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12/6「乱気流」

12/6「乱気流」

 オシカの戦いは一大決戦と呼べるような戦いではない。双方の機動戦力を削り合うだけの戦いであり、戦局にとって特筆するほどの影響はない。しかしルビエール・エノーという異分子の存在によってその本質はねじ曲がって世に伝わることになる。

 第11旅団とエノー支隊が格上のボルトン兵団を翻弄してその価値を証明した戦い。それが後世の評価となる。

 ここまで上手くいくとは。

 勝った側である旅団の戦闘指揮官ボスコフはこの結果を複雑な感情で受け止めていた。戦いは勝利と呼ぶべき形となったのだ。喜ぶべきである。スコアそれ自体に大した意味はないがしかし自分たちよりもはるかに大規模で実績もある部隊を振り回しての勝利は印象的である。さらにその被害は極めて微少ともなればケチのつけようもない。

 そう、だからこそとボスコフは思う。上手く行き過ぎた。ハミル、そしておそらくはルビエール・エノーもこの戦いの性質を熟知しているがゆえに驕るというようなことはないだろうが周りは違う。ボスコフも現場にいるものとして自分たちにとって都合のいい事実だけを抽出して弄ぶ人間たちを快くは思っていないが、この勝利で誰より恩恵を得るのはそういった連中だった。そしてそういった連中の振る舞いの歪を引き受けることになるのは自分たちだろう。確信に近い予測がボスコフを萎えさせる。

 彼の予測通りオシカの戦いは本質を無視されて旅団と支隊のファインプレーとしてもてはやされることになるのだがボスコフにとって複雑なのはならばこれを他の誰でもできたのかと言えばそうではないことである。旅団にしても支隊にしてもこの戦いにおいて特異な資質を証明してしまった。高い機動力、柔軟な運用力、これはエノーのネームバリューなどとは無関係のところにあり、純粋に誇れるものだった。

 この戦いにおける旅団の強みは目的意識を共有できていたことにあった。とにかく「勝ち逃げする」ことを事前に念押しした上で作戦に挑んでおり、それがかなり下のレベルにまで浸透していた。旅団と支隊の連携然り、また支隊のアドリブでの戦術機動もそれがあったからこそ可能だった。そして悔しいことだがこれらいずれの点でも旅団本隊よりも支隊の方が徹底されていた。ルビエールは過大評価されていると考えていたボスコフは遺憾ながらその評価を修正せねばならなかった。

 ボスコフは頭を掻いた。今や旅団の流れは完全にルビエールに傾いてしまっている。かといって迎合するのは本意ではない。別にボスコフはルビエールと反目しているわけでもないが周りにはこれまでのスタンスを見られており、手のひら返しと認識されることになるだろう。

「こういうことを口にすると老害と思われるんだろうなぁ」

「まだ若いおつもりですか」

 独り言のつもりで言った言葉に突っ込みを入れられてボスコフは椅子から転げ落ちそうになった。随分と不敬なその突っ込みは旅団の首席事務官であるマーガレット・ノイマンの言葉だった。

 最初はノイマンがいたことに驚いていたボスコフだが次はノイマンがしゃべりかけてきたことに驚いた。ノイマンはボスコフと同様に長年に渡ってハミルの下で仕事をしてきた旅団の中核メンバーの一人である。しかしこの二人はハミルの信望者である点で共通しているが折り合いの悪い関係だった。かたや前線の指揮を代行する表の女房役であるボスコフと旅団の内助を担うノイマン。40越えのベテランであるボスコフと妙齢ではあるがまだまだ若手のノイマン。もともと仲が良くなりづらい役割だがそんなことは問題ではなく、二人はほとんどあらゆる要素が微妙に似ており、そして致命的に異なるのである。お互いに関わりたくないと思っている、というのがボスコフの認識だった。

「珍しいな、どういう風の吹きまわしだ?」

「別に、書類に不備がありましたので、確認に来ただけです」

 そういうとノイマンは書類を渡してきた。ただの口実なのは見え見えだったが実際に不備はあったのでボスコフは部下の不手際の尻拭いをする羽目になった。

 書類を整えたところでノイマンは雑談を装って話かけてきたがボスコフから見てもそれは下手くそだった。

「中佐は支隊のことをどう認識されていますか」

 ああ、そういうことね。ボスコフは顔に出さずにいようと努力したがそれを成功させたのはノイマンの方だった。お互いに関わりたくない二人だったが今は目的のために腹は探らないことにしたようでノイマンは見なかったことにする。

 しばらくボスコフは先ほどまで考えていたことを整理して口にする。

「こっちが思うよりも連中はできる奴らだ。そこは認めなきゃならん。ただ、そいつが俺たちにとっていいことか、と言えば正直俺はわからん」

 連中が単なる旅団の一部隊であるなら何の問題もない。しかし支隊は余計な要素を抱えており、こちらを引きずり込む疫病神になりかねない。いや、確実になるとボスコフもノイマンも思っている。

 ボスコフらハミル麾下の軍人たちは決して品行方正ではない。しかしそれゆえに自分たちを純軍事的な部隊であるべきと強く律してきた。その統率があってこそハミルらは超実戦的なという評判の下に自分たちのやり方を正当化できたのである。ここに不純物が紛れ込むと旅団は一気に崩壊しかねない。

 と、ここまでがボスコフの個人的な見解となる。しかしノイマンはこれにプラスして別の感情も持っていることをボスコフは解っていた。敢えては触れないが。

「同感です。ソープは自分の都合で支隊を使い過ぎです」

「ソープなぁ」

 旅団参謀兼支隊司令補佐として暗躍するソープの評価は旅団幕僚たちの間では下がる一方の状態だった。ソープは支隊と癒着して手柄と権力を得ている、という論旨である。ただこの主張にボスコフは乗り気にはなれない。旅団は純軍事的な組織ではなかったのか。ソープがどうしようがそれが結果になるなら問題はない、というのがこれまでの旅団のスタンスだったはずだ。それにソープも自分たちと同様にハミルの信望者である。旅団に対して害をなすような考えはない、と言い切れるほどボスコフもソープを信頼できているわけではないので歯切れは悪い。

「あいつはあいつで排除できないなら利用すべきと思ってるんだろうがな」

 その理屈も解らないではない。エノーを排除するなりして解決するのならいいのだが、そもそもエノー本人は支隊の黒幕ではない。むしろその要素に振り回される側なのだ。その黒幕とは旅団の黒幕でもあるマリネスクなのだから支隊の政治要素は排除のしようがない。旅団と支隊は実質的には2つで1つであり、エノー支隊のない旅団に価値はなく、逆もまた然りだった。要するにボスコフらは支隊と何とか折り合いをつけてやっていくしかない。ソープはそれを補助しており、そしてエノーもそれに協力的になっている。自分たちがその障害になってはいけない。

「親父殿がそうしてるんだから俺たちもそうするしかないだろう」

 これがボスコフの結論である。誰あろうハミルがそれを受け入れ、何とかエノーとの折り合いを悪いなりにつけているのだ。自分たちがどうこう言うべきこととは思えない。

 もっとも、この理屈がノイマンには気に入らないだろうな。ボスコフはノイマンの反応を伺ったがどう見ても納得しているようには見えない。ボスコフは椅子を回してノイマンに背中を向けると作業をする振りをした。これ以上ノイマンと話すつもりはなかった。無駄だから。

 実際のところノイマンにとって関心があるのは支隊ではなく、ルビエール・エノー個人でしかないはずだった。ノイマンは自身が軍人である理由をハミルに求めているところがある。それがこの女が戦いを続けるために見つけ出した理念なのであろうがそれこそがボスコフとノイマンの決定的な違いになっていた。

 ボスコフもハミルには心酔しているがそれはハミルと自身の理念が同一線上にあるからである。一方でノイマンは自身の理念をハミルのそれにすり替えている。ゆえにボスコフはノイマンを仲間と認識することができない。これは決定的な差なのだ。

 部屋を出ていくノイマンをボスコフは横目で追い、その姿が見えなくなると肩を竦めた。ノイマンとボスコフ、というよりもノイマンとその他のハミルの仲間たちには異なる点がある。ボスコフらにとってハミルは尊敬と信頼のできる上官であるがノイマンはそれに加えて別の感情が付加される。というよりもその感情こそがノイマンがハミルに付き従う最大の動機になっているとボスコフらは見ている。

 まぁ要するにノイマンは私人としてもハミルの信望者であり、その周囲にルビエールというぽっと出の女が現れたことが面白くないのだ。

 女は怖いわ。

 さすがのボスコフもこればっかりは口にしてはならないと肝に銘じるのだった。


 ボスコフらのように勝利を純粋に喜べない人間は旅団でも支隊でも少数派だったがそのうちの一人にはルビエールも含まれていた。本隊との合流の道中、支隊は咄嗟の機転で兵団を翻弄した自分たちの戦いに手ごたえを感じ沸いていた。一方でルビエールはといえばいつもの不機嫌面を維持していた。

「ボルトンの次の動きを気にしておりますかな?」

 隣に立ったコールが話を振ってきた。ボルトンが逆襲を狙う可能性。当然あるだろう。ルビエールは少し考えてから興味なさげに答える。

「仮に向こうがその気になったところでこっちに付き合う義理はないですね」

「なるほど」

 ルビエールの言わんとするところにコールは苦笑いを浮かべる。もう旅団にボルトン兵団と戦う理由はないのだ。旅団は戦略的な目的を持ってエコーズ宙域にいるわけではない。極端な話、この先この宙域がどうなろうと旅団の預かり知るところではない。

 恐らく旅団は近いうちにエコーズ宙域から離れるように命令されるとルビエールは踏んでいた。マリネスク長官にとってみれば兵団に勝ったという事実だけがあれば充分でこれ以上は蛇足になる。蛇足で済むならまだいい。

「そもそも次は勝てません。今回は運がよかった」

 仮に「次」があるなら旅団はほぼ間違いなく負けるとルビエールは考えていた。今回の戦いは諸々の要因によって相手の行動選択を限定、誘導、阻止することができたが相手はこれに懲りて次は積極的に行動を選択してくるだろう。そうなればそもそもの戦力差が違う。こちらは対応することができず負けないことはできても勝つことはできない。そして今の旅団にとって負けないことは負けることと同義なのである。

 戦うメリットがまるでない。ルビエールがそう考えるならハミルもそう考えるだろう。

「鬼の惑乱ですな」

 コールの言葉にルビエールは深く頷く。ボルトン兵団は自分たちよりも格上だが、今回はたまたま惑っており、それに乗じることができた。兵団は目的意識が最初から最後まで定まらず、状況に右往左往してしまった。上の意向が定まらないことで下の動きももたつき機能しなかった。

 両者ともに臨機応変を旨として戦いに挑んでいたがこの方針は目的が定まっていなければ場当たり的な対応しかできなくなる。これに政治的な要因や戦術的な要因が行動パターンをひどく狭めるバイアスとなって絡みつく。兵団は自縄自縛の状態にあり、臨機応変と言いながらそもそも機を見ることも応じて変じることもできなかったのである。

 この差は戦術レベルの差と認識されることになりルビエール、ハミルの評価を上げ、ボルトンらの評価を著しく下げることになる。世間的には兵団が旅団に一方的に振り回されたと評価されるのである。

 この世間的な評価が容易に見通せるからルビエールは憮然とする。しかし惑っていようが鬼は鬼。これを翻弄したことは支隊と旅団の資質を証明することでもある。ルビエールとしては憮然とさせられる評価ではあるが自分たちのやってきたことの証明でもあり根っこからの否定もし難いという状況だった。

 何よりこの戦いの勝利をもっとも評価・歓迎したのは他ならぬ旅団、そして支隊そのものだった。勝てるはずのない相手を翻弄し、形だけとはいえ勝ってみせたことに手ごたえを感じないものはいない。支隊はルビエール、アディティのもとに縦横に駆け回り、最後には決め手となるペテンを成功させたがこれらの作戦行動は支隊の行動力という裏付け、つまり自分たちの貢献があって成り立っていることも彼らの自信となった。その行動力を編成において準備し、実戦において活かして見せたルビエールへの信頼も一気に厚くなる。そこに冷や水を浴びせることはルビエールもできない。

 若い司令官の憂鬱を老兵は察してはいたがそれよりも考えるべきことがあることを指摘した。

「司令の懸念は私などには及びもつかぬことでありますが、戦いは戦い。勝とうが負けよう苦労は同じです。ひとつ皆を労うべきかと」

 この指摘にルビエールは赤面した。そんな基本的なことを失念して先のことを考えていたことが恥ずかしくなる。コールに感謝しつつ、一方でそういうことに全く気の回らないソープを睨むと当人は悪びれもせずに舌を出した。

 ルビエールは腕を組んでしばらく考えを巡らしてから立ち上がって支隊全体に向けて切り出した。

「あー。諸君。まずは今回の戦い、ご苦労だった。こちらの無理難題を諸君らはよく理解し、遂行してくれた」

 ルビエールは自分が言っている言葉の綾におかしくなった。自分は上からの無理難題に頭を悩ませているが、実は自分も下の者に無理難題を突き付けていることに今さら気づいたのである。

「諸君らに言っておきたいことがある。この先、支隊は上からの様々な我儘に付き合わされることになるだろう。私を含めて支隊は政治的な賜物であり、それに振り回される。この戦いの勝利も言い様に使われることになるだろう」

 誰もが解ってはいたことだがそれが司令官本人の口から出たことにいくらかの人間は動揺した。勝利に水を差すどころか士気を崩壊させかねない言葉である。しかしルビエールはそうなるならなってしまえばいいとすら思っている。これほど上手くいく戦いなどこの先ないだろう。ここら状況は悪くなる。ここで支隊の本質を受け入れられない者はこの先、ついてくるべきではないのだ。

「だが、勝ったのは事実だ。それは誰かに用意されたものではない。自分たちで手に入れたものだ。諸君らはこの戦いを持ってライトスタッフであることを証明した。我々は寄せ集めの新参者だが何はどうあれ、この面子で戦い、生き残らなければならない。不満のある者、異論のある者もいるだろう。しかしこの隊で戦うということは、私に乗るということだ。私は諸君らにこの戦いの勝利ではなく、この部隊の一員であったことを誇れるよう、語れるように今後も努力をしていく。そのために今後も諸君らライトスタッフの力を貸してもらいたい。以上だ」

 ほとんどの兵士は呆気に取られていた。ルビエールの演説は要約すれば「私についてこい」と言っているのだが、そのための道理が非常識でありどう受け止めればいいものか迷わせている。

 これはイージスのCICでも同じだった。異様な雰囲気になることは承知の上だったがルビエールは居たたまれなくなって席を立った。去り際に3人と視線が合う。コールは満足げに頷くが、リーゼは咎めるような表情、そしてソープは天を仰いだ。

 司令官の何か文句があるかと言わんばかりの睨みを受け流してソープは肩を竦める。この流れはソープのシナリオにはなかったが問題はない。むしろこれ以上ないいいタイミングだ。

 ルビエールはこの状況で隊の統率に利害を持ち出してきた。ルビエールは支隊を勝てる部隊にし、兵士に生き残りという利益をもたらすことができると訴えており、その引き換えに団結を要求している。全てがルビエール次第のエノー支隊という特殊過ぎる部隊でなければ成り立たない理屈である。

 勝てばまとまり生き残る。転じて生き残るためにはまとまればよく、そうすれば勝てる。これをルビエールは見せた。同時に支隊の者達に自分たちの為すべきところを示した。勝つのはルビエールの仕事、まとまるのが自分たちの仕事というわけだ。

 さて、支隊の者達はこれをどう受け止めるか。元々若手と頼りないベテランだらけのルビエールに依存した構成である。崇高な理念などより解りやすい利害の方が響くだろう。ここまでを計算に入れているとするならあのお姫様もなかなかに狡猾だ。

 そこまで考えてソープは満足を覚えた。そう、つまりルビエール・エノーは支隊の女王となることを受け入れたのである。

 これで旅団はハミルというキング、エノーというクイーンを擁することになる。本来であれば一つの組織に並び立つ巨星は必要ないのだが旅団は実質的には目的を共有した2つの組織だった。2つの組織を抱える1つの組織。このような歪な組織作りは例がない。

 だからどうしたとソープは思う。要は結果を出せばいいのだ。自然、歯車は噛み合い、回る。組織というものは回ってさえいれば後はどうとでもなるものだ。勝てばまとまり、強くなる。強くなって生き残る。それはハミルの実績からの組織作りに他ならない。ボスコフらに旅団の枠組みからはみ出していると思われているソープだったが彼も彼なりに旅団の有り様に自分なりのやり方で沿っているだけだった。


 オシカの戦いでの勝利をもって第11旅団という部隊は歪な歯車を噛み合わせて回り始めた。この機構は極めて強固であり、そして隙間のないものだった。

 この旅団の活躍にアントン・ハミル大佐とルビエール・エノー中佐の2人の連携を要因として挙げる者も少なくない。オシカの戦いでは旅団と支隊は相手に意図を察知されることを懸念して最初から最後まで相互に連絡を取り合うことがなかった。にも関わらず両隊はお互いの機動からその意図を理解して相互にフォローしあって作戦を完遂するという離れ業をやってのけた。この高度な判断能力を持つ2個の司令官と部隊を抱えるという旅団の特殊性は大きな武器となる。

 旅団参謀フレッド・ソープも旅団の強さの要因として2人の連携を引き合いに出す。ハミルとルビエールは個人としては折り合いの悪い関係ではあったが戦術思想・論理展開には類似した点が多く、言ってみれば阿吽の呼吸によって互いの動きを読み解けた。またこれも双方に共通する美徳として自身の功績に全く執着しない(むしろ嫌悪している)性質も相互連携をより緊密にした。両者共に自分と相手を道具として割り切って効率的な動きに徹することができ、それに何の不満も持たなかったのである。この性質が周知されることはつまりハミルを信頼する旅団の者達のルビエールへの信頼にもつながることになる。


 一方でオシカの戦いで歯車が狂い、故障したのはボルトン兵団である。

 まさに策士策に溺れる、だった。策に踊らされないことを期して戦いに挑みながら実際にはその遥か手前の時点で道を誤っていた。その原因は戦術的なところにはない。

 余計なものを持ち込み過ぎた。兵団の敗因はこれに尽きる。

 何も考えずに戦いさえすればよかったのである。この場合、旅団は早々に戦いを切り上げてしまっただろうが、それに何の問題があろうか。ボルトン達は戦場に余計な理屈を持ち込んでそれに自分で躓いたのである。

 こんなはずではなかった。ボルトンも歯噛みするがそれを他者に転換する愚だけは避けた。ボルトンは自身が最終的な決断者であることを自覚している。愚かしさは同じことであった。

 この戦いでボルトン兵団が負った傷は実質的なダメージとして深くはない。当て逃げをされただけのことでしかなく、兵団規模から見れば損害は軽微。回復もそれほど時間はかからないものだった。そもそも戦略的にほとんど意味のない戦いである。兵団の敗北は本国では大した問題とは見なされず、ただちにボルトンらの評価が落ち込んだわけでもない。世間的にはボルトン兵団そのものはいまだ火星軍の中心的な存在のままだった。

 ただしボルトンら個人が負ったダメージは測り知れなかった。ボルトンらの政党内での立場には重大なダメージとなり、彼らは政治的なライバルである近衛兵団に格好の攻めどころを与えてしまったのである。

 特にフィオナ・ヴィンセント中佐にとっては致命的だった。作戦を中心的に先導したヴィンセントはこの敗北によって政党内での立場だけでなく、兵団内での立場すら失うことになる。

 ヴィンセントに限らず政治的な思考を持っていた幕僚の多くは歪んだ歯車と判断され兵団内での信頼を大きく損なうことになる。これに代わってポートマンら職業軍人たちに兵団主導権が転がるのだがポートマンらは喜べるわけもなかった。唯一、彼らにとって慰めになったのはこの敗北によって一人の軍人が兵団に帰ってきたことくらいであろう。

 皮肉なことにこの敗北がスコット・ボルトンの持っていた堅実さを呼び覚ますことになったのである。政党内のヒエラルキーが決定されてしまったことでボルトンは本来の役割に集中するしかなくなった。ポートマンに言わせれば遅きに失したものだったが後年スコット・ボルトンが受ける「政治家としては二流」との評価はここからの彼の働きが「軍人としては一流」であったことを前提にしたものである。


 旅団本隊と支隊が見事にトンズラをこくことに成功した後、旅団ではちょっとしたエピソードが発生した。

 旅団参謀の一人がオシカの戦いの勝ちに満足することなく即座に次なる一手を提案したのである。これは戦いに負けたボルトン兵団が即座に反撃に打って出ることを予測してのカウンターだった。この作戦は前回のソープの作戦と違って綿密な計算がありボスコフから見ても見事なものだった。実現すれば成功の見込みは高い。とはいえ、もともと無意味な勝利をさらに積み重ねることにボスコフは懐疑的でもあった。この期に及んで欲を出す必要はないのではないか。

 しかし旅団全体はこの勝利で浮ついており、多くの者がこれに賛同した。また支隊が活躍し過ぎたことも本隊の者達を煽る要因になっている。件の参謀がこのような作戦を提案するのも支隊への対抗という気持ちがなかったとは言い切れないだろう。こうなるとボスコフが反対することは逆効果だった。

 ルビエールの方もボスコフとほとんど共通した考えを持っていたのだがボスコフ以上に反対すると反発を招きかねない立場であったことからこの議論には参加しなかった。旅団全体が再戦というムードに流されかねない状態でもハミルは沈黙を貫いた。彼は次の動きを予見しており、その報告はまさに議論の最中にもたらされた。

 ボルトン兵団の撤退。覚醒したボルトンは旅団に付き合わなかった。堅実なる用兵家のタスクリストには旅団への意趣返しという項目は存在しなかったのである。この宙域でのこれ以上の活動は無意味と判断したボルトンはフランクリンベルトに引き上げることを選択。ここにエコーズ宙域での戦いは終息したのである。

 肩透かしを喰わされた参謀は周りをキョロキョロ見渡した後に着席した。敵がいないのだから彼が披露した作戦は全くの無価値となったのである。この渾身の作戦が仮に実現した場合に成功していたのかどうかは神のみぞ知るところである。しかし、ルビエールたちはそんなことに想像を馳せている場合ではなかった。

 これで大した意味を持たないはずだったオシカの戦いにおける勝利は戦局に影響を与える大勝利となってしまったのである。

 局地的には喜べる内容かもしれないがこの情報は連合軍全体にとってかなりの凶報だった。ボルトンの判断は妥当なのである。本来エコーズ宙域と言う大した価値のないエリアで空費されていた戦力が適正な場所に動くことになる。そしてこれによって最前線のピレネーの最初に試練が訪れることになるだろう。

 どうやらオシカの戦いはボルトンの心境に大きな変化を与えたようである。ルビエールの脳裏にはリーズデンの勝利が過っていた。いつかこの勝利が余計なものだったと振り返る羽目にならないといいのだが。


次の更新は5月の予定です

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