16/6「思わぬ展開」
16/6「思わぬ展開」
支隊と旅団の演習は泥沼の様相を呈していた。誰が望んでいて、誰のためになっているのか。もはや誰にも解らない。そして演習は7日目を迎える。
炎の一週間というのはこの地獄のような演習が一週間続いたことを意味している。ただし一週間で終わる保証があったわけではない。支隊にしても旅団にしてもどこに終わりがあるのか解っていないまま続けていたのである。その終わりは双方にとって思いもよらない展開によって打ち切られることになる。
もともと支隊の攻撃間隔は演習が続くにつれて徐々に間延びしていた。当初はタイミングの変化を警戒していた旅団側も6日目には支隊に変調する余力はないと考えていた。実際それは事実であり支隊にはそんな余力はなく、とにかく態勢を整えて都度攻撃するという状態だった。とはいえ余力のなさは旅団も全く同じだっ・た。変調はないという判断の大部分はされても対応できないという投げやりなところから来ていた。
7日目の半ばその日2度目のスティントが終わる。当初は4~5時間毎の攻撃も現在では7~8時間は間が空くようになっている。まだ来るとしたら1度。しかしこの日の攻撃はそれが最後になった。9時間を過ぎても支隊の攻撃はなかった。
「なんだ。今日はこれでおしまいか?」
精一杯不敵さを維持しようとしているボスコフだったが顔は憔悴しきっており、誰が聞いても強がりにしか聞こえない。
「油断を誘う手だったりして」
ベレドセンの言葉も彼らしくもなく冗談半分といった口調だった。確かにその可能性はある、むしろ平常時ならそう考える方が健全だろう。しかしこの異常事態においては誰もそちらに重きを置きたがらなかった。彼らの心情は一致していた。
もう負けでも勝ちでもいいから、この辺りにしておかないか?
そして待ちわびた支隊からの通信が届いた。ただし、その内容は期待したようなものではなく、むしろ全員の肝を冷やすものだった。
所属不明の艦隊反応がこちらへ接近中。警戒されたし
何かの奇策か?という考えが各員の脳裏に過った。ボスコフはいち早くその考えを一蹴した。ここまできてそんなことをする意味はない。それに欺瞞としてはいくら何でも不謹慎な内容だろう。
と、なれば。ボスコフは急に現実に引き戻され、自分がゲームに没頭していたことを察した。
「確認!!」
慌てて管制官が確認を取ろうとする。しかし旅団の方では確認が取れない。自分が見落としていなかったことに安堵しながら管制官は報告するがボスコフはそれに激怒した。
「気を抜く場面か!」
気取られないよう隠蔽されているだけだ。支隊の艦艇は最新鋭艦で尚且つ対象により近いために探知できたのだろう。いずれにせよ安堵している場合ではない。これは実戦だ!
「総員警戒態勢!これは演習ではない!繰り返す、演習ではない!」
ボスコフの激で疲れ果てていた兵士は自分の中に眠っている戦う兵士を叩き起こし、叱咤激励して、ボロボロの状態ながら程なく態勢を整えた。
「中身はともかく見てくれは何とか整えたか」
ボスコフは内心ほっとしたがすぐに不安に支配された。隣ではベレドセンがそれを隠しきれてはいない。
旅団は疲弊しきっている。支隊も同様だろう。そこに所属不明艦隊ときた。共同軍か、可能性は低いが共和軍か。戦うことになれば被害は免れないかも知れない。
結論から言えばボスコフらの心配は徒労に終わることになるのだがハミルがこの演習においてもっとも実のある成果だったと評したのはこの突発事態における即応だった。
支隊からの観測データが共有されると緊張はさらに高まることになった。不明艦隊は師団クラスの大部隊であり、旅団と真っ向戦えるだけの戦力と考えられる規模だったのである。
不明艦隊を発見した支隊はその所属を確定することよりも旅団との合流を優先させた。彼我の索敵性能を考えれば支隊が先に敵を発見しており、相手がこちらに気づいていない可能性もある。疲弊しきっていることもあって相手を刺激しかねない索敵よりも合流する方がよいと考えたのである。
幸い、不明艦隊に動きはなく支隊と旅団は苦も無く合流することができた。同時に自室で待機していたハミルがあるべき場所に納まり第11旅団は形を整え、不明艦隊に対処できるようになった。
「所属不明の艦隊。目的も不明。こちらは疲弊状態。さて、どうしたもんか」
確認するように呟くとボスコフは唸った。できれば見なかったことにしてやり過ごしたい、という本音を呑み込んだのである。
「狙いは何でしょうね」
それが解らないと迂闊に行動できない。不明艦隊は隠蔽状態で旅団、支隊に同行するように距離を開けたまま追随しているようだった。それが誰であろうと不可解な行動である。この疑問は当然、支隊でも持たれている。
「こちらを監視している、とか?」
ジェニングスの思い付きにウェイバーは納得できなかった。監視対象になる理由はあるかもしれないが監視するだけにしては艦隊規模が大きすぎる。それに何より
「そもそも目的がこちらだとも限らない」
ウェイバーの見解にソープはハッとし、ルビエールは同意して頷いた。まず自分たちが目的という先入観は自意識過剰だろう。こちらをどうこうするつもりであるなら絶好の仕掛け時は支隊と旅団の合流前であり、そのタイミングは過ぎている。そうしないのだから目的は別に存在し、旅団はその障害になっていると考えた方がしっくりくる。
「なるほどぉ。隠密行動をしているところにこちらがやってきただけ。むしろこっちをやり過ごしたいのかもしれない、と」
ジェニングスが反芻する。するとウェイバーはかえって自信をなくした。目的が旅団や支隊ではないというのはいいのだが、それでは隠れて行動してこない理由にはなるが同行する理由にはならない。艦隊の大きさにも理由がつかない。他にも何かあるのではないか。
「やはり敵が何者であるか確認するしかないと思いますが」
「敵じゃなくて不明艦隊ですがね」
分析するのが仕事であるアディティはそのための材料を欲した。その言葉にソープが茶々を入れる。アディティにとってはいつもの余計な一言だったがジェニングスにとってはそうではなかった。
「そもそも本当に敵なんですかね?」
この宇宙に存在しているものは敵と味方の2種類だけではない。影響力が薄いとはいえ連合領域の奥深くで活動している艦隊。識別信号を発さずに隠蔽しているとなれば確かに敵だと考えてしまうだろう。しかし現時点で共和軍や共同軍のような敵が大規模に侵入しているというのは考えづらい。それ以外の何者かと考えた方が自然ではないか。
「味方でもなければ敵でもない、か」
確認するように呟いてウェイバーは想定を拡げる。相手の目的がこちらでなく、尚且つ敵でもない。しかし隠蔽はする。あべこべだがいくつかの仮説がウェイバーには浮かんだ。いずれにおいてもこの状況が相手にとって待ち望んでいる展開という見解は現実的ではなかった。総合的に見て危険は少ないとウェイバーは結論した。正体を確定しない限りは仮定に過ぎないがそれでも決断はできるだろう。
「ピンを打ちましょう」
相手の情報を得るためのアクティブ捜査。こちらが相手の詳細を得るのと同じくして相手にも察知されることになる。しかしこのまま同行を続けていてもしょうがない。こちらが目的ではないのだとすればこちらに見つかった時点で相手の目的は破綻するはずである。そこから先は相手次第だが。
「鬼が出るか蛇が出るか、と思ったらネズミだったりするかもしれませんしねぇ」
ジェニングスの呑気な楽観論をウェイバーは睨みつけて窘める。ただウェイバーも本心ではそのケースも十分あり得ると思い始めていた。旅団と合流して且つ、時間を置いたことで各員はいくらか冷静さを取り戻しており、藪蛇を突くことに反対しなかった。
その支隊の意向はボスコフらに届けられる。旅団の方でもほとんど同じ経過で同様の結論が出ていた。
「それしかあるまい」
ボスコフは最後にハミルに伺うとハミルもむっつりと頷いた。大きく息を吸い込むとボスコフは指示を出した。
「よし。ピンを打てい」
相手次第では即座に逃げ打つつもりで旅団から不明艦隊に向けてのアクティブ捜査が開始された。その探査によって相手の規模はもちろん、使用されている艦艇などの詳細な情報が明らかとなるはずである。
しかしその分析が出るよりも先に不明艦隊が反応した。
「不明艦隊より反応あり!」
一同に緊張が走る。不明艦隊がそれまで発していなかった識別信号を発し始めたのである。これは戦闘開始の兆候に近しい。戦術画面上のアンノウンが切り替わり、その正体が判明する。オペレーターはその答えを一刻も早く報告しようとして声を上擦らせた。
「敵、じゃない!所属不明艦隊の識別信号を受信しました。識別は…」
読み上げようとした管制官は言葉を詰まらせ、次の報告には確信が全く感じられなかった。
「つ、月統合軍。独立機甲師団…です?」
「独立機甲師団だとぉ?」
月統合軍独立機甲師団は12の師団からなる作戦部直下の部隊で他の軍隊で言うなら海兵団に近い性質を持っている。月統合軍が誇る最精鋭部隊、とされてはいるがその実態はベールに包まれている。局地的な紛争はともかく、本格的な戦争経験の浅い統合軍はその実力を測るだけの実績が乏しいのである。弱いはずはないがどれだけ強いのかが解らない。これは外部の人間だけでなく、当の本人たちにとっても大きな謎だった。
「これでよかったのかしら。私にはただ嫌がらせをしただけにしか思えないけれど」
独立機甲師団属ハルカ・ケープランドは旧式艦アルバトロスのブリッジで嫌味を漏らしたがそれを向けられたマツイ・エドワードには少しも響かなかったようだった。
「あら。興味なかった?ボルトン兵団を追い出した飛ぶ鳥落とす第11旅団とエノー支隊だよ?」
ケープランド率いる第07師団は連合軍との共同作戦に備え旅団と同様にミンスターへ移動している最中だった。その最中に演習途中の連合軍を発見したのである。それが噂に聞く第11旅団であることを知ると何故か帯同している統合軍参謀本部属、マツイ・エドワードは手順通り自軍の存在を通達しようとしたケープランドを制して演習中の旅団に追随する指示を出していた。狙いは解る。地球側最新鋭且つ話題の部隊である。得られる情報は価値があるだろう。ただこちらの挙動不審を咎められてまでやることだろうか?
程なくして旅団と支隊は師団に気付いたらしく合流。相手側のピンを確認した時点で師団は即座に識別信号を発したわけである。
「睨むついでに睨まれては世話がないんじゃないかしら」
「何も悪いことはしてないさ」
本当にそうか?楽観的なマツイの考えにケープランドは同意できなかった。もっともこれはいつものことだった。マツイは楽観的でケープランドは懐疑的。
ケープランドとマツイの両者はともに月統合軍の事実上の首領であるリン・フーシェン直属の将校である。2人は士官候補生時代の同期だったが歩んできた道程も考え方も全く異なっていた。
ハルカ・ケープランドはフーシェンの作り上げた独立機甲師団の主力将校であるのみならず師団設立の尽力者、また鍛え上げた教官でもある。
一方、マツイ・エドワードは事務方の人間で師団設立の功労者であるがそれは主にロジスティクスからの支援だった。階位的には師団を率いるケープランドの方が上位と見做されるがケープランドは複数いる師団長の一人であるのに対してマツイはその師団全てのロジスティクスを統括する立場にあるためその権威は実質的にはケープランドを上回る。
ケープランドはマツイの事務能力を高く評価しているつもりではあるがあまり直接的には関わりたくないと思っている。思考傾向が真逆なのである。ケープランドがあちらと言えばマツイはそちらと言い。ケープランドが行けと言えばマツイはやめろと言う。YESと言えばNOと言う。2人の関係は水と油である。
しかしフーシェンは面白がっているのか、ここぞという場面で2人を絡ませたがるのである。月と地球の連合作戦。間違いなく統合軍にとって大きな転換となる作戦である。これに派遣される部隊に選ばれたことはケープランドにとって大きな栄誉であったがこの派遣にはあまりにも「おまけ」が多すぎた。その一つが何故か帯同しているマツイである。不愉快なことに今回の派遣では主導権をマツイが握っている。なので先ほどのようにケープランドが折れるしかない展開がこの先も待っていそうだった。
「第11旅団から通信入りしました」
「さっそくきたな。さて、申し開きをしますかね」
「もちろんそちらで対処してくれるんでしょうね」
「そりゃー要請をしたのはこちらだからね。責任は取るよ」
これでこちらに責任を押し付けてくるなら遠慮なく嫌悪できるのだが、この男は自分の領分は弁えているのである。ケープランドは溜息をついてマツイに対処を一任した。
月統合軍独立機甲師団。不明艦隊の正体が解ったところでボスコフ達に去来したのは困惑であり、状況はむしろ一層混沌とした感があった。とりあえず、敵ではなさそうだったが連合軍人から見れば統合軍は何を考えているのか解らない相手であり、身近でありながら敵以上に油断のならない不気味な相手だった。
「どーも。こちら統合軍独立機甲師団属マツイ・エドワード大佐であります」
画面に映された男の風貌と飄々とした口調にボスコフは理由もなく厄介なタイプだと直感した。
「あー、こちらは地球連合軍第11旅団ボスコフ中佐だ。何故このような場所にいるのか。説明を求めたい」
「こちら第07独立機甲師団は作戦本部の指示に従いミンスターへ向かっている最中であります。目的に関して詳細は知らされておりませんが個人的な所見を述べるならば、来るべき共同作戦に備えた事前準備ではないかと愚考するところであります」
こちらと同じということか。ボスコフは驚きこそしたがそれ自体に疑問を感じなかった。これによって諸々の疑問も解けてはいたがボスコフは確認のために詰問する。
「では、何故ステルス状態で航行し、さらにこちらに感づかれないようにしていたのか」
どうせこちらの情報収集だろう。こちらのデータを労せず得られる絶好の機会だ。自分でも同じことをする。しかし相手はどう答えるか。
マツイは澄まし顔で姿勢を整えると一気に喋った。
「我々独立機甲師団は遊撃戦力ではありますが、その移動には戦略的な要素を含みます。で、あるからには極秘裏に移動するのは通常の手順であります。まして連合軍の拠点に向かうとなれば尚のことでありましょう。その折にそちらの演習に鉢合わせてしまったわけです。本来ならこちらの存在を報告すべきであることは重々承知なのですが。こちらも折角の隠蔽状態なのです。と、なればこちらもその演習に付き合わせてもらおうかと思いましてね」
マツイは悪戯な表情を浮かべた。ボスコフはそこにくせ者を見て取った。演習で大立ち回りをしながら移動している旅団と支隊が先に見つかるのは当たり前の話だったが独立機甲師団はいつからこちらを追跡していたのか。演習に夢中だったボスコフらは確信が持てない。仮に数日前から追跡されていたなら赤っ恥もいいところだった。
「2時間もかからず見つかってますが」
ケープランドの傍らで参謀が呟いた。ケープランドは表向きリアクションを控えたがマツイのブラフに頭を抱えたい気分だった。確かに師団は旅団を先に見つけはしたのだが詳細解析ができそうな距離に近づこうとした途端に見つかっていたのである。全く意味の見いだせないブラフ。少なくともケープランドにはそう見えるのだがマツイは飄々と続ける。
「それにあのボルトン兵団を退散させた精鋭部隊の演習だ。興味が湧かないという方がおかしいでしょう。それでまぁ、こっそり観戦させてもらったわけですよ」
悪びれもせずに言ってのけるマツイにボスコフはどう返したらいいものか解らなくなった。自分たちでも同じ選択を取ったであろうから説得力はある。しかしこうも堂々と口にするか?ボスコフがハミルに助けを求めるとハミルは一つだけ確認した。
「内容は承知した。で、この先はどうされるのか」
「どうやら目的地は同じようです。旅は道連れとも申します。如何です?」
しゃあしゃあと言いやがる。ボスコフは不快に感じた。こちらを監視していたような連中にこれ以上覗かれる必要もあるまい。ハミルにここは丁重にお断りすべきと目で訴える。
「移動には戦略的な要素を含むのではなかったかな」
ハミルの言葉はマツイの言動不一致を突いたのだが相手はまるで悪びれなかった。
「それはそれ。必ずしも優先されるべき事項ではありませんし。何よりそちらにはもう見つかってますからね」
怪異だな。ハミルですら苦笑を隠せなかった。そしてハミルはボスコフの意に反する判断をした。
「こちらに断る道理はない」
「感謝しますよ」
ボスコフは見るからに不満そうだったがその代償行為か、ハミルは最後に一刺しを加えることにした。
「それで、実のあるデータは得られたのかな」
「そりゃーもう。いいものを見せていただきましたよ」
愛想よく笑ってマツイは嘯くがハミルは冷笑を浮かべてそのまま通信を切った。
「バレてるわね」
それ見たことか。確信を持ってケープランドが詰る。
「いいんじゃない?侮られるのは悪いことじゃないよ」
「味方に侮れてどうするつもりかしら」
するとマツイは邪に表情を歪めてケープランドにだけ聞こえるように呟いた。
「敵味方の区分程信用ならないものはないよ。それに。設定された敵にだけ備えるのが仕事だと僕は考えてはいない」
不穏当に過ぎる言葉にケープランドは仰天する。
「連合と、地球と戦う時が来るとでも?」
「まさか。今のは種さ。噂ってのは花粉のようにどこへとも飛んでいくもんだよ。そのうち共同体や火星にも届く」
急に話を転じられてケープランドは呆れた。追求しようとしたところでマツイはこれ以上喋る気はないだろう。ケープランドは頭の奥底にマツイの不吉な言葉を仕舞い込んで体裁を整える言葉で結んだ。
「随分と迂遠なやり方ね。ま、そういうことにしておくけども」
「そういうことにしておいて」
想定外の乱入者の登場は旅団をギョッとさせたのではあるが終わってみれば救世主のような存在でもあった。演習が有耶無耶になったのである。当然、誰からも続きをやろうなどという言葉は出てこず、そのまま旅団、支隊、そして独立機甲師団は同行してミンスターへの道中を進むことになった。しかし演習は終わったとはいえ分析、統括などやることは多く、統合軍が同行することでボスコフら一部の人間たちは余計な緊張を強いられることになって休まらなかった。幸いなことにその道中はボスコフの強行軍の影響もあって短く、2日後にはこの合同艦隊はミンスターの影響領域に足を踏み入れた。
「やれやれ、疲れ果てたな」
ボスコフは大きく息を吐いた。自分でも気づかなかったが初めて部下たちの前で出した言葉だった。しかし誰もそれに違和感を覚えない。それほど密度の濃い一週間だった。
「で、今後の展望は?」
ボスコフにしては嫌味な聞き方にハミルは苦笑するだけで答えない。解りきっているがまたもや待機である。しかし今はその方が有難い。
「と、なればしばらくはゆっくりできますかな。特に戦闘要員は疲れ果てています」
実戦をやるよりも疲れている者もいる。ボスコフ自身、しばらくは休みたいと思っていた。元よりそのつもりであったハミルは既に根回しを済ませていた。視線をノイマンに移すとノイマンはいつもの不機嫌面を幾分か柔らかくして告げる。
「すでにミンスターへの申請は済ませています。豪勢なスイート、とはいきませんがそれなりのホテルを確保しています。順次全休に入れます」
ブリッジ要員から喝采が上がる。
「さすが、ノイマン様様だな」
素直にボスコフが称賛するとノイマンはむず痒そうにはにかんだ。
ミンスターへと到着した第11旅団と支隊、さらには統合軍独立機甲師団を加えた艦隊は連合軍の正規艦隊クラスの規模に膨れ上がっていた。これを迎えたミンスター駐留自衛軍の兵站担当官はその補給要請と休暇のための諸々の申請に首を傾げる。まるで実戦でもしてきたかのような内容だったのである。
「ただ移動してきただけでこんなに必要になります?」
念のために上司に伺う。過去にこのような手口で物資の横領をしている部隊があったのである。問われた上司はいかにも迷惑そうな顔をした。
「長官肝いりの特殊部隊様だ。余計なことに首を突っ込むな。厄介ごとにしかならないし、そもそもそんなもんにかまってる暇はこっちにねーぞ」
不機嫌そうな上司に担当官はそれもそうかと納得してそのまま要請を受理した。旅団だけでも面倒なのにそれに加えて統合軍のお客様も加わっているのである。第二次星間大戦勃発当初からミンスターは第5艦隊の後方支援基地として整備されていたがこれほどの規模の艦隊を受け入れたことはない。しかも今回は物だけでなく人もここに留まるのである。大事になるだろう。
彼らの予想通り、到着するなり大挙してミンスターの市街地へと雪崩れ込んだ旅団メンバーたちの乱痴気騒ぎは大いに顰蹙を買うことになってしまうのだった。
ミンスターへの到着から三日。支隊のメンバーも順次全休を貰いルビエールも確保されたホテルで全ての情報をシャットアウトしてゆっくりしていた。ここ数日は演習に夢中になってほとんど寝ておらず、ミンスターに着いてからも後始末でやはり休まらなかった。丁寧にメイキングされたベッドで惰眠を貪り、腹が減ったと自覚したところで起き出してホテルのカフェで朝食代わりのランチを取る。食後のコーヒーに口を付けたところでルビエールはようやく思考をあるべき配置に戻してここ2週間余りを振り返った。
演習のことはもちろん。ウェイバーのこと、ジェニングスのこと。ただの移動作戦が随分と密度の濃いことになったものである。しかし妙な充実感があった。
終盤に邪魔者の登場で中断されたとは言え支隊はルビエールの指示の下、限界まで戦って見せた。意外と言うと失礼か。脱落者はなし。
そしてウェイバーとジェニングス。人間としては不安のある2人だったがさすがのカーター組。実戦では指揮官としても参謀としても期待以上の働きを見せた。
この結果は実際のところ支隊のメンバー以上にルビエールに自信を与えた。支隊は強い。並みの部隊では真似のできないことができる。それを今回の演習で確信できた。
「あー、中佐もお休みでしたかぁ」
呼ばれて振り返ると支隊の主計官マオ・ウイシャンが私服で立っていた。ニヤケ面を引き締めるがウイシャンの方はゆるゆるだった。
「お疲れ様。大変だったわね」
「いやいや。ノイマン先生にはかないませんねぇ」
ルビエールは苦笑いした。ウイシャンは旅団の主計官であるノイマンに対抗心があったらしいのだが今回の休暇手配の根回しで完全に打ち負かされたらしい。確かにルビエールもミンスターに着いた時点でほとんどの準備が終わっていたことに驚愕した。優秀な事務官は1個師団に匹敵する。この言葉は比喩ではないとルビエールは実感している。
「まだまだ若いでしょ。先達から学べることはいいことよ」
ウイシャンとノイマンでは得てきた経験も立場も異なる。できることが異なるのは当たり前だろう。むしろそこに対抗心を燃やすウイシャンの姿勢をルビエールは頼もしく感じる。
「そんな年寄りみたいなこと言わないでくださいよ。老け込むには早いですよぉ」
「こんな仕事してたら老け込むわよ」
「美容に悪いですよ」
ごもっとも、と頷きながらルビエールは苦笑いする。ウイシャンの一つ年下のルビエールは支隊ではもっとも若い部類に属する。一方で立場上からその全てに部下として接しなければいけないのである。年相応でやっていけるものではない。むしろ多少老け込むくらいの方が都合がいいかもしれない。
これに加えてハミルやクリスティアーノ、ソウイチやマチルダとのやり取りなどルビエールはその時々に合わせて態度や仕草を調整しなければならない。最近ではどれが素なのか自分でもよくわからなくなっていた。
「色々あって気苦労の連続よ。早いところ退役してのんびりしたいわねぇ」
もちろん冗談のつもりで言ったのだが、前線指揮官の多くがこの冗談を半ば願望にしている。そして多くの場合でそれは一笑に伏されるのである。
「いやいやそれは困りますねぇ」
ルビエールが首を傾げるとウイシャンは邪な笑みを浮かべた。
「中佐にはこんなところで満足してもらっちゃ困りますし、誰もそんなの望んでないでしょう。もっと偉くなってもらわないと」
偉く、か。ルビエールはその点に関して何も考えていなかった。今に必死でそんなことを考えている余裕がなかったのだが、確かにエノー支隊がルビエールのキャリアの終点であるわけではない。しかし仮にルビエールが偉くなったとして次などどこになるのか。到底見通せるものではない。
「さて、先のことなんてどうにも解らないわ。今は自分の立ち位置でできるだけのことをするまでよ」
ルビエールとしては本当のことを言ったつもりだったがウイシャンには謙遜に映ったようだった。またまたぁと目を細めるとルビエールの視点からは見えなかった思わぬ見解を披露する。
「以前からカリートリー大佐はゆくゆく自衛軍の方に行くだろうって噂があります。となれば、ですよ。当然ローマ師団にはその後任が必要になるわけです。候補は誰か?ってなったら中佐を置いて他にありますか!?マウラ司令だってそのための箔をつけるのが目的で中佐を派遣したんでしょーよ」
ああ、そういうことになっているのか。ルビエールは納得した。カリートリーが欧州自衛軍に行くという話は現実味がある。それで後任の実質的なローマ師団司令が必要となれば客観的に見てルビエールが候補と噂されるのはあり得るだろう。
「まぁ、そういうこともあるのかもしれないわね」
ルビエールは複雑な顔をして韜晦した。カリートリーの後任というのは悪い気にはならないのだがあのクリスティアーノの腹心とも言える立場と考えると薄ら寒い。
それにルビエールから見たらそれは絶対にないと断言できる。はた目から見ればマウラ閥のルビエールだがその実態はお客様なのである。クリスティアーノが持つ武力の根幹であるローマ師団を預ける立場にはなりえない。少なくとも現時点では。
そのことをウイシャンに伝えるべきかルビエールは考えた。ウイシャンとも長い付き合いになってきた。しかしウイシャンの基本的な欲求は出世に向いている。ルビエールに付いているのもそれが出世に有利に働くと見ているからである。マウラ閥と敵対しかねない立場にいると知られれば一気に関係が遠のく危険性もある。支隊がウイシャンを欠くなど考えたくない想定である。かといって今のままでいいわけでもない。いずれは
「では、わたくしは休暇に入らせていただきます」
お呼びでないと判断したのか。ウイシャンは敬礼をすると鼻歌混じりにカフェを後にした。
さてはて、どうしたものか。宿題が棚上げになったことにホッとしながらルビエールは冷めかけたコーヒーに再び口を付けた。後味の苦さはルビエールの心境に根差しているのか。
ルビエールが抱えている宿題はウイシャンに限った話ではなかった。エノー支隊の多くの人間はルビエールの立場を誤解しているわけである。コールやロックウッドなどはそういうことに無関心を決めてくれるだろうが、それはあくまで彼らの立場がはっきりとしているからであっていざという時に自分の側に立ってくれることを意味しているわけではない。彼らは自分の立ち位置から動くことはない。ソープの方はハミルの方に軸足を置いているので解りやすい。一方でリーゼの動きは読めないところがある。軍の備品と形容されるあの女が自身の立場を逸脱することはないと思う。しかしリーゼは支隊の風潮を気に入ってはいない。リーゼから見たとき、ルビエールの動きは立場から逸脱していると映っているはずである。その逸脱がルビエールの独断と知った時、あの女はどう考えるだろうか。
ルビエールは想像するのをやめた。まるでメリットが浮かばない。今が上手く行っているからこそルビエールはこの宿題に手を付ける気にはならなかった。このままそれを隠しきれるならその方がいい。となれば、もはやそれは爆弾なのかもしれない。
コーヒーにいつもより多めに砂糖をぶち込んで口にした。やはり苦い。誤魔化しているだけだ。ルビエールは顔を顰めながら飲み干した。
「おかわりはいかがですか?」
声がかかってルビエールは表情を無に戻してカップを差し出そうとした。が、そこにいたのはウェイターではなかった。
「あはは。司令もランチですか」
ガーリーな服に身を包むストベリーピンクの髪の女、ではなく男。見間違うわけもない。ピーター・ジェニングスである。後ろにはウェイバーが苦い顔をしている。ルビエールも苦い顔をした。
「朝食よ」
「おやまぁ」
今さらながらこの場所を選んだのはミスだということにルビエールは気づいた。ノイマンが確保したこのホテルには支隊旅団のメンバーが多い。ルビエールを見つけて見なかったことにするわけにもいかないと考えるメンバーはいるだろう。ウェイバーは無視したがったようだがジェニングスはそうではなかったわけだ。
「こうしてみるとカップルみたいね」
あいさつ代わりの皮肉。言われ慣れているのか。ウェイバーは動じず鼻で笑うのでルビエールはムッとした。
「で、何の用かしら」
「用と言うほどのものではないんですけど。僕は今日で休暇上がりですので何かあればと思いまして」
「特にない」
ルビエールが素っ気なく対応するとウェイバーがならいいだろとジェニングスを促す。しかしそのようには動かないのがジェニングスだった。
「司令は昨日からの休暇ですよね」
「そうだけど」
ルビエールは嫌な予感を覚えた。ウェイバーも全く同じ予感を抱いたようでジェニングスを睨む。
「ダニー君も今日から休暇なんですけどね」
「断る」
「遠慮します」
ジェニングスが言う前に2人は決然と意思を表明した。ジェニングスは苦笑いしながらウェイバーの方を煽る。
「まだ何も言ってないのに。こういう時だけはっきりしてるんですねぇ」
耳が痛い。だが、それはそれ。折角の休息でまで気苦労をしたくはないのだ。ウェイバーの心理は顔に出ており、ルビエールはそれに憤慨した。気苦労するのはそっちだけだと思っているのか。
またしても2人の間に険悪ムードが流れる。ジェニングスの行動は明らかな藪蛇と思われるのだが当の本人は気にもせずにその行動を続けた。
「あっはっは。それですよそれ。お互い思ってることは似たようなもんなんですから。ちょっとかみ合わせをズラせば上手くいくと思うんですけどねぇ」
2人は憮然とする。そして全く同じことを考えた。仮にズラすなら相手の方だ。そうでないなら不干渉が最適解である。この点でルビエールとウェイバーは一致している。
「それが用ならこの話はお終いよ」
にべもなく切り捨てるルビエールにウェイバーも同調する。そうだ、これで終わりにしよう。
しかし懲りないジェニングスはまだ終わらせない。今度はルビエールには無視できないもの話を繰り出してきた。
「その前に、ルビエールさんに先の演習の総評をお聞きしたいですね。お互いに個人として」
総評ならミンスターに着く前のミーティングでやっているがファーストネームで呼ぶことに意味を感じないほど愚鈍ではない。ルビエールは2人から視線を外すと虚空に向けて素っ気なく言った。
「いい仕事だった」
ジェニングスはにっこりと笑い。ウェイバーはそっぽを向いた。
「ですって。よかったですねぇ」
「はぁ?何がよかったんだよ」
「謙遜しなくていいでしょ。あの演習の殊勲賞は間違いなくダニーさんですよ。いやぁ、実にいい献策でした」
やめろバカ。ウェイバーは他に当てがないのでルビエールに助けを求めた。早いところこのやり取りは打ち切ろう。それがお互いのためだ。そうだろう?2人の考えは一致しているはずである。しかし、ルビエールは何を思ったか。今度はジェニングスに乗った。
「確かに。ソープもあなたのことを見直してたわよ」
自分もだが。もちろん口にせずにルビエールはウェイバーを褒めて弄ぶ。
何なんだよこの流れは。人に、まして上官に褒められることに慣れていないウェイバーは見るからに赤面した。2人はそれを楽しむという質の悪い趣味に目覚めつつある。話を変えなければ。ジェニングスに付き合わされただけのウェイバーは不承不承話の主導権を握った。
「そ、そんなことよりですね。何の話もないとは言いますけど。例の件は僕らには影響ないんですかね。気にしなくていいならしませんが」
苦し紛れにしては酷くないか。ルビエールは乾いた笑いを浮かべるがジェニングスの反応はそうではなかった。
果て、何かあったか?ルビエールが首を傾げるとジェニングスは意外そうな顔をした。
「あれ、ご存じでない?」
本当に何の話か解らなかったので肩を竦める。支隊のことは特段問題ないし、仮に何かあった時は連絡があるはずだが。ルビエールが端末を確認するとジェニングスは首を振った。
「ああ、違います。支隊のことじゃないんですよ」
と、なると。
「旅団でもありませんよ」
ウェイバーが先回りするとルビエールはウェイバーを睨みつけた。支隊でも旅団でもない、となると何だ?意図的に外部情報を遮断していたルビエールは再度首を傾げた。
ルビエールが本当に知らないことに意外さを感じながらも2人はしばし説明する役を譲り合ったがちょうどその時、それを代わってくるものを見つけた。
「ほら。ちょうどそのニュースです」
ジェニングスが示した先にはカフェのTVモニターが昼のブロードキャストを流していた。冴えない地方のキャスターが淡々とそのニュースの内容を読んでいる。
「続いては各地でのテロ事件に関する続報です。一昨日未明に発生したクサカ社の開発施設をはじめとした地球各所での襲撃事件は現在でもその実態がつかめておりません。行方不明者の数、身元もはっきりとはしておらず被害を受けた施設側は今なお混乱状態にあり捜査は難航が予想されています。クサカ社を抱えるOPAの警察機構は本日未明。同様の事件の発生した各国警察機関と情報交換を行い、今回の地球圏各所で発生した襲撃、強奪事件が関連した一つの事件であるとの見解で一致したことを表明。今後の情報連携の強化と合同捜査本部の設置で合意したとのことです」
二日前の出来事である。クサカ限らず地球にある数多くの軍事関連の研究施設で同時多発的に襲撃事件が発生した。研究資料の強奪を企図したと思われるものから単純な破壊活動としか考えられないものなど襲撃のレベルはまちまちでタイミング以外に関連性を見出すことが難しく捜査は難航しているという。
ルビエールはしばし呆然としていたが我に返ると襲撃されたとされる施設の一覧をニュースサイトで探し出した。悪い予感がする。その予感はすぐに的中した。襲撃された施設の中にイスルギ社が含まれていたのである。ルビエールは再び呆然とした。
自分たちに関係のある話とは言えその反応は尋常ではない。当然2人の興味はその理由に向けられた。
「動揺してるように見えますが、何かありました?」
「向こうに知人がいるのよ」
誤魔化すこともなく即答すると2人とも納得した。
「結構行方不明者もいるみたいですね。その人も無事ならいいんですけど」
無事?そうならいいけど。ルビエールが抱いた嫌な予感は何故かその知人が巻き込む側だと想定していた。あの少年との別れ際の言葉をルビエールは思い出して直感した。
大それたことがはじまったのだ。
次回更新は3月の予定です。




