第32話:如意宝珠の剣
「コハルさん――君があいつを倒すんだ」
大樹が宣言した無謀なその言葉は、ヤタガラスにも、そしてコハル本人にも予想外な物であった。大樹に抱きかかえられたまま、コハルは何を言っているか分からないと言いたげに、きょとんとした表情で大樹を見上げる。ヤタガラスもコハル同様、一瞬だけ呆けた顔をした後、その顔を醜く歪めた。
「ぶひゃひゃひゃ! ヒロキ君、そりゃ無いんじゃないの? 確かに今まともに動けるのはその子しか居ないだろうけどさ、幾ら何でも場違いっていうか、あんまり無茶なことを要求しちゃ可哀想だよぉ?」
「僕のターンなんだろ? あんたは黙ってろ」
大樹は別段態度を変えたりもせず、ヤタガラスにぴしゃりと言い放つ。その不遜な物言いに、ヤタガラスは反射的に大樹を殴り飛ばそうと腕をもたげたが、死に体の相手にむきになるのは逆に格好悪いと判断し押し黙る。それに、ゲーマー魂とも言うべきか、相手の行動を全て見ないうちに終了しては面白くないと考え、ヤタガラスは興味深げに大樹達を観察する。
「……わかったよヒロキ君。それじゃあ君の――君たちの行動終了を待つとしようかぁ」
ヤタガラスが攻撃態勢を解除したのを確認し、大樹は、自分の腕の中で怯えるコハルに目を向ける。コハルは戸惑っているような、申し訳無さそうな表情のまま、涙の後が残ったままの、大きな鳶色の瞳で大樹を見上げる。
「私が……? でも私、何にも出来ないよぉ……ごめんなさい、ごめんなさいぃ」
「そんな事無い! コハルさんは僕の事を必要だって言ってくれた! 君がどれだけ凄いか、僕が一番良く知ってる」
再び泣き出したコハルを抱く腕に力を込めて大樹は叫ぶ。それは、大樹の本心であった。大樹の脳裏に、あの合成獣の棲家での会話が思い出される。
『もしも、もしもだよ。僕が全ての力を失って何も出来なくなったら、コハルさんは僕の事をいらないと思うのかな?』
『そ、そんな事ありません! 何も出来なくなっても、ヒロキさんはヒロキさんです!』
仲間達の中で、強い力を持つ『ヒロキ』ではなく、弱い『大樹』を見てくれていたのはコハルだけだった。お前は必要の無い人間だと社会にレッテルを貼られた大樹にとって、それがどれほど救いになったか。それに、大樹が借り物の力で困難に立ち向かって来たのに対し、コハルは力が無いにも関わらずここまで歩いて来た。希望を抱いて足掻き、到底叶わない相手に対し、大樹を守ることで己の意思を貫いた。それは、全てを諦めて引き篭もった大樹には出来なかった事で、本当に、本当に眩しく美しく見えた。確かにコハルは能力という点では何も無いかもしれない、けれどその魂は、決して意味の無い物などでは無い。
「コハルさんなら――僕達ならきっと何だって出来るよ。これから僕がやる事は、コハルさんと一緒じゃなきゃ駄目なんだ。いいかい……」
コハルと同時に自分に言い聞かせるようにそう呟くと、大樹はコハルの耳元に何事かを短く囁く。コハルは驚きに身を竦ませ、不安げに大樹を見る。
「で、でも、そんな事したらヒロキさんが!」
「僕は大丈夫。たまには僕にも格好つけさせてよ」
大樹は軽口を叩きながら、ぼろぼろになった手でコハルの頭を軽く撫でる。そして、コハルを抱いていた腕を放すと、今度はお互いに手を繋いだ。コハルは少しだけ戸惑いながら、やがて厳然とした表情を作り、最後に大樹に向かって微笑んだ。それを嬉しそうに見守っていた大樹が、ゆっくりと口を開いた。
「僕と踊っていただけますか、姫様」
その台詞に、コハルは柔和な笑みを浮かべて相槌を打つ。
「はい、喜んで……」
その言葉を解き放った瞬間、柔らかく暖かい白光がコハルの体を包み込み、ヤタガラスに踏み躙られ、穢された汚泥を吹き飛ばし、裂傷を塞いでいく。ヤタガラスですら、その神秘的な光景を黙って見つめていた。光の奔流が収まると、その中心には、先程まで薄汚れたツナギを着ていたみすぼらしい少女の姿は無く、乳白色の生地をベースに、沢山の装飾とフリルの付いた美しいドレスを身に纏った、貴族のような一人の乙女が屹立していた。
<天使のゴシックドレス>――大樹が以前、コハルに受け渡し、コハル自身の意思によって封印されていた装備だ。この装備は大樹が持つ防具の中でも最高の物で、美しい見かけに反して、サンクチュアリ全体から見ても上位に位置する性能を持つ。この防具を装備しているだけで自身のステータスに相当の上昇補正が加わるのだ。
「へぇー! こいつは驚いた! これはこれは美しいお嬢さんだ。馬子にも衣装って奴かな? ……で、たったそれだけで僕を倒すとかほざいたのかい?」
「慌てるなよ創造主様。まだとっておきのショーが残ってるよ」
大樹は不敵な笑みを浮かべ、コハルの一歩前に出る。それは普段オスカーがするような行為であったが、大樹は自分自身を鼓舞するため、敢えて傲然とした態度を取っていた。臆病な大樹にとって、強大な力を持ったヤタガラスに立ち向かうのはとても怖い。傷つくことや危険な事もなるべくしたくはない。今までサンクチュアリで『安全な大冒険』しかしてこなかったのだから当然だ。しかし、目の前のこの男は、大樹や仲間達の今までの道のりを下らないと吐き捨て、大樹の一番大事な物を踏みにじった。その罪、万死に値する。恐れを上回るその怒りが大樹を駆り立てていた。
格好付けろ、虚勢を張れ。虚仮の一念岩をも通す。そう自分に言い聞かせ、大樹は気を抜けば意識を失いそうな激痛の中、噛み締めるように「力ある言葉」を解き放つ。
「<精霊武器>譲渡! パートナー名、コハル!」
大樹は高らかに声を上げる。その瞬間、大地より巨大な光の柱が現れ、大樹を貫いた。その光は天を貫き、周りの空気をびりびりと振動させ、爆風を巻き上げる。あまりの光の強さに、ヤタガラスもコハルも目を開けていられない程だ。徐々に光の柱は細くなっていき、柱が完全に消えると、そこに大樹の姿は無く、コハルの手元に収まるように、一振りの剣が浮かんでいた。
「わぁ……」
コハルはその剣の余りの美しさに嘆息する。剣の柄自体は何の装飾も無い、銀色の無骨な物だが、その透き通るような刃――まるで儀礼用の装飾品のように澄み渡る青刃が、コハルの、そしてヤタガラスの目を釘付けにした。
蒼穹の空よりもなお広大、深遠の海よりもなお深い青を湛え、瑕一つ無く磨かれた青水晶で作られた刀身。怜悧であるにも関わらず、コハルを包み込むような温かみを感じられる不思議な珠。これこそが大樹の最後の切り札、サンクチュアリにおける最高級装備の一つ――如意宝珠の剣である。
如意宝珠――東洋神話に登場し、いかなる願いも成就させ、望むもの全てを呼び出し、全ての邪悪なる物を退け祓う。そんな伝説を元に作られた最高級レアアイテムだ。レアリティが高すぎて、サンクチュアリ内でも極一部の人間しか持っておらず、プレイ暦が長いだけの大樹ではとても手に入らない逸品だ。
だが、裏技的な方法で手に入れることも出来る。それが大樹がコハルに対して使用した<パートナーシステム>だ。サンクチュアリでは、プレイヤー同士でパートナー契約という物を結ぶことが出来る。ユーザー間で<結婚システム>などと呼ばれているこのシステムを使用すると、パートナーとなったお互いのキャラクター同士に様々な得点が付く。体力や精神力の受け渡し、アイテムの共有化、そして、精霊武器の譲渡。
種族によってパートナーに与える能力は変わるが、<地の神精族>である大樹は、己の力を武器に変え、パートナーに受け渡すことが出来る。それはまるで、神の寵愛を受け、何の力も無い人間が奇跡を起こした神話の再現のようだ。
「さぁコハルさん、僕が盾になる。君は剣になって、二人であいつを倒すんだ!」
大樹の声がコハルの頭に響くとコハルは力強く頷き返し、その剣へと手を伸ばした。瞬間――コハルに大樹の意志と力が流れ込む。お互いの意思ははっきりと感じ取れるのに、まるで自分自身のように感じる不思議な感覚。
「へぇ、確かにそいつはやばそうだねぇ――それじゃ、やばそうなのでさっさとぶっ壊そうか!」
痺れを切らしたヤタガラスは、残った左腕の指を、それぞれ細長い鞭のように伸ばしてコハルを貫こうとする。しかし、その鋭い指先がコハルに届く直前、硬質な音と共に、見えない障壁によって弾かれた。ヤタガラスもある程度予想はしていたらしく、特に慌てた様子は無い。
「それが君の――いや、君たちの全力という訳かな? じゃあ、そいつを叩き潰せば僕の完全勝利という訳だ」
「あんたなんかに僕達が負ける訳ないけどね――行くよ! コハル!」
「分かった! ヒロキ!」
大樹の宣戦布告と共に、ドレスを身に纏い、剣を手にしたコハルが大地を蹴る。ヤタガラスは興奮の為か、はたまた怒りのためか、それとも両方か、耳元まで割ける様な狂気の笑顔で、己に刃向かう小娘の迎撃体制に入る。ガラクタの神様と箱庭の神様、お互いの意地と意地のぶつかり合う、最後の戦いが火蓋を切った――




