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13/3「銀剣勲章」

13/3「銀剣勲章」

 第11旅団がサンローで待機状態になっても行動方針が定まることはなかった。長らくエコーズ宙域を飛び回っていた兵士たちにこのタイミングを使って順次休暇が与えられた。サンローはさほど発展しているコロニーではないがそれでもひと時任務からの解放を喜びそれぞれ有意義に使う方法を模索してそれぞれ行動に移した。

 エノー支隊の旗艦イージスではささやかな祝賀が催されていた。オシカの戦いにおいてエリック・アルマス曹長は累計撃墜数30を達成。エースとなったのである。

「どっかの開発スタッフなら殺しの技術を褒め称える勲章とでも言いそうだが、こいつはそういう勲章じゃあない」

 一部の人間にしか通じないジョークを交えながら始まりの挨拶をするのはロックウッドだった。その隣で本日の主役であるエリックは居心地悪そうに苦笑している。

 会を主催したロックウッドは支隊の人間を誰彼構わず誘い、その規模を必要以上に膨れ上がらせた。エリックの祝賀はただの口実でその実態は支隊全体の懇親会とでも言うべきものになった。あまりに参加者が多くなったので会場にはイージスのHVハンガーを用いるという案が採用された。この奇策の提案者は誰あろう整備班長のアルトマンであるが後の片づけを思って頭の痛そうな顔をしている。

「こいつは一人の兵士が生き残り、そして仲間と共に戦った証だ。少なくとも、俺のはそういう意味だ」

 そう言ってギリアムは自らの黄金剣勲章と黄金盾勲章を指さす。エリックよりも多い40の撃墜と100の出撃を表した勲章だった。

 ギリアムはどちらかと言えば撃墜数を表する剣よりも出撃数を表する盾を誇っている。この考え方はエリックも好ましく思える。彼はそれだけ生き延び、仲間を守ってきたのだろう。ギリアム・ロックウッドにとっての勝利とは、撃墜した敵の数ではなく生還した味方の数で決まるのである。

 ロックウッドはいつになく饒舌だったがずらりと並んだ酒類料理に気色ばむ面子は有難い話に聞き入るという雰囲気ではない。

「話が長いですよ中尉」

「俺の時にもやってくれるんですかね」

「ええい、待て待て。こういうものにも筋ってもんがあるんだ。だいたいお前らその酒と料理がどこから出てると思ってるんだ。ただだと思ってるのか?」

 一瞬不穏な空気が流れたがこれはロックウッドの見事な会話術だった。静まり、注目を集めたロックウッドは一気に筋を通した。

「本日はエノー中佐はもちろんのこと、我らがエノー支隊の偉大なる主計ウイシャン様にも協力を願い出ている。その結果」

 十分に溜めてからロックウッドは厳かに宣言した。

「好きなだけ飲んでもよいとのお許しを得ている」

 普段はケチケチ、がめついなどと陰口されるエノー支隊の首席事務官マオ・ウイシャンであるがロックウッドのお伺いに対しては

「飲んだ分と食べた分はちゃんと報告してください。少しでもズレてたら、あなたを敵とみなします」

 と恐ろしいことを言いながらもその量には何の制約も付けなかった。

 意外な事実に参加者はウイシャンの姿を探し求める。当の本人はキャットウォークから不愉快そうな顔をしながら地獄へ落ちろとばかりに親指を下に向けている。そのウイシャンの心意気と殺意への返礼は喝采だった。

「司令閣下と主計閣下に乾杯」

「乾杯!」

 後はお定まりのどんちゃん騒ぎが始まった。


 宴もたけなわになったところでロックウッドはハンガーの入り口で様子を伺う支隊司令の姿を見つけた。

「やーやー、中佐。そんなところにおられず、一言お願いします」

 見つかってしまったルビエールは一気に注目を浴びるはめになって顔を顰めたが宴の席に少しだけ入るとそのルビエールを中心に人の塊は移動し、必然有難いお話をしなければならない雰囲気になった。ルビエールはしかめっ面をさらに濃くしたが司令官としての義務を果たそうと演説を打つ。

「あー。銀剣勲章とは知っての通り多数の敵を葬ったことを賞するものだ。どこぞの開発主任であれば殺人メダルとでも言いそうだが」

 気まずい空気が流れたことに気付いてルビエールは喋ることを止めてロックウッドの方を睨んだ。

「すいません中佐。それさっき自分が使ってしまいまして」

 ロックウッドが申し訳なさげに告げる。その意味を理解してルビエールは血圧が一気に上昇したのを感じたが見事に感情を制御した。

「たわけ。ネタが被ったくらいで謝るな」

 そう嘯くルビエールにはまだ手札があった。大きく咳ばらいして仕切り直しを強調すると用意していた切り札を掲げて誇示した。銀剣勲章。まごうことなきエースの証明である。本来なら戦場が落ち着くタイミングで上位の将校(この場合ならハミル辺りが妥当)から授与されるようなものだがルビエールは支隊の人間に対してこれらを授与する権限を認めさせていた。これはカリートリーからの助言である。

 このタイミングでの授与に粋を感じた周囲から喝采が上がる。

 すぐに本日の主役がルビエールの前に押し出されてきた。思ってもいない展開に畏まっているエリックにルビエールは苦笑する。見世物にしてしまったようである。

「ガチガチの式典をキャンセルできると思え」

 小声で囁かれるがエリックは釈然としない。なるほど確かにと思えるところもあるが実際のところその恩恵を得るのはルビエール本人ではなかろうか。まぁ多忙の姫様の心労を減らせるならそれも吝かではないが。

「アルマス曹長はルーキーの時分から私の麾下として働いてもらっている。最初の出撃から今日に至るまでを生き残り、これを渡せることを嬉しく思う。私は君が生き残っていることを誇りに思うし、この先もそれを誇れるように願う」

 エリックの軍服に一つの勲章が追加され、周りから自然と拍手が湧きあがる。

 初めての出撃をエリックとルビエールの双方は思い出す。一年にも満たない期間でありながら世界も、そして自分たちも大きく変わってしまったものだ。

 撃墜数30。それはこの数字に限りなく近い命を奪ったことを意味する。その命に紐づく命に悲しみを齎したことにも。

 守った分だけ奪ったのだ。エリックは最初の戦果を思い出す。最初の1。この数字が意味を持つのは実際にはエリックと撃たれた当人。それに連なる数人に過ぎないだろう。戦争という大きなうねりのなかのほんの一飛沫。その積み上げの上にエリックは立っている。かつてはエリックの業のほとんど全てを占めていたその数字も今や30分の1となった。重さが変わったのではない。背負っている量が増えたことで相対的にその意味を減じてしまったのだ。実際には30倍の業を犯していながらその大部分を手から溢しているような感触がエリックにはある。罪の意識を端折っているようで後ろめたさも感じる。だからといってその全てを律義に背負えるはずもない。

 では、それだけの意味に対して、自分の価値は釣り合うのだろうか。値するだけのものを得られたのか、守れたのか。その答えは出すにはまだ早計だったが、エリックはそれを得ることを望んでいた。それまでは生き残っていたいものだ。

 ルビエールはエリックの変化を見てきた。彼の背負ったものは自分が背負わせたものだ。死なせた兵士はもちろん、生き残らせた兵士もまたルビエールの業の一つになる。それでも死なせるよりははるかにマシであると信じる。

 支隊も犠牲なくしてここにあるわけではない。ルビエールの麾下で戦死した者は現在7人。今のところ全て覚えていられる範囲だが、そのうち許容量を越えるだろう。いずれは大勢の中の1人として扱われることになる。そうなった時のことを考えるとルビエールは憂鬱になる。仮に生き残っても多くの業を背負うことになる。ルビエールの下であればより複雑で厄介な業を抱え込むこともあるだろう。

 ルビエールは自信が背負っているものの多さと重みを認識した。しかしだからこそ、自身の決断に迷いのないよう、全力で当たることを肝に銘じる。これまでの犠牲とこれからの犠牲に恥じることなく向き合えるよう。

 双方ともにもはや以前の自分に戻ることはできないことを知っていた。人は変わる。この当たり前の事実を受け入れ、そして自身の行動とその結果も受け入れねばならない。

 エリックは最敬礼するとルビエールも返し、周囲から今度は厳かな拍手があふれた。誰もがそれぞれの思いでこれまで自分が歩んだ道を振り返っていた。

 この様子をロックウッドはニヤニヤしながら見守っている。ルビエールは必ずしも部下とのコミュニケーションに積極的ではないし、上手いわけでもない。しかし支隊運営と戦場での実績から着実に評価を得ている。出自故のマイナス要素から転じている分も大きい。ルビエール自身はもちろんのこと、アディティに代表されるアクの強い人材。通常であればむしろ隊を瓦解させるような要素が逆に支隊を強くしている。支隊が持つ諸々の規格外の性質が裏返ることで支隊は上手く回り出したのである。その立役者は間違いなくルビエール・エノーその人である。今や支隊の人間にとって自分たちの司令官とはルビエール・エノーを置いて他に考えられないだろう。姫という蔑称もいまや敬称へと転じつつある。

 ルビエールは義務を果たしたと言わんばかりに早々に退散してしまったのでそこから先はただのパーティーに戻った。

 ロックウッドは自身の目論見が上手く行っていることに上機嫌であったがそれで満足するわけでもなかった。すぐに次の修正点がないかと目を配り始める。そのポイントは意外なところにあった。

 話の輪に加わらずにいたのはこの中で誰よりも多い撃墜数を記録しているエドガーだった。今回に限らず、エドガーはこの手の祝い事で口数は多くないが今日は特に気のない様子だった。

 ハンガーの脇で背を持たれさせているエドガーは隣にロックウッドが来ても興味を示す様子はない。ならばとロックウッドの方から話を振る。

「お前さん、ぼちぼちトリプルテイクも射程内か?」

「そういう話は好きじゃない」

 エドガーは珍しく口を尖らせた。トリプルテイクとはエースの条件である撃墜数のトリプルスコア、つまり90機を差す。現在のエドガーのスコアは78。射程圏内には入っていた。この数字を持っているパイロットは現役どころか歴史上でも多くない。

「何だよ。お前さんには伝説になるってことに価値はないのか」

 自分が納得できる自分であることが心情であるエドガーは数値的な評価や他者からの評価には興味がない。そしてどうやら彼の描く理想像には撃墜王という項目も存在しないようだった。

「俺をハウザーか何かと一緒にしてないか」

 その名前が出た瞬間にギリアムは乾いた笑いを溢した。

「さすがにそれはないが」

 ルーシア・ハウザー。パイロット界隈でその名を知らぬ者はいない月統合軍のエースパイロット。いや、エースと表現すべきなのか?ロックウッド含めて多くのパイロットが疑問を抱く。

 現役、いや史上最強のパイロットとまで呼ばれる生きる伝説。多くのパイロットがエースパイロットというカテゴライズからは除外する別格。通称「アトミックハウザー」「バロールの魔眼」その他etc。曰く、睨んだだけで死に至る。その撃墜数は文字通り桁違いの122機。これは歴史上の数字ではなくいま現在の数字である。これを実戦機会のさほど多くない統合軍で達成していることがハウザーの異常さを際立たせている。HVの撃墜数のみならず艦船の撃沈も複数達成しており象徴的な意味合いを除くならば史上最も多くの人間を殺害した人間ともされる。この数値は大戦終結時にはいよいよもって人知を超越した数値になっていく。後世の戦史家から架空の人物かさもなくば欺瞞の戦果ではないかと疑われるほどの異端中の異端である。

 このハウザーはその驚異的な撃墜数からある種の化け物。シリアルキラーのように語られている。狂人であるという噂だ。

 知りもしないで勝手なことをほざくものだとエドガーなどは思っている。これらの風評はほとんど願望に基づいていることをエドガーは知っている。殺した数でその人間の心理や狂人度合いが測れるわけもない。どれだけ狂っていても能力がなければ撃墜数は増えない。逆説、常人であっても能力と戦場さえあれば撃墜数は増えるものだ。エドガーから見れば撃墜数とはそれだけの機会と能力があったという指標でしかない。

「世の中は広いもんだ。撃墜数なんざ環境でいくらでも変わる。戦場があってそこで生き残り続ければ必然増えるが逆に言えば戦場がなければ増えようがない。戦う相手がいないってだけで俺らより強いパイロットも歴史上にはいたかもしれないし、今もどっかに潜んでいるかもしれない」

 エドガーの言い草にロックウッドは心当たりがある。あのリターナーでの戦いで遭遇したマトリクスのパイロットだ。どこの誰とも知れないがエドガー、そしてマサトの二人を相手にして一時は優位にすら立つほどのパイロット。

 なるほどな、とロックウッドは改めてエドガー・オーキッドという男の性質を知る。このエースは強くありたいと志向しているが、その強さとは撃墜数を積み上げることではなく、より強い相手に対しても生き残るためのもののようだった。どれだけの敵(数)を倒せるかではなく、どれだけの敵(質)と戦えるのか。

 この頃のエドガーには一つの心境の変化があった。

「世の中は広いもんよ」

 この時期にエドガーが度々漏らしたこの言葉は何もハウザーだけを差しているわけではない。リターナーで遭遇したマトリクスのパイロット(アキラ・タチバナ)。そしてマサト・リューベック。連合軍指折りのエースと呼ばれるエドガーではあるが上には上がいるということを知ってしまった。そのことに自信をなくした、というわけではないもののそういう相手がいる、という事実は彼の思考に強く食い込んでいた。

 次にそんな連中と遭遇したらどうするか?それがここ最近のエドガーの主要課題になっていた。リターナーでのエンジェリオとの戦いで自身が相手に封殺されたことをエドガーは納得していない。たまたま後方の者達が状況を引っ繰り返してくれたからよかったものの、エドガーはエースとしての役割をまるで果たせなかったと考えている。男エドガー・オーキッド、同じことを繰り返すわけにはいかない。

 どうやったら対処できる?技量勝負では無理だ。こちらに優位な状況を作り出すしかない。優位性。となればそれは僚機の存在である。あの手のエースパイロットは傑出し過ぎているがゆえに味方との連携が取れない者がほとんどだ。実際、前回の奴もそうだった。それができるのが自分の優れた部分である。

 いや、それでは駄目だ。エドガーは思考をリセットする。味方を当てにできる状況を得られるのであればそれはそもそも戦術的に優位だと言うことだ。前回のような状況では単独で抑える必要がある。で、あるならば自身に優位性を付与するしかない。

 機体はその一つであろう。RVF15とALIOSの組み合わせは現時点で運用されている戦術機動兵器の最適解であるが、まだポテンシャルを引き出す余地がある。エドガーはあまり気に入っていなかったALIOSへの理解を高めることをはじめていた。自分だけでなく、他の機体も分析してエドガーはシステムへの理解を深め、自分にできること、システムにできること、自分がやるべきこと、やらなくていいことを洗い出した。

 そしてALIOSとの親和性を高めるために自らの操縦と思考を改めた。自身の思考リソースの一部をALIOS側に依存するようにし、より自分の操縦に集中できるように最適化したのである。

 そこから新たにシステム側の改善点が見いだせた。これをエドガーは報告書としてまとめ上げる。

 座学に関しては落第スレスレのエドガーである。彼はそれを単に興味がないからと言って、大体がそうであるように言い訳と取られていたのであるが、実はそれが真実であることをこの機会に証明することになる。後にHVパイロットの教本に多大な影響を与えることになるエドガーリポートはこの時に生まれたものである。

 惜しまれるのはALIOSの開発者であるマサト・リューベックとはもう連絡がつかないことである。いくらエドガーがノウハウを高めてもそれが反映されるのは随分と先の話になる。あの得体の知れない少年。マサトと話ができれば段飛ばしで話を進めることもできたかもしれないのだが。


 風潮や雰囲気は状況に作用する。連合軍が陥っているパラノイアがそうであるように今では旅団の評判と雰囲気は特殊な場を作り上げ、一人一人の兵士たちの意識にまで影響を及ぼしている。

 その中心となっているのはエノー支隊だった。いまやエノー支隊は名ばかりの部隊ではない。世間での評判に相応しいとまでは言わないまでも少なくとも旅団、つまり仲間内ではその能力が認められている。そして我らが指揮官ルビエール・エノーもその特異なアイコンから生じるハンデを乗り越えて実力を認められた。ギャップ効果であろうか。これまで理解しがたいと思われていたノーブルブラッドの世間評とのズレは却って旅団の者たちに親近感を抱かせる効果を伴った。プロパガンダによって勝手に作られたエノー像とは異なる生身のエノーを間近で観察する旅団の者達とってルビエールは「俺たちのエノー」となりつつあり、当初はお客様の意をもっていた「姫」という呼称も今では愛称として密やかに根付いている(もちろんルビエールはこの呼び名を好まなかったが)。

 しかしこれは良いことばかりではない。ロバート・コールは後にそう振り返ることになるのだがその時点では熟練の彼ですらその状況を歓迎していた。もちろん、全ての人間がそうだったわけではない。ことにその状況を気に入らなかったのは支隊参謀リーゼ・ディヴリィその人だった。軍の備品とルビエールに評されるその女は軍の規格からの逸脱甚だしい旅団と支隊に対していい感情を持っておらず、したがってルビエールをどんどん特別視していく状況に対しても懸念を示していた。

 しかし、旅団、支隊ではそれが鑑みられることはほとんどなかった。実績による信頼関係構築を基礎としている第11旅団ではリーゼの理屈に居場所はない。これで旅団のモラルが崩壊しているならまだリーゼの言い分は成り立つ。しかし旅団司令ハミルによる統率は今のところ完璧に機能している。旅団は規律を軽視しがちだがモラルはむしろ高い。これもリーゼの肩身を狭くしていた。いまやリーゼは堅苦しい規律ババアとなっており、ただでさえ嫌われ役の彼女は旅団では敬意すら抱かれない。

 そのような状況でも個人感情を態度や口調に見せることのないリーゼではあるが支隊内ではソープと同様に孤立しつつあり、その相手はもっぱらコールの役割となっていた。

「コール少佐はハミル司令をどう思っておいでですか?」

 主要人員のほとんどがアルマス曹長の祝賀に繰り出して閑散としているCICでリーゼは藪から棒に問うた。

 何気ない会話のつもりなのであろうが普段のリーゼであればあり得ない不明瞭な問いにコールは苦笑を隠すのに苦労した。

「どう、とはらしくもない質問ですな」

 指摘をされたリーゼは少したじろいでからため息をついた。

「ハミル司令は麾下の部隊を好きにさせ過ぎではないかと」

「その部隊とは、我らがエノー支隊のことですな」

 リーゼは固まったがしばらくすると観念して認めた。

「今のところ上手く回っていることは確かです。しかし結果論で部隊を動かしていてはいざという時に致命的に部隊が瓦解することもあり得ます」

 その通りだ。コールは内心では認める。ただしリーゼの言い分は特定の規格の内側において確立された理屈に過ぎず、あまねく全てに適応される完全不滅の理論ではない。もっと簡単に言うなら常識論でしかなく、そして第11旅団とエノー支隊は規格の外側にある。つまるところ非常識な部隊なのである。常識に当てはめてもしょうがないところがある。

 しかしリーゼはいまだ第11旅団、そしてエノー支隊にその常識を求めている。規格の内にあるべきと。

 今回の祝賀に関してもリーゼはいい感情を持っていない。私的な祝い事ならリーゼも目くじらを立てることはないがルビエールはその祝賀を公的な授与式に転用してしまった。勲章の授与は本来なら支隊の原隊にあたる旅団が取り仕切るのが習わしである。これは孤立しがちな現場部隊が本来の軍隊組織の繋がりを意識する上でも重要な儀式である。自分たちがどこの何と繋がっているかは兵が兵足りえる上で重要な要素となる。

 しかしルビエールは支隊を独立した組織にしようとしている。これは言い換えれば上位組織を蔑ろにすることと同じ。この性質はやがて末端にも伝染するだろう。

 何より理解しがたいのはこの支隊の傾向を旅団司令のハミルが許容していることだった。第11旅団にはその直上たる司令系統が存在しないためハミルが放任することで支隊は誰からの抑圧もなく好き放題になっている。

「上層部が放任すればその下はまとまらず、やがて崩壊することは必定でしょう」

 リーゼにはしては不穏当なその発言にはコールも唸る。リーゼが抱いているのは懸念ではなく、危機感のようだ。

 それも解らないではない。その手の事例をこの女は熟知しているだろうからコールが何を言ってもこの危機感は晴れないだろう。とはいえそれでコールは同調する気にはならなかった。

 支隊はルビエールと彼女を支えるスタッフたちによって統制され、上手く回っている。例え歯車が歪であったとしても上手く嚙み合いさえすれば組織は回るものである。そういった環境は歪な才能を持つ者たちにとっては代え難いものであり、それが忠義となってより結束した組織へとつながる。

 リーゼの役割に関してはコールも認める。ただし、それも時と場合、そして何より環境による。軍隊のルールを学校に持って行ってもしょうがないのと同じように秩序の維持方法には向き不向きというものがある。気の毒だがリーゼは旅団、そして支隊に合っていないのだ。これに関してはリーゼが悪い、というよりは旅団がおかしいのであるが、だからといって今さら支隊の方針を変えるリスクが彼らにとって何の利益を生むというのか。

 他所から見て奇異な形ではあったとしても内部の人間にとってはベストな環境。これに危うさがないかと言われればコールも否と言うしかないが、さりとてこの複雑怪奇で奇跡的な嚙み合わせを都合よく修正できるわけがない。下手に外部の者が弄れば破綻させる可能性が高いだろう。

 心苦しいところだがコールですら旅団の方針はこのままでいいと思っている。ベストではないがベター。それがコールの結論だった。だいぶルビエールを贔屓しての結論だったので口にはしないが。

 これまでルビエールはその特殊な出自故に正当な評価を受けることがなかったが旅団はルビエールを指揮官として正当に捉えている。方々でお客様扱いであったルビエールにとって今や旅団はホームなのだ。これはルビエールの集めた人材たちにも言える。

 そしてそのような場を作り、許容したのはアントン・ハミルだった。彼に対するコールの心証は悪くなり様がなかった。

「誤解を恐れずに言うならエノー中佐は指揮官としては個性が強い。規格に対して柔軟に過ぎて使う者からすれば扱い難いと感じることもあるでしょう」

 実際、ルビエールの戦術眼とそこから導き出される手段が困惑を生んだ例は一度や二度のことでなく、コール自身もそのように感じたことがある。従う方であればそれでも結果さえ出してくれれば問題ないだろう。しかし従える方となればそう寛容ではいられない。

 予測不能なことを仕出かす部下を許容するには軍隊という組織は規範が多すぎる。これらの規範は何も組織を自縄自縛するためにあるのでなく、維持するために存在する。規範とは組織を維持するための欠くべからざる構造材なのである。ゆえにその構造材を脅かしかねない個性を忌み嫌う指揮官は少なくない。むしろ多数派であり、真っ当だろう。

「しかし、ハミル大佐は組織を規格でなく、実績から組み立てる方法を目指しているようです。そのためのピースとして支隊の個性を最大限に活用した」

 ハミルは堅物という人物評に反して組織運営のやり方が他の指揮官とは異なる。彼は旅団という組織の構造材に「勝利」という支柱を据えた。この支柱は支隊によって支えられていることは誰の眼にも明らかでこれによってエノー支隊という個性は旅団の個性として完全に立場を得た。それと同時に支隊を員数外・規格外という立場にも留め置いたままにしている。これによって支隊を例外として特別視することに違和感を抱かせないことにも成功しているのである。

 全く見事である。コールは感嘆する。これほどの指揮官に巡り合うなど幸運以外の捉え方があるだろうか。

「型破りな方法であることは間違いありませんが、しかし旅団、そして支隊とは結局のところ、大佐と中佐のやり方ありきの部隊であると私は考えます」

「なるほど。勉強になります」

 やはりお気に召さないらしい。リーゼの言葉に潜む不満をコールは見逃さなかった。元々が士官候補生に規格を叩き込む役割の女である。支隊における役割も軍規から見た一般論、基本原則の提示にある。そもそもリーゼのような役割が必要とされるのは旅団、支隊のような規格外を生まないことにもある。しかし支隊、それどころか旅団もこの基本原則を軽視してその規格外の道を邁進している。リーゼのような人種から見ればこれは背信行為に近いものがあるのかもしれない。

 態度には出さないながらコールは心の中で肩を竦めてこの心証を脳裏にピン止めしておくことにした。内側から見た姿と外側からの姿は違う。言い換えればリーゼからみた旅団こそ一般的な軍人から見た旅団の姿なのだ。リーゼの見方は決して虚像ではない。内側から見たものにとっては理のある采配であっても外側からそれを理解できるわけではない。心得ておかねばならないだろう。


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