国家が来た日、ダンジョンは“誰も入れない場所”になった
最初に異変に気づいたのは、俺じゃなかった。
「……おい、外……見てみろ」
震えた声に促されて、ダンジョンの入口近くまで歩く。
いつもなら、疲れた探索者が転がり込んできて、安心した顔で崩れ落ちる場所だ。
――でも今日は違った。
「……なに、これ」
外が、埋まっていた。
黒い。整然と並ぶ影。
それは探索者の雑多な群れじゃない。
規律で固められた、“揃いすぎた人間たち”。
軍だ。
魔導装甲の光沢、重火器の鈍い輝き。
見ただけで分かる。遊びじゃない。
本気で“ここ”を取りに来ている。
「はは……冗談だろ……」
後ろで誰かが笑う。笑っているのに、音が乾いている。
「なんで国家が……こんな場所に……」
答えは、簡単すぎて言葉にするのが怖い。
――この場所が、“価値になった”からだ。
俺は、ただ安全な空間を作っただけだ。
戦えない俺が、生き延びるために。
回復して、休めて、外の地獄から逃げられる場所を。
でも、それはいつの間にか、
“ここに入れるかどうかで生死が決まる場所”に変わっていた。
「……まずい」
低い声が響く。
振り返ると、あの人――最強探索者の女が、珍しく顔を強張らせていた。
「奪われるぞ。ここ」
「え……?」
「国家管理だ。あいつらの理屈なら、こう言うだろうな。“危険すぎるから接収する”ってな」
淡々としているのに、その言葉の奥に焦りが滲んでいる。
あの人が、焦ってる?
「そんな……だってここは――」
「お前の場所、だろ?」
言い切られて、言葉が詰まる。
そうだ。ここは、俺の場所だ。
でも同時に、みんなの場所でもある。
ここがなきゃ、外じゃまともに回復もできない。
傷は癒えない。疲労は抜けない。
だから皆、ここに戻ってくる。
それを、奪う?
「……ふざけんなよ」
ぽつりと、誰かが吐き捨てた。
「ここがなきゃ……俺たち……」
言葉は最後まで続かなかった。
でも、誰もが同じことを考えている。
ここがないと、生きられない。
その空気を切り裂くように、外から声が響いた。
『ダンジョン内部の人員に告ぐ』
拡声された声。感情を削ぎ落とした、機械みたいな響き。
『当該区域は国家の管理下に置かれる。速やかに退去し、指示に従え』
ざわめきが広がる。
「は……? ふざけんなよ」
「退去って……ここから出ろってのか?」
「出たら死ぬんだぞ……?」
当然だ。外は地獄だ。
ここだけが例外で、ここだけが“楽園”だった。
『抵抗は無意味である。繰り返す――』
「無意味じゃねぇだろ!!」
怒号が飛ぶ。
でも、その怒りは外には届かない。
ただ、閉じた空間の中で反響するだけだ。
俺は、入口を見つめたまま動けなかった。
どうすればいい?
俺にできることなんて――
「……おい」
最強探索者が、俺を見る。
「どうする」
「どうするって……」
「決めるのはお前だ」
はっきりと言い切られる。
心臓が、嫌な音を立てた。
「ここは、お前の場所だ。お前がどうするかで、全部変わる」
全部、変わる。
その言葉が、妙に重く響いた。
俺は戦えない。
武器もない。力もない。
でも――
この場所だけは、俺が作った。
俺が維持してる。
俺の、空間だ。
「……あいつら、入ってくると思う?」
「来るに決まってるだろ」
即答だった。
「制圧する気で来てる。遠慮なんてするわけがない」
外を見る。
隊列が動き始めている。
先頭の部隊が、入口へと近づいてくる。
統率された足音。
迷いのない動き。
ああ、本気だ。
俺は、無意識に思った。
――嫌だな。
ただ、それだけだった。
入ってきてほしくない。
ここを壊してほしくない。
この場所を、奪われたくない。
それだけを、ぼんやりと。
「……来るぞ」
誰かが呟く。
緊張が走る。
空気が張り詰める。
そして――
先頭の兵士が、一歩踏み込んだ。
その瞬間。
「……は?」
兵士が、止まった。
いや、正確には。
“それ以上、進めなかった”。
足が、動いていない。
踏み出したはずの一歩が、そのまま固定されたみたいに。
「どうした、進め」
後ろから指示が飛ぶ。
だが、兵士は動かない。
「……っ、失礼します!」
別の兵士が前に出て、同じように踏み込む。
そして――止まる。
見えない壁にぶつかったみたいに。
「なんだ……?」
ざわめきが広がる。
中にいる俺たちも、外の軍も。
状況を理解できていない。
でも、ひとつだけ分かる。
――入れていない。
「……おい」
最強探索者が、俺を見る。
「今、何した」
「え……?」
「とぼけんな。お前だろ」
そんなこと言われても。
俺は、何もしてない。
ただ――
入ってほしくないって、思っただけで。
「……まさか」
自分の中で、何かが引っかかった。
外の兵士が、何度も試す。
角度を変えて、力を込めて。
でも、結果は同じだった。
入れない。
どうやっても、入れない。
『……状況を報告しろ』
外からの声が、わずかに揺れる。
『侵入が……阻害されています。原因不明』
原因不明。
その言葉が、やけにゆっくり頭に落ちてくる。
俺は、手を見た。
何も持っていない。
何もしていない。
でも。
「……これ」
喉が、乾く。
「もしかして」
小さく呟いた言葉に、周りが反応する。
「なんだ?」
「どういうことだ?」
視線が集まる。
逃げたくなる。
でも、目を逸らせなかった。
外の兵士たちは、まだ入れずにいる。
見えない何かに、拒まれている。
そして、その“何か”は――
「……俺が、やってるのか?」
口に出した瞬間、空気が凍った。
誰も、否定しなかった。
できなかった。
だって、他に説明がつかない。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
意味が分からない。
戦えない俺が。
何もできない俺が。
国家の軍を、止めている?
「……ふざけんな」
小さく、でもはっきりと呟いた。
自分に対してなのか。
状況に対してなのか。
分からない。
ただひとつ、はっきりしたことがある。
この場所は――
俺が、選んでいる。
入れるか。
入れないか。
その全部を。
外で、再び命令が飛ぶ。
『突入を続行せよ』
兵士が、もう一度踏み込もうとする。
でも――
結果は変わらない。
誰一人として、入れない。
その光景を見ながら、俺は思った。
――この人たち、入れたくないな。
その瞬間。
目に見えない“何か”が、さらに強く締まった気がした。
「……なぁ」
隣で、最強探索者が笑う。
ぞっとするくらい静かな声で。
「お前、やばいな」
その言葉に、否定できなかった。
そして外では、ついに――
『……攻撃準備』
空気が、変わる。
次に来るのは、力だ。
圧倒的な武力。
それが、この場所に向けられる。
俺は、息を飲んだ。
でも同時に、どこかで思っていた。
――それも、意味ないんじゃないか?
その予感が、正しいかどうか。
次の瞬間、証明される。
――その攻撃は、“確かに発動したはずだった”。




