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10/5「スピンオフ」

10/5「スピンオフ」

 月が動いたのは開戦から5か月を過ぎてのことである。火星と協調して地球側コロニーの宙域へ向けて戦力を集結させていた共同軍に対して月統合国は自国コロニー群の防衛を名目に戦力を展開し、共同軍との対決姿勢を見せたのである。

 この動きに首を傾げたものは少なくない。月のこの動きはあくまで自国コロニーの安全保障を名目としており、地球側として大戦への参戦を明言するものではなかった。当然、統合軍の動きを連合軍は把握しておらず共同軍の対応にあたっていた第5艦隊に少なくない混乱を呼んだ。

 とはいえ、それで共同軍に対しては充分な効果を発揮した。月を無視して地球連合と交戦すれば無防備な横腹を月に見せることになる。元々消極的だった共同軍の動きはさらに慎重になった。しかし地球にとってみれば満足のできる対応とは言えなかった。地球は月に対して同盟に基づいた再三の参戦要請を行っていたが月はこれをのらりくらりと引き延ばしていた。その流れがあっての中途半端な対応は地球のみならず火星に対しても不確定のメッセージを発信することになる。つまり月は地球に加担しないのではないか?という予測である。

 この月の態度にもっとも困惑したのは火星だったかもしれない。この動きは月の意思表明であることは確かだったが、その意思を読み解けなかったのである。

「解らんな」

 火星総統サウスバッハは不機嫌そうに溢す。彼の職務から言えば不適当な発言だったがこれを聞いたのは外務大臣ディートリッヒと国防大臣ウェラーの2人だけだった。両者ともにマルスの手の主要党員であってつまり火星を現在支配している者たちの身内での発言だった。

「つまり、これは、月は我々と協調する手も探っている、ということも考えられるのでしょうか」

 ウェラーが総統の疑問を口にするがその歯切れは悪い。彼自身、そんなことは信じていなかった。もっとも有力な考えはディートリッヒの口から語られた。

「私には地球に対する駆け引きに見えますが」

 地球からより大きな見返りを要求するための駆け引きの一環。つまりこの動きは火星など相手にしていない。という見方である。

 ディートリッヒに限らず火星人の多くは月を広義における地球連合の一角と認識している。これは歴史的な認識以前の地政学、また政治・経済的な事実に基づいた考え方である。そもそも月はこれまで火星とはほとんど赤の他人だった。月は常に地球しか見ておらず、今さら火星の顔色を見て動く、などとは思えない。何よりそんなつもりがあるなら多少なりともディートリッヒに接触してくるはずであった。

 ただし、単に地球と月の問題とだけ考えるのは危険だった。月が参戦しないことは火星にとって好材料とは言い切れない。確約でもあるのならともかく、備えを怠るわけにはいかない。もちろんはっきりと参戦されても戦力的に厳しい。

「いっそのこと共同体と月で全面戦争でもしてくれればいいんですがね」

 ウェラーの発言は身内であっても冗談では済まされない話だが、恐ろしいことにディートリッヒとサウスバッハにとっては検討に値する現実的な手段だった。2人はそれぞれその損得の勘定をはじめた。

 確かに旗色がはっきりしないで中立でいられるよりはその方がマシである。それも火星でなく、共同体が相手であればなお都合は良い。火星にしても共同体の日和見姿勢は懸念の一つであるが月と共同体が抜き差しならない状態になればその懸念も間接的に緩和される。これは火星だけでなく、月にとっても最善とは言わぬまでも次善の展開と見做せるかもしれない。

「我々と月で共同体をスケープゴートにする、か」

 サウスバッハの呟きは独り言に近かったがほぼ同じ思考を辿っていたディートリッヒにもシンクロした。

「なるほど。妙案かもしれませんわね」

「共同体を貶めるんですか?」

 この2人の同調に乗れなかったウェラーは狼狽しながら質した。共同体とはようやっと同盟関係を結べたばかりである。火星のそのような動きが知られるところとなれば同面関係はあっさりと崩壊するだろう。

 しかしディートリッヒにはそれは大した問題には思えない。火星にとって共同体は地球にとっての邪魔者でありさえすればいい。既に共同体は地球に仕掛けてしまっているのでこれが覆ることはまずない。今さら平身低頭したところで地球に信用されることはないし、月と全面衝突に持っていくことができれば完全に旗色を固定できる。火星との連携は破綻するだろうが共同体の不安定さを強引に安定させられるわけだ。どちらが火星にとって益になるだろうか。

「共同体には話し相手がいくらでもいますわ」

 ディートリッヒの返事にウェラーは背筋を凍り付かせた。この言葉の意味を正しく理解したウェラーをディートリッヒは内心で見直しつつ補足する。

「もちろん。我々の信用というものもあります。安易に共同体を孤立させるのも考えものです。それに」

 一呼吸置くとディートリッヒはこの件における最大の問題点を提示した。

「月をそこまで信用できるとも思えませんわ」

 サウスバッハも重々しく頷く。この流れに月がどこまで付き合ってくれるかは不透明である。月が利己的に動くとなればその利害は必ず火星と衝突する部分が出てくるはずだった。一時的には協調できても必ず互いの思惑が邪魔になる時がくるのだ。

 基本的な考えは共有したと判断してウェラーは軽く咳払いして話を現実的な対処に移した。

「それで、どうします。月に関してはやはり静観でよろしいですか?」

「無論だ。月とは事を構えないように厳命。共同体にも直接的な支援はしないように」

 現時点で取りうる手段としては消極的ではあったがウェラーには不満はない。この件に関してはディートリッヒの領分であると彼は考えていた。この考えはサウスバッハも共通していた。

「月の思惑を知る必要がある。これまでは不干渉でいたが、この先はそうもいかないだろう。連中が敵か、味方か、色を付けるべき時は遠くない」

 ディートリッヒもこれには賛同する。しかし、その方法は?

「こちらから月とコンタクトを取りますか?」

 サウスバッハは頭を振った。

 火星から月にコンタクトを取る。これはこれまで大戦に不干渉を貫いていた月を巻き込みかねない危険な行為で火星の忌避してきた手段である。地球の知るところになれば地球は激怒して月に立場の表明を行動によって示すべしと迫るだろう。月にとっては大迷惑な行為で、この両国に友好関係など成り立つはずがない。というのがこれまでの考えだった。

 しかしここにきての月の曖昧な立場は火星の想定を揺り動かした。もとより諸々の懸念に目をつぶってまで共同体との同盟を結んだ火星である。毒を喰らわば皿まで、踏み込むことも吝かではない。しかし事は慎重に運ばねばならない。

「月とて一致して動いているはずはない。まずは月の情勢を詳細に洗いだすこと。こちらからコンタクトを取るにしてもそのために適当な人物を探したい」

 大胆な選択肢を選ぶ時には必ずそれに反対する者がいるはずである。その選択を誰が提案し、内部でどう受け取られているのか。賛成する者、反対する者。それを知ることができれば、あるいは火星に有利な交渉を得る手がかりになるだろう。

 ディートリッヒは恭しく礼をし、サウスバッハの判断に賛同と共に敬意を示した。



 火星総統府で疑問として扱われることは当然ながら現場ではより大きな疑問として提示されている。最前線にあってネーデルラント、ロックウェルの両拠点と睨み合いを演じるサンティアゴ兵団にとってみれば決して遠くない位置にある月が参戦するかしないかは死活問題となる。もちろん彼らは月が参戦してくることを想定してはいるのだが、それは考えうる最悪のパターンであり、対策とはつまり逃げる算段でしかない。

「消極的な協力姿勢。月は大戦には可能な限り関わりたくないように動いている、と捉えるのが妥当か。こちらに影響してくる可能性は低そうだが、どう思う?」

「理解不能だな」

 シュバルツに尋ねられたクリーディーは素っ気なく言う。

「解らんか」

「もちろん、推測はできる。ただ、私の考えるべきこととは思えんよ」

 クリーディーは語りたがらない。月の動きが純粋な軍事行動ではないことは疑いない。これは間違いなく月からの政治的なメッセージである。ならばクリーディーの範疇外であるべきだった。受け止め、考えるべき人間は他にいる。

「ならば私の考えを聞いてもらおう」

 クリーディーは露骨に嫌そうな顔をした。これはシュバルツのいつもの方法だった。そうすれば彼が付き合うことを心得ているのだ。

「月はここに至っても尚、時間を稼ごうとしている」

 クリーディーはシュバルツと同じ考えになってしまったことに忌々し気に顔を歪め、しばらくすると観念して口を開いた。

「同感だ。共同体とは対峙するだけ、地球の要求は引き延ばし、我々のことは無視。それが統合軍の基本的な指針だろう。大戦に消極的なだけとは思えん。その最終的な意図は何か。しかし我々がいま考えるべきことを間違えるわけにはいかない」

 なぜ、時間を稼ぐのか。この謎に話が移る前にクリーディーは釘を刺す。

「それもそうだな。で、我々はこのまま睨み合いを続けるだけでいいのかな」

 現状、ネーデルラント、ロックウェルの両拠点は引きこもって積極的に動いていない。サンティアゴ兵団によって抑え込んでいる、と言えば聞こえはいいだろうが敵は虎視眈々と仕掛ける時を待っている、はずであった。

「敵があの有様ではな。まったく、ボルトン閣下もらしくないことをなさる」

 連合軍第6艦隊は周辺宙域の自衛軍を集結させ十分な後詰めを用意した上で打って出てくるつもりだったろう。サンティアゴ側はこれを妨害して第6艦隊に万全ではない状態での決断を迫りたかった。宙域戦であれば勝ちようはあると踏んでいたのである。しかし、この目算はボルトンが思わぬ行動に出たことで前提から崩れかけていた。

 ボルトン兵団は中小コロニーを海賊的に襲撃し始めたのである。これはサンティアゴの根回しによる動きだったがクリーディーらの思惑を外れた想定外のやり方だった。

 クリーディーらの意図としては中小コロニーから移動する戦力をある程度叩いて貰えればよかったのである。それによって第6艦隊に完全な準備を整わせない状態で出撃させることがクリーディーらの狙いだった。ところがボルトンらはコロニーそのものを襲い、一時的な占領まで行っていた。

 これは一応のところ成功している。ボルトンらは占領時に兵団の作戦行動のための資源も回収することでほとんど補給なしで立ち回るという巧妙さで連合宙域を混乱状態に陥れている。しかしこのせいで中小コロニーの自衛軍は引きこもるようになってしまい結果としてネーデルラント、ロックウェルへの戦力結集はほぼ完全に阻害された。

 ボルトンらの立場から言えば上手くやっている。しかしクリーディーらからすれば上手くやり過ぎていた。サンティアゴ兵団は第6艦隊を誘い出したいのである。そのためには自衛軍の動きを完全に封殺してはならない。現状では第6艦隊はサンティアゴとボルトンの2兵団を気にせねばならなくなっている。これでは第6艦隊は動かず、時間だけが経過することになる。

「目算が狂ったな」

 シュバルツはただ事実を述べただけだったがクリーディーには嫌味にしか聞こえない。しかしその感情はシュバルツではなくボルトン兵団に向けられた。

「連中は自分たちを主役と思っている」

 今回のところは堅実に脇役に徹してくれればよかったのである。そうすれば御膳立てはいずれ整ったものを。そこまで考えてからクリーディーは急に自嘲気味に顔を引き攣らせた。

「とはいえ、それを見通せなかったのはこちらの落ち度か」

 ボルトンは堅実さが売り。これはどうやらこちらの思い込みだったようだ。

 このような状況はクリーディーらにとって好ましくはない。戦争は1エリア、1つの宙域だけで行われているわけではない。地球連合には他にも1~5の主力艦隊が存在する。このうちいくつかは共同体の対応や本星防御に当てられるだろうがそれでも無傷の大戦力がまだまだ控えているのである。肝要なのはこれらの戦力にどう対処するかだ。

 今は相手に自由がなく、こちらが好き勝手しているがいざこれらの戦力が動き出せばこちらの選択肢は激減する。その前に備えておくか、さもなくば状況を制さねばならないのである。

 留守の空き家を襲ってそれを勝利と喧伝することに意味はない。襲うだけならともかく制圧するなど愚の骨頂である。ボルトンは領域情勢を膠着させている。かといってそれに文句を言える状態にもない。彼が受けている命令とこちらが受けている命令は異なるのである。

 ボルトンの狙いは政治的な勝利を得ることにある。襲えるコロニーはまだいくらでもある。総統府としても名ばかりの勝利であっても得られるうちは得たいところか。

 しかし地球連合もいつまでもこの状況を許すほど愚かではあるまい。各コロニーの自衛軍は弱小で正規軍が温存されて自衛軍ばかりに被害が出続ければそのヘイトは火星でなく、身内に向けられるだろう。いずれ正規軍は動かざる得なくなる。戦力は向こうの方が上だ。本命とは別の手を打ってくるだろう。つまりこの状況もそう長く維持できない。

 さて、どう動く?自問するクリーディーの言葉は地球・火星双方を主語にしていた。

 連合軍として真っ当な手立ては当然ながら第6艦隊以外の正規軍艦隊を動かすこと、転じて動かせる状況を作ることになるだろう。これを共和軍は許すわけにはいかない。しかしその仕事はクリーディーらのものではない。

「いずれにせよ、ネーデルラントとロックウェルを自由にするわけにはいかん。封殺するためにも我々はここからは動けん」

「やはりそうなるか」

 シュバルツも考えは同じだったが、その結論はあまり愉快なものではない。現状のままなら何とかなるが、現状のままであるはずはないのだ。

「こちらにも援軍が欲しいところだな」

 クリーディーもむっつりと頷く。しかし難しいところだ。もともと火星軍は遠征能力が低い。遠征能力を考慮して編成された共和軍ですら経験不足でカルタゴ兵団もかなり苦労している。ボルトンのように海賊的に資材の略奪を繰り返すにも限界がある。

「連邦軍の戦力を再編して共和軍を拡充する検討も始まっているようだが、果たしていつになることか」

 そもそも戦力が足らないのである。共和軍の主力となる4兵団と近衛兵団を足しても5兵団。地球圏に侵攻するためには不十分だった。今さら共和軍拡充を検討するのも火星が元々そんな気がなかったことを意味している。

 一応、拡充の戦力はある。これまで共同体との備えに編成されていた戦力が同盟によってある程度は浮く。だからといってそれを共和軍に持って行ったところで何の役にも立たないだろう。共和軍に足るだけの練度を持つ部隊は連邦軍には少ない。結局のところ程よい人材をあちらからこちらからと引き抜いて編成することになる。時間がかかるし、引き抜かれる現場もいい迷惑である。

 では、対する地球はどう動くか。地球も共同体との2正面作戦を強制され予備戦力が不足している状況である。地球にはいまだに健在の第1~5艦隊があるが広大な地球連合の支配圏では安易に動かせるものではない。

 皮肉な話だがライザ・エレファンタのやらかしたピレネー破壊と第七艦隊の壊滅が効いている。この2つどちらかだけでも健在なら連合正規軍にとって貴重な予備戦力となってボルトンの対応に宛がわれたはずである。この2つがあったからこそ火星はここまで戦えているのである。

 しかし、そのことが却ってサンティアゴたちを後戻りできない死地にまで進ませてしまっているのではないかとクリーディーは訝しむ。

 まったく、余計なことをしてくれたものだ。



 サンティアゴ兵団の者達が静かな焦燥感を抱き始めたこの時期、ボルトン兵団の者達は自分たちに与えられた役割をこなしていた。

 ボルトン兵団は艦隊を分散して連合領域に浸透して手薄となっている中小コロニーを襲撃して一時的に占領する。この占領の際に必要な物資を徴収することでボルトン兵団は不得手な補給計画の用を減じていた。これが終われば占領を放棄して兵団は撤収する。そして新手の部隊がコロニーに入ったところを再び襲う。これの繰り返しである。

 戦略的に無価値な宙域で占領維持できないコロニーを襲ったところで意味はない。それどころか戦略的に重要なエリアに悪影響を及ぼしているとクリーディーたちには映る。しかしクリーディーらとボルトンらの認識、事情は異なる。

 そもそもボルトンらにサンティアゴの援護をしているという意識はない。彼らは彼らで自分たちの戦いをやっているだけだった。また占領、といっても実際には軍事力をはく奪させているだけで無力化という方が近い。ボルトンらもそのつもりである。実際には本国において勝手に占領と喧伝されているのである。しかしこの過大評価をボルトンらは敢えて訂正することはしなかった。

 要するにボルトン兵団は巧妙な作戦で派手な戦果を労せず得られるというボーナス状態になっていたのである。戦略的に無意味であるかどうかなど二の次でボルトンらは自己の戦いに邁進していた。

 ボルトン兵団の中にも労せずに得られる結果を過大評価されることに眉を顰める幕僚もいないではなかったが大勢ではなかった。ボルトンと共に近衛兵団を目の敵にするほとんどの幕僚たちの意識は別の方向を向いていた。

 同じ時期、火星本国ではボルトン、サンティアゴ、カルタゴの3兵団の戦いが肯定的に報道される中で一つの風潮が生まれはじめていた。

 近衛兵団は何をやっているのか?最強のエリート集団を自負しながら本星でふんぞり返っていないで戦ってはどうなのか?

 この風潮もボルトンらの行動を肯定する形になってしまった。しばらくは懐疑的だった者たちも兵団の雰囲気に呑み込まれ、ボルトンら一部の幕僚たちはらしくもないイケイケ状態になって行動はどんどん活発、大胆になっていった。

 しかし、振り返ればそのことがボルトン兵団本来の持ち味を台無しにしていた。

 この頃のボルトンの動きはこれまでの兵団のドクトリンに抵触するものだった。目先の小さな勝利のために戦力を分散させて各個に中小コロニーを襲うようになったのである。戦力を細切れにして運用することもこれまでのボルトン兵団にはない動きであり、それが現場に少なくない負担を強いていた。

 兵団幕僚たちも経験のない運用方針に意思疎通に小さくはない齟齬を生む。結果的に幕僚たちは基本的な判断においてもボルトンら上位者との確認作業を行わねばならなくなった。それには多大な時間コストを要し、時には適切な判断ができるタイミングを逃すことも起こった。

「ぶら下げられたニンジンに邁進されるとはらしくもない」

 ボルトンの個人的な事情の全ては幕僚たちの知るところではない。最初のうちは白眼視していた側の将校たちで囁かれていた言葉が徐々に兵士たちの間でも散見されるようになっていった。

 兵団幕僚のポートマンはボルトンと兵団との基本的な信頼関係にまで悪影響が及び始めるのを苦虫を潰しながら観測していた。

 後に彼は語る。

 長い時間をかけて作り上げられた兵団の堅実さが不純な目的によってあっさりと塗り替えられていきました。気づいたときに、戻すことは簡単ではありません。不純は組織を軟化させ、純粋さは組織を硬化させます。硬すぎれば破断し、柔すぎれば腐る。どちらがいいというものではなく、ただ匙加減を間違えたのです。



 誰もが自分を主役にした物語を生きている。世界全体が星間大戦を中心にしてうねるこの時期、月の動きを地球と火星が自分たちを中心にして考えてしまうのもやむを得ないところだろう。

 この動きにほくそ笑むのはやはりジェンス社であった。ディニヴァスは両陣営の月からのメッセージの捉え方を自意識過剰と冷笑する。

「なら、お前からはどう見える」

 ソウイチは問いかける。彼からも月の思惑は身の振り方を考えているだけに思える。

「忘れたか?思い出せ。マクスウェルの野望を」

 ソウイチはハッとなって考え込んだ。

 ドミニク・マクスウェル。月統合国初代大統領。第9惑星をして月を地球から独立させた男。その華麗なる無血革命は血みどろの火星革命のどさくさに乗じたものだった。そして今、時勢はそれに近しい状況にある。

「なるほど。あのババアならやりかねんか」

 ルイス・テレーズ。現在の月統合国大統領。ソウイチから見た時、現在の主要4国の中でもっとも盤石な地盤を持っている首長であり、もっとも野心的だ。あの女は軍部を配下にしている。つまり大胆な行動に出るための下地は整えているわけだ。

「どこまでやるつもりだとみる?」

 ソウイチの不明瞭な問いにディニヴァスは即答した。

「ずばり、宇宙覇権」

 ソウイチはしばらく無表情だったがやがて不敵な笑みを見せた。筋が見えた。月は星間大戦を利用してコロニー国家共同体を潰す気なのだ。そうして火星、地球と並び立つ宇宙人となる。

 宇宙覇権。地球と火星の間に広がる暗黒の荒野。この荒野の主導権はコロニー国家共同体、月統合国、WOZ、そしてジェンス社によって分割される。中でももっとも広大な領域を持つのは共同体なのであるがこの国は過去にWOZという格下に大敗を喫してから国としての屋台骨がボロボロなままである。しかし下手にデカブツであるがゆえに完全に打倒するには規模の小さい月やWOZでは難しい状態だった。両国にとって共同体は敵というより障害物に近い。

 ゆえに星間大戦は好機となる。地球を巻き込んで共同体と戦争を起こし、完全に共同体を崩壊させるチャンスがやってきた。テレーズはこの大戦をそう捉えているのだ。なんと大胆な考え方か。二人は感嘆する。

「勝算は?」

 ディニヴァスはじっくり考えを巡らせてから答えた。

「ある。しかし大きな要素が2つある。これをどう処理するかだろう」

 2つ。すぐにソウイチは思い至ってニヤつく。

 1つはWOZ。月とほぼ同じ立場にあり、共同体とは不倶戴天の敵同士。一方でこの国は共同体を敢えて滅ぼそうとはせずに放置しているところがある。地球、火星という大国との緩衝存在として考えているのだろう。つまり月とは微妙に共同体の扱いが異なる。ただし共同体が緩衝材として機能したのは火星との同盟が成立する前までの話だ。状況は変わった。さて、WOZはどう動くか?

 もう1つは言うまでもなくソウイチたち。ジェンス社である。この宇宙で覇権を取りたいのであるなら自分たちを忘れてもらっては困る。

「困るよねぇほんと。道理は弁えて貰わないとオバアチャンは」

 この宇宙は自分たちの道理で動いている。ソウイチの考えは思い上がりではない。月が、いやテレーズがこの宇宙で覇権を得たいと言うならば、自分たちを通して貰わねば。ディニヴァスも強く頷く。

「そうだな。で、どうする?」

 言いながらもソウイチもディニヴァスもテレーズの野望を邪魔だとは思っていない。むしろ歓迎している。共同体は長く生きながらえ過ぎた。図体ばかりデカいだけで動きも半端であり、ジェンス社にとっても度々障害物になる。いっそ消えてもらう方が状況はシンプルになる。WOZもWOZでそういう流れになれば乗ってくる公算が高い。つまり月、WOZ、ジェンスの利害は必ずしも衝突しない。

 月がジェンス社をパートナーとして選ぶのであるならその手を握り返すことも吝かではない。

 逆であるなら、もっと面白い。ソウイチもディニヴァスもテレーズの大胆な行動を面白がっていた。成功するにしても破滅するにしても特大のドラマを見せてくれるのは間違いないだろう。このドラマにジェンス社は裏方ではなく、主要キャストとして振る舞うことになる。

 しかしこのドラマには先の見通しがない。首尾よく共同体を潰した後の展開が全く読めないのだ。まさか月とWOZ、ジェンスで仲良く分割統治ができるわけでもなかろうし、そんなことをあのテレーズが考えているはずもない。

「しばらくは様子を見てやる。ただし、足元でな。こっからは俺たちもアドリブだが、あのババアだけが主役じゃないってことは主張しないとな」

 天空を仰ぎ見る者は往々にして足元が疎かだ。いざ飛び上がろうとして泥濘に這うことになるのか。それを決めるのは自分たちだ。最後の最後でかっさらう。

「失礼します」

 話を遮ったのはディニヴァスの側近であるアユミ・エナレスだった。真剣な表情を見て取った二人は話を打ち切ってエナレスの言葉を待った。

「月統合国より特使が参りました。大統領書簡を持っているとのことです。如何しましょうか」

 2人は顔を見合わせた。ソウイチは苦笑し、ディニヴァスは肩を竦める。さぁ、何が飛び出してくる?

 戦いが始まった。このドラマの主役は月、WOZ、そしてジェンス社の3者によって織り成される。


次の更新は12月を予定しています。

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