第21話:真転身の種
<真転身の種>――
サンクチュアリのテストプレイ開始から、数年に及ぶ大樹のプレイ暦の中でも、合計で三つしか手に入らなかった極レアアイテム。使おう使おうと思いつつ、その都度もっといいタイミングがあると寝かしたままで今に至っていた。だが、今は現実の命が掛かっている。この状況を打破する為に使うことに何ら躊躇いは無い。
大樹はクオンを正面に見据えたままポーチに手を伸ばし、胡桃のような小さな木の実を取り出すと、相手を牽制するように手の平に乗せた木の実を見せ付け、拳の中に握りこんだ。
「何ダ? そノ木の実ハ?」
クオンが訝しげに問いかけるが、大樹は答えない。クオンも別段返事を期待していた訳では無いようで、その鋭利な爪をぶらぶらと垂らしげながら、大樹達に向かって徐々に距離を詰めてくる。
「そうダ、確か同胞ノ子が、新緑ノ髪色をシタ男が、母ヲ助けテくれタと言っテイたな。どうダ? お前ダけは見逃しテやっテも良イゾ?」
「僕だけって事は、他の皆は許さないって事でしょ?」
大樹の声に対し、クオンはにいっと笑みを浮かべる。つまり肯定ということだ。やはり逃れる方法はクオンをどうにかするしか無い。そして、現状では<真転身の種>を使う以外に方法は無い。だが、大樹は拳に種を握りこんだまま、力を込める事が出来ない。
(僕がやるしかない! やるしかないのに……!)
大樹は決してアイテムをケチっている訳でも、ましてや道具の使い方を忘れたわけでもない。恐ろしい。とても恐ろしいのだ。目の前のクオンがではない。『生物を己の手で殺す』という事実が恐ろしいのだ。
無論、クオンは恐ろしい。状況が不利とはいえ、百戦錬磨のオスカーをほぼ一方的に瀕死の状態まで痛めつけたのだ。けれど<真転身の種>が大樹の目論見どおり発動すれば、恐らくクオンを圧倒する力を手にし、叩き伏せることが出来るだろう。
(でも目の前のクオンは……まるで人間じゃないか!)
大樹のここまでの戦闘経験――村でキマイラに襲われた時、宿り木の種を投げつけて倒した。オミナエシ達の居た廃墟の街、オスカー達を連れて逃げ回った後、穴に落ちたセンガンコウを遠くからスキルで生き埋めにした。それ以外にも特筆すべきでないキマイラたちとの小競り合いでは、全てオスカーが切り伏せ、大樹はあくまでその補佐だった。つまり、大樹が己の手を血で汚してキマイラを殺害したという経験は無い。
「ヒロキ殿! 何かやるなら早く! 情けないが、今の拙者は壁にすらなれんのでござる!」
「分かってる! 分かってるけど……!」
ゴンベの言うとおり、暗闇の森の中、水を得た魚のように動き回るクオン相手では、鈍重なゴンベが前に出て壁になろうとしても、側面や背面にすぐ回られてしまうだろう。その状況に焦るゴンベが煮え切らない大樹に檄を飛ばすも、大樹の拳の中の種は、取り出された時のままの状態を保っている。大樹の心臓は早鐘を打ち、掌に嫌な汗がじんわりと滲む。
――コロス? 誰ガ? 何ヲ?
当然、大樹が目の前のクオンをだ。そんな事は百も承知。直接ではないとは言え、今までだってキマイラを散々殺しておいて、何を今更躊躇することがある。大樹は自分にそう言い聞かせる。だが、今までの怪物と違い、目の前のクオンは極めて人間に近い存在だ。それを殺せということは、大樹にとって自分の手で直接人間を殺せと言われているのと同じだ。
「震えテイるぞ? 臆病者メ」
何をしてくるのかと若干警戒していたクオンだったが、目の前の<異分子>は予想以上に矮小で、取るに足らない存在であると判断した。途端、クオンは興味を失ったように再び無表情へと戻る。
「詰マらん存在ダ。珍しイダけで何ノ価値モ無い」
「違います! ヒロキさんは凄い人です!」
「お前モダ、<人間>。オ前は希少さスら無イ。お前モ、そノ臆病者モ何の価値モ無い存在ダ」
「わ、私はそうかもしれないけど、ヒロキさんは違う!」
「五月蝿イ。お前ト問答すル必要は無イ。<濃血者><古代種><旧遺物>と……<異分子>、随分と珍しイ物ガ見レたが、もう飽キタ」
コハルとやり取りしている間もクオンは徐々に大樹達と距離を詰め、今では完全に射程範囲に入っていた。例え相手が舐めて掛かってきても、大樹とゴンベでは反応しきれない。もはや「詰み」の段階に入りかけていた。
「待てよ、合成獣ヤロー……」
後方から搾り出すような声がクオンの、そして大樹達の耳朶に触れる。クオンは前方にいる大樹達に多少の警戒をしながら、声のした方向へ顔を向ける。
「頑丈だナ、<濃血者>。まさカ立チ上がレルとは驚イタ」
先程貫かれた腹を押さえたオスカーが、薬剣を杖代わりにして立ち上がっていた。センガンコウ戦の前に、大樹から貰った赤い外套を強く巻き付け止血しているが、その真紅の外套は、己の血でどろりと赤黒く染まっている。良く見れば口元からも血を流し、動いていなければ、立ったままの死体と言われても納得してしまいそうな程のひどい有様だ。
「お前の相手は俺だろうが。それともあれか? 合成獣ってのは、女子供だの、びびって動けない奴だの、弱ぇ奴しか殺せないヘタレなのか?」
いつ死んでもおかしくない様な状況で、オスカーは額に大量の脂汗を流しながら、挑発的な笑みをクオンに叩きつける。半死半生の体を酷使して、大樹達に定められた狙いを自分に向けようとしているのだ。
「……弱イ奴しか殺せナイダト?」
クオンはオスカーの方を一瞬睨みつけ、その方向へ体を向ける――フリをした。そして、まるで見せ付けるかのように、切られていない方の爪をぎらりと大樹に向け、凄惨な笑みを浮かべた。
「あア、ソノ通りダ――死ネ、弱者」
クオンは安い挑発に乗るほど単純ではない。クオンが最も苦痛を与えたい対象は、同胞を斬り伏せたオスカーなのだから、最後まで苦痛を味わってもらわねば困る。地に伏せるように体を沈めると、その鞭のようにしなる筋肉に力を込め、弾かれたように大樹へと飛び掛った。五本の指を窄め、その研ぎ澄まされた爪の先端を纏め、まるでレイピアのような一本の太い刺突型へと変化させる。人間ではとても視認出来ないほどの速度で、無防備に腕を突き出したまま大樹に襲い掛かる。
「再誕!」
凶爪が大樹の体を貫こうとした刹那、大樹の口から「力ある言葉」が漏れると同時に、パキッという乾いた音が大樹の手の中に響く。そして、クオンの爪が硬質な音と共にあらぬ方向へ弾かれた。
「何ッ!?」
クオンは予想外の出来事に目を見開くが、反射的に体勢を整え、数回跳んで距離を取る。そして、信じられないものを見たような驚愕の表情を浮かべた。
「何ダ!? コれは!?」
先程まで目の前に立っていた大樹が、水晶のような透明な球体に包まれ、二メートル程の高さ浮かんでいたのだ。しかし驚いたのはそれだけでは無い。先程まで新緑色だった髪色が、純白色になっている。周りを見ると、大樹だけではなく他の仲間達全員も同じ水晶の球体に包まれている。大樹は水晶の中で前傾姿勢で丸くなり目を閉じている。それはまるで、母親の胎内で生誕を待つ、赤子のような体勢に見えた。
「ヒロキさん!? きゃっ!」
「チぃっ!」
大樹が宙に浮いたことで、クオンは遮蔽物の無くなったコハルへ瞬時に襲い掛かったが、先程と同様、謎の水晶バリアに弾かれた。
「何だいこりゃあ? ヒロキ、あんたその髪、大丈夫なのかい!?」
「ひ、ヒロキ殿! これは一体!?」
オミナエシとゴンベも状況を理解できず、宙に浮かんだ大樹に向かって声を張り上げるが、大樹は何やらぶつぶつと呟いているだけで全く反応しない。
(どうヤら、仲間モ想定外の事態の様だナ……)
この状況の中、誰よりも早く冷静さを取り戻したのは、敵であるクオンであった。仲間の慌て振りからして、<異分子>が初めて見せる技であることが窺い知れた。そして<異分子>は先程からぴくりとも動かず、ただ何事かをぶつぶつと呟いているだけだ。クオンの鋭い聴覚が、その呟きを拾う。
「ステータス、スキル再生……ステータス再設定開始。<筋力ブースト>――取得レベル最高。<敏捷性ブースト>――取得レベル二から最高。<視力ブースト>――取得レベル八……」
(何を言っテイる?)
「ステータス設定――<完了>。続いてスキル設定開始。<大地の怒り>――取得レベル最高。針葉樹と広葉樹の双剣――取得レベル最高。暗視強化――取得レベル最高。深緑の呪縛――取得レベル五……」
意味不明な言葉を、まるで呪文のように唱え続ける大樹にクオンは眉を潜めたが、彼の敬愛する長が、昔語っていたことを思い出した。
(……確か、遥か古ノ時代、持チ主の音声ニ反応しテ発動スル兵器モあったト言っテイたな)
クオン達が古代と呼ぶ時代、今は失われてしまった様々な技術があり、目の前の<異分子>がそれに付随する物を発動させている。<古代種>や<旧遺物>すら同時に存在しているのだ、そういった物があっても何ら不思議ではない、とクオンは踏んだ。
(ダが、そう長クは持たン筈……)
鉄板をベニヤ板のように引き裂く自慢の爪で傷一つ付かない障壁を、単純な力のみで突き破るのは相当困難であろう。しかし、あれだけの防御能力を得るためには、相当なエネルギーを消費するはず。ならば無駄な力を浪費するのは愚作。相手が力尽きるのを待ち、その瞬間に溜めていた力を爆発させる。苦し紛れに高い崖の上に逃げた獲物を捕える場合、相手が力尽き、落ちてくるのを待ち受けるのが最も効率が良いのだから。クオンはその時をじっと待つ。
「――再誕完了」
大樹のその声と共に、ぱんっ、という泡が弾けるような、少し気の抜けた音が響く。クオンが全力で突いてもかすり傷一つ負わなかったその防御壁は、まるでシャボン玉のように壊れて消えた。宙に浮いていた大樹は、そのままゆっくりと大地を二本の足で舞い降りる。そして、その隙を虎視眈々と狙っていたクオンは、再びその五本の爪を束ね、大樹の心臓を貫き通すべく強襲する。その速度はまさに疾風迅雷。まるでクオンの周りだけ時間が早回しにされたような錯覚を覚える程の一撃。
だが、その洗練されぬいた一撃必殺の爪を、大樹は避けることなく掌で受け止めた(・・・・・)。さらにもう片方の手でクオンの長い五本の爪を握ると、まるで歯磨き粉のチューブでも握るような自然な動作で、その鉄すら切り裂く硬質の爪をばきばきと握りつぶした。
「グあっ……!」
クオンが激痛と驚愕のない交ぜになった悲鳴をあげ、堪らず数メートル後ろへ回避行動を取る。大樹は特に追撃する様子も無く、ただ黙って見送った。掌で握りつぶしたクオンの爪を地面に無造作に投げ捨て、改めてクオンの目を真正面から見る。
「最初に謝っておくよ。ごめん」
「……何を言っテイる?」
「殺さないように頑張って手加減するけど、その、もし死んじゃったら……ごめん」
これまで自分達を圧倒していた存在に対し、とんでもなく自信過剰かつ傲慢な台詞を、大樹は無表情のまま言い放つ。その言葉には抑揚は無く、ただ単に事実を告げているだけ。そんな淡々とした声のトーンであった。




