第22話:濃緑の怪物
「手加減すルだト?」
何を言ってるんだこの馬鹿は、クオンの表情にその感情がありありと浮き出る。大樹がクオンの攻撃を謎の障壁で弾き、自慢の爪を砕いた事は確かに脅威と言えば脅威である。だが、この程度はクオンの想定の範囲内だ。戦闘で油断すれば思わぬ痛手を負う事もある。大樹の華奢な外見と臆病な性質を見て、腕力まで弱いと決めて掛かった判断ミスだ。
「随分ト大言壮語を吐クな<異分子>。何か良イ方法でモ思いツイたか?」
「さっきまでの僕と同じだと思う?」
クオンは念のため、その闇の中を見通す真紅の目を凝らし大樹を観察する。目の前の生物に目立った違いは無い――いや、一つだけあった。
「髪の色ガ変わっテイるな、弱い生物ガ体色ヲ変え身を守ルようダ」
くくっ、とクオンが侮蔑の笑みを浮かべる。クオンの言うとおり、今の大樹の髪の色は新緑色から、濃緑色へと変化している。珍しいといえば珍しい、だから何だというのだ。別に体が巨大になった訳でも、爪や牙が生えた訳でも無い。
「ナエさん、オスカーにポーションと薬草を使ってあげて下さい。ゴンベは念のため護衛を、コハルさんは二人から離れないで。あ、でも僕からは出来る限り離れて」
「ヒロキさんは……?」
「僕はクオンを倒す」
クオンの嘲りをまるで無視し、大樹は淡々と指示を出す。その態度にクオンは少しだけ苛ついたように大樹を睨む。
「本当ニ余裕だナ貴様……自棄にデモなっタか」
「別に、自棄になんかなってない。クオンって言ったね。今から君を右手で殴る。避けても、防いでも、勿論反撃しても構わない」
「……はァ?」
クオンは堪らず素っ頓狂な声を上げる。本当に頭がおかしくなったのかこの馬鹿は――その考えが終わる前に、クオンは拳の一撃に吹き飛んだ。凄まじい勢いで地面に叩きつけられても勢いは死なず、地面の土をごりごりと音を立てながら滑り、藪に突っ込んでようやく止まった。
「ガはァッ!!」
想像を絶する激痛がクオンの体を支配する。オスカーの当身を食らったときも、肺の空気を搾り出させられるような衝撃であったが、今クオンの身に受けた物はその比ではない。オスカーが当身なら、大樹の右ストレートはまるでトラックとの正面衝突。
「あ、ガあアァっ!」
堪らずクオンは絶叫を上げる。もしクオンが並のキマイラ程度の耐久力しか無かったのなら、今の衝撃で体が爆散していてもおかしくなかった。これほどの一撃は、彼のこれまでの生涯においても食らったことが無い。
(何ガ起こっタ!?)
クオンは痛みを押さえ込み、戦士の思考を働かせ、必死に現状を分析し始める。
(かろウじテ見えタ……しかシ、『反応』出来なカッた!)
大樹の言動に若干呆れてはいたものの、クオンは決して油断しては居なかった。少なくともそのつもりだ。大樹が宣言通りに右手で殴りかかって来たことは見えたが、『見えた』だけで『反応』出来なかった。大樹が殴ってくる映像は目に映っていた、しかし、反射神経がそれについていかなったのだ。先程<濃血者>をいたぶっていた時に、釣竿で割り込みをかけることに戸惑っていた生物の速度ではない。
「ねぇ、もう止めにしよう? これ以上やったら本当に殺しちゃうかもしれない……」
「舐メルなっ!」
大樹の同情するような態度が逆にクオンに火を付け、これまでの余裕を含んだ態度を捨てさせた。オスカーに切り飛ばされ、そして大樹に握りつぶされた両手の爪がどろりと溶け、先程より大分短く、しかし鋭利な形へと再生する。
(余リ時間を掛けルのハ不味イな……)
自尊心を傷つけられた怒りに駆られながらも、クオンはあくまで冷静な状況判断を下す。理由は分からないが、目の前の<異分子>が『何か』を行い、戦闘能力を劇的に高めたのは間違いないが、戦闘に慣れている様には見えない。ならば相手が能力を出し切る前に倒してしまうべき――瞬時にそう判断したクオンは、再び近くの茂みへと身を隠す。オスカー相手にも手を抜いていた訳ではなかったが、今目の前に存在する<異分子>を『脅威』と分類し、それ相応の迎撃体勢を取る。
「審美眼、発動」
しかし大樹は、クオンが身を隠した事に慌てず、ぽつりと<常時型スキル>のトリガーをオンにする。毒物や希少な素材を見分けるためのスキルだが、高レベルを取得した<地の神精族>の大樹が森の中で使うと、姿の見えない敵を感知することが出来る。闇を見通すスキル、<暗視強化>も加わり、今の大樹の感知力は、恐らくこの世界の誰よりも優れた物になっているだろう。
「深緑の呪縛、発動!」
大樹の「力ある言葉」に呼応するように森がざわめいた。そして、まるで森は巨大な一つの生物のように轟き、うねる。
「ナっ!?」
藪に身を隠していたクオンが、声にならない悲鳴を上げる。今までも驚くことは多々あったが、今身の回りに起こっていることは常軌を逸している。ある巨木は根を地面から突き出し、ある茂みはその葉をまるで弾丸のように飛ばし、ある蔓植物はその蔓を鞭のようにしならせ、ありとあらゆる手段を持ってクオンに襲い掛かる。
自分の味方である筈の森の全方位攻撃により、クオンは一瞬で地面に伏せさせられるように拘束されてしまった。植物達の拘束を解こうと必死に暴れるが、天然の拘束具と化した植物達を中々引き千切れない。
「ヒロキの奴、一体何しやがったんだ……?」
「お兄ちゃん、まだ動いちゃダメ!」
オミナエシの手当てを受け、何とか人心地の付いたオスカー達は、目の前で起こっているまるで森の神の怒りに触れたようなその現象を、誰一人として理解出来ない。
「貴様っ! 一体何者ダ!」
「さっきも言ったけど、僕は大樹。何者かは僕にも分からない」
「フざケルなっ!! 一体何をしタっ!?」
殆ど狂乱状態になっているクオンが、拘束された四肢を暴れさせながら大樹に問う。大樹は特に怯える風でも無く、クオンの元へとゆっくりと近づいて行く。見下ろす大樹と怒りを露わにして上を睨むクオン、先程とは立場がまるで逆だ。
「……言っても分からないよ」
大樹のその言葉にクオンは厳しい目を向ける。どうやら大樹に格下と見なされたと思っているようだが、それは違う。言葉通りの意味だ。言った所でさっぱり理解出来ないだろう――自分を再構築した等と。
サンクチュアリのキャラクター育成は、一度入手したステータスやスキルのポイントを簡単に何度も振り直し出来る物ではなく、古臭いポイント積み立て方式だ。転身を繰り返すことでキャラクターの器を大きくし、そこに経験値という水をどんどん汲み足していく。公式曰く「一つのキャラクターに愛着を持って接して欲しい」との事だが、ユーザー間では「複数アカウントを課金させることによる集金目的」と専ら噂されている。
しかし、サービス期間が長引いてくると、どうしても不具合や、大規模な追加パッチ等が加わり、そのまま放置しておけない程の職業格差や、ゲームバランスの崩壊が起こる事がある。そうしたユーザーの為、極稀に運営側が救済措置を取ることがある。それが<真転身の種>だ。
<真転身の種>は、これまで蓄積してきたポイントの一割を失う代わりに、残りのポイント全てが還元されるという効果を持つ。例えば今までの累積が千ポイントだった場合、九百ポイントがまっさらな物として自由に振りなおすことが出来るようになる。先程の例で言えば、若干零れるが、これまで汲み溜めた水を、好きな形の器に移し替えることが出来るという感じだ。
積み立て方式で能力を育てていくサンクチュアリでは、キャラクター一体の育成に非常に時間が掛かる。なので多少損失があっても、一からキャラを作り直すより、<真転身の種>を使い、その時点の環境に合わせた形にキャラクターを組み替えた方が遥かに楽だ。当然、このアイテムはユーザー誰もが欲しがり、ゲーム内で非常に高額で取引される。公式では認められていないが、中には現実の金銭で取引しているユーザーまで居たほどだ。
その高額アイテムを使い、大樹は自分の体を再構築した。今まで八対二の割合で生活系能力と戦闘系能力にそれぞれ割り振っていた能力を、全て戦闘系のステータスやスキルに振り直したのだ。
(まさかこんな形で使うことになるとはね……)
貧乏性の大樹は、数年に渡るプレイ期間中に手に入れた三つをそのまま溜め込んでいたが、このような形で使うなどとは夢にも思わなかった。それに、大樹はゲーム開始からひたすら生活系プレイのスタイルを半ば意地になって貫いてきたのだから、特に使う必要も無かったのだ。
戦闘中だと言うのにぼんやりとそんな昔話を考えてしまっていた大樹だが、それが仇となった――
「あアアああアぁァッッ!!」
クオンは全身を草木に絡め取られ殆ど身動き出来ないが、辛うじて手首の向きを変えることぐらいは出来た。爪の再生能力を応用させ、自分の指先の筋肉を加工、その筋力で爪を飛ばした。生爪が剥がれる激痛に顔を歪めさせ、けれど大樹の無防備な喉元目掛けて、その爪をまるで矢のように大樹へと飛ばし――
「び、びっくりした!」
――紙一重で回避された。
「先程ノ障壁を使ウ必要など無いと言ウ事か……」
今のは明らかに相手の虚を突いた一撃だった筈、それを見てから回避された。自分は攻撃を宣言されたのに、それを回避する事は出来なかった。その事実にクオンは愕然とする。
「障壁……? あ、<真転身の種>のおまけの事?」
「……おまけだト?」
大樹の言うおまけとは、<真転身の種>の仕様の事だ。あれを使用すると、能力のリセットが完全に終わるまで、プレイヤー及びパーティーメンバーにあらゆる攻撃を防ぐバリアーが張られる仕様になっている。これが出ている間はいかなる攻撃を受けることも、また攻撃を仕掛けることも動くことも出来ない。Player Vs Player―いわゆるPVPと呼ばれる戦闘中に、戦っている相手が急に戦法を変えることを防ぐ為の物で、大樹に取ってはお馴染みの仕様だ。
(あノ強固ナ障壁ガ……おまけダと!?)
だが、そんなサンクチュアリの仕様などまるで知らないクオンにとって、その宣言は絶望的な物だった。自分の渾身の一撃を軽々と弾く障壁が『おまけ』程度の扱いで、たった一発の拳で自分の体を完膚なきまでに打ち砕く破壊力、超人というレベルでは言い表せない程の反射速度、何より、周りの緑をまるで自らの手足のように使う謎の能力。ここまでの能力差を突きつけられては、クオンも認識を変えざるを得ない。
――目の前の取るに足らない<異分子>は、とてつもない化け物だ、と。
「お前ノ勝ちダ――好きニシろ」
「…………」
この化け物が本気になる前に問答無用で殺しておくべきだった。自分の浅薄さが招いた結果を受け入れ、達観したようにクオンは投げやりに言い放った。しかし、クオンを見下ろす深緑色の目は、狼狽するような、怯えているような戸惑いの色を滲ませるばかりで、木偶の坊のようだ。
「で、そいつをどうすんだ? ヒロキ」
「オスカー! 良かった! 無事だったんだね!」
「……お前、これが無事に見えんのか?」
「…………いや、が、頑張ろう!」
「ったく……」
大樹の反応に、腹を包帯でぐるぐる巻きにされたオスカーは苦笑を返す。オミナエシに渡しておいた回復剤が何とか間に合ったようで、オスカーはゴンベとコハルに肩を借りながら、それでも何とか二本の足で歩けるくらいには持ち直したようだ。あれだけ出血したのだから顔色が土気色なのは致し方無い。
「どうせお前の事だから、この合成獣は殺さない、とか言い出すんだろ」
「オスカーはそれで……その、いいの?」
「良いも悪いも、そいつをぶっ倒したのはお前なんだ、好きにすりゃいいだろ」
腹を貫かれ、棺桶へ片足突っ込むどころか、片足以外を突っ込んだオスカーの事を思うと、報復をすべきなのかも知れないが、本人が好きにしろと言っているのだから、ここは好きにさせてもらおうと大樹は思考を巡らせる。ほんの少し躊躇した後、クオンに目線を合わせるように大樹は膝を折った。無論、拘束はしたままだが。
「クオン、って言ったよね。<濃血者>、他にも色々言ってたけど、僕達の事を何か知ってるなら教えて欲しい。そうすればこれ以上貴方には危害を加えない」
「……俺ハ詳しイ事は知ラン。長カら直接聞くンダな」
「じゃあその『長』って人の所に案内してよ」
「……何故俺ヲ殺サん?」
「殺す必要が無いから。第一、場所が分からないじゃないか」
「貴様が先程、隠レた俺を炙リ出シた方法で探レば、簡単ニ場所は特定出来ルだろウ? 俺ノ首デも持って行キ、脅しタ方が効果的カもしれンゾ?」
「と、とにかく! 嫌な物は嫌なんだ! それに好きにしろってさっき言ったじゃないか!」
圧倒的な力で自分を捻じ伏せた、濃緑色の髪をした青年の態度にクオンは困惑する。これだけの力を持っていれば下手に出る必要など無い筈。自分達を全滅させることだって可能だ。なのにこの男は、その力を使うことを極度に恐れているように見える。本当に訳が分からない。体が動いたなら、クオンは自然な動作で首を傾げていただろう。
「チッ……!」
クオンは忌々しげに舌打ちすると、しゃがみこんで自分を覗き込む、弱気な怪物に対しこう答えた。
「俺達ノ集落へ貴様ラを連レて行ク。後は勝手ニ何とカシろ。たダシ……」
「他の仲間は傷つけなければいいんでしょ。分かってるよ」
「…………なラ良イ」
自分の思いを見抜いたかのように言葉を被せた怪物に対し、クオンは訳の分からない己の感情を吐き出すように、再び小さく舌打ちした。




