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ソルティ・レモネードと白い夏  作者: John B. Rabitan
鳥の詩
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50/80

10

 陽子はまだ来ていなかった。翔《かける》はホットコーヒーを飲みながら、店内で天井を支えている四角い太い柱を見ながらぼーっとしていた。

 そして一時間近くたってから、陽子の姿があった。美咲と一緒だ。

 二人は翔を見つけて、同じテーブルの席に座った。


 「こんにちは」


 笑顔で翔に挨拶をしてきたのは、美咲だけだった。


 「今日は気分が良くないから、話すこと話したら帰る」


 陽子はいきなりにこりともせずに言った。

 それからやっと笑顔になった陽子は、完全に翔を無視してしばらく美咲と談笑していた。時々ばつが悪そうに、美咲の方がちらちらと翔を見ていた。


 「じゃあ、私、買い物があるからこのへんで」


 美咲が席を立とうとした。そのひとことは、明らかに翔に気を使ってだということは分かった。


 「じゃあ、私も帰る」


 「なに言ってるのよ。よっぴーは翔さんに会いに来たんでしょ」


 「そうだよ。何か話があったんじゃなかったのか?」

 

 翔に声をかけられて、陽子の笑顔はパッと消えた。翔は美咲を見た。


 「みっちゃんもよかったら一緒にいて」


 明かに陽子の様子が変であることは、美咲もわかるはずだ。だが美咲は、どうもそのことを奇異に感じていないようだ。


 「で、よっぴー、話って?」


 翔に言われて、陽子は顔を伏せた。何か言いにくそうにもごもごと口を動かしている。そしてようやく顔を挙げたが、目は伏せたままだ。


 「私たち、これからはお友達ってことに……」


 「え? 待って。どういうこと?」


 「そういうこと」


 「ちょっと待てよ。つまり、俺たちの関係は恋人同士じゃなくて、すっと友達としか思ってなかったってこと? よっぴーの中で」


 「ううん。かっちゃんは彼氏だと思ってた。でも、これからはお友達」


 「なんでだよ」


 初めて陽子は翔を見た。


 「だってそうなんだもん」


 「なんでそんなこと、一人で勝手に決めるんだよ。そんなんで納得するわけないだろ」


 翔は黙っていた美咲を見た。


 「よっぴーがこんなこと言いだすって、みっちゃんも知ってたの?」


 美咲は肯定とも否定ともしかねているように、唸っただけでごまかした。少し困った顔をしていたので、翔は美咲への追及はやめた。そして、再びうつむいている陽子を見た。


 「で、どうして友達なんだ?」


 「かっちゃんと別れたくないから」


 翔は首をかしげた。


 「よくわかんねえ」


 「とにかくそういうことで、恋人としては今日でお別れだけど、これからはお友達としてよろしく」


 「ちょっと待て。急にそんなこと言われても、はいそうですかって承諾できるわけないだろ」


 「どうしてもいやだっていうのなら、完全にお別れしなくちゃならない」


 翔はもう一度美咲を見た。美咲は困ったような顔をしていた。


 「とにかく、こんな話ここで返事できないし、少し考えさせてほしい。もっと話し合う必要もあるかもしれない」


 「話し合う必要はないよ。もう決めたことだから」


 「だから」


 翔は語気を荒くした。


 「なんでおまえが一人で勝手に決めるのかって言ってるんだよ」


 陽子はうつむいたまま、しゃくりあげ始めた。その頬に涙が伝わるのも見えた。


 「まあまあまあ、落ち着いて」


 慌てた様子で美咲が話に割って入った。


 「みっちゃん、ごめん。なんか巻き込んじゃったみたいな形になって」


 翔が美咲にすまなそうに言った。


 「私はいいんだけど。とにかく今日はここまでということで」


 三人は席を立った。陽子と美咲が先に外に出し、翔がレジで支払いを済ませた。

 外に出ると、陽子の機嫌は直っていたようで、美咲と笑いながら話していた。

 三人で、関内駅の改札の方へ歩行者道路を歩いた。右側がJRの高架線で、その上に関内駅のホームだ。左は広い範囲で工事中となっており、旧市庁舎の跡地を再開発して、横浜スタジアムを見おろすどでかい高層ビルが建つ予定らしい。

 そんな道を歩いている間も陽子と美咲だけが話をしていて、翔はただその脇を黙ってついて行っているという感じだ。

 夕方近くになっていて、案の定関内駅からはおびただしい大軍がどっと吐き出されてきた。横浜スタジアムでの対巨人戦観戦の人たちで、翔が着いた時間よりもその数は数倍も膨れ上がっていた。

 ちょうどサラリーマンたちの退勤時間とも重なって、駅に向かう仕事帰りの人びとの群れと野球観戦の人びとの群れがぶつかり合う形になり、駅前は混沌《カオス》状態だった。

 三人は人混みをかき分けながら、必死で歩いた。人の流れに逆らって進まないと、下手をしたら横浜スタジアムまで流されてしまう。

 これまでこんな時、陽子は翔の腕をしっかり握って放さなかったものだ。だが今日は、陽子が握っているのは美咲の細い腕だった。

 陽子と美咲は横浜まで出て相鉄線で帰るだろう。翔は隣の石川町で降りて、元町からバスで帰ることにした。

 関内駅は二つのホームが線路を挟み込む、いわゆる相対式ホームだ。上下線は別々の階段かエスカレーターを上ることになるから、この人混みの中のこの場所が互いの帰途の分岐点になる。

 三人はとりあえず構内コンビニの「新日」の前で立ち止まった。


 「よっぴー」


 翔に声をかけられて、陽子はそれまで美咲に見せていた笑顔をぱっと消して真顔になった。


 「なに?」


 「また連絡する」


 陽子は返事もせずに、美咲とともに人混みの中に消えた。

 翔もまた人の流れにぶつかりながら、下り線ホームへのエスカレーターを上った。


 帰宅後も、翔は口数少なかった。


 「どうしたの? 具合でも悪い?」


 母が心配して聞いてくるけれど、翔は生返事をした。食事の時もほとんど口をきかなかった。


 「やっぱお兄ちゃん、熱あるんじゃないの?」


 由佳も心配半分、冗談半分という口調で聞いてくる。


 「熱なんかない」


 そうは言うものの、食事の後に無理やり母親に体温計をわき下に入れられた。電子音が響いて体温計を抜き、デジタル数字を見て見ても36.2°しかなかった。


 「ほら、平熱じゃんかよ」


 「具合悪いところは?」


 「ない」


 それだけ言い残して、翔は部屋に戻った。

 スマホを見ると、インスタのDM着信のお知らせが来ている。

 開けてみると、美咲からだった。


 ――[今日はお疲れ]


 ――[よっぴーのことで気になることがあるんで、電話して]


 続いて、美咲の携帯番号が書かれていた。

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