11/1「壁の向こう」
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「滅びと新生」
史実のストーリーと映画アニメのストーリーには決定的な違いがある。それは続きだ。歴史ドラマに滅びあり。皆の知る歴史エピソードの大半は文明の崩壊そして続く新たなる世界秩序の新生がエピローグとして連なっているはずだ。我々が歩んでいるこの時代もそれらの滅びと新生の先に存在し、やがてはその一つとなる。
歴史上、長く続いた体制は腐敗するか硬直する。例外はないと言い切ってもいいだろう。流れない水は腐るし、凍る。組織を長く、健全に保つならば新陳代謝を継続すること、そして屋台骨を時代に合わせて入れ替える必要がある。もっとも、それを繰り返した場合にそれを同じ組織と言えるかはまた別の話だが。
滅ぶにしても生まれ変わるにしても、大きなものほど、また長いものほど、その胎動は大きくなる。宇宙開拓歴の末期の激動とはこの代謝の激烈な作用だと私は捉えている。地球連合、月統合国、コロニー国家共同体、火星共和連邦。いずれも同一の時代にあって驚くほど長く体制を保ち、膨れ上がっていた。これだけの大きな社会がほとんど同じ時期に存在していたことは奇跡なのか、それとも必然であったのか。
開拓歴末期の時代の価値観を探っていると多くの人間がこの時代に閉塞感を感じていたようだ。覆しようのない国家枠組み。定義づけも定まらず、終わらせようにも終わらない戦争。
肥大化し過ぎた存在は滅びようもなくブクブクと太り続け、未来を遮る巨大な壁となって人々の眼前に横たわっていた。誰もがいつか来る破滅的な崩壊を予測しながらもその解決を先延ばしにするしかない。人類は緩やかに滅びの道を歩んでいる。少なくない人間がどこかでそう感じていた。それが宇宙開拓歴末期の様相だ。我々はそれを末期だと知っているが、彼らにとっては終わりの見えない時代だったことは念押ししておく。
しかし皆も知っての通り、何事にも終わりはあり、未来永劫長らえるものはない。ノーワンリブズフォーエバー。
宇宙開拓歴の終焉とはつまりこれら巨大な国家体制の終焉。新たな人類価値観の変遷をエピローグにしているわけだ。
私が宇宙開拓歴に魅せられる一つの要因はこの壮大な滅びと新生のドラマにもある。
11/1「壁の向こう」
リターナーから1か月後のことである。諸々の雑事を終えたルビエールは英雄の任務を終えて軍人としての新たな役割を得るためローマにいた。
ローマ師団に属していながらルビエールがローマの地を踏んだのは初めてのことだった。ローマ師団というのは通称であって本当にローマに本営があるわけではないし、ルビエールの家であるエノーはチューリッヒにあってこれまでローマには縁がなかったのである。
「なんとまぁ。タイムスリップでもしたような気分ですね。肉眼でこんな風景を見るとは思っていませんでした」
同じようにローマには初めて訪れたリーゼがその風景にため息をつく。この女もそんな感想を持つのか、と失礼なことを思ったルビエールも実際に考えていることは似たようなものである。
古い、というレベルではもはや片付けようのない石造りの家々を最新の技術で模造し、維持する。一体どれほどの労力がつぎ込まれてきたのだろうか。ルビエールにはまるで無意味に思えるが代々それを受け継いできた者にしか解らない価値というものもあるのだろう。
リーゼの運転する車に揺られて向かった先はローマ師団の司令であり、そして欧州最大軍閥となったマウラの長クリスティアーノ・マウラの邸宅だった。
不思議なものでルビエールとクリスティアーノがまみえることはこれが初めてのことになる。エノーがマウラを頼ったのも前当主の話でクリスティアーノはそれを預かったに過ぎない。ルビエールは何度もその名前を利用しながらその思惑も人となりすら知らないままである。
何とも恐ろしいことやってきたものである。カリートリーは何のことはないと言うがいまや欧州軍閥を代表する勢力となったマウラを名乗って政治的な取引に巻き込んだのである。今まで何の接触もなかったことが不思議だ。
そうしてついにルビエールはクリスティアーノに招かれることになった。招かれたというが出頭させられた、と見ることもできよう。それくらいルビエールは好き勝手に振る舞ってきているのである。会った瞬間に殺されても文句は言えない。マウラのシナリオがある以上はその心配はないとは思うのだが。
邸宅に入ることを許されたのはルビエール一人だけだった。リーゼは招待されてはいないし、その資格があるわけでもない。大人しく引き下がるリーゼに心配ない、と心無い言葉を与えてルビエールは魔王の城に踏み入った、のだが。
なぜか通されたのは邸宅の中庭にあるプールだった。わけがわからないでいると並んでいるビーチチェアの一つに寝転がっている人物が手を振っているのに気が付いた。まさかあれがクリスティアーノなのか。バカな、と思いながらも多分そうなんだろうなぁとルビエールは半ば諦め気味に歩み寄った。
「ごきげんよう。シニョリーナ」
一目見ただけでそのノーブルブラッドを変人だとルビエールは判断した。これまでルビエールが目にしてきたノーブルブラッドはほとんど例外なく一定の気品を有してきた。それは血というよりもそれぞれの家の環境によるところが大きい。しかし目の前の女はどちらかというとエイプリル・カーラ・ジェラルドのようなタイプに近い。野良というか野生というか。オブラートに包まずに言うなら「品がない」のである。これはそのような教育を受けてこなかったのか、受けた上で放棄したのか。いずれにしてもいくら部下が相手であっても水着姿で寝っ転がったまま出迎える礼など聞いたことがない。
「お初にお目にかかります。ルビエール・エノー少佐、参上しました」
形式上の礼儀を果たしたルビエールに対してクリスティアーノの方は何の思巡もなしに座れと手で隣を示した。
まさか同じように寝っ転がるわけにもいかないと思いビーチチェアに腰を降ろした。ルビエールも形式に捉われないタイプの人間に分類されるはずだがここまで酷いものでやっていけるのかと困惑させられる。当の相手は起き上がろうとする気配もなく空を仰ぎ見ている。
「祖父殿を納得させるのに苦労したよ、まったく」
唐突な切り出しではあったがルビエールは何の話かすぐにわかった。ルビエールは地球に帰還してからも実家には何の連絡も入れておらず、また向こうからも連絡はなかったのだが、それはクリスティアーノの方で手が回っていたのだろう。
「祖父は何か言っていましたか」
「そりゃーあまりいい顔はしていなかったが、個人的には何も言ってない」
軍人家系エノーの復興こそ祖父がルビエールに期待した成果だったはずだ。それがマウラに取り込まれていい気分はしないはずだ。もっとも、全く想定していなかったというのも考えずらい。恐らくは祖父にとっては次善の展開くらいの扱いになっているのだろう。いずれにしてもこのタスクはルビエールにとってはどうでもいいものとなっている。こうなってしまったことをルビエールは悪びれるつもりはない。
「まぁあたしが言うのもなんだが君にはいい形だったんじゃないか」
この言い草は的を射ているのかもしれないが僅かな反発をルビエールに生じさせた。それを察してクリスティアーノは初めてルビエールに顔を向けた。
「他人に定義されるのはお嫌いか」
「そういうわけでは」
口ごもるルビエールにクリスティアーノは独特の笑みを浮かべた。
「言われても納得はしかねるだろうが、君と私は似たようなものだ。生まれた時から定義づけされ、役割がある。それに応えられなかったところも含めてな」
クリスティアーノの言葉はまたしてもルビエールの心にささくれを生んだ。そうしたのはそちらではないか。
「応えたかったのか?」
この問いにルビエールは答えられなかった。確かに反発する感情はあった。しかし積極的に捨てるという意思もなかった。そうする機会はいくらでもあったがいざマウラを利用しようとする時までは実行してこなかったのである。だからといって実行するに際してそのことを全く意識しなかったことも不思議な話だった。エノーを復興するということが自分にとってどういう意味を持っていたのか。今となってはルビエールにもよくはわからなかった。
ルビエールの葛藤をどう解釈したのか、クリスティアーノは皮肉に口を歪めると話を続けた。
「もちろん、本人の意思というものもある。退役して花嫁にでもなりたかったのなら遠慮なく言ってくれ。爺様も喜んで相手を物色するだろうさ」
人が人なら卒倒するようなセリフだったが当の本人はそれを苦笑いしながら語る。恐らく、その台詞はクリスティアーノ自身にも当てはまるものだったのではないか。
「その予定もつもりもありませんし、相手は自分で選びます」
「そいつはよかった。君の為に使った時間が無駄になるからな」
うんうんと頷きながらクリスティアーノはルビエールの答えよりはやり取りそのものを楽しんでいるように見える。普段、そのようなやり取りをする相手がいないのかもしれないとぼんやりと考えた。
クリスティアーノの言う通り、2人は境遇的に似ているところがあった。ルビエールには2人の兄がおり、クリスティアーノにも兄が1人いてその下はいない。ノーブルブラッドの常として血統を維持するため、また一族を形成するために子供達には道具、そして同時に政治上の商品としての役割を付与される。特に下の子に関しては予備としてよりも商品としての役割が与えられがちで、伝統的な手法は常にチラつくものだった。
この伝統的な手法から外れて、予備としての出番が巡ってきたのがルビエールとクリスティアーノの2人だった。
不意にクリスティアーノは気恥ずかしそうに笑うと手を振って話を切り替えた。
「まぁこうなってしまったことを話してもしょうがない。英雄として名を上げた君は今となっては女としての使い道も現実的ではなくなった。エノーの爺様としては精々名を上げてもらう他ないということだろう。後は、君の覚悟次第なわけだが」
水を向けられたルビエールは背筋を伸ばした。
「もとより、自分の選択に対する責務は果たすつもりです」
マウラの傘下に入る。ルビエールの宣誓のようなものだったがクリスティアーノは何を考えたのか目を細めてルビエールを観察した。
「そいつは結構。と言いたいところだが、ね。自分で言うのも何だがうちはかなり特殊だ。与えられた仕事を黙々とこなしていればいいってもんではない。ある時、自分が立っている場所に気付いて泣き言を言われても困るわけだよ」
何だ?ルビエールは違和感を覚えた。
「それは、向かう先によると思います」
それを示すのがあなたではないのか?しかしクリスティアーノはその自覚がないのか、何のリアクションも示さない。ルビエールは抱えている違和感にイラ立ちを覚えながらも何とか穏当に言葉を紡いだ。
「あなたが、マウラがどこに向かうのか。それがお聞きできれば」
クリスティアーノはつまらなさそうに溜息をついた。この質問は多くの人間が共通して抱く疑問であり、答えを求めるものだったが、当の本人にとっては何度も繰り返される工程で嫌気がさしていた。質問する方は気楽なものだろうが、クリスティアーノにしてみればその相手が答えを知るに値する人物であるかを見定めねばならないし、これはかなり難しい判断である。そして相手にその価値がない場合の回答はさらに面倒である。質問する方にもそれくらいの判断の一部は背負ってもらいたいところだった。つまり、自分にそれを知るに値するだけの信頼と意味があるのか?と。
残念ながら今回の場合、クリスティアーノはルビエールにそれがあるとは認めなかった。
「悪いがそこまで君を信用していない。それに、君がそれを知ることに何の意味があるんだ?」
この答えは上司が部下に言う台詞とは思えなかった。つまりクリスティアーノはいまだルビエールを自身の部下として認知していないのだ。
普段のルビエールならそれで引き下がっただろう。しかしクリスティアーノの不敬な態度。そして自身の行く末に対する不安感がなおも食い下がらせた。このままではルビエールはクリスティアーノに手駒として認知される。この邂逅に意味を持たせるためにもここで引き下がるわけにはいかない。
「知ることができねば私もあなたを信頼できません」
不敬には不遜を。ルビエールの態度は真っ当な上官であれば目を剥くところだったろう。賭けではあったがルビエールには妙な確信があった。この女はあのトロギール・カリートリーの主であるのだ。ならばそのやり口にも共通するものがあるはずだった。
読みは的中した、してしまったと言うべきか。クリスティアーノは待ってましたとばかりに不敵な笑みを繕った。
「なるほど。私に付き従う価値があるかどうかを問うているわけだ。試されているのは私も同じか」
妙に嬉しそうに、また納得したという風に頷くとクリスティアーノは立ち上がるとついてこいと告げて屋敷に入っていった。
プール脇からは屋敷のリビングと思われる広間に直接入ることができ、ルビエールを案内した老執事が待機していた。クリスティアーノは老紳士に「客人に茶を」と、ルビエールには「ここで待て」と告げると姿を消した。
老執事は恭しくカウチへの着席を勧めると注文を訪ねた。特にこだわりもなく紅茶を、と頼むと老人は銘柄から入れ方まで細かく聞き出そうとしはじめる。ルビエールが素っ気なく任せますと答えると老執事は残念そうに引き下がった。
仕事の愉しみを奪ったかな、と少し申し訳なく思うがルビエールはそれどころではない。先ほどよりは随分と真っ当な場所で真っ当な会話ができそうなのだ。ここからが本番である。
クリスティアーノはルビエールを客人と言った。これは半分虚言だが、もう半分は本当そうである。ルビエールとクリスティアーノ。この2人の関係はまだ確定していないのだ。クリスティアーノもそのことを認めている。
この先の展開は全く読めない。ルビエールは意思を示したが、クリスティアーノはそれにどうにでも応じることができる。ルビエールもその応じ方によって立場を転じることになる。もちろん基本的には強者であるのはクリスティアーノで、そうなったらルビエールはかなり苦しいことになるので考えたくない想定である。
気づけば老執事の出した紅茶が目の前で湯気を燻らせている。執事は所定の位置であろう場に戻っているが横目で紅茶とルビエールを交互に見ては何かを期待している。止む無く口をつけてにっこりとほほ笑むという最低限の儀礼を済ませるとルビエールは考えに戻った。味は頭では不要な情報として処理された。老人には悪いがルビエールは自身にどれだけの価値を示せるか、という勝負をしているのである。考えるべきことはいくらでもある。その時間は余るほど提供された。
クリスティアーノが戻ってきたのはたっぷり30分ほどであり、茶は冷め、ルビエールの思巡もすっかり煮詰まった後のことだった。
「待たせたな」
悪びれもせずにそう口にするクリスティアーノの姿はルビエールの予測を全く外した。着替えてくることくらいは予測していたがクリスティアーノの姿は軍服でもスーツでもなく、ドレス姿であり、館の主として、またその血統に相応しい優美さを取り戻していた。
一瞬別の人間が現れたと錯覚するほどの代わりようにルビエールは呆気にとられた。
「何を驚いている?」
残念ながら口調はやはりクリスティアーノのままだった。からかわれているのはわかってはいるのだが、その女を侮っていたことは間違いない事実であってルビエールは反応に困った。
「些かやりすぎですな。お客人が困っておいでです」
後方に控えていた老紳士が笑いながら主を窘めた。執事とは違ってこちらは側近とでもいうか、口調の柔らかさとは対照的にその視線は鋭さを持ってルビエールを観察している。サネトウ。カリートリーから聞かされているクリスティアーノのもう一人の腹心で間違いないだろう。
「客人に相応しい服に着替えただけだろう」
嘯くクリスティアーノの表情は悪戯を成功させた子供のそれだった。ルビエールの対面にどさりと座るとこれまでよりいくらか表情を引き締めて話を始めた。
「さて、少しは君の話を聞かせてくれ給えよ。君はエノー家の再興というタスクを抱えている。多少遠回りかもしれないがそれ自体はいまでも不可能になったわけではない。もしかしたらこちらの権勢を使えばまともに実績を上げるより容易に達成できるかもしれない。それが君の願い、目的なのかな?」
クリスティアーノの背後に控える老紳士の眼がさらに細く、温度を低くした。ルビエールがクリスティアーノを信用していないようにクリスティアーノもルビエールを信用していない。老紳士の眼はそれを主に変わって表している。
改めて問われて考える。ルビエールは自分でも驚くほどそのタスクに興味を持っていなかった。そもそも自分にとって価値があることとは何なのだろうか。不満を抱えながらもただ言われるがままにそれを目指していただけに過ぎなかった。今にして思えば何と意味のないことか。
「正直なところ、私には目的がありません」
そしてたぶん理念すらも。エノーの人間として育てられたルビエールには地球人という意識すらも希薄だった。呆れるほどに空っぽだ。かつては、それを認められないからタスクに従ってきた。タスクに縋っているうちは空っぽでも定義づけができるからだ。それをしなくなったのはいつからだろう?
今はそれを認めて、口にできた。しかし、さすがにこの場ではマズいか?ルビエールは不思議な顔をしている2人に慌てて言葉を付け足した。
「すいません。家のことは考えている余裕がなかったのです」
意外なことにクリスティアーノはルビエールのこの言葉を認めた。
「なるほど。まぁそれはわりと普通のことだよ。目的を持って生きている人間なんてそうはいない。大抵の場合は生きていることそれ自体に必死で、そこで何を為そうかなんて考えている余裕なんてないもんさ」
このクリスティアーノの理解にルビエールは違和感を覚える。一つの派閥を率いる人間として相応しい発言ではないのではないか。
ルビエールの表情を察したクリスティアーノはさも心外と抗議する。
「おいおい。私だって生まれたときから目的を持って生きてきたわけじゃない。今だって自分のやっていることに疑問を感じることもある」
後ろに控える老紳士の表情も多少曇っている。思っていることはルビエールと同じだろう。
「悩んじゃいかんのか?」
「そういうわけではありませんが、あまりに表には出すべきではないかと」
人を率いる以上、そしてそれについてくる者がいる以上は迷いを見せることは望ましいことではない。特に命を預かる場合は。これはルビエールが士官として教育される過程で叩きこまれた教えだった。
信じられないのはクリスティアーノも曲がりなりにも軍人であることだった。ゆえにルビエールの言葉は諫言に近い口調になった。しかしこれをクリスティアーノはカッカと笑い飛ばして気にもしない。
「はっきり言う。うん、まぁ確かに。部下にはそうだろうな」
この台詞は明らかな挑発だった。クリスティアーノはまたしてもルビエールを部下と認めていないと示したのである。
なんだ、この女は?
ルビエールは得体の知れない感情を持ちつつあった。それを必死に押し込める。拒絶反応。この女は自分とは何かが決定的に合わないように思える。これ以上この女に踏み込むとそれは決定的になる。ルビエールはこのとき、クリスティアーノに敵意を抱きつつあった。
「その辺にしておきましょう。エノー少佐が可哀想です」
客人の機微を感じ取ったのか。ここで控えていたサネトウが口を挟んだ。
「エノー少佐。このお方はご覧の通りの方で申し開きの仕様もない唐変木なのですが、あのカリートリー様が付き従う方であることも事実なのでございます。そのことだけはご理解していただければ幸いです」
この言い草に思わずルビエールは吹き出しそうになった。どこの世界に主を唐変木呼ばわりする腹心がいるのか。その唐変木はと言えば不服そうに苦い顔こそすれ、老紳士の言動を咎める様子はなかった。
ここで初めてルビエールはクリスティアーノという人物に肯定的な面を見いだせた。この女は自身の破天荒さと同様、部下の破天荒さを許容している。老紳士の言う通り、あのカリートリーが付き従う、という点もルビエールには興味深い点だった。
考えても見れば自分はカリートリーの理念も知らない。クリスティアーノの基盤を為すローマ師団の司令職を事実上代行するカリートリーほどの男がクリスティアーノの目指すところを知らないはずがない。カリートリーはクリスティアーノの何を持って付き従うことを選択したのだろうか。
この老紳士にしてもそうだ。恐らくはカリートリーと同様の腹心クラスの存在。ルビエールの興味はクリスティアーノの周囲へと移った。
「確かに。大隊長があなたに従っていること。それはあなたを信頼するための状況証拠の一つになるかもしれません」
「あんな胡散臭い奴をよく信用できるな」
「そっくりそのままお返しします」
クリスティアーノはケラケラと笑ってルビエールの言葉を全面的に肯定した。ルビエールが覚えたイラつきはクリスティアーノの態度が原因か。それともカリートリーへの侮辱に近い言動か。
しかし、自分はカリートリーの理念を知っているわけでもない。心の中で付け足すがルビエールはそれを大した問題とは思っていなかった。この場で初めて自覚したがルビエールはカリートリーを信頼していた。これは彼の行動によるものか。カリートリーが何者であろうがカリートリーとの積み重ねは否定することはできないし、する必要もない。
そしてそれはクリスティアーノすら同じであるようだった。
「確かに確かに。実のところあいつが何でまた私みたいな狂人に従っているのか、実際のところは知らんのだよな。あいつもあいつで思うところはあるんだろう。詳しくは知らんし、知りたいとも思わんが。ともあれ、あいつはこのサネトウと一緒に私に長年付き従っている腹心なのは確かだし、これからもそうであると私は確信している。なぜなら私たちは理念ではなく、目的によって繋がっているからだ」
ルビエールは言葉を咀嚼して改めてクリスティアーノという人物に向き直った。
これはつまりクリスティアーノは部下に対して必ずしも自分と同じ理念を求めていないことも意味している。カリートリーとサネトウ。この二人とクリスティアーノを結びつけているもの。それはつまり「目的」にあるのだ。その目的に関するヒントを持っていることにルビエールは気付いた。
「マサト・リューベックもその一人なのでしょうか?」
その名が出た時、クリスティアーノは初めて驚いた顔をした。
「ああ。そうか君はあいつとも縁があったな。あいつは何か言ってたか?」
「見ようとしている世界は同じだと」
少し考えこむ様子を見せるとクリスティアーノは改めてルビエールをじっくりと観察した。
「あいつの言っていることは事実だよ。ただ、勘違いされても困るから言っておくが、あいつと私がそれを求める理由は違うからな」
この言葉を口にするクリスティアーノにルビエールはこれまでとは違う側面を見た。この時だけ、クリスティアーノはどこかバツ悪げで声の張りがなかった。
嘘をついている。ルビエールは直感した。しかし何のために?
言葉だけを信じるならマサトとこの女は同じ世界をそれぞれ別の目的で見ようとしているわけだが。ここに嘘を見出すとするとどうなる?
不意にとんでもない推測が浮かんだ。少し前なら絶対にしないような推測。しかしクリスティアーノという人物を目の当たりにした今ではむしろこれ以外にないように思える。
これはただの照れ隠しなのでは?
クリスティアーノとマサトの理由は実は一緒なのだ。クリスティアーノがそれを認めたくないだけでこんなことを言っている。この推測にルビエールは妙な確信を持った。
二つの要素が揃った。
1つ、クリスティアーノはカリートリーに信頼されている。
2つ、クリスティアーノはマサトと同じ理由を持っている。
油断はならない。しかしとりあえず賭けてみる分には吝かでない。この2つでもってルビエールはクリスティアーノの舵を取る船に乗ることを決めた。
「解りました。あなたがどこに行くつもりなのかは聞きません。私はあなたを信用しない。マサト・リューベックとトロギール・カリートリー。この二人を信用します」
不遜すぎる態度。しかしクリスティアーノは愉快気に微笑む。それは後ろに控えるサネトウも同じだった。
「面白い。かまわんなサネトウ?」
「御意に」
「では、こちらも君を信用しない。マサト・リューベック、トロギール・カリートリーの二人を信用することにしよう」
上等。両者は勝手に納得するが後日この引き合いに出された二人はそれぞれ呆れたという。
「さて、これでようやく話を先に進められるな」
口にしてクリスティアーノは手を挙げるとサネトウがそこに一枚の書類を渡した。文体から見て公的な文書なのは明らかだった。辞令が出るのだ。ルビエールは背筋を伸ばし身構えた。
どのような辞令が出るのか。ルビエールは色々と予測したが答えは出なかった。結論から言えばその予測は全くの無駄だった。
「では、言い渡す。ルビエール・エノー少佐。正規軍第11旅団への転属を命じる」
その辞令の意味をルビエールは解せなかった。正規軍?第11旅団?なんだそれは?
これからクリスティアーノの、またローマ師団で使い潰される覚悟だったところでいきなり放逐するというのか。そもそも第11旅団など聞いたことがない。
「意味は解るか?」
「解りません」
この率直な返答にクリスティアーノは気を悪くしたのか顔を歪めると姿勢を崩してプールの場面と同じような態度に戻った。
「もう少し理解のいい奴だと思ったんだがなぁ。いいか、お前は名前が売れ過ぎた。ローマやマウラで手駒として使うには目立ち過ぎる。使いづらいんだ。」
使いづらいと言われてルビエールはムッとした。そういう風に仕向けたのは当の本人ではないか。しかし話は見えてきた。ルビエールは世間から注目され、マウラの権力闘争には使えない駒になっている。かといってローマも各地を飛び回って華々しい活躍をする役割を持たない。使い道がない、というのは本当のところなのだ。
「だからお前を新設される第11旅団に推薦したわけだ。お前にはマウラ閥の英雄として精々名前を売って勢力を作ってもらう。もちろん、ただ使われるだけの存在じゃない。旅団内で部隊を持ち、一定の権限を持つことになる。特別扱いされる、というわけだ」
推薦という言葉を使ってはいるが実際には売り渡したと言うのに近いだろう。ルビエールには「またか」という感慨しかなく、その興味はその第11旅団とかいう部隊の性質に移った。
「聞いたことのない部隊です」
この話の切り替えを受け入れたと見做したのかクリスティアーノは表情を戻した。
「新長官の肝いりで作られる部隊だ。失われた第七艦隊の補填という名目なので主力はその生き残りということになる。名前の通り、第七艦隊ほどの規模もなければ作戦能力も持たされない。役割としては各戦線状況打開のための予備戦力と言ったところだ。君の率いる部隊はその中の独立した機動戦力という名目になる」
ルビエールはクリスティアーノの話から第11旅団なる部隊、そして自身が編成することになる部隊の本質を推測した。
予備戦力という役割は名目に過ぎないはずである。そんな余裕は今の連合軍にはない。それに旅団などという規模の劣る戦力では作戦の中核をなすこともできない。つまりこの部隊は各地をたらいまわしにされる便利屋的な性質の部隊なのだろう。そのような部隊にルビエールが好条件で売り渡される。と、なればその部隊の性質は自ずと導き出される。
「客寄せパンダのメインマスコットをやれという話ですね」
身も蓋もない表現にクリスティアーノはしばらく唖然としていたが、次の瞬間笑い出し、その笑いはどんどん下品になっていった。
「いや、失敬。そこまで解っているならこちらから言うことはないな。その役割さえ全うすればいい。後は君の裁量でもって立ち居振る舞いたまえ」
ルビエールの裁量で立ち回れ。この指示は「好きにしろ」としか解釈できない。派閥の顔として、また囮として、好き勝手に振り回しておきながらのこれである。以前のルビエールなら困惑するところだったろう。しかしリターナーを得て、さらに目の前にいるのが気に入らないクリスティアーノであることがルビエールの思考を大胆にする。
上等じゃないか。好きにさせてもらう。
「粉骨砕身して職務に努めます」
やけくそ気味な敬礼から見える敵愾心は却ってクリスティアーノの機嫌をよくさせた。
「結構。幸運を祈る」
半ば喧嘩別れに近いファーストコンタクトを終えてクリスティアーノは苦笑いを浮かべ、老執事に冷めた茶の入れ直しを頼む。
想定外の珍客。異物。飛び込み演者。それがクリスティアーノから見たルビエール・エノーである。元々は没落したノーブルブラッドから預かっただけのお客様でしかなかった。本命はルビエールそのものではなくエノー家への借りでしかない。クリスティアーノとしては毒とも薬とも認識しておらず、敷かれたレールをそのまま走ってくれていれば何の問題もない存在だった。
ところがそのお客様は偶発的な事故でレールを外れるととんでもないものを巻き込みながら帰ってきた。ルビエールにとって得体の知れない人物であるクリスティアーノであるがクリスティアーノから見てもルビエールは得体の知れない人物だった。
身構えていた、という点で言うならルビエールよりもクリスティアーノの方が顕著だったかもしれない。
もっとも、実際に会ってみたルビエール・エノーなる人物はただの世間知らずで恐れ知らず、不敬で不遜。要約すれば未熟者としか映らない人物に思える。これは期待外れと見るべきなのか?
クリスティアーノは判断に困る。
「無垢だねぇ」
「昔のお嬢様を見ているようでしたな」
サネトウの返しにクリスティアーノは飲みかけていた紅茶を吹き出した。老執事が苦笑しながら差し出した布巾で口元を拭うと納得いかぬと反論する。
「どういう意味だ。あそこまで世間知らずじゃなかったぞ」
「何者にもなりえ、どこへでも行きかねない。ということでございます」
この評はもちろんかつてクリスティアーノもそうであった、と言っている。その意を得てクリスティアーノの反応は沈黙だった。
しばらく何事かを考えていたクリスティアーノはサネトウに確認する。
「私の行く先は正しいのかな」
これはクリスティアーノがごく近しいものにだけ溢す本音であったかもしれない。このような本音を聞くことができるのはサネトウとカリートリーくらいのものであろう。歴史には記されることのないフィクサーの葛藤がそこにあった。
しかし老紳士はこの本音をすまし顔で笑い飛ばす。
「おや、正しいか正しくないか。そのような選択基準をお嬢様がお持ちとは初耳でございます」
むすっと仏頂面をするクリスティアーノにサネトウはさらに続ける。
「重要なのはお嬢様の望み、ただ一つ。何を願い、何を欲するのか。そこに是非などございません」
このクソジジィめ。うら若い乙女のちょっとしたひねくれ願望を焚き付けてついにはここまで来てしまった。しかしクリスティアーノはその道を歩んできた自分をそれなりに気に入っていた。何より、見たい景色がある。振り返ることはあっても、今さら立ち止まることなどあり得ない。
あの女はどうだろうか?いずれはあの女も知ることになるだろう。その時、その道は自分たちと同じ方に伸びていくのか。それとも交わることもなく離れていくだけであるのか。
クリスティアーノの望みはどちらでもなかった。あの女に限らず、クリスティアーノは自分に関わる者全てに自分の理念を理解してもらうことを望んでいない。
クリスティアーノにとって理念とは共有するものではない。カリートリーにしてもサネトウにしてもそうである。3人はそれぞれの方角から同じ目的に向かっているだけなのだ。やがて目的地に到着したとしてもまた互いに次なる目的地へと向けてバラバラになるだろう。
ただ目的地で交差し、互いの健闘をたたえ合い、同じ世界を眺める。ひと時、それを共有できればいい。
ラリー。目的を共有し、それぞれに目指し、戦う。
天使もその場所を目指している。しかしそのためにはまだまだ障害が待っている。クリスティアーノは自身の望みとなすべきことを再確認するとひと時の逡巡から抜け出した。
「ぶち抜くぞ、サネトウ」
「御意に」




