第2話:『誤差は残らない』
地形は、最悪に近かった。
峡谷。
左右は切り立った岩壁。退路は狭く、上からの奇襲に弱い。
本来なら、勇者パーティが選ぶ場所ではない。
「伏兵三。上。正面からも来る」
賢者の声が飛ぶ。
直後、岩壁から矢が降った。
聖女が詠唱を開始する。
――遅い。
暗殺者は視線だけで測る。
半拍、遅れた。
勇者が前に出る。
正面の獣兵が踏み込む。重い。速い。
勇者の剣が受ける。
弾く。
だが、横から二体。
対応が一瞬遅れる。
賢者の拘束詠唱。
――発動しない。
「詠唱阻害!」
峡谷上部に魔術師。
想定外。
本来なら、ここで崩れる。
聖女の回復がまだ届かない。
勇者の肩口が裂ける。
血。
深い。
暗殺者は地を蹴る。
魔術師を狙う。
距離、遠い。
間に合わない角度。
勇者が一歩、踏み込む。
踏み込みが深すぎる。
隙が生まれる。
だが。
獣兵の斧が、わずかに逸れる。
岩壁から落ちた小石。
足場がずれる。
斧の軌道が変わる。
勇者の剣が、喉を断つ。
同時に、聖女の光。
回復が届く。
賢者の詠唱が通る。
拘束。
上の魔術師が落ちる。
暗殺者の刃が首を裂いた。
静寂。
息だけが荒い。
峡谷に、血の匂いが漂う。
だが。
崩れてはいない。
損耗は想定内。
死者なし。
勇者が剣を振り、血を払う。
「危なかったな」
笑う。
賢者は額の汗を拭う。
「詠唱阻害は予測外だったが、修正可能範囲だ」
聖女は勇者の傷を確認し、安堵の息をつく。
「間に合ってよかったです」
暗殺者は岩壁を見上げる。
小石が、まだ転がっている。
あの一瞬。
斧の軌道。
踏み込み。
回復の到達。
拘束の成立。
全部が。
噛み合った。
「……今の、遅れたよな」
小さく言う。
勇者が振り向く。
「何が?」
「詠唱」
聖女は首を傾げる。
「少しだけ。でも、間に合いました」
勇者は笑う。
「結果オーライだろ。生きてる」
それで終わる。
誰も深く考えない。
暗殺者も、それ以上は言わない。
ただ、岩壁を見る。
小石。
偶然。
踏み込み。
間に合わないはずの距離。
届いた光。
ズレはあった。
確かにあった。
だが。
残らない。
すべてが、勝利に吸収される。
誤差が、痕を残さない。
暗殺者は焚き火の前で黙る。
勇者が笑っている。
聖女が祈っている。
賢者が戦闘を整理している。
いつも通り。
いつも通りすぎる。
遅れた。
見えていた。
間に合わない角度だった。
だが、剣は届いた。
光は重なった。
斧は逸れた。
小石が、転がった。
偶然。
偶然。
偶然。
……多い。
暗殺者は視線を落とす。
まだ、言葉にはしない。
まだ、断じない。
ただ、記憶する。
◇
魔王城。
闇宰相が巻物を開く。
「勇者パーティ、峡谷にて交戦。交戦時間七分五十六秒。損耗軽微」
魔王は目を閉じたまま問う。
「詠唱阻害」
「一時発生。しかし結果的に敵魔術師の位置特定に寄与」
「勇者の被弾」
「成長促進係数に加算。第二段階安定化」
「小石」
一瞬、闇宰相の声が止まる。
「……環境要因です」
「偶然か」
「必然の範囲内」
即答。
魔王は静かに目を開く。
報告書には整然とした数字。
遅延は最適化へ転換。
被弾は成長へ転換。
阻害は敵露出へ転換。
すべてが、利益に収束している。
「失敗が」
魔王の声は低い。
「失敗として機能していない」
闇宰相は沈黙する。
否定しない。
肯定もしない。
魔王は記録を閉じた。
誤差はあった。
乱れもあった。
だが。
結果は滑らかだ。
乱れが、乱れにならぬ。
窓の外、風が吹く。
峡谷の小石が転がる音は、ここまでは届かない。
だが、記録には残っている。
整然と。
静かに。
そして、勇者はまた強くなる。
予定通りの速度で。
魔王は、何も断じない。
まだ。
観測を続ける。
それでよい。
今は、まだ。
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