第20話:合成獣(キメラ)
「先程はやっテクれたナ、濃血者」
大樹達の行く手を阻むかのように、突如として現れた闇の中の赤い光が声を放つ。その声は少し調子外れで、合成音声に若干ノイズを混ぜたような、何とも不思議な響きである。
「何を訳わかんねぇこと言ってんだ! 文句があんならとっとと出てこいや!」
オスカーが闇に向かって吼える。だが、闇に溶け込んでいる存在は、オスカーの威嚇の咆哮にまるで動揺せず、くくっと掠れた嘲笑を漏らす。
「闇ニ紛れテイる相手に、出テ来いと言ウのも間抜けナ話だナ。だガ、種がばレテは不意打ちニモならんカ」
調子はずれな声でそう答えると、茂みを揺らし、その生物がゆっくりと大樹達の前に姿を現した。既に森の中はかなり暗いが、視力の優れた大樹には相手の姿がはっきりと見て取れる。そして、その異様さに思わず眉を潜める。周りに居るオスカー達は大樹ほど相手の特徴を視認できては居ないだろうが、その異質さは薄闇の中でも理解できたようだ。
「何ダ? そンナに俺ノ見た目ガ面白イか?」
すらりとした全身、褐色の肌をさらに覆い隠すような、薄汚れた黒いコートの出で立ちから、大樹達は人間だと感じた。しかし次の瞬間、そうでは無いとすぐに自分の認識を是正した。暗闇の中でもはっきりと分かるほどの金の髪は生命力に満ち溢れ、肩の辺りまでさらりと伸びている、だが、その髪の間からは、触角なのか、あるいは角なのか分からないが、二本の器官が突き出ている。暗闇の中でもまるで非常灯の赤ランプのように爛々と輝く目の中の瞳孔は縦長で、猫科の肉食動物を思わせる。どちらも人間には絶対にありえない特徴だ。
「ぬぅ! 何と面妖な! 拙者こんな輩はこれまで見たことが無いでござる!」
「貴様ノ方が面妖な姿をシテいるぞ。<旧遺物>……ん? 後ろニ居ルノは<古代種>カ?」
にこりともせず目の前の金髪の青年がゴンベに言い放つ。
「人の事を<濃血物>だの、<旧遺物>だの<古代種>だの好き勝手に呼ぶんじゃないよ。あたしにはオミナエシって名前があんのさ。あんた、キマイラかい?」
「キマいラ……?」
「貴方は人間ではない……ですよね? キマイラじゃないのですか?」
「あァ、<合成獣>ノ事か。いかニモ、俺はソノ通りノ存在ダが、貴様コそ何者ダ?」
合成獣と名乗った青年が、その大きな赤い目を細める。大樹達の質問に答えるだけの知性はあるようだが、こちらを憎憎しげに見る視線からは友好的な雰囲気はまるで感じられない。大樹だけではなく、皆がその赤い眼光に魅入られたように動くことが出来ない。まるで猟犬に睨みを利かされた狩猟鳥のようだ。
「僕……? 僕は大樹だけど……」
「名前デは無イ。貴様の『存在』を聞いテイるのだガ、まァそンナ事はどウでモいい」
相手が名乗らないうちについうっかり質問に答えて、そしてどうでも良いと一蹴されてしまった大樹だが、そんな事はどうでもいい訳が無い。
「ま、待って! <濃血者>とか<古代種>とか、貴方は僕達の事を何か知ってるの!?」
「……勘違イすルナよ?」
声のトーンが急に下がり、それと反比例するかのように赤い瞳は眦を釣り上げ、銃口を絞るように縦長の瞳孔を大樹に定める。その明確な殺意にビリビリと空気が張り詰める。もし大樹がサンクチュアリから引き継いだ能力が無ければ、その威圧感だけでへたり込んでいるかたかもしれない。
「俺ハ、貴様ラの質問ニ答えに来た訳でハナい……同胞を傷つケた異分子ノ排除に来タだケダ」
「同胞って事は、テメェ、あのキマイラの親分か何かか!?」
オスカーはそう吼えると、手にした薬剣のスイッチをオンにする。その瞬間にバイクのエンジンの駆動音のような爆音と共に刀身が回転を始め、対キマイラ用の薬液が刀身に満たされていく。
「合成獣と言っタだロウが。脳筋メ」
並のキマイラならオスカーの薬剣が放つ、野獣の咆哮のような音だけで多少なりとも威嚇になるのだが、目の前の合成獣は怯えるどころか、小馬鹿にするように口元を歪めるだけだ。そして、オスカーの武器に対抗するように、両腕を体の前で交差させると、今まで人と変わらない形であったその十本の指の爪が、まるで鉤爪のように鋭く長く伸びる。
「え? 爪が急に……?」
「能有る鷹ハ爪を隠スト言う奴だ、<人間>」
「こいつは俺の妹なんだが、何で俺がインなんとかで、コハルは<人間>なんだ。テメェ適当な事言ってるんじゃねぇだろうな?」
「どうトデも思エ、貴様ラにハ関係無い」
先頭に立つオスカーを睨みつけたまま、コハルの疑問に少し得意げに合成獣は答える。獰猛な笑みを浮かべているが、目は全く笑っていない。
「テメェにゃ聞きたいことが山ほどある。つーわけで、テメェをぶっ倒して直接吐かせるか、キマイラ共の巣に首でも持っていくしかねぇな」
「……やレルものナらやっテみロ」
「ぶっ殺される相手の名前も知らねぇってのも可哀想だからな、俺の名前はオスカーだ」
「……クオンだ。そノ言葉、そっくリ貴様ニ返ソう」
オスカーとクオンは、お互いの微細な表情が読み取れる程の至近距離で睨みあった後、弾かれたように両者後ろへと飛んだ。それが戦闘の合図となり、大樹達に一気に緊張が走る。
「ヒロキ! ゴンベ! こいつは俺がやる! お前らはコハル達と下がってろ!」
薬剣を両手で構え、目の前で隙を狙うクオンを睨みつけたまま、オスカーが言い放つ。
「オスカー!?」
「何を言うのでござる!」
「黙ってろポンコツ! お前は腕も体も整備中だろうが! 邪魔なんだよ!」
小手調べに飛び掛ってきたクオンの爪を軽くいなしながらオスカーは続ける。
「僕は戦えるよ!」
「うるせえ! さっきみたいに邪魔されちゃ、こいつ相手にゃヤベぇんだよ!」
「え……?」
ここで大樹は理解した。ゴンベはともかく、オスカーが一人で戦うと言ったのは、大樹に対するあてつけでもあったのだ。その事実に、大樹はまるで殴りつけられたような衝撃を受けた。今まで乱暴な言葉遣いであっても、オスカーは大樹に対してあからさまな敵意を向けることは無かったからだ。
「何だ? 戦ウ前かラ仲間割レか? 全員同時に掛かっテ来てモ構わンゾ?」
「うるっせぇ! お前なんぞ俺一人で十分なんだよ!」
オスカーの薬剣の腹で爪を受け止められたクオンは、一旦数メートルほど距離を取り、殆ど地面に顔が付くほど姿勢を低く構え、地を這う蛇のように蛇行しながら、信じられない速度で再びオスカーに肉薄する。オスカーは迫るクオンを斬り伏せようと、薬剣を横薙ぎに振るうが、クオンはまるで四つ足の獣のように手足を使い、地面すれすれをなぎ払った薬剣をその強靭な四肢による跳躍で回避する。薬剣を振り抜き無防備になったオスカーの首筋に、宙へ舞ったクオンがその鋭い鉤爪を容赦なく叩き込む。
「ぐぁっ!」
「鈍イぞ。しかシ直撃は回避しタカ。さすガハ<濃血者>と言ウベきか」
「だからっ! さっきからうるせ……ぐっ!」
肩に突き刺さったクオンの鉤爪が、そのまま肉を抉り、鮮血を撒き散らしながら引き裂く。殆ど反射的に体を捻り致命傷を避けたオスカーは、その体の捻りを利用して、上方の敵へ薬剣の先端を突き立てる。クオンはその牽制を紙一重で回避し、逆にオスカーの肩を思いっきり蹴り飛ばし、踏み台にして再び距離を取る。しかし、オスカーもただ黙ってやられてはいない。跳躍したクオンに追い縋るように渾身の力で地面を蹴り、クオンが地面に着地する前に、柔軟かつ引き締められた肉体から生み出された、勢いと体重を乗せた当身をぶちかます。
「らぁっっ!!」
「うガっ……!」
クオンは当身をもろに食らい、苦しげに呻きながら地面を転がる。体勢の崩れたクオンに対し、オスカーが再び前傾姿勢で薬剣を構え、一陣の風の如く襲い掛かる。しかしクオンはオスカーから受けた当身の衝撃を逆に活かし、地面を転がりながら高速で後退する。一瞬前までクオンが居た場所の空気を、薬剣が空しく切り裂く。体勢を立て直したクオンは再び四肢を全て使い、驚異的な跳躍力で、高さ三メートルはあるであろう太い木の枝へと飛び移る。
「意外トやるナ……」
「おら、どうした合成獣さんとやら? そんな所に逃げちまって俺が怖いのか?」
「……わかッタ。本気デ行くゾ」
オスカーが肩から血を流しつつも、挑発的な笑みを浮かべ樹上のクオンを焚きつける。その挑発に乗った訳ではないだろうが、クオンもこれまでの余裕の表情を消し、赤い瞳を細め、まるで獲物を狙う猛禽類のようにオスカーを睨みつける。
(凄い……)
目の前で行われる刹那の攻防を、大樹は呆けたように見つめていた。まるで超一流のサーカスでも見ているような気分ですらあった。ゴンベ達には、お互いに致命傷は受けていない程度の大まかな認識しか出来ないが、大樹はサンクチュアリから引き継いだ身体能力により、今のやり取りを詳細に視認することが出来た。
(確かに、僕が入っても足手まといになるだけだ……)
クオンの動きは、鈍重な怪物センガンコウとはまるで違う。猫科の肉食獣のようなしなやかさと、状況を瞬時に判断できる知性を兼ね備えている。オスカーも動き自体は乱雑だが、これまで村を守るため、数々のキマイラ達と戦ってきた経験でそれをカバーしている。両者とも、身体能力だけが高く、動きはずぶの素人の大樹とはまるで違う。何より、目の前で行われているのはお互いの命を掛けた『殺し合い』だ。先程のように大樹が余計な事をすれば、本当に一瞬で命を落とすだろう。
「理由は分カラんが、こコが森ト言うノハありがタイ」
「あん? 何言ってんだオメェ」
「――こコカらはハンデ無しで行かセテ貰うゾ」
クオンがにいっと犬歯をむき出しにして笑った次の瞬間、弾かれたように立っていた木の枝から、近くの鬱蒼とした茂みへと飛び込んだ。
「おいおい何だよ? 結局ビビっちまったんじゃねぇか」
オスカーはへっ、とクオンが姿を消した茂みへと嘲笑を投げかけた。次の瞬間――
「オスカー! 後ろっ!」
大樹がけたたましい勢いで叫んだ頃には、オスカーの二の腕を、菜箸程の太さの、まるで針のような尖った形に変形したクオンの爪が貫いていた。
「ぐああああああっ!」
「後ロががら空キダぞ? <濃血者>」
オスカーは苦し紛れに、後方へ無事な方の腕で薬剣を振るう。しかし薬剣が後ろ届く頃には、既にクオンは影も形も無い。再び近くの茂みへと身を隠したのだ。物陰に姿を隠し、敏捷性と隠密性を活かしてのヒット&アウェイで戦う。それがクオンの本来のスタイルだ。先程までのように堂々と名乗りを上げ敵の前に姿を現したのは、それだけ相手を格下に見ていたからである。
「ナエさん! お、お兄ちゃんを早く薬で治してあげないと!」
「落ち着きなコハル! あたし達だって気を抜いちゃいけないんだよ!」
今、オスカーを除いた四人は、皆で背中合わせの陣形を取っている。辺り一帯が森になっているこの場所では、本気になったクオンがどこから飛び掛ってくるか分からない。今はオスカーに集中しているようだが、バラバラになってオミナエシやコハルが狙われたら一巻の終わりだ。
「クソッタレが……! うがっ!」
藪から飛び出したクオンの蹴りがオスカーに叩き込まれる。だらりと片腕を垂れたオスカーは、もう片腕で薬剣を我武者羅に振るうも、暗黒の藪の中をまるで飛ぶように跳躍するクオンには掠りもしない。もう何度もこの応酬が繰り広げられている。鋭利な爪の刺突にさえ気をつければ、クオンの一撃はそれほど重くは無い、しかし確実に死角を突いてくる攻撃に、オスカーも完全に対応しきれず、徐々に体力を奪われていく。加えて周りは夜の森だ。人の目を持つオスカーには漆黒の闇にしか見えないものが、猫の目を持つ相手には昼間のように明るく見えているだろう。圧倒的に不利だ。
「ぬううぅ! 物陰から姿を現さずに攻撃とは、何と卑怯な!」
ゴンベが自称を真っ向から否定するような非難の声を上げるが、オミナエシとコハルの護衛を任されている以上、うかつに手を出すことは出来ない。第一、オスカーがまともに対応できていないのに、ゴンベと大樹の反応速度で無闇に突っ込んでも、ただ的になるだけである。大樹もオスカーを何とか助けようと、<釣竿移動>で割り込もうとはしているのだが、クオンの攻撃で右へ左へとよれるオスカーになかなか焦点を定めることが出来ない。
「卑怯? 何ヲ訳の分かラン事を言ウ? 決闘でモしてイルつもりか?」
オスカーを物陰から殴りつけながら、クオンは全身で小馬鹿にしているオーラを出し、満身創痍のオスカーからゴンベへと目を向ける。その一瞬、ほんの一瞬だがクオンの動きが止まる。そしてその隙を見逃す程オスカーは馬鹿では無い。
「うおおおおっっ!!」
オスカーが吼えた。捕えどころの無い目の前の合成獣に対し、千載一遇のチャンスに全身全霊を込めた一撃を叩き込む――
「がっ……!」
会心の一撃が目標を捕らえ、短い悲鳴と共に、その体がまるでおもちゃの人形のように軽々と吹き飛びながら、数メートル離れた巨木に叩き付けられた。巨木の根元には、薬剣を手放し、力無く転がるオスカーの姿があった。
「お、オスカー!?」
「こレハ『報復』であリ、『狩り』ダ。しカシ、俺の爪ヲ切り裂イタ事は褒めテやロウ」
大樹の悲鳴などまるで無視してクオンが淡々と言い放つ。見ればクオンの言う通り、右手から伸びていた爪がすっぱりと刈り取られていた。あの瞬間、オスカーの攻撃は確かにクオンを捕えていた。そのままの軌道であればクオンの体は真っ二つに切り裂かれていただろう。しかし、クオンはその自慢の爪を犠牲に、オスカーの薬剣の軌道を逸らし、体勢を崩したオスカーの無防備な腹に、クロスカウンターの形で深々と爪を刺し立てたのだ。当然クオンはそうする為にわざと隙を作ったのだが、薄い鉄板なら軽々と貫き引き裂く自慢の爪が切り裂かれたことは内心少し驚いた。
「俺の力だけデは<濃血者>の細胞ヲ破壊すルノは骨が折れルからナ。こいつ自身ノ攻撃力ヲ拝借サセて貰ったゾ」
地面にうつ伏せたままのオスカーの頭を踏みつけながら、さも愉快そうにクオンは笑う。その姿は、まさに獲物を仕留めた肉食獣そのものだ。
「お兄ちゃん……?」
呆けたようにコハルが呟く。恐らく皆同じ表情をしていただろう。間抜け面を雁首揃えて並べている外敵共に、クオンが言葉で追撃を続ける。
「安心しロ、まダ生きてイル。暫クこのまマ苦しンデ、同胞の痛みヲ味ワって貰おウ」
確かにクオンの言うとおりオスカーは死んではいない。だがオスカーは刺された腹からどくどくと血を流し、ひどい腹痛を抑えた子供のように縮こまって痛みを堪えている。いつ死んでもおかしくない程の重症だ。
「さテ、次ハお前達だ。安心シろ、オ前達は苦しマセず一瞬デ殺しテやる」
オスカーの鮮血に染まった爪を大樹達に伸ばし、クオンはさも楽しそうに目を爛々と輝かせながら、先程とは打って変わった緩慢な動作で歩いてくる。大樹達の一行で、最も脅威と見なしたオスカーを打ち倒したことで、クオンは余裕を取り戻し、大樹達に己の姿を誇示するかのように距離を詰めてくる。闇の中に赤々と輝きながら近づいてくる双眸が、大樹にとってはまるで死神の持つカンテラのように思える。
その迫力と、身近に迫る死への危機、オスカーの無残な姿、全てがない交ぜになって大樹達を襲う。コハルは完全に怯えてがたがたと震えている。いや、皆完全に恐怖に飲まれていた。
「くぅ……」
大樹は目の前に迫る死の気配に抗い、脳味噌をフル回転させる。オスカーは一刻も早く処置をしなければ命が危うい。第一、このままでは間違い無く皆殺しだ。しかし一体どうすればいい。ゴンベは整備中でまともに動けず、戦闘経験豊富なオスカーが真正面から向かっても歯が立たなかった相手だ。今の大樹だけでどうこうできる相手ではないことは火を見るより明らかだ。
力だ、今は力が欲しい。戦闘経験や技術、そういった概念など無視して捻り潰せるほどの圧倒的、暴力的、破壊的な力を――そして大樹は一つの考えに至る。
今こそ『アレ』を使うべきではないか。ポーチの奥底に押し込めている、いつか使うと決めて、結局勿体無くて、今の今まで使えなかった『アレ』。大樹の長いサンクチュアリ暦の中でも、たった三回分しか手に入れられなかった隠し玉――
――真転身の種を。




