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12/5「空中分解」

12/5「空中分解」

 第11旅団対ボルトン兵団の戦いは小競り合いが続き長期化しはじめた。兵団がどっしりと居座る周りを旅団が小突いては支隊が隙を伺うように機動して稀に仕掛けてくる。しかし深追いはしない。それともできないのか。旅団の戦いは兵団に対して攻めあぐねているように見えた。

 事実、旅団にそれ以上の攻め手はなかった。

 旅団参謀兼支隊補佐官であるフレッド・ソープがこの戦いの前に用意した方針は実に無責任なものだった。その内容とは要約すれば「旅団本隊とエノー支隊を完全別個にし、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する」ということである。

 驚くべきか、呆れるべきか。旅団は支隊を分離すると目的と対処だけを共有して具体的な策を用意せずにこの戦いに挑んでいた。用意する必要がない、というのがソープの主張である。

 敵はこちらの策に対応しようとあれこれと考えて勝手に疑心暗鬼になるはずである。こちらの奇策を警戒して積極的に策を行使せずカウンターリアクションに徹するだろう。罠など張らずともよく、一当て二当てを一つ一つものにしていき、積み上げるだけでよい。そのための戦闘力と対応力を旅団と支隊は持ち合わせている。

 つまり旅団は本格的な戦闘ではなく戦端で起こる小競り合いだけでこの戦闘の勝敗を色付けしようとしているのである。少数同士の戦いであれば問題なく勝てるという前提。仮に敵が積極策を取っても一目散に逃げればいいという気楽さを持って旅団は兵団に当たっている。ボルトン兵団の幕僚たちがこれを知れば怒り狂うであろう。

 この作戦は奇術と呼べるようなものではない。言うは易し、行うは難しの典型例、どちらかと言えば机上の空論に属する類のものである。そのような「要求」をされたハミルとルビエールの二人は呆れることも笑うことせずに自らの手駒をどのように動かすか検討に入った。

 つまるところボルトン兵団が待ち望んでいる本命の一撃など存在しないのである。強いて言うならいま繰り広げている小競り合いこそ旅団の本命だった。この小競り合いが本命のための布石であると思わせることこそソープの策となる。実際には兵団側が勝手に思い込んでいるだけと言うべきであったが。

 この作戦は言うだけなら簡単なものだが実行する側への要求はかなり過大である。戦術的には小兵力で大兵力を相手取り続けねばならないのである。相手が急に気持ちを切り替えてきたら破綻しかねない。そうならないために戦術に裏があると思わせるハッタリが必要になる。

 と、なればその役割は自ずとエノー支隊となる。ルビエールは本隊が押しつぶされないようにフォローをしつつ、相手を痛打するつもりがあるような素振りを見せるために兵団の隙を伺い、されど深入りをしないという繊細なかじ取りをしなければならず、支隊にはそのかじ取りを正確に実行する行動力が求められるのである。

 今のところ支隊はこの難しい役回りをほぼ完ぺきに演じていた。しかしこの演技が成功している最大の要因はボルトンたちの願望によるところが大きい。彼らは自分たちのシナリオに捉われており、明後日の方を向いて、くるはずのない支隊の奇襲を待ち望んでいるのである。


 小競り合いが続き過ぎている。幕僚たちのなかで誰より早く気づいたのはポートマンだった。兵団の方針に懐疑的になっていたこともあるが、決め手となったのはデジャブを感じたことだった。彼が会戦前に憂慮していた状況に類似しているのである。小さな被害がいつの間にか積み重なっている。彼が旅団に対処すべきと進言した時と同じ状況になっていると気付いたのである。

 不意にポートマンにだけ敵の勝ち筋が見えた。敵は小競り合いだけで優位を取って逃げるつもりなのだ。しかし、彼はこのことを口にするべきか迷った。

 勝ち逃げされる。この意識がボルトン兵団の幕僚たちには根付いている。もちろんそれはヴィンセントも例外ではない。それどころかヴィンセントこそ勝ち逃げを許してはいけないという志向性を持たせてしまった主犯である。

 いまこのことを口にしても幕僚たちの焦りを助長させるだけである。ポートマンもこの時点では旅団にまだ奥の手がある可能性を完全には排除できていない。ここで幕僚たちに焦りを生じさせることは相手の奥の手にはまってより致命的な事態を招くのではないかと考えたのである。

 このまま負けるならそれはそれでいいのではないか。

 ポートマンの脳裏にそんな邪な思考が過った。戦略的に見れば無意味な戦いである。小競り合いにしては被害が大きくなったがそれでも兵団本体への影響は軽微だ。このまま負けたところで兵団の活動に大きな影響を与えるわけではない。それどころかこのまま敗北すればヴィンセントらの面子は丸つぶれになる。必然、兵団内の主導権はポートマンらに傾くだろう。このまま負ける分にはむしろ自分たちには都合がいい。

 このような思考をポートマンは恥じ入ったがかといって行動は覆らなかった。ヴィンセントら政治屋幕僚たちが持ち込んだ理屈は兵団のあるべき姿を歪め、ポートマンらもそれに付き合うしかなくなってしまった。そして皮肉にもそれがヴィンセントらの足元を掬うことになったのである。


 何度目かの小競り合いを切り上げてエノー支隊はまたしても追い返されたように距離を取る。エノー支隊はアディティの下に末端まで目的意識を共有して完全に統制されている。このような繊細な作戦行動をとることができる部隊は連合どころか全世界を探してもそうはないだろう。

 とはいえ無敵の軍隊など存在しない。通常ならあり得ないペースで前進と後退、戦闘と撤退を小刻みに続けているのである。消耗は少なくはない。

「ソープ、まだか!」

 呼び捨てになっていることにも気づかずルビエールは苛立たし気に投げた。アディティも同じ感情を視線に乗せてソープにぶつける。

 支隊はボルトン兵団との相対位置を変化させ続け、時に攻め入り、また退くことを繰り返している。兵団側は本隊と相対しながらも支隊を誘い込もうとしているのは明らかだった。支隊が用意していると思っている奥の手を全方位に警戒しながら襲い掛かるタイミングを見極めようとしている。支隊はそうなった時に逃げる以外の選択肢を用意していない。これは支隊全員が共有している情報だった。想像を絶する負担が末端にかかり続けている。

 ソープとしてはもう一押し欲しいというのが本音だった。とはいえ、この押しは必須ではないどころかほとんど蛇足に近い。支隊の撃墜数が100に達するか、という見栄えだけの問題だったので口にはできなかった。

 やがて彼は観念したが個人的な理屈で表現を歪めた。

「そこは司令のご判断です」

 ルビエールはこの言い草にカチンと来ていたが今はそんなことを考えている場合ではないと頭から追い出した。

「アディティ、次の一撃で切り上げるぞ。慎重に」

 旅団、支隊にとってはここからが本番である。相手にギリギリまで追撃の判断をさせないように立ち回らねばならない。理想的には次の小競り合いを制したタイミングになるか。相手の判断の早さ次第では痛手を受けることになるだろう。ボルトン兵団ほどであればその可能性は高いがこればかりは仕方がない。

 この時、旅団本隊が大きく動いた。支隊からは遠ざかりながら兵団を挟み撃ちにしようとする動きである。

 ルビエールは一瞬ソープの方を見たが本人は自分に聞くなと言いたげな顔をしており、すぐに思い直した。この手の現場レベルでの判断はソープの得意とするところではないらしい。

 旅団本隊の動きはハミルの独自判断である。一見すれば支隊と連携した新たな戦術行動ととれるだろう。しかしアントン・ハミルという男はここにきて深追いをするような欲張りではないはずである。より大きな打撃よりもより小さい被害を志向するタイプであり、それを散々確認した上で両者はこの戦いに臨んでいる。ルビエールは即座にハミルの意図を察した。

 逃げるつもりだ!

「全艦、転進。すぐに仕掛ける。同時に撤収準備、合図をしたらわき目も振らずに逃げるわよ!」

 仕掛けると同時に逃げるという矛盾した指示にアディティは聞き返すところだった。それにわき目を振らずに逃げる、とは逃げるための算段を得ないということで返って危険性が高い。それを敵の目の前でやるというのか。狂っている、というのがアディティの率直な感想である。

 しかしアディティもルビエールが何の考えもなしにそんなことを言っているわけではないことを信じると即座に自らの仕事にとりかかった。

 ここでこの戦いで初めて支隊と旅団が同時にボルトン兵団に仕掛ける、ように見える状況がきた。

「ついに痺れを切らしたか」

 状況の変化をボルトン兵団が迎えた時の心境はむしろ浮ついていた。彼らは自分たちの忍耐が実を結んだと解釈していたのである。前哨戦は終わり、待ち望んだ展開がここから始まる。

 エノー支隊が一度距離を取ったタイミングで旅団本隊が急激せんと移動を開始し、これに呼応して支隊が転進する。結局のところ旅団のとった攻撃は捻りのない挟撃だった。

 ここがターニングポイントだ。全ての人間がそう考える。ここからが本番。敵の仕掛けを受け止め、カウンターを当てる。実際には旅団の作戦は離脱に移っていながらここに至ってすらボルトンらの思考は明後日を向いていた。一人が目を輝かせながら聞く。

「どちらに対応しますか?」

 旅団本隊の対処に軸足を置くか、それともやはり支隊か。この方針は依然として定まっていなかった。

 ポートマンは眩暈を覚えた。ここにきてまだ獲物の話か?もはや兵団に手柄を選り好みする権利はないことに彼らは気づいていない。旅団の真意をほぼ見抜いていた彼はやるのであればどちらでもいいからとにかく全速で動いてぶつかるしかないと考えている。兵団の向きと彼我の位置関係から言えば旅団本隊の方がいくらか追いすがれる可能性が高い。今なら多少は相手に出血を強いることができるだろう。

 しかし、それを口にする義理はポートマンにはなかった。彼はいまだに浮ついているヴィンセントらに呆れ果てており、ここに至って戦いを続けて被害を出すことに何の意義も見いだせなくなっていたのである。


「CSA準備」

 阿吽の呼吸かハミル、ルビエールはほとんど同時にそう指示した。本来なら小競り合いのコントロールにも有効なその手段はこの瞬間のために温存されてきた。

「撃て!」

 前進を継続しながらのCSAは速力を最初から持ちながら兵団に向けて猪突する。

「来たな」

 ボルトンは待っていたと言わんばかりに呟く。挟撃からのCSA、後の突撃。決まれば華々しく、効果的だっただろう。不自然に温存されていたことからも兵団はこれを想定していた。宙域にどっしりと居座り続けていた兵団本体もCSAにてこれに対応し両者の間でCSA同士が交差した。しかし想定通りだったのはここまでだった。このCSAは通常の反応をしなかった。

「なんだあの爆発は?」

 衝突したミサイルの火球が異常に大きく、また長く輝くのである。一方で威力、つまり衝撃はほとんど観測されない。ただただ派手なだけの火球。兵団のほとんどの人間がその意味を考えて思考が立ち竦んだ。

 新兵器、思ってもいないような奇策。様々な可能性が頭を巡るがその本質は呆れるほど単純だった。そのCSAミサイルは威力を度外視して光量と持続性に振り切った装薬が施されていた。ほとんど花火と言って差し支えないような代物になっていたのである。

 つまるところそのCSAはただの眼眩まし以上でも以下でもなかった。兵団側の人間がその結論に辿り着く前に本隊、支隊は反転を始めていた。

 ヴィンセントはぽかんと状況を眺めていたがやがてその意味に気付いて怒りが湧きあがった。

「攻撃です、すぐに攻撃を!」

 他の者達も自分たちが置かれている状況に気付き始めたが待ち構える態勢からいきなりの方針転換には戸惑い、異論が出る。

「いや、早まるな。これこそ敵の策ではないのかね。焦って状況を崩すなと言ったのは君ではないか」

 そんなことを今言っている場合か。ヴィンセントは相手をせずにボルトンに行動を求める。自分がこの戦いの主役であり、他の意見は必要ない。

「今は話合っている状況ではありません。即時の行動が必要です」

「おい、貴様。中佐風情で何を調子に乗っている」

 この態度は当然受け入れられるものではなかった。大勢が憤激し、ヴィンセントに詰め寄ろうとする。ヴィンセントもヴィンセントで自身の行動に何の疑いもなく、言葉の端を捉えて相手を嘲笑する。

「階級を傘にきたところで妥当性は変わりません。現状で留まっても何の意味もないのが解らないのですか」

「貴様が権威を語るなど烏滸がましいわ」

 口にする言葉の正当性でなく、どの口と肩書が偉いかで争っている。ポートマンを含めて少なくない数の人間が呆れ果てていた。この争いに割って入ってもロクなことにならないのは明白だった。積極的に止めに入る者はおらず、そんなことをしている間も状況は進み続けている。どうするんだ、この状況?止められる人間はもちろん一人しかいない。

「黙れ!」

 一喝して状況を沈めたのはボルトンだった。彼自身、状況に対する確信を得てはいなかったが最終決断者が自身であるという自覚は持っている。彼はともかく決断する。

「追撃だ。迅速に。敵、旅団本隊!」

 散文的ではあるが明確な司令官の指示はともかく兵団を冷静にする効果を持った。元々正面に捉えていた旅団本隊に向けて兵団は前進を強行した。ただし急な指示への対応はバラけ、多くがもたついた。件のCSAの火球の衝撃が各員の意識を奪っていたこともあってその前進も整然とはいかず、他艦に邪魔をされて前に出れない艦もあった。

 思うように前に進まない艦隊に業を煮やしたボルトンはさらに思い切った行動にでる。

「敵は寡兵で尚且つ背後を向けている。噛みつけば崩れるぞ。動けるものだけでいい。とにかく前に進め。動けないものは道を空けろ!」

 陣形を無視した遮二無二の前進。この指示で兵団の中でも航法に優れた艦が抜け出し、旅団本隊に向けて猪突した。戦場は暗礁帯に囲まれており、速力を落とさずに突破できるルートは限られる。彼らが目指すべき場所ははっきりしていた。

「ちっ、なりふり構わんな」

 苦々しく呟いたのは追われる旅団本隊を指揮するボスコフである。艦隊陣形を崩してまで前進するなど艦隊指揮としては下の下である。仮にこれが「釣り」であったなら目も当てられないことになっただろう。しかし忌々しいことに今回の場合は正解だった。旅団本隊は逃げに入っており、これ以上戦うつもりがない。そしてボルトンのプライドを捨てた強攻は旅団本隊の後尾を捉えるだけの勢いを持っていた。

 ボスコフはハミルの方を向いたが寡黙な司令官は何の反応も示さず、方針の維持を表明していた。全てが上手くいくわけではない。最小の犠牲を志向するハミルではあるが、それはあらゆる犠牲を認めないわけではない。


 マズったか?ハミルと逆方向でルビエールは迷いを見せた。

 ほぼ同時に逃げに入った支隊は状況的には無視される形になった。支隊の退き際が良すぎたかもしれない。元々支隊の方が速力に優れているのだが、行動力にも差があった。数が本体よりも少ないこともあって意思伝達の速さ、正確さでも支隊が優れていた。結果、ボルトンに旅団本隊しか狙えない状況を作ってしまった。

「本隊後衛が補足される可能性が高いです。被害としては許容範囲と見れますが」

 アディティが手早く計算して伝える。

 許容範囲内。この言葉がルビエールは気に入らなかった。言っているアディティ自身もそんな表情をしている。

 この時、支隊には時間と猶予がある状態だった。この僅かではあるが手元に残っているコストを活用する手はあるだろうか?

「私たちが早すぎたみたいね。もう一手追加するわよ」

 時間が空いたので寄り道でもするかのような口調で言うとルビエールは手を回した。



 オシカ暗礁帯はドーナツ上に暗礁に囲まれており、戦場となった中心部から脱出するには暗礁帯を慎重に抜けるか数少ない開けたルートのどれかを通るか二択となる。この数少ないルートを旅団と兵団が争う。当然ながら前を行く旅団の方が早い。しかしこのルートは狭く、艦隊がそのまま抜けられるほどのスペースはなかった。陣形を整える必要はどうしてもある。

 ボルトンのなりふり構わない突進がその僅かな隙に届く公算が高くなったとき、この戦い、最後の最後でエノー支隊が決め手となる動きを取った。

「敵支隊、変針!」

 半ば戦場を離脱しかけていた支隊が突如として回頭を始めたのである。それも速度に乗ったままの回頭。その半径は大きく、速度から言っても兵団の側面に再突撃を企図しているように見える。

 ここにきてか。支隊は囮役、そう判断しかけてのこの動きである。さしものボルトン兵団幕僚たちも動揺した。前のめりになって陣形が間延びした兵団が再度態勢を整えるのは難しい。旅団本隊は暗礁帯の狭い回廊に逃げ込みつつあり、そこで反転迎撃されれば容易には撃破できない。そこに支隊からの突撃を受ければまさに兵団にとって痛打となりえる状況になったのである。

「だから言ったんだ。敵の策だと。我々は狭いルートにおびき寄せられたんだ。艦隊も間延びしてこれでは数の利を活かすことができない」

 先ほどヴィンセントに反対した幕僚がヒステリックに非難してくる。彼は悲観心理に染まって冷静さを失っていたが言っていることには理があった。

 ここで幕僚たちはまたしても方針の確認をせねばならなかった。変更した指針を維持するか、当初の方針に回帰するか。

「今さら再回頭しても十分な体勢が取れません。このまま旅団本隊を追撃すべきです。相手がそれでも突撃して来るならそれも結構。乱戦になるならば望むところでしょう」

 勝ち逃げを許してはならない。肉を切らせてでも骨を断つ。支隊の急激で旅団本隊が反転してくるならどちらかが壊滅するまでの殴り合いになるだろう。被害はこちらの方が大きくなるがその場合でも最後に勝つのは間違いなく兵団である。それが叶うならダメージなど無視してもいい。

 しかしこの理屈にはさすがに尻込みするものが多かった。特に直接的に戦闘に関わる指揮官たちは被る実的なダメージが大きすぎる。敗北も同然の勝利。それで得られるものが政治的な面子であるなど釣り合わないと考える。彼らはこの危機的(に見える)状況でついに政治屋幕僚たちに付き合いきれなくなった。

「バカを言わないでいただきたい。そもそも旅団を叩くことにどれほどの価値があるのか。手柄になるにしても兵団が無傷であってこそ初めて意味があるでしょう。後の戦略行動に影響が出るほどのダメージを許容する価値はこの戦いにはありません。体勢を整えて当たるべきです」

 戦術的、戦略的、政治的な視点に致命的な齟齬が発生していた。理解、目的、手段それぞれがバラバラであり、望んでいるものも異なる。優秀であるはずの兵団頭脳は空中分解を始めていた。

 白熱する議論を横目にポートマンは実的な被害をなしにこの戦いを治める策に辿り着いていた。

 この戦い、既に自分たちは負けている。後はどう負けるかの話に過ぎない。ボルトン達もこのことは薄々感づいている。しかしボルトンらはいまだに状況を見誤っている。あまりにも旅団を過大評価し過ぎているのだ。兵団にとって旅団を叩くことはそこまで重要なことではないはずなのだが彼らは負けたくない、逃したくないという一念で旅団に一矢報いようと支払ってはいけない代償までをつぎ込んで負けの体裁を整えようと欲する。

 一方で旅団及び支隊は自分たちの価値と役割を適切に捉えているようだった。兵団とまともに戦って勝てるとは思っていないし、勝つ必要もないと弁えている。そのような者が挑む戦いである。最初から達成可能な目的を据えていて、そして既にそれを達成しているはずだった。つまり旅団はもう兵団に興味がない。

 恐らく支隊は本気で攻撃しようとはしていない。これはこちらを迷わせるための陽動に過ぎないのだ。これを知れば兵団は前進を継続するだろう。ならばポートマンにこれを進言する意味はない。ポートマンには今さら旅団本隊の尻にかじりつくことが有意義なこととは考えられない。これ以上の戦いは無意味だった。奇妙な話だったがポートマンが自らの思惑を叶えようとするなら、その最善の手段は「敵の思惑に乗る」ことに他ならなかったわけである。

「ここまできておめおめと勝ち逃げをされたなどと言えるのか」

 それは貴様らの個人的な事情だろうが。この期に及んで自分たちの都合で戦いを動かそうとする幕僚たちをポートマンは味方とは見なせなくなっていた。あるいは旅団以上に兵団にとって排除すべき相手なのではないかとすら思えてくる。

「我々はとっくに負けています!負けの程度が被害の程度の慰めになるとでも言うのですか!」

 誰かが口走った。ポートマンは白けただけだったが改めて現実を突きつけられたものたちは押し黙る。ポートマンはその輪から抜け出すと自分の席に腰を降ろした。これから起こる醜悪な展開に関わらぬように。見れば同じように何人かが輪から離れていく。いずれも今回の作戦に関わらないようにしていた者たちである。

 しばらくの沈黙の後。それぞれの視線が一人の人間に集約されていった。ここまでの道程を主導した者、ここまで至る迷走のきっかけとなった女。ヴィンセントは顔を歪めて何人かを睨んだ。自分に乗っておきながら直前になってその船を降りた人間たち。彼らはこの失態の責をヴィンセントに求めたのである。いち早く輪から抜け出した者たちに言わせるならば手柄を得ようとしたものが負うべき当然の因果であり、同情に値するような展開ではなかった。

 進退窮まったヴィンセントはついにあるべき場所に責任を正した。それは事実上、投げたと言うべき所業だった。

「司令、ご決断を」


 ボルトンらが判断を迷っている間、兵団の動きは空白になった。支隊が転進したことは全体に伝わっていたがそれにどう対応するかが明示されることなく時間が過ぎる。兵団の中には明瞭なビジョンを持っているものがいなかった。ボルトン自身暗中模索に陥っていたのであるから当然である。これによって兵団全体も疑心暗鬼に陥った。これがエノー支隊であれば現状と目的、その展望がルビエール、アディティのコンビによって明確、かつ簡潔に提示され、浸透していただろう。

 悪いことに前線の指揮官たちの中には兵団の突撃が支隊のこの動きを誘発するためのものと認識しているものもいた。臨機応変と言う時として中途半端とも言える方針が招いた。齟齬である。このような状況では迷わず前進をしていた前衛の動きも当然鈍る。自分たちだけが猪突しても孤立し、返り討ちに合うだけである。方針を失った艦隊は動きを鈍らせ、何をすればいいのか解らなくなった。

 そして兵団上層部が結論を出す前に、新たな展開が飛び込んできた。先ほど支隊の変針を報告した士官が幕僚たちに顔を向けるのであるが、その様子は明らかに尋常ではなかった。

「て、敵支隊。さらに変針」

「何だと?」

 不明瞭な表現を咎められて士官は唇を震わせながら事実を報告した。

「敵支隊、360度回頭して元の軌道に戻りました!」

 これ以上ないほど正確な表現でありながら兵団幕僚たちはその意味を理解するのに時間を要した。

 つまるところ、エノー支隊は逃げる途中でぐるりと円を描いたのである。この機動の初期段階をボルトン兵団は反転と誤認させられたのだ。

 この意味に誰よりも早く気付いたのはボルトン自身だったが既に遅かった。ボルトンはやってはいけないことをやってしまったことに気付いた。

 即座に旅団本隊の追撃再開を指示する。しかし今さらその行為に何の意味があるのか、確信を持つことのできない部隊から迅速性は失われ、この指示に期待通りに対応できた艦は僅かだった。

 追いつくことのできる部隊が僅かであることを知ったボルトンは溜息をつき、まもなく追撃指示を撤回した。

 ここにオシカの戦いは終わりを迎えた。旅団にとっては薄氷を踏むような戦い、兵団にとっては全くの不完全燃焼。この後盛大に喧伝されることになるオシカの戦いは実際には静かに、味気もなく終結したのである。


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