第28話:ガラクタの神様
「貴方が……壊した?」
ロビーに再度注がれた紅茶をのんびりと啜るヤタガラスに対し、大樹は喉から絞りだすような言葉を出す。その反応を待っていたとばかりにヤタガラスは口元を歪め、殆ど閉じてしまうくらいに目を細めた。それを見る大樹の心は反対にささくれ立っていく。
「そうだよぉ。いやぁ、正義を愛する僕としては、人間の悪行を許せなかったんだよ。そうだよ、仕方なかったんだよぉ」
これっぽっちも悲嘆さの無い声でヤタガラスが続ける。その様子から、恐らくヤタガラスが碌でもない事を仕出かしたのは何となく想像できる。
「へらへら笑ってないで、早く何があったか教えてください!」
「おお怖い怖い。お嬢ちゃん、怒っちゃ可愛い顔が台無しだよぉ? 怖いお嬢ちゃんに免じて、さっさと教えるとしますか」
コハルが珍しく敵意を剥き出しにした大声を上げる。滅多にそんな態度を見たことが無い仲間達は驚いたが、コハルだけでなく、誰もが目の前の狂人に不快感を感じていた。最も、ヤタガラスは小鳥が囀っている程度にしか感じていないようだが。
「あの日……ヒロキ君が捕獲カプセルに入って戻ってきた時、研究所の連中はそりゃあもう狂喜乱舞なんて物じゃなかったよ。何せ人類史上初の異世界との遭遇な上に、世界を癒す可能性すら秘めてる生命体を捕えたんだ。まぁ当たり前だよね」
「僕はそんな大それた物じゃ……」
「大それた物だったんだよ。ま、ともかく、そんな訳で、後は君を覚醒させてコンタクトを取り、この世界を癒してもらう筈だった訳だよ――自分達と意思疎通が出来る程の知的生命体を勝手に連れて来ておいて、浅ましいったら無いよね」
「…………」
「だから僕が壊してやったんだよ。他の物を犠牲にしてまで自分たちが生き残ろうとする醜い連中をね。人間なんて皆大人しく死ぬべきだったんだよ。悪いことをしたんだからお仕置きは必要でしょ?」
誰も何も言わない。重苦しい沈黙の中、ヤタガラスだけがまるでお芝居でもしているように、身振り手振りを加えて興奮しながら喚き続ける。
「いやぁ、連中も僕が突然暴れだすってのは予想外だったみたいで、あっさり不意打ちは成功したよ。何せ僕は、表面上『いい子』を装うのは得意だったからねぇ。そうして人類の最後の砦、ヒロキ君を迎え入れた研究所は一夜にして『謎の事故』で壊滅し、打開策も無いまま人類は衰退していきました。管理者を失った合成獣はほったらかし。そして現在に至りましたとさ」
おしまいっ、と最後に冗談っぽく言い捨て、ヤタガラスはどかっとリクライニングチェアに腰掛ける。奇妙に歪められた森は木の葉の音一つ立てず、不気味な沈黙に包まれている。
「どお? 面白かった? しっかし、ぶっ潰した研究所がガラクタに埋もれてて、そこから今更になって神様が掘り返されるとは思わなかったよぉ。『ガラクタの神様』、最早この世界ではお役御免の君に相応しい呼び名だろう? ま、でも君たちもお疲れ様。ここまで来るのは大変だったろう? 来ても意味無いけどさ」
ふんぞり返りながらヤタガラスが哄笑する。大樹達だけではなく、この世界その物を嘲るように大口を開けながら。対する大樹は俯いたままだ。あの先に行けば新しい希望がある、そう考えて必死になって泳いだ魚の行く手には、ガラスの壁があるだけだった。そこで魚は気が付いた、自分は狭い水槽の端から端へと移動しただけなのだと。
「ヤタガラス……ついでにもう一つ教えて欲しい」
「あれぇヒロキ君、『さん』が抜けてるよぉ? まぁいいや、何だい? 僕は今機嫌がいいから出血サービスで教えてあげよう」
「……この先の世界はどうなってるの?」
「この先……? んー、どうなんだろうねぇ。各国それぞれ色々な再生計画とかに取り組んでたみたいだけど、僕は細かいことは知らないよ。てか、もうどれだけ昔かも忘れたし、今じゃどこも似たり寄ったりの状況じゃない?」
「つまり、この先はあんたも把握してないんだね?」
「うるさいなぁ。この研究所の管理ツールだと、この辺の生命探知だけで手一杯なんだ。育成シュミレーションゲームなんだから、その位出来りゃ十分なんだよ」
ヤタガラスにとって、オスカー達の生きるこの世界は、アクアリウムや箱庭シュミレーションゲームのような物だ。これ以上拡張も出来ないし、する気も無い。ただ眺めて遊ぶだけの暇つぶし。大樹がガラクタの神様なら、ヤタガラスは箱庭の神様だ。相変わらず大樹は俯いたまま机を睨んでいたが、やがて唐突に席を立ち、そして無言で踵を返す。
「――それが分かれば十分だよ。皆、行こう」
「お、おいヒロキ!?」
「ヒロキさん? 行くってどこへ?」
大樹は数歩進んだ後、半身だけ振り返りこう答えた。
「決まってるよ。この墓場のもっと先、まだ分からない場所にだよ」
「はぁ? 何を言ってるんだいヒロキ君? 君、今僕に聞いたじゃないか、この先に言ったって、どこも似たような物だと思うし、希望なんて無い」
「それはあんたがそう思うだけで、そうじゃないかもしれない。少なくともこんな場所に篭ってるあんたには分からないよ」
大樹は少し皮肉っぽく、棘のある言い方をする。大樹は先ほどからこの男の言動が妙に不快に感じていたのだが、研究所を破壊した理由を聞いて理解できた。この男は自分に似ている――早い話が同属嫌悪だ。
人類の過ちを正すみたいな大義名分を掲げていたが、それは多分違う。絶望に沈んでいた人間たちが、希望を手にして成功をする姿を見たくない、つまり嫉妬だ。例えるなら、今まで、モテないモテないとお互い傷を舐めあっていた友人が、ある日、突然成功して巨万の富を得て、可愛い彼女や信頼できる仲間を手に入れた、その時に恵まれないもう片方は何と思うだろう。ヤタガラスはそれに気付いていないようだが、大樹は、自分の嫌な部分をまじまじと見るような気分だった。
不遇で矮小なこの身を呪い、自分の思い通りに出来る世界で小さな自分を護ることに必死な人間。大樹はサンクチュアリに没頭し、ヤタガラスは己のテリトリーに固執した。恐ろしいのは、そんなヤタガラスが世界に何かを出来てしまう程の力を得てしまったことだ。大樹とて周りの仲間が居なければ、同じような状況になっていたかもしれない。
恐らく、見たくも無い大樹の痕跡など、最早完全に消去されているだろう。此処には何も無い。あるのは抜け殻だけ。ならば、まだ見ぬ世界の可能性を信じたい。大樹はそう考える。何より、この狭い世界と、自分の写し身のような矮小な男と同じ場所に居たくは無い。
「ま、待ちなよヒロキ君! そ、そうだ! ゲームをしようよゲーム! 僕も一人だと退屈しちゃってね。陣取りゲームでもしないかい? 僕と君たちで、お互い陣地を決めて、より生命を増やしたほうが勝ちだ。この管理ツールも君にコピーしてあげるし、何だったら今の箱庭を丸ごと譲るよ!?」
「……お茶、ごちそうさまでした」
ヤタガラスが慌てたように大樹に呼びかけるが、大樹は振り向かずに短くそう答えた。五人も席を立ち、大樹の後を追う。ヤタガラスがテーブルに目を向けると、大樹達は誰も、一口も自分の出したお茶に口を付けていなかった。その瞬間、ヤタガラスの心に亀裂が入った。
「君ねぇ……一方的に情報提供だけさせて、人の出したお茶も飲まない、いきなり席を立つ。そんなんで良いと思ってるのかい?」
皮肉っぽくヤタガラスが笑うが、目は全く笑っておらず、声の調子も上擦っている。相当に機嫌が悪いのを、プライドで無理矢理押さえつけている。そんな内面が浮かんで見える。
「だったらどうすればいいの?」
「世の中ギブアンドテイクだよ? 僕は君に情報を提供したんだから、君は僕を楽しませるべきだろう?」
「さっきのゲームならやらないよ。僕達はあんたのゲームの駒じゃないし、この世界をゲームだとも思ってない」
「あんま調子に乗らないほうがいいよ、ヒロキ君。でもまぁ、君はその手のゲームは嫌いみたいだねぇ、じゃあRPGはどうだい?」
「RPG? 何だそりゃ?」
「オスカル君だっけか、君らに言っても分かんないよねぇ。RPG、各々が『役割』を演じて遊ぶゲームだよ」
自分の優位性をアピールできたお陰か、先ほどよりは幾分柔和な口調でヤタガラスが説明をする。しかし、そんな説明をされたところで、暇人の遊びに付き合う気は誰も無い。
「済まナイが、俺達は遠慮すル。一人デやってイルと良い」
「大体、『役割』を演じるって何でござる? 拙者にはもう忍者という立派な役割が……」
「――ごちゃごちゃうるっせぇんだよ! ゴミ虫共!」
雄叫びと共に、突然ヤタガラスが『膨張』した。病人のように骨と皮だけだった両肩が、まるでアメフトの肩パッドでも入れたかのように歪に膨らむ。そして、ぼこり、という嫌な音と共に、両腕がみしみしと音を立て、数メートルの長さに急速に伸びていく。不気味にしなるその腕は、まるで鱗の無い肌色の大蛇が二匹生えているようだ。さらに手首の先は、まるで岩で出来たアルマジロを嵌めたように巨大に硬化している。全体像としては、ヤジロベエを醜悪に捻じ曲げたようなアンバランスな姿だ。
「いいいぃぃひゃっはぁああぁあああーーーーーーっ!!」
体を捻り奇声を発し、ヤタガラスは己の体を軸に、その醜悪に伸びきった腕を狂ったようにぶん回す。大気を劈く轟音を上げ、自前のモーニングスターとでも言うべき塊が容赦なく大樹達に襲い掛かる。
「<大地の守り>!」
大樹の「力ある言葉」に反応し、地面の土がまるで壁を作るかのように仲間達の前に盛り上がる。<大地の守り>――文字通り地面の力で仲間全体を防御するスキル。あくまで生活系スキルの補佐として取っている程度なので、それ程強固な物ではない。今の大樹の能力は大分下がってはいるが、それでも並の合成獣の攻撃なら十分に防げる代物だ。
「っ……! ぐあぁっ!」
しかし逆に言えば、並ではない合成獣の一撃では、ひびの入った盾にしかならない。壁が打ち砕かれる瞬間、屈強なゴンベが前に出て壁となり、オスカーとクオンが攻撃を受け流すことで防がなければ、今の一撃で皆が致命傷を受けていただろう。
「え、な、何……? 何なんですかあの人!?」
「随分とまぁ、不細工な姿になったもんだねぇ……」
怯えるコハルを抱きかかえるながらオミナエシが軽口を叩くが、彼女の体もまた震えている。大樹にも何が起こったか理解出来てはいないが、少なくとも事態が碌でもない方向に進んでいる事だけは確かだ。
「ひっどいなぁ。僕はそこに居るクオン君とやらのお仲間だよ? 最も、色々とバージョンアップを加えてるから、代を経て血の薄まった、合成獣の中の雑種クオン君とは、レベルも仕様も全く違うけどね」
異様なほど痩せた体に不釣合いな腕をぶら下げながら、ヤタガラスはゲラゲラと笑う。今のきりもみ回転で、先ほどまで座っていた頑強な大理石のテーブルが、まるで割れた花瓶のように砕け散っている。その足元には、完全に破壊されたロビーが回線をショートさせながら無様に転がっていた。
「ひどい! その子、あなたの友達じゃないんですか?」
「貴様っ! 自分の仲間を無視して攻撃するとは何と下劣な奴でござる!」
「ひどい? 仲間を攻撃? ばっかだなぁ。ロビーはちゃーんと人工知能のバックアップは取ってあるんだ。壊したってまた同じのが作れるんだよ。寧ろ君たちは、今までたった一つの命しか持たない合成獣達を散々殺してきたじゃないか。ひどい度数は君たちのほうが上じゃないかなぁ?」
「黙レ。下種め」
大樹達の非難などこれっぽっちも気にしない。それどころか、もっと罵ってくれと顔に書いてあるようだ。その気持ち悪さに大樹達は思わず一歩退く。
「いいねいいねぇ! そうでなくっちゃ盛り上がらない。RPG――悪の親玉のこの僕を、勇者たちが倒す。そういうシチュエーションをやりたかったんだよ! 対戦相手が居ないゲームは盛り上がらないからねぇ!」
伸びた腕を戻し、元の痩せこけた浮浪者のような外見に戻ったヤタガラスが、とても楽しそうに、しかし底冷えのするような狂った笑い声をあげる。その声に弾かれたように、大樹、オスカー、ゴンベが前に出て、オミナエシとコハルを守るように壁を作る。その後ろにクオンが陣取った。合成獣と戦うときに、自然と組むようになった陣形だ。準備が整ったことを把握したヤタガラスは、再度嬉しそう目を細めた。
「準備できたかい勇者様ご一行? さぁ……ゲーム・スタートだ!」




