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13/2「スペクター」

13/2「スペクター」

 310年5月フランクリンベルトの鼻先で楔の役割を持っていたピレネーが効力を発揮する時が来た。エコーズ宙域から撤退したボルトン兵団の帰還である。

 ボルトン兵団はそれほどダメージを負っているわけでもないが物資的には余裕のある状態ではない。後の活動を鑑みても補給拠点はフランクリンベルト以外を置いて他になかった。不気味な沈黙を続けていたピレネーもボルトン兵団が近づくと旺盛な偵察活動を始めた。

 戦闘になることは避けられない。フランクリンベルトに駐留するカルタゴとボルトンは明白な事実に対処するために連携を余儀なくされた。

「どうも片付いてなくて面目ありません」

 フランクリンベルトの事実上の司令官となっていたカルタゴはここに至るまでピレネーに対して有効な手立てを立てることができず事実上放置していることを恥じたが状況確認を済ませていたボルトンも有効な策を思いつくことはできなかった。

「単純に潰せばいいだけならやりようもあるだろうが、ダメージなしとなるとな」

 ボルトンもカルタゴも共和軍の貴重な攻撃手段である。ここでピレネーと叩き合って共倒れになった場合に総合的に損をするのは共和軍だった。向こうが手出しをしてこない場面で無理くりに仕掛けるのはリスクが高過ぎる。ここは連邦軍に対処してもらいたいところだが基本的に防衛戦が主体となる連邦軍に要塞攻略が無謀な要求なのは明らかだった。ここが共和連邦の層の薄さ、泣き所だった。

「ここまでピレネーは哨戒活動以外に目立った動きは見せていませんが、それは今回のような状況を待っていたからだと推測できます。というよりも、ここで動かなければいよいよ何のためにいるのか理解できなくなります」

 余計な色を見せずに大物だけをピンポイントで狩ろうという魂胆で間違いないだろう。いずれにせよ動いてくることを前提に考えるべきである。

「おれもその考えでいいと思う」

 カルタゴの推測をボルトンは全面的に支持した。このことにカルタゴは内心で意表を突かれた。これより前に自分たちが相手の意図を訝しんだルートをボルトンはすっ飛ばしたのである。

「で、どうする?」

 この投げかけをカルタゴは試されていると解釈して戦術画面を真剣に睨んだ。

「敵の本質的な目標はこちらの動きの抑制。こちらの攻め手を潰すという行為はそのための有効な手段となるでしょう。つまり、僕たちのどちらか、あるいは両方にダメージを与えること。と、なれば敵は強引にでも仕掛けてくるでしょう」

「然り、だな」

 今度もボルトンは頷いてカルタゴの意見を支持する。この妙に素直なボルトンの様子にカルタゴは違和感を覚え、首を捻りたくなった。

「当然ですが、相手はボルトン兵団の帰還を見逃さずに仕掛けてくるでしょう」

「だろうな。それで俺が聞きたいのは、フランクリンベルトを預かる司令官としてその機会を活かすのかどうか?ということだ」

 敵は打って出てくる。この明白な展開を逆手にとって相手に打撃を与える手段ももちろんある。しかしこの方針にはボルトンの協力と相手を上回る機略、相応のコストを必要とする。カルタゴは乗り気にはならなかった。

「その必要は、ないと思います」

 慎重に過ぎるか?カルタゴは伺うように口にしたがボルトンの表情は何の色も持っていなかった。

「解った。ならばこちらも帰還することだけを第一に考えよう。向こうの相手をする必要はなかろう」

 ボルトンははっきりと結論を提示した。

「徹底的に無視する」

 この人はこんなシンプルな考え方をする人だったか?カルタゴが訝しむのはボルトンが政治屋であるという前提からだった。

「了解しました。補給の態勢は既に整えていますが、それでボルトン兵団はその後どうするおつもりですか?」

 負けて帰ってきたのだ。ボルトンは汚名返上のためすぐにでも動こうとするだろうとカルタゴは予測していた。しかし今度もボルトンはそれを裏切った。彼はバツ悪そうに頭を掻いた。

「実のところ、まだ何も決まってない。上からの指示も今んところないから、さてはてどうしたもんだかな」

 カルタゴはこの告白に呆れるべきか悩んだ。ボルトンは作戦部に放任されているようだった。フランクリンベルトの防御を任されている自分とあまりに対応が違う。もっともこれはエレファンタ然りの話で作戦部は各兵団によって対応が異なる。カルタゴに裁量が任されていないのは若輩であることも含めて信頼されていないだけかもしれなかった。

 しかしこれでフランクリンベルトは2個兵団と連邦軍の守備隊を抱えなければならないことになる。非協力的な市民たちを抱えながらそれだけの部隊の兵站を維持するのはさすがに負担になる。一方で動ける2個兵団の戦力があることにもなる。これだけの戦力がある状況はこの先来ないだろう。

 で、あるならやはりピレネーを攻略すべきなのでは?

「ピレネーを攻略する気は?」

 解りやすい手柄のはずだったがボルトンは乗り気な反応は見せず、むしろそんなことを言いだすカルタゴを訝しんだ。

「らしくないじゃないか。相手はこっちが動かなければ動いてこないんだろう」

 らしくない、と言われてカルタゴは憮然とした。そしてここにきてようやくボルトンが自分の知るボルトンとは違う、もしくは変わろうとしていると思い始めた。彼は自分の役割に集中しているようだ。その有り様はカルタゴ自身に近い。

 カルタゴは偏見に縛られていた自分が恥ずかしくなった。エレファンタ辺りなら自意識過剰と冷ややかに評するだろうが。

「連中の目的はそこにあることそれ自体。自分たちを錨にしてこちらを制約しているわけだ。この前提が正しければ連中に戦況を動かす気はないということになる」

 これまであくまで推測とされたことをボルトンははっきりと断言した。そうすることでボルトンはカルタゴが発見できなかった要点に辿り着く。

「連中は戦略的には役割を果たしている。言い方を変えれば既に死んでいるということだ。ここから導き出される考え方でこちらにとって重要なことは、連中がフランクリンベルトにはまるで興味がないってことだろう」

 この指摘にカルタゴはハッとした。敵の目標とカルタゴの目標には致命的な差異があるのである。カルタゴの目的はフランクリンベルトの防衛。しかしピレネーにはフランクリンベルトを攻める気がまるでない。全くかみ合わないのである。これを意識していなかったらカルタゴは重大な隙を見せていたかもしれない。

「そして言うまでもなく、俺たちの目的も連中との戦いにはない。幽霊と戦ってもこっちが損をするだけだ。幽霊を避けつつ、出し抜く方法を考える必要はあるが、とりあえず現状の結論は無視だ」

 ボルトンに確言されたことでカルタゴは自分の方針に確信を抱くことができた。もっともそれはピレネーを相手に我慢に徹するしかないという甚だ不服な結論だった。それは憮然とした表情に出た。その様子にボルトンは快活に笑う。

「どうやら俺もお前さんも脇役にならざるえんようだ。癪な話だがここからはサンティアゴとエレファンタが何とかするさ」

 全く持って癪な話である。カルタゴには嫌味のように聞こえたが実際にこの状況を何とかするのは自分には無理だ。できるとしたらやはりあの2人しかいないだろう。

「解りました。こちらも出撃してそちらの撤退を支援します。あくまで、撤退のために」

「頼んだ。醜態晒しての帰還で格好はつかんが、今は粛々と為すべきことを、だ」

 皮肉な話だ。ついこの前まで不純な動機で動いていた男に純粋さを説かれることになるとは。

 ボルトンとの折衝を終えたカルタゴは副官のバルデスにフランクリンベルトから進発してボルトン兵団の帰還を援護する旨を伝える。この点に関して特に議論すべき余地はないと思っていたカルタゴだったがバルデスは思ってもいない言葉を口にした。

「人が好すぎるように思いますが」

 そう言われてカルタゴは思わず怯んだ。バルデスはボルトンをいまだ信用していない。むしろカルタゴを利用するための駆け引きをしているのではないかと考えているようだった。この考えは悲観論を提示する彼女の役割とは異なる純然たる疑念だった。

 確かにその可能性もある。そのことを考えもせずにいたことにカルタゴは自身の迂闊さを感じる一方で味方をそこまで疑心で見ることに抵抗も覚える。

 あのボルトンの変化が自分を陥れるためのものだとは思いたくはない。そうは言ってもバルデスの懸念も解らないではない。カルタゴはボルトンへの対応において常にブレーキに足をかけておくことを部下たちから求められ、これを受け入れるしかなかった。それはボルトンのこれまでの自業によるものだった。

「気を付けておきます」

 本来、カルタゴは政治的な将校ではない。むしろそう言ったことに振り回される側の人間である。しかしそれゆえに彼も全くの純粋さでボルトンを見ることができなかった。彼も自身の兵団を預かる身。願望だけで判断することは許されないのである。



 連合側で言うところのボブの帰還作戦による最初の大規模戦闘はフランクリンベルトに帰還しようとするボルトン兵団とそれを援護するカルタゴ兵団との間で起こった。ただしこの戦いは連合側のやる気だけが空回る結果となる。

 ボルトン兵団はピレネーを無視するかのようにフランクリンベルトへの道を突き進む。これに対応してカルタゴ兵団も出撃。作戦司令のMはピレネーの機動要塞という利点を押し出して大胆にも両兵団の間にピレネーを曝け出して殴り合い上等の構えを見せた。こちらの出血を覚悟しながらも相手にさらなる大出血を狙おうというのである。

 カルタゴは予測以上の馬鹿正直な挑発に思わず苦笑した。しかし、何もできなかった。この戦いは「戦ったら負け」である。ピレネーの戦力は戦略的には既に死んでいる状態であり、削り合った分だけ火星側が不利になる。カルタゴにもボルトンにも他にやるべきことがあり、ゾンビと戦う意味はない。2人はそれを部下たちに念押しした。

 ボルトン兵団は連合側の明け透けな誘いには一切応じず、ピレネーから出撃してきた艦隊の攻撃をいなしながら一貫してカルタゴとの合流を優先。カルタゴも連合側の隙をつくような動きはせずにボルトン兵団の移動を援護するように艦隊を展開して壁を作る。連合側は戦う気が満々であるのに対して共和軍側の2兵団は戦うことを徹底的に拒否した。

 少しの損害を出しながらボルトン兵団はフランクリンベルトの防衛ラインに滑り込み、連合側も撤収。第一次ピレネーの戦いは呆気なく幕を閉じた。損失比では連合側に分があるが目的を完遂したのは共和軍側だった。

「援護感謝する。久しぶりに将兵を艦外で休ませてやれそうだ。しばらくは世話になる」

 ボルトンの言葉にカルタゴはどう返したものかと迷った末に苦笑するに留めた。

 ボルトン兵団が宣言通り撤退を優先させたことにカルタゴは僅かな満足を得た。しかしこの一件だけで彼を信用することをバルデスは認めないだろう。彼女だけではない。この戦いの最中でカルタゴ兵団の幕僚たちの多くがボルトン兵団の殊勝さに首を傾げていた。やはりこれまでのボルトンの動きは彼らの認識に影を落としている。

 カルタゴはボルトンとの連携を深めるべきなのか、それとも距離を置くべきかを迷い続けることになる。


 一方でボルトンもカルタゴが自分の対応に苦慮していることを察していた。とはいえ、今は口でどうこうできる段階ではない。まずは兵たちを休ませることができることを良しとせねばならなかった。ここで体勢を整え、心機一転としたい。

「敵はこの戦いも利用するかもしれませんな」

 フランクリンベルトへ逃げおおせたボルトンらに冷や水をかけるようなことをいう人間があった。兵団参謀のコワルスキー大佐は先の敗戦を主導した「あのヴィンセント」とは折り合いの悪い立場であると同時に戦闘指揮の面で非凡な才を持つことから政治屋幕僚たちの中では相対的に立場の低下を小さく抑えていた。ただし兵団の現時点での風潮の中では彼の肩身は狭く、そのことへの不満が口を滑らせたようだった。

 コワルスキーの言う通り、戦わずして逃げることを優先したボルトン兵団はさらに評判を落とすかもしれない。ボルトンも考えなかったわけではない。しかしボルトンはもはやそんなことを気にする必要はないと開き直っていた。

「それが何か問題か?」

「いや、これは失敬。ただそう思ったというだけで、他意はありません」

 ボルトンは苦笑するだけでその話は打ち切った。彼自身この話は身につまされるところがあるのである。しかしこのやり取りは他の幕僚たちにこれからの兵団の有り様を示し、塗り替える一歩となるのである。


 ボルトンにとって幸いというべきなのか。Mはこの戦いをそのように宣伝することはなかった。Mの意識は全く別の方向を向いている。

「可愛げのないこと」

 ピレネーのCICでMは不満げに爪を噛んだ。血の気の多いワシントンの連中を宥めすかしてようやく訪れた最初の機会が消化不良に終わってしまった。この作戦は兵士の士気を保つことに細心の注意を要する。ゆえに緒戦は重要だった。

「もとより長丁場のご覚悟では?たかだかワンテイクで情勢が変わるわけでもないでしょう」

 ピレネー副指令の座につくコルネウはさほど落胆はしていない。堅実派のボルトン、慎重派のカルタゴ。この組み合わせではどう転がしても積極策にはなりようがないだろう。Mはここ最近のボルトンの動きから欲をかく方に分を見たようだがあれは本来のボルトンの動きとは言えない。この動きこそ本来のボルトンの姿と見るべきだ。エコーズ宙域での不名誉な敗戦、撤退で彼はあるべき姿に戻ったのだ。もっとも、これはコルネウらにとって朗報とは言えない点である。

「これで相手の方針は確認できました。相手はこちらを可能な限り無視する腹積もりでしょう。困ったことではありますがね。であるならば、こちらもやりようを改める必要があるでしょう」

「ゲリラ戦ね」

「あちらが取らないのですから主導権はこちらにあります。やり過ぎない程度に仕掛けていってもいいでしょう」

 それでガス抜きにはなるだろう。もっともMたち指揮側はカウンターを貰わないよう注意が必要となる。こちらは盤面的には亡霊ではあるがそれを演じているのは生きている人間である。役割を果たせていると思えるうちは戦える。そうでないなら焦りや不安がピレネーを冒すだろう。この戦いにおけるMらは抱える戦力の士気を保つことに細心の注意を払い続けることになる。

 こちらを無視して撤退していく両兵団を睨みながらMは再び爪を噛む。

 若僧相手にこちらが動き回る羽目になるか。このような展開はMの趣向には合わなかったが血の気の多い若い連中を抑えつけるためにはそれしかない。

「クレイブンに何か考えさせて、使うのは主にワシントンの連中よ」

 この指示にコルネウは苦笑した。クレイブンはロンドンの中では若手の幹部でワシントンの連中との折衝役になっている。過分の抜擢と言えるがつまるところロンドンの主力どころを使いたくないということだろう。

「まぁ。本人は喜ぶでしょうがね」

 半ば嫌味のような言葉で応じるコルネウに聞こえぬ振りをしてMは自分の持つ手札の使いどころを計算し続けている。

「そろそろこちらの話をしてよろしいですか?」

 話が一段落したと判断したのか情報参謀のビアスが口を開いた。ビアスはMに言っているつもりだったし、コルネウもそう思っていたがMは無視したので止む無くコルネウが続きを促した。ビアスは肩を竦めると要件を言った。

「そろそろ本営に報告をしたいんですがね。どう言います?」

 なんだそんなことかとコルネウは思ったがビアスには重要な仕事である。不敬な考えだったとコルネウは思ったが態度には出なかった。

「いつも通り、適当でいいだろう」

「いつも通り、適当、ね」

 このコルネウの態度に対するビアスの態度も似たようなものだった。元々ビアスの態度は慇懃無礼がデフォルトなのでコルネウも気にしない。

「じゃ、お下知の通りに。責任だけ取ってくださいね」

「責任ね。はいはい」

 どうせきっちりやるくせに。ビアスは民間保険会社のオペレーター(この場合、調査員の意)出身という異色の経歴を持っている。Mがロンドンの司令に就任した折にスカウトされて現在の立場についており、ロンドンが触れる情報の分析、そしてその使い道を提案することを主な仕事にしている。

 第二特殊戦略師団、ロンドン師団はビアスのような異色の経歴を持つ人員が多く含まれている。他所の指揮系統との折衝を専門として外交官と通称されるクレイブンも元は警察組織出身のネゴシエーター。大手総合商社で物流を担当していた事務官のロジャースに至っては荒事の経験が全くなく、銃すらまともに扱えない。彼らは正規の士官訓練を受けておらず、名目上は下士官に過ぎないが役割は将校級という完全に軍規を無視した存在だった。

 このような特異な編成が罷り通っているのはMが旧来の英国軍部の勢力を極力排除したために酷い人材欠乏が発生したことに由来する。しがらみを一掃したと言えば聞こえはいいがその実態はロンドン師団の私物化だった。

 それらの特殊な人材を一括で管理しているのがロンドン副指令コルネウだった。彼は正規の軍人である一方でMの忠実な僕である。彼の理念は軍人であることとは無縁だった。Mことモーラ・マッケンジーの野望を助けること。その一点のみがコルネウの有り様である。

 黙考を続けるMの背中を見ながらコルネウの意識は別の方を向いている。

 さてはて、どこまでやればいいものやら。

 この作戦は囮作戦である。勝つか、負けるかが評価を左右するわけではない。どれだけ負けて被害を出しても十分な期間を耐え抜けばよい。ただ、その期間の線引きが難しい。十分でない状態で切り上げるのはもってのほかであるが、想定外に長引く場合もあり得る。連合軍が挽回に手こずり、切り上げ時を見失った場合の対応は考えておかねばならないだろう。

 ここからMのロンドン師団とカルタゴ兵団との長い長い戦いが始まることになる。



 ピレネーでの戦いが始まったことは、即日地球にもたらされた。ついに始まったかと身構えるマリネスクに伝えられたのはたったの一文でしかなかった。

「ピレネー司令部よりの報告です。昨日ピレネーは共和軍ボルトン兵団及びカルタゴ兵団と交戦」

 マリネスクは続きがあると思っていたのでリアクションに間が空いた。

「それだけか?」

 聞き返された士官も何か抜けていたかと思考を一回転してから答えた。

「はい、それだけです。後は戦闘の詳細な報告のみです」

 この間抜けなやり取りにハモンドは苦笑した。

「Mらしい報告じゃないですか。今のところ問題はないってことですよ」

 納得いっているふうではないが他にないのだからしょうがない。マリネスクは報告してきた士官を下がらせると大きくため息をついた。

「ピレネーはどこまで持ちこたえるか」

「何も言ってこないうちは持ちます。Mは持たなそうならそう言います」

 早くも落ち着きをなくしているマリネスクを窘めるようにハモンドは言い聞かせる。ここはMを信用するしかない。今さらフラフラしたところで何の役にも立たないどころか現場とこちらの双方に不信がられるだけだろう。今は信用できるかどうかでなく、信用するしかないのである。これは大前提だった。

「それで、これからどうするね」

 気を取り直したマリネスクの促しにハモンドは唸った。彼にとってオシカの戦いでの勝利は嬉しい誤算であるが、危うい誤算でもあった。ボルトンが撤退したことで共和軍は意味のない場所にあった強力なカードを手札に戻したわけだが、こちらはと言えば使いどころの難しい旅団が手元に戻ってきただけ。本音を言えばいましばらくはエコーズ宙域で時間を使ってもらいたいところだった。

「そうですね。ボルトンがどう動くかが気がかりではありますが、そこばかり気にしていてもしょうがありません。ともかく、今は機運に乗じることを考えましょう」

 地球連合は最悪の状況を脱しつつあった。戦略的にはほとんど変化していないものの第11旅団の活躍が戦略的な勝利のように語られることで民衆は戦況が好転していると錯覚し軍批判も沈静化し始めた。何ともいい加減なものだとマリネスクなどは苦虫を噛み潰すのだが衆愚の性質に振り回されたのだから今度はこちらが利用する番と割り切る。

 第11旅団は期待を上回りすぎた戦果を上げたわけだが、これを余計なことをしてくれたと詰るのは自身の無能を曝け出すようなもの。ここからが仕事のしどころとハモンドは切り替える。

 次の一手を用意せねばならない。この当然の流れに何の準備もしていないハモンドではなかった。

「ハミルは上手くやってくれました。やり過ぎたとも言いますが。ともかくこれで民衆の留飲は下がった。次も似たような手を使うのも悪くはないんですがね。私は強欲なので、先々も見据えて動いておきたいわけです」

 先々か。現状でのマリネスクらの活動は場当たり的なものでしかない。手柄が必要だから、風潮を変える必要があるから、と短期的な課題に対処しているだけだった。戦術的ではあるが戦略的ではない。それだけやっていても後手後手のままである。つまりハモンドは自分たちで状況を作り出す布石を打っておきたいと言っている。

 この手の筋づくりに疎いマリネスクは特に何のリアクションもなく続きを促した。

「で、どうしたい」

「まずは共同軍に対処すべきです」

 そちらで来たか。マリネスクももちろん火星と共同体、そのどちらから対処すべきかを考えていた。どちらかと言えば攻略しやすいのは共同体だろう。しかし共同体はこの戦争において倒すべき相手なのかどうか。対決姿勢こそ見せたもののまとまりには欠け、積極的には動いていない。現在は第5艦隊と統合軍の牽制で封殺ができている状態である。本気で仕掛けるとなれば戦力をさらに割り当てる必要がある。そうなればあちらも本腰を入れてくるだろう。またこれを火星が黙っているはずもない。藪蛇になりかねない、現状のままでもいいのではないか?

 マリネスクの懸念をハモンドは当然であると理解を示したがもう一つの勢力の動向も注視すべきであると諭す。

「長官は月が何を考えていると思いますか?」

「月か」

 忌々し気にマリネスクは口にする。同盟を半ば反故にして沈黙を貫く月の考えなどマリネスクには理解が及ばない。凡そは加担して損をしたくない。もしくはこちらからの見返りを希望しているか。どちらか、あるいは両方だろう。

 マリネスクの考えは地球側の大勢であったがハモンドはそこには含まれていなかった。

「勘違いなさっているようですが、月は同盟相手であって我々の家来ではありません。利害の噛み合わない同盟など意味がありません。そもそも月が地球と同盟を結んでいる理由をお考えください」

 そう言われてマリネスクは思い起こした。元々月は地球の都市の一つでしかなかった。独立するに際してもまともな軍備を持っていなかったため安全保障上、また地球からの警戒を受け流すためにも同盟は必須だった。それが月と地球の同盟の始まり。200年も前の話である。この年月に思いを馳せた時、マリネスクは自身の考えが骨董品であることに気付いた。

「月はもはや従来の同盟など必要としていないということか」

 ハモンドは頷く。

「月は宇宙勢力として既に独り立ちしている。もしくは、独り立ちしようとしている。つまり従来の同盟は月にとっては無益で形骸化しているということです。だから月は動かない。至極当たり前の考え方だと私は思います。これを不当と長官は考えますか?」

 諭されるような物言いにマリネスクは不快感を覚えたが受け取るべき言葉は受け止めた。

「逆説、利害が噛み合いさえすれば月も動く、ということか」

「その通りです。そしてその月にとって邪魔なものが我々の対処すべき相手に含まれています」

「なるほど、それで共同体か」

 月が火星と戦うメリットはない。しかし共同体とであればある。つまりハモンドが提唱しているのは対共同体を主敵とする新たな同盟関係の構築だった。

「月の思惑に乗ってやることになりますが、同じことをこちらもすればいいのです。月が共同体を潰すために地球を巻き込むのなら、その見返りとして火星との戦いに巻き込まれてもらう」

「確かに利害は一致するな」

 しかしこれは完全に政治の領分である。軍人としての領分を越えてこなかったマリネスクには自分がどうこうすべき問題とは考えられなかった。

 いや、違う。

 以前までの彼であればそこで終わっていただろう。しかし、彼は以前の彼ではなかった。

 後ろ向きになりかけた思考をマリネスクはリセットした。

 やるのだ。状況をそのように持っていった上で政治側に働きかければいいだけの話である。問題となるのは。

「政治側の協力者が必要だ」

 マリネスクの言葉はハモンドの意見を受け入れてのものだった。ハモンドは改めてマリネスクの覚悟を悟った。ならば、こちらもそれに応えよう。

 ハモンドも普段なら絶対にしないような提案をする。常道であれば地球連合側の政治家を上げるべきである。しかし外交とは文字通り外側に相手がある。こちらとあちら、そこに線を結ぶ協力者は何もその2点から選ぶ必要はないとハモンドは考えている。

 この提案を受けたマリネスクは絶句し、唸り、考え込み、そして数刻の後に頷いた。


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