プロローグ
「はい、どーも! 皆さんこんばんは。『オカマニ』こと『オカルトマニアチャンネル』でーす!」
漆黒の森に、不自然なほど明るい声が響き渡る。自撮り棒を構えた男――TAKKUは、スマホのライトで自分の顔を照らし出した。青白い光に浮かぶ笑顔は、闇との対比でどこか貼り付けたように見える。
「見てくださいよ、この空気感。画面越しでも伝わるかな? 今日は千葉県某所にある、通称『怪しの森』に来ております!」
カメラが反転し、背後に立つAOとHEEEIが映る。二人は慣れた様子で手を振った。
「スパチャ、サンキュー! “今夜の目撃者”はー?」「「逃げ場なし!」」
いつものうたい文句を口にした途端、画面の右端にコメントが滝のように流れ落ちていく。
《きたあああ!》《オカマニ待ってた!》《ここ、マジでヤバいって噂の場所じゃん……》《すごい楽しみ!》
TAKKUは、スマホの画面に表示される視聴者数を確認し、内心でほくそ笑んだ。同時接続、一万人突破。これまでの最高記録だ。このチャンネルの売りは「タブーへの挑戦」。他の配信者が避ける場所へあえて踏み込み、時には”演出”すら交えて恐怖を煽る――それが、そのまま数字になった。
「HEEEI、例の解説頼むわ」
合図を受け、HEEEIはタブレットを見ながら、声のトーンを落とした。
「……ここ『怪しの森』には、江戸時代から伝わる忌まわしい伝説があるんす。ある高貴な家柄に仕えていた女が、濡れ衣を着せられ、無残な殺され方をした。女の遺体はこの森に捨てられたんだけど、その怨念があまりに強すぎて、森一帯の植物が変異したって言われてるんすよね。今も、女の恨みに満ちた声を聞いた人間は、二度と森から出られないっていう……」
「ヒュ〜、怖いねえ!」
コメント欄が一気に加速する。
《やべえ》《フラグ立っちゃったww》《帰ったほうがいい》《怖い》
だが、三人の足取りは軽かった。彼らにとって、この森は「恐怖の聖域」ではなく、単なる「金を稼ぐためのスタジオ」に過ぎなかった。
歩き始めて30分。
道は険しくなり、湿った土の匂いが濃くなる。それでも、何も起きない。
(……チッ、何もないな)
TAKKUは内心で舌打ちした。視聴者数は伸び悩み、コメントには《飽きた》《やらせでもいいから何か起こせ》が混じり始めている。このままでは、ただの「深夜の登山動画」で終わってしまう。そうなれば、次回の広告収益は激減するだろう。
「おい、もっと奥へ行くぞ」
TAKKUが苛立ちを隠さず告げると、慎重派のHEEEIが少し顔を引きつらせた。
「TAKKUさん、これ以上は道がねえっすよ。さっきから変な音もするし……」
「気のせいだろ。ほら、カメラ回せ!」
そう言ってTAKKUは背を向けると、強引に茂みを掻き分けて歩き出した。
さらに数分進んだ、その時だった。
ライトの光が、巨木の根元に半ば土に埋もれた小さな石碑を照らし出す。苔に覆われ、刻まれた文字は風化し、蜘蛛の脚のようなひび割れだけが残っていた。
《うわ、それ本物のやつじゃん》《マジでヤバい雰囲気がする》《離れろ離れろ離れろ》
コメント欄が「警告」で埋め尽くされる。
(これだ。ここで『山場』を作れば、伝説になれる)
TAKKUは石碑へカメラを寄せ、指を伸ばした。
「皆さん、見てください。これ、ガチの封印石じゃないっすか? 雰囲気が他と全然違う。なんか、石の中から声が聞こえる気がするんだけど……聞こえる?」
彼は視聴者の期待を煽り、指先を石碑に触れた。その瞬間――ドクン。
TAKKUの心臓が、一度だけ大きく跳ねた。まるで、自分の血管に氷水を流し込まれたような錯覚。
「……TAKKUさん、顔色悪いっすよ。マジで帰りましょうよ」
AOの声が、どこか遠くから聞こえる。だが、彼の頭の中は再生数でいっぱいだった。
(今までもそうだった。炎上しかけても、結局は全部ネタになった)
彼は自撮り棒をAOに預けると、大きく足を振り上げた。
「おい、お前ら! オカマニは逃げねえってところ、見せてやるよ!」「ちょっ、TAKKUさん!?」
――ゴンッ!
重鈍な音が、静まり返った森に響き渡った。石碑は、脆かった。一撃で真っ二つに割れた石の破片が、ガラガラと乾いた音を立てて崩れ落ちる。
「あはは! 見たかよ! 呪いなんてあるわけ――」
TAKKUが豪快に笑い飛ばそうとした、その時だった。
不意に、風が止まった。
木の葉の擦れる音さえ消え、完全な無音が三人を支配する。スマホの画面には、コメントが次々と流れていく。
「……ひょう、ひょう……」
静かな森から、鳥の鳴き声とも、女の震える吐息ともつかない奇妙な音が暗闇から漏れ出した。
「……今の、聞こえた?」
誰かが小声でそう言った瞬間、コメント欄が異常な速度で流れ始めた。
《今の音なに?》《後ろ!》《後ろに誰かいる!》《逃げて!早く!》
「……おい、カメラ! 何が映って……?」
振り返ったTAKKUは、思わず目を見開いた。石の割れ目から、どろりとした黒い霧のようなものが溢れ出している。それは、まるで生き物のように蠢き、地面を這い、三人の足元へ迫ってくる。
「……ひょう、ひょう……」
またあの鳴き声がした。その時。
「ふふふ……」
不気味な鳴き声に混じるように、妖艶な女の笑い声が背後からはっきりと聞こえた。
「う、うわああああああ!!」
誰かの叫びを合図に、仲間たちは砂利を蹴り、枝を踏み折りながら、夜の森へと必死に身を投げ出した。
「待て!」
「こっちだ!」
声が交錯し、足音が遠ざかっていく。振り返る余裕などなかった。ただ、生き延びるために、無我夢中で走るしかなかった。
だが――
「……あ、あ……」
TAKKUだけが、その場に取り残されていた。
視界の中で、仲間の背中が次々と闇に溶けていく。追いかけようとした、その瞬間。腰が抜けたように力が入らず、膝が震える。
(うそだろ……動け……動けよ……)
頭の中では「逃げろ」と叫んでいるのに、体は微動だにしない。その瞬間だった。視界の端で、白いものが揺れた。それが糸だと気づいた時には、すでに足元、胴、腕、喉元まで伸びていた。
TAKKUの身体が、ふわりと宙に浮いた。
「やだ……誰か……!」
必死の叫びは夜に溶け、答える声はない。森も、空も、ただ黙り込んでいた。
足が、地面から離れた。
白い糸に操られるまま、TAKKUはゆっくりと宙を進む。闇の奥へ、奥へと。
仲間の声も、足音も、もう届かない。
静まり返った夜空の下、地面に転がった携帯の画面だけが、取り残されたように淡く光っていた。
割れたアスファルトの隙間に砂利が散り、冷えた夜気がゆっくりと流れていく。
画面には、まだ配信が続いているかのように文字が流れていた。
《えっ? ドッキリ?》《さすがにやらせだよね?》《演出でしょ、これ》《いや、普通にやばくない?》《誰か通報した?》《マジで笑えないんだけど》
心配する言葉と、半信半疑の声、面白がるような軽い反応が入り混じり、次々と重なっていく。誰かが本気で不安を打ち明けても、その直後には冗談めいた文字が押し流す。
携帯は答えない。拾い上げる手も、画面を閉じる指も、もうそこにはなかった。
ただ、夜の闇に向けて、無機質な光を投げかけるだけだ。まるで――助けを求める声が、誰にも届かないことを証明するかのように。
やがて通知音が小さく鳴り、また新しい文字が浮かぶ。けれど、それに応える者はいない。
画面の光だけが、静かに、冷たく、虚空を照らし続けていた。




