剣の鞘についた泥を落とす為に川べりで簡単な作業する。
私の剣…グラディウスの刀身に汚れ一つないのは、いかに今日何もしていないか…というのを如実に現わしている。
その代わり、師匠から貰った革鎧や、ゴブリンから奪った具足はかなり汚れている。
しっかり、歩いた…
自分の疲労感に何度か頷いてから、装備の洗浄を終わらせて寝床へと向かう。
借りている部屋に入ると、寝息が聞こえたのでなるべく音をたてないようにドアを閉める。
簡易な寝床…藁の上に厚手のタオルを敷いた寝床。
現世にいた時には考えられなかったけど、この村の人達の十分過ぎる優しさに胸が熱くなる。
始めて野宿をした時の背中違和感は未だに覚えている。
初めの頃は何もないと分かっているのに背中が痒くなり、気になって眠れなかった。
虫でも這っているのでは、なんて思って何度も背中を掻き、結局疲労がピークになった頃に気付いたら眠っているのが常だった。
…今更思ったものの、もしかしたらノミがいたのかもしれない。
当時その考えに至らなかった私は女子力が欠如していると言われても反論出来ない。
今更思い返す時点で女子力は諦めているけれど…。
「お母さん…」
不意に声が聞こえ慌てて口を押さえる。
この行為にきっと意味はない。意味なんてある訳がない。
ただ本当に咄嗟にしてしまった。
声のした方向にはマイさんがいた。暗い中月明りを頼りに、ジッとその顔を覗き込んでみる。
覗き込みながら自分の悪趣味さに辟易としてしまうものの、マイさんの目じりに光るものが見えた。
答えは分かっている。
マイさんは『勇者』だ。
私は『勇者』は名乗らない…そう決めているけれど、マイさんと境遇は一緒。
だから、少しは分かる。
でも…全ては分からない。だって、マイさんにはきっと…
「お父さん…ごめん…」
マイさんの寝言が続いた。その言葉に私の胸がチクリと痛む。
私は大好きなお母さんを亡くし、お父さんに捨てられた。
だから…まだ割り切りはついてる。
あの時…私が死ぬ間際…。
私は腕と足を失いながらも、それでもあの子に託せた。
生きてて欲しくて…無理矢理生きることを押し付けた。
私にはきっと…未練がなかったんだと思う。
「私は…幸せな方…なのかな?」
ポツリと溢し、ゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏の光が乱反射している。それがいつしか熱くなっている。
それでも私は、それを拭うことはしない。
それが…私らしさだと思うから…。
だって…分かってるから。
未練は…あるって分かってるから。
あの世界で…生きていたかったから…
『チカ』の村からの依頼を終えた私達は、のんびりと牛車に揺られてギルドへの帰路へと着いた。
本来ならお金が勿体ないので歩いて帰るところだったのだけれど、護衛も兼ねて無料でと言われたので私は飛びついた。勿論、そんな意地汚い所は見せられないので、適当に綺麗な言葉は並べたけれど。
ちなみにマイさんは、村の人を本気で心配して自ら買って出ていた。
私の姑息さと汚さが見て取れてしまう。
借金を早く返したいからと…言い訳はそれくらいしか出て来ない。
牛車で運ぶものは、どうやら、『チカ』の主産物であるグレールという野菜。
濃い緑色で細長い植物で、見た目はピーマンを細くしたような見た目だ。
食べたことがないので、「どんな味ですか?」と恐る恐る聞くと、村の人が一つもぎ取って渡してくれた。
お礼を言ってから齧ってみて、後悔した。
生で、洗いもせず食べることによる女子力の欠如…とかではなく、辛い。
本気で辛かった。
思えば、見た目が唐辛子に似ていたので気付くべきだったと反省する。
それでも、辛さに体が熱くなりながらも、何処か癖になる甘味が染み出してきて、素直に美味しいと思う。
「辛っ…でもいける」と一人ごちながら完食したところで、マイさんから、
「ちなみに高級食材ですよ。アルトヘイムでは王宮での料理や接待の時に出されるような食材なので」
その言葉に、体は暑いのに頭が冷えた。
この世界で香辛料の類が高いのは知っている。
自分の軽率さは救いようがない気がしてきた。
牛車がのんびりと街道を進み、アルトヘイムに到着したのは夕方を回っていた。
乗せてくれた村の人にお礼を言い、ギルドの受付で報告をし、私達の初仕事はようやく終わりを迎えることが出来た。
結局、私は殆ど何もせずに…というより、何も出来なかったけれど成功したことには嬉しかった。
これから、どんな仕事を受けることになるのかなんて想像もつかないけれど、それでも頑張っていこうと思える。
―次の日、朝早くにマイさんに起こして貰い、私は軽く顔を洗って着替えを済ませてからギルドの受付へと向かう。
受付の近くには朝早くからお酒を飲んでいるガラの悪そうな男性が数人おり、その中で異彩を放つとはこのことのように受付の前にマイさんがおり、堂々と腰に手を当てて立っていた。
マイさんはその黒く艶やかな髪を靡かせ、
「今日は~、私が依頼の受注の仕方を教えちゃいます!なにせ、先輩だから!」
自身満々にそう言いながら、受付の横にあるボードに貼ってある紙を手に取る。
そんな彼女の背中に、
「おい見ろよ!『低級狩』のマイだぜ!あいつも好きだねぇ!」
「『出来損ない』だろ?今日もゴブリン狩り、お疲れさん!怪我すんなよ!」
不意にガラの悪そうな男性から声が掛けられた。
悪意すら感じる言葉に思わず男性達を睨んでしまう。
男性達は酒に酔っている様子で、私の睨みなんて意にも返さず、
「おー、新人!良い目じゃねぇか!それだけの威勢ならゴブリンくらい逃げるんじゃねぇか!」
「討伐しなきゃならねぇのに、逃がすのかよ!ダハハハ!」
「あんなカワイイ顔じゃむしろ寄ってくるんじゃねぇか?よかったな!適材適所だ!」
むしろ笑いの種にされた。
侮られるのは当然だけど、言い返せないのも悔しい。
男性達はボロボロの装備ながらも筋骨隆々であり、体にはいくつもの傷と返り血が見える。
どれだけの戦闘をくぐり抜けてきたのかも想像つかない。
男性達は酒をあおり、「魔族の野郎を3人も斬り殺してやったぜ」、「俺は5人だ」等とお互いに成果を報告し合っていた。
その血なまぐささに、私は目を背けることしか出来なかった。
私は何も言えず、俯いてしまうと、不意にマイさんが私の手を握った。
顔を上げその表情を見ると、明るく笑顔を浮かべていた。
マイさんは私の手を取って、高く上げると、
「うん!今日も頑張ってくるね!」
大声で男性達にそう告げると、酒に酔った男性達はニカリと人懐っこく笑い、
「おぉ!行って来いよ!怪我する前に逃げるんだぜ」
「おいおい、危ないからやめとけって。魔物の餌になりにいくくらいなら、俺にお酌してくれよ。ついでにいい仕事を紹介してやるよ!」
「そのでっかいおっぱいでな!ギャハハハ!」
その言葉に歯噛みをしてしまう。
破廉恥で相手の事を考えない言動…冒険者には師匠のような無骨な人が多いと思っていたけれど、シノの村でウェンさんの言っていた通り師匠を煮詰めた感じの人達だと分かる。
言い返したくても言い返せず、それでも自分の虚栄心が彼らを無視させてくれない。
不意に私の目にマイさんの笑顔が映り込んだ。
あれだけ言われているのに…私なんかよりよっぽど傷つけられているはずなのに、マイさんは笑っていた。
「マイさん…」
「ごめんねカホさん。私、すっごく弱いから…だから、いっつもこんな依頼ばっかりで…」
マイさんは私の言葉を遮るようにそう言ってから、飲んだくれている冒険者の男性達に一度頭を下げた。
冒険者の男性達はへらへらと笑いながら、そんなマイさんに軽く手を振り、またも馬鹿笑いと呼ぶに値する大声で話し始めた。
マイさんは笑顔のまま受付を出て、ギルドの出入口へと向かう。
そんなマイさんの背中を追いながら、私は言葉が見つからなかった。
何て言えばいいのか考えあぐねていたものの、意を決して。
「そんなことないよ。近くの村からの依頼だし、誰かがやらなきゃいけない仕事だよ!それをしっかりこなすのって、凄く大切なことだと思う…」
私は、なんとかマイさんを励ましたくて、自分なりにしっかりとした口調で伝えた。
私の言葉にマイさんは驚いたのか足を止め、振り返り、「カホさん…?」とポカンとしながら私の名前を呼んだ。
理由は…私がギルドの出入口を出たところでいきなり声を上げたからだ…。
自分の行動を思い返すと、恥ずかしくなる。
こんなところで大声を挙げた理由なんて…あの男性の冒険者達が怖かったというのは自分でも分かる。
その自分の意気地のなさがさらに自分に追い打ちを懸ける。
恥ずかし過ぎる…何をやっているんだ私は…。
チラリと目線だけマイさんに向けると、マイさんの表情は笑顔だった。
その表情に言葉を失っているとマイさんはゆっくりと頷き、
「ごめんなさい。私は勇者でも…」
そこまで言うとマイさんは一度言葉を区切り、何処か悲しそうに、
「…ううん。きっと違うんだと思う。私は勇者じゃない。私には勇気なんてない。戦うのだって本当は怖いの…」
マイさんは私はから目線を逸らし、腰に差しているメイスに手を触れた。
「私は…あの人達が言った通り、自分でも簡単に倒せる魔物を狙って戦っているだけの『いじめっ子』で、ただ褒めて欲しく村の人達を助けているだけだって分かってるの。この世界に来るまでもそうだったから」
マイさんはそこまで言うとメイスを腰から抜き、手放したかと思うと器用に手の甲だけを使って一回転させ腰を捻り、足を使い、メイスを握ることなく元の場所へと戻した。
その流麗な動きに何も言えず、ポカンとしてしまう。
マイさんは困ったように眉を潜めながら、軽くターンをして見せる。
その動きによりマイさんの長い髪がふわりと浮き、続いてマイさんが腰を軽くひねり自然と首を回すと髪が乱れることなく彼女の背に靡いた。
しなやかでダイナミックな動きなのに、何事もなかったかのように自然に振る舞う姿には思わず拍手してしまう。
マイさんは軽く会釈しながら、
「新体操をやってたんですけど…全然敵わない人がいたの…。だから、その人の事は天才だって割り切って、私より下手な人を見下して…それだけを糧に頑張ってたの…勉強だってそうだった…私は…絶対に一位なんてなれない…『出来損ない』だから」
悲痛な面持ちのマイさんに何か言葉を掛けなければならない…そう思っても言葉が出て来ない。
マイさんですら勇者じゃないなら…そう思ったところで安堵してしまう。
そんな自分が嫌になる。
私は逃げているだけだから。勇者じゃない、ということを貫こうとは思っている。
でも、その中には確実に私が逃げたい気持ちがあるのも確か。
勇者じゃないから…逃げてもいいって、そういう黒い気持ちがあるのは確かなことだから。
「こんな私が勇者なんて…どうかしてるよね…」
マイさんは目を伏せながら、自分をあざ笑うかのように口元を歪めた。
その心内を察し測れない。
どの言葉は掛けてあげればいいのか、私には分からなかった。
『大丈夫だよ』とか、『そんなことないよ』…なんて言葉は思いついても、言えばきっと傷付けてしまう。
マイさんの為の言葉を探していたものの、結局見つからずに時間切れ。
マイさんは顔を上げ。
「だから…カホちゃんが私を元気付けようとしてくれたのは、本当に嬉しかったんですよ。人を励ますのって怖いのは分かってるから…本当にありがとうございます」
マイさんは笑顔を私に向けてくれた。
痛いほど優しい笑顔―
私はその笑顔に胸が苦しくなった。
元気付けてあげたかった…
なのに、臆病な私は元気付けられてしまった…
…でも、言葉が見つからなかった。それだけじゃなく、マイさんの優しさから勇気を貰ってしまった。
優しく、包容力のあるマイさんが共にいることに…嬉しさを感じた。
何も出来ない私だけれど、マイさんの相方として…頑張らなきゃいけない、とそう思えるくらいには、私の中にも勇気が残っていた。
いつまでも助けて貰うだけじゃダメだ…私は腰に刺した短い剣をしっかりと握り。
「頑張ろうね!」
私の言葉にマイさんは大きく頷き、さっきまでの不安そうな表情を消して、明るく楽し気な笑顔を見せてくれた。
「勿論!カホちゃんのことは先輩の私が、必ず守るからね!」
マイさんの優しい言葉と共に、私達は依頼先である山裾の村『サンク』を目指して門へと向かう。
不意にマイさんの背中に目がいく。
私より少し背が高く、綺麗な長い髪が揺れている。
その背中に…安心感を覚えていた。
ギルドに入ることになって、仲間と別れて1人になると思ってた…。
寂しい気持ちはいつだってある。
出会いと別れを繰り返して来たから。
だけど、今は大丈夫。私には優しくて、頼りになって、私を気にかけてくれる先輩がいるのだから。
申し訳ありません。
上下に分けるつもりはなかったのですが…遅筆で本当に申し訳ありません。




