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9/7「リターナー」

9/7「リターナー」

 猛烈な速度に不規則なジンキングを加えながら一気に接近してくる機体。その動きは明らかに異質だった。これに対するアトキンスの対応は呆れるほどクレバーだった。

「シロー。ほっとくぞ」

「は?」

 ハヤミは仰天した。アトキンスは突出してくる機体を無視すると言うのである。あの尋常でない機体を無視すれば後方に被害がでるはずだ。

「当てれると思うんなら撃てばいいよ」

 暗に無理だと言っている。確かに、ハヤミも当てれる気がしないのだが。

 基本的に小隊機銃の弾幕は敵集団に対して撃たれるもので単体に対して効果を発揮するものではない。単機突出してくる敵を止めることより、その後続をせき止めることの方が楽だし効果的だとアトキンスは判断していた。

「じゃぁあいつはどうすんだよ」

「知らん」

「知らんって」

「来るぞ!」

 他の方法を検討する時間は与えられていなかった。

 突出してくるレンナの機体をアトキンスは距離を離して見送り、やむなくハヤミもこれに倣って手出しを避けた。レンナの方もこの2機を無視した。戦術的な判断ではなく、単に獲物の多い方を選んだのである。

 何の妨害も受けなかったレンナはそのまま最後の防衛線であるマージュリーらの一団に飛び込んだ。1対12。無謀と言える。しかし数の利とはその数を活かせてこそ意味がある。12機で1機を取り囲んで封じられればいいだろう。しかし実際には12機の集団のなかを敵機が縦横無尽に駆け巡った。いきなり入り込まれたマージュリーらは敵機の転回に対応できずほとんどの者がその姿を見失った。

 次の瞬間には一機のVFH11がレンナの照準に捉えられた。複数発を被弾した機体は操縦を乱してヨレヨレと宙空を彷徨う。

「いただき」

 あっさり言うとビームライフルが光線を発し、胸部コクピットを撃ち抜いた。当たり所が良かったのか機体は爆散せずに撃たれた人間のようにビクリと震えた後に機能を完全に停止した。レンナの機体は一度離脱すると一呼吸を置いて再び急襲、一団に飛び込む。典型的なヒットアンドアウェイ。自身の機動力を活かしながら相手に数の利を取らせない。レンナのもっとも得意とする形だった。

 復讐心に燃えた1機が肉薄しようとしたがレンナはこれを嘲笑うように急反転を繰り返して照準を振り切るとあっさりとその機体の後方を取った。今度はアサルトライフルとビームライフルが同時に射撃され、機体は爆散した。

 これで最後衛チームは挫けた。及び腰になって心理的に距離を取りたがる。

「ダメ、退がらないで!」

 これを押し留めたのはマージュリーだった。最後衛チームがこれ以上退がることはできないという意識から出た言葉だったがこれが戦術的な正解を引き当てていた。距離を取ろうとしたところで容易に詰められる。むしろ半端に距離を取る方が機動性に勝る相手には有利に働く。クロスレンジならば機動性より運動性と空間認識が重要になる。レンナは圧倒的な機動性こそ持つが、運動性はその機動性による強引な反転が主体だった。ようは加減が利かないのである。それにマサトのような状況認識の中で戦っているわけではない。クロスレンジは必ずしも有利なわけではなかった。

 それに何より数が違う。囲んで封じ込めれば相手に回避を強要できる。中途半端な距離ではそれができない。

「うっざ」

 今度は逆にレンナが距離を取ろうとする羽目になった。しかし距離をとっても相手は一塊で行動してレンナに迂闊に攻撃を仕掛けるチャンスを与えない。羽虫のように纏わりつこうとする相手にレンナは激高して無理矢理振り切りにかかった。

「追って!」

 マージュリーらは必死にレンナに追いすがる。バラバラになってしまえば各個に撃破される。しかしそもそもの機動性に差があり過ぎる。またマージュリーら個々の技量にも差があった。徐々に部隊は間延びして遅れるものが出てきた。

 悪魔はそれを見逃さない。最後尾の1機が撃墜されて数の差が埋まる。それでもマージュリーたちにはひたすら悪魔に追いすがるしかなかった。敵を追いながら、死に追いかけられる。


 すぐ近くのアトキンス、ハヤミもそれどころではなかった。2人は後先を考えずに弾幕を張って残りの機体の来襲を防いでいたが徐々に距離は縮まっていた。2人が突破されれば後方部隊は完全に攻囲されて壊滅する。相手もこの弾幕が無限でないことを承知しており。無茶な突破は試みてこない。

 無常に減っていく残騨を横目に見ながらアトキンスは他の策がないかと巡らせていたが万策は尽きているという結論しか出てこず、結局のところその瞬間まで義務を果たすことしかできなかった。

 破局が迫っている。懐に入り込まれないようにジリジリと後退する2人と後方の差は縮まっていく。

 このような状況の中でハヤミは後方を気にして戦術画面を細かく確認していた。1機の脅威機の存在でマージュリーたちは完全に攪乱され、アトキンス、ハヤミの2人も追い詰められている。それでもこの期に及んでハヤミは仲間を気にしていたのである。この癖はまだ真新しいXVF16のALIOSに取り込まれていた。そのことが針の糸口を捉える切っ掛けとなった。

『Bシステムを復帰します』

「ああもう、鬱陶しい!」

 この時、レンナは多数の機体に追いまわされながらも圧倒的に優勢な状態にあったがフラストレーションをためていた。切り離したBシステムが強引に割り込んでセーフ機能を復帰させているのである。Bシステムは機体の安全性を確保するために3分以上の解除を認めておらず、さらに一定の負荷がかかった場合でも自動的に復帰するようになっていた。この仕様をレンナは知らなかったためBシステム復帰のたびに解除するという手順を踏んでいた。実際にはこの介入を強制解除するための方法もあるがこれは裏コードでアキラ以外は知らないものだった。

 結果、レンナの機体はダメージの蓄積もあってたびたびシステムからの介入が入るようになり、そのたびにシステムを解除しようとして動きが鈍くなる状態に陥っていた。とはいえ、マージュリーたちにはその隙をつくような余裕などなく、戦況としてはそのままでも特に何の問題はないはずだった。

 いつの間にかハヤミたちとマージュリーたちの距離は有効射程に達していた。そのことにハヤミが気づいたとき、そしてレンナがBシステムの介入を解除しようとするタイミングが重なった。その時、何の前触れも違和感もなしにハヤミ機のALIOSは狙うべき相手を表示した。

 そのターゲットの位置はそれまでと方角がまるで見当違いだったがハヤミはその先に何がいるのかをそれまでの観察で十分に承知していた。

「当てれると思うんなら撃てばいいよ」

 アトキンスの言葉が脳裏を過った。過っただけでハヤミはそれに対して何も考えていなかった。当たるかどうか、ではなく撃てるから撃っただけである。

 意識の外からの攻撃。Bシステムからの介入と周囲の機体からのロックオンに晒されていたレンナにとっては察知のしようがない全く想定外の攻撃。本人は撃たれたことにすら気づかなかった。

 ハヤミの分隊機銃の一連射がレンナの機体脚部を一発だけ掠めた。距離を考えれば妥当な結果。普通なら気にするようなダメージではない。ハヤミの分隊機銃は小隊機銃のような大口径ではなく威力的には通常のアサルトライフルとほとんど変わらない。それが一発程度当たったところでただちに重大な損傷となるはずはない。

 しかし被弾した対象が超高速で機動し続けているとなると話は別となる。通常ならありえないGに晒され続けていたレンナの機体はその衝撃で挙動を乱し、それが機体に無秩序なねじれを生じさせた。機体が元々持っていた運動量がそのねじれに集中した結果、レンナの機体は脚部をあらぬ方向に向けてメインのスラスターと見当違いの方向に推力を発揮した。

「は?」

 ベクトルが破綻し、機体はレンナの操縦を完全に無視した動きを見せた。普通の人間なら悪ければ死にかねないほどの急激なG変動がレンナを襲った。ネピリムの強化された身体はそれに辛うじて耐えたがそれでも見当識を失わせるには充分過ぎた。この状況下でもレンナは思考を保っており、何とか機体を立て直すために推力を打ち消そうとした。しかしそもそも正常な指向性を保てなくなっていた機体はレンナの意思を受け付けるはずもない。それどころかその操縦は逆方向のモーメントを生み、ダメージを負っていた機体にとどめを刺す悪手になってしまった。次の瞬間、相反する推力に晒された脚部がねじ切れてすっ飛んでいった。

 何が起こったか解らない。見当識を失ったレンナは正常な操縦がデタラメな機動になっている理由が解らず半ばパニックになった。

 この隙にマージュリーらも何とか敵機を捉えようとしたがデタラメな動きをする相手を捉えきれなかった。それでも操縦不能状態のレンナが絶対絶命の危機にあるのは疑いない。その危機を救ったのは皮肉にも邪魔だと言われていたシステムだった。

『Bシステムを復帰します』

 再びBシステムが機体制御に介入。するとシステムが機体の状況を診断して不完全ながら推力を適性に割り当てるようになりレンナの意思を受け付けるようになった。しかし機動性能がガタ落ちした機体ではまともに戦うことなどできず彼我の状況は完全に逆転した。今度こそレンナが逃げ回る番になった。

「あのバカ!」

 遠目に状況を把握したデジーは既に自分たちの目的が変わったことを受け入れざるを得なかった。どれだけの敵機を撃墜してもレンナ1人の撃墜とは釣り合わない。一刻も早く救出しなければならない。

「よくやったシロー、流れ変わったぞ!」

 これまで無理をせずに距離を詰めてこなかった敵機の変化をアトキンスは見逃さない。敵機はあの突出バカを救出する必要があるのだ。それを邪魔する必要はない。何せ救出した後は後方に送り届けなければならない。仮に単機で帰還させるにしても状況は前よりはるかに楽になる。わざわざ乱戦にする必要はない。

「深追いしなくていい。一旦距離を取るぞ」

 アトキンスの指示にマージュリーらも即座に反応。これでレンナは危機から解放された。双方の部隊が合流して戦端は仕切り直しになった。連合軍側は3機を失い、共同軍側は1機が中破、事実上の無力化。人的被害は連合だったが戦力被害でより大きな痛手となったのはデジーらになった。

「くそったれが」

 相手のクレバーさが気に入らない。デジーは相手の思惑を捻り潰してやりたい衝動を必死に抑えていた。自分もBシステムを解除した上で他の機体と共に攻撃すればそれができるだろう。しかし、Bシステム解除の機動は敵だけでなく、味方にも脅威となる。乱戦では不確定要素に過ぎる。味方に1機でも被害が出れば実質的に負けと理性が訴え、かろうじて歯止めをかけていた。

「どうします?」

 1人が尋ねるがその口調にはほとんどやる気が見られない。それもまたデジーには気に入らない。こいつらは自分たちのように存在価値を試される立場にないからそんな態度でいられるのだろう。

「ご、ごめんなさい」

 震える声が辛うじて聞き取れてデジーはさらに苦虫を噛み潰した。普段の威勢はどこへやら。冷静さを取り戻したレンナは最悪の場面で年相応の精神性を暴露してしまった。致命的なやらかしとそれによる評価にレンナは怯え切っていた。

「そ、その、Bシステムが、何度も何度も邪魔してきて、それで、そのたびに切ったりして、それで気がそれちゃって」

 しどろもどろに言い訳が並び立てられてデジーは白けた。自分に言われても困る。申し開きはアキラにしてもらいたい。そう考えた時、デジーの脳裏に邪な理屈が生まれた。

 そうだ、こいつが全部悪い。この戦いはレンナのせいで失敗した。わざわざこいつのために無理をしてそれを覆す必要はないじゃないか。

「まぁしょうがないわよ。適当に相手をしてアキラが状況をまた変えるのを待つとしましょう」

 開き直ってしまえば余裕も生まれ、感情も制御もできよう。デジーは理性的との評価を得るために優しさの仮面を被った。



 エースパイロットと呼ばれる者がいる。どれが最強だろうか?当代、後世を問わず、それらのパイロット同士が戦えば誰が勝ち残るのか?多くの人間が議論し、ああだこうだと話合う。そういう話が盛り上がると同時に、決着がつかないのには理由がある。現実にはエースパイロット同士が激突することなどまずないからである。そもそも例がないのである。

 エースパイロットの定義が何であろうがそれを扱う指揮者から見た時、エースパイロットの役割とは敵機をより多く撃墜して、戦術的に優位な状況を作り出すことにある。パイロット同士の力比べに意味はない。エースにエースをぶつけるどころか実際には避け合うことが滅多である。

 ゆえに実戦で自分と同等格の相手と戦うということはエースにとってはほとんど経験のないことになる。アキラたちも例外ではない。未知の長時間戦闘は双方にとって予測不能な領域に突入した。

 限界領域での機動を継続し、集中を持続する。常に相手に対して余裕を持って当たってきた3人にとって自己は常に統制されてきたが3者ともにそれを保つことに苦慮するようになっていた。

 慣性制御の補助があっても身体は軋む、されど動きを止めることは許されない。目は捉えるべき相手を追い続けねばならない。自分がどこまでその状況を継続できるのか、その限界を3人は知っているわけではない。その不安も含めた心理的な負荷こそがもっとも不確定な要素となって3人を追い詰める。

 実際、エドガーの思考は徐々に短絡的になりつつあった。とにかく決着をつけたい衝動に陥っていたのである。

 この傾向に歯止めをかけていたのは僚機であるマサトの存在だった。2人が互いの隙をフォローするたびにエドガーの思考は冷静を回復する。

 この利がなければどうなっていただろうか?エドガーは巡り合わせに感謝した。逆にこれだけの利をもってしても倒しきることのできない相手への畏怖も立ち上る。

「エースとか名乗るのが恥ずかしくなってくるな」

「あんなの基準にされたら困りますがね」

「まったくだ」

 既に2人の意識は撃墜されないことにシフトしていた。この敵には勝てない。であれば2人にできることは負けないことだった。根競べを覚悟した2人に隙はなく完遂できるだろう。

 しかしこの方針は2人のエースパイロットが1人のエースパイロットによって封殺されたことを意味している。局地な的な結果としては負けを認めたに等しい内容である。2人の方針は戦闘の行方を他に丸投げしているに過ぎない。状況はいまだ連合軍不利であり、じり貧に追い詰められたと言っても過言ではない。

 とはいえ、対するアキラ・共同軍側の事情も複雑になってきていた。

 アキラは自身と同格と言える相手を2機同時に最初の方こそ相手を振り回していたが守勢に入られると敵機は徐々にアキラの超機動に対応し始めた。これまでの短時間戦闘であればまずありえない変化である。マサト、エドガーは互いの隙をフォローしあいながらアキラの動きを学習していった。そうなってくれば数の利が顔を出す。アキラは徐々に攻めあぐねるようになっていった。倒しきれないのである。

 当初の目論みはこの2機を抑えることでもある。アキラの動きも徐々に状況を維持する動きに変化していった。戦況としてはこれでもいい。しかし、それではマズい事情がアキラにはあった。

 Bシステムである。Bシステムの介入を強制的に解除していることでアキラはマトリクスの機動を全開で発揮し続けることができたが、Bシステムにも役割がある。Bシステムというセーフ機能を失ったアキラ機はオーバードライブ状態にあり、いつ機体に不具合が起こってもおかしくない状態にあった。この危険は突如として発火し、一気にアキラを呑み込むことになるだろう。Bシステムを介入させる選択肢は残されているが、相対する機体を見た時、それは自殺行為になりかねない。

 認めたくはないがアキラは一度仕切り直すべきと結論するしかなかった。そのための切っ掛けを探りはじめていたがこの難敵を相手には離脱するのにも十分な隙が必要だった。

 互いに決めてを欠いた人外同士の争い、それは連合軍と共同軍の趨勢が決まるまで続く。そのままであればそうなっただろう。しかしこの両者の戦いが続くことを望んでいる者は誰もいなかった。

 この時、アキラをさらに攪乱する情報が入る。レンナ機の中破である。この失態でアキラはますます追い込まれた。これでは全体の勝利すら覚束ない。全く無意味な戦いをしただけに終わってしまう。そんなことは認められなかった。

 強引に押し込めれば現状でも勝つことはできるだろう。アキラにしてれみばネピリム以外の手駒は惜しむに値しない。しかし、それで手に入る勝利は満足のいく勝利とは言えない。見る者が見ればそれが虚栄の勝利でしかないことを見抜くだろう。それでは駄目なのだ。

 くそったれが。

 そもそもこんな戦いなどするべきではなかったのだ。アキラは自分たちが何者かに踊られされていたことを思い出した。どこかの誰かに振り回された挙句の醜態。この期に及んで被害を拡げてまで勝利を得るくらいならそもそもこの戦い自体なかったことにすべきかもしれない。

 2機のエースパイロットを相手にしながらアキラはこれだけのことを考えなければならなかった。ゆえに後方の艦隊からの情報を拾えなかったことは無理からぬことだった。しかしそのことは却ってアキラ、そして共同軍にとっては幸いなことだったかもしれない。



 アキラとエドガーらの戦いを尻目にベテラン同士の互角の戦いを演じていたのがフィンチらとマーヴィンらだった。両者はこの戦いにおいて自分たちが脇役であることを承知していた。そもそもフィンチには状況を打開するための手立てがなかったのであるが対するマーヴィンの方にはその必要がなかった。

 エンジェリオの主役とはアキラたちネピリムの子であって自分たちの活躍は却ってアキラらの不興を呼びかねないとマーヴィンたちは思っている。アキラはともかくとしてレンナに至っては自分たちが敵機を撃墜すると獲物を取られたと不機嫌になる始末である。このことがアキラ麾下の他のパイロットたちの士気を著しく悪くしていた。

 また、単純にフィンチらが強敵であることから無理に戦いを動かすにも危険性が付きまとう。ようはマーヴィンらには後ろ向きな選択を選ぶ理由ばかりがこれでもかと並んでいるわけである。戦いそのものはレンナたちか、アキラたちが決めればいいとマーヴィンたちは本気で思っていた。

 この両者の戦いは動かしたのは意外な結果だった。

「エンジェリオ3が損傷。後送が必要です」

「なんだって?」

 デジーの方から入った報告にマーヴィンは耳を疑った。エンジェリオ3とはレンナの機体を差す。その意味を理解したとき、マーヴィンらは一気に不吉さを感じた。彼らにとっては全く想定外の事態だったが、本来なら彼らはまさにこのような状況の尻拭いをするためにいるのである。

 さて、どうなる?

 マーヴィンは次の展開を予測した。この状況からでも戦いに勝つこと自体はそれほど難しくはない。ようは犠牲を厭わずに押し通せばいいだけの話だ。ただしそれで収支のつり合いが取れるかと言えば大きな疑問だ。そもそもこの戦いには戦略的にも戦術的にもほとんど価値がない。勝っても負けても情勢には影響がないのだ。マーヴィン、そしてAABとしては到底その価値が見いだせないのでさっさと引き上げてしまっても問題ないように思える。

 しかしアキラは負けるという事実を許容しないかもしれない。仮にこの戦いに意味を見出すとすれば彼女の個人的な事情になるだろう。アキラたちネピリムは実験体として自分たちの価値を証明せねばならないという事情があるのだ。大局的に無意味であろうが、アキラたちにとってはそれが何より重視される。そのためであればマーヴィンたちを犠牲にすることを厭わないだろう。

 そうなったとき、それに従うのが自分の役割である。軍人としては。しかし個人としてであればやるべきことは変わってくる。これは自分だけでなく、他のパイロットたちの命運にも関わってくることである。マーヴィンは腹を括った。さてじゃじゃ馬姫はどうでる?

 しかしいつまでたってもアキラの反応はなかった。おい、まさかそこまで追い詰められてるのか?マーヴィンの不安はさらに高まった。

 ここでさらなる凶報が艦隊からマーヴィンに届く。本来ならアキラに届くべき報告がやはりアキラの不通によりマーヴィンに流れてきたのである。しかしこの凶報は転じて彼らにとっての吉報となる。

 マーヴィンは迷うことなくアキラに変わって艦隊に指示(要請)を出した。明らかな越権行為だったがそんなことはどうでもいい。そもそもこのエンジェリオという部隊自体が私的事情で動く部隊なのだ。こちらも私的に動いたところで許されよう。

 このマーヴィンの考えを肯定するように後方の艦隊はあっさりとその要請を受け入れた。彼らにしてもこの戦いは明らかに無意味だったのである。


 宙空に三色の発行信号が閃く。撤退を指示する信号弾である。同時に通信帯域にも各部隊に後退を支持する無線が飛ぶ。

 この信号の出元は優勢であるはずの共同軍から発せられていた。

「どういうつもりよ」

 アキラの言葉は疑問ではなく、怒りの色が濃い。妥当性など関係なく勝手なことをされたという意識が強い。事実上部隊の指揮権を左右できるアキラはこの指示をへし折るつもりで通信を開いた。

 しかし彼女らの後方、共同軍艦艇では想定外の脅威が近づきつつあるのが観測されていた。圧倒的な大兵力を引き連れたWOZ艦隊の存在だった。

 その戦力はAABの戦力を大きく超えている。これと相対しても勝ち目がない。しかも位置が悪い。共同軍の侵攻してきたルートを塞ぐような進路をとっており、早急に離脱せねば包囲されて逃げ場を失いかねない。つまり勝てる道筋が消えつつあるのだ。

 幸いなことに今は距離があるから逃げ道がある。この距離も不自然だった。共同軍は基本的な索敵距離の遥か彼方でWOZ艦隊を補足することができた。これはWOZ側の方からアクティブステルスを解除して見つかりに来たことを示している。つまり共同軍の逃げ道はWOZの方からあえて提供されているのである。

「勝とうと思えば勝てるんですがねぇ、いやぁ残念です。今はWOZとやり合うわけにはいきませんからねぇ。いやぁ残念」

 後退信号を出す指示をしたマーヴィンがわざとらしく無念がる。マーヴィンの理屈は欺瞞の塊だったがそれがアキラ以外の人間たちの総意だった。マーヴィンは彼らを代表して茶番を演じてアキラに懸命な選択を懇願しているのだ。

 現実にはWOZがアキラたちに攻撃を仕掛けてくる可能性は皆無である。アキラたちが勝手にWOZに仕掛けることができないのと同じようにWOZ側もアキラたちには手出しするわけにはいかないのだ。しかしこの際は現実など置いておいてよい。勝てるが勝たない理由として利用できるのなら嘘でも虚構でも利用すべき、とマーヴィンらは暗に主張しているのである。

 諸々の悪材料にウンザリしていたアキラもこのお伺いを無視しなかった。アキラも努めて茶番に乗って苦虫を噛み潰しながら部隊を引き揚げることを認めた。不承不承という体ではあるが、実際には渡りに船でもある。これでアキラは戦えば勝てたが、やむなく勝たなかったという体を持てるのである。

 しかし腑に落ちない。なぜ、このタイミングでそれだけの兵力が出現したのか?連合側の追尾はなく、あっさりと戦闘を離脱したアキラはそもそもこの戦闘が第4者の情報提供によって引き起こされたことに答えを見出した。要するに自分たちは唆されてここにいる、もちろんアキラたちはそれを承知の上で乗ったのだが、相手側にもそれに気づいた人間がいたのだ。

 元より信頼のできるような情報ではなかった。どこかの誰かが自分たちを利用しようとしていい加減な情報を渡してきたに違いない。ならばこれ以上付き合う義理はないだろう。拍手を寄越しもしない相手に踊ってやるほど愛想よくする必要もないだろう。

 自分にそう言い聞かせてアキラはいまだ戦闘の興奮で滾る身体を冷まそうとした。



 イージス隊とエンジェリオ隊の遭遇戦。この戦いはとある事情から歴史において逸話として残されることになるのだが戦術的、戦略的に見ればまるで無意味な戦いだった。イージス隊は生還するという目的を達成した勝者とされるが遭遇戦自体が偶発的な内容であり、またその決着も偶発的な結果でしかなく能動的に得た勝利とは到底言えない。単に生還できる人間が減少しただけの戦いを喜べるはずもなかった。

 アキラたちAABにとってはもっと悪い。戦術的に見れば敵機3機を撃墜、被害は1機の中破に過ぎずスコア的には勝利である。しかしこの戦いではアキラたちの戦術的な目的は終始不明瞭な状態だった。いい加減な情報にいい加減な目的のまま挑んだ末にアキラたちが得たものは無意味な数字上の勝利でしかなく、本質的な勝利はイージス隊に渡ってしまう。

 この結果をアキラは当初は勝てたが止む無く引き上げたことにしていた。そもそもこの戦いがそこまで話題になるはずもなく、誰も興味を持つような内容でもないためそのまま忘れ去れるはずだと考えていたのである。ところがこの戦いは後に脚色を得て大々的に喧伝されることになる。アキラたちは結局のところ敗北の烙印を押される羽目になるのであるがそれはまだ先の話だった。



「共同軍、後退します」

 WOZ海兵隊の旗艦で参謀総長オガサワラ・ナガトキは安堵のため息をついた。当然の結果ではあったが間に合うか、に関しては微妙なところだった。

「我儘を言って申し訳ありません」

 ザルツカンマグートからの帰路にあったWOZ海兵隊司令官は肩を竦めた。大規模演習と件の暗殺未遂のゴタゴタを終えて彼らは根拠地に帰還する最中だった。そこでオガサワラに唐突に進路の変更を要求されたのである。

「さて、何が起こってたのかは聞かないでおくよ。嫌な予感しかしないんでね」

 皮肉にオガサワラは苦笑する。

「このまま元のコースに戻ればいいのかな?」

「それで結構です。ついでに外務局と保安庁の方々をエスコートしてさしあげましょう」

 ドックの分も合わせてそれなりの貸しになる。そう思いながらもそもそもこのような状況を招き入れたのはやはり参謀調査室の行動に端を発しているとオガサワラは考えている。その結果がこの戦闘と思えばあまり恩着せがましいことも言えないのである。


 キャプテンシートに倒れ込むようにルビエールは身体を預けた。

 この戦いではルビエールは何もできなかった。この考え方を頭に浮かべてすぐにかき消した。できると考えるのは増長だった。

 この戦いでイージス隊が被った被害は0だったが諸隊全体では3機の犠牲が出た。いずれもブラッドレー隊の機体であり、そのうちの1機はあのデランシー准尉だった。もちろん戦闘ログを見ても意図的にも消極的にもデランシーを貶めるような動きは見つけられない完全なる偶発的結果である。

 そうであってもこの結果に因果を感じない者はいなかっただろう。ゆえに誰もがその件に触れることはなく、黙してそれぞれの心証に留め置くことになる。ほとんどの者の心証に因果応報に相当する一文が含まれていたことは言うまでもない。

 オオサコですらその報告には眉を軽く動かしただけでスルーすることを躊躇わなかった。オオサコにとってみればデランシーの死が陰謀であろうが偶然だろうが同じことだった。謀殺の噂が立つことは不本意ではあったがそれに関してはどう足掻いても払拭できないだろうし、仮に事実だったところで誰もデランシーを擁護しまい。

 この件に関してもっとも心を痛めたのはルビエールだったかもしれない。イージス隊最初にして今のところ唯一の殉死者であるローランド・ウィテカーや先のオリバー・ヤングの死と比すればデランシーの死はルビエールの為したところからは程遠い。責任の感じようもなかった。それでも同じ人間、ましてや軍人としては味方と定義されるべき男の死がこれほど軽視されることには違和感を禁じえないのだった。

 ほとんどの者にとってマイナスにしかならない遭遇戦だったが何事にも例外はある。この戦いに別の角度から意義を見出したのはクサカ社だった。現行機最強クラスのマトリクスを退けたのはこれが2度目ではあるが今回は真っ向勝負だった。さらにクサカ社を歓喜させたのはXVF16を駆るハヤミ機の活躍だった。ハヤミは後方戦線で戦況を引っ繰り返す決定的な役割を果たした。データとしての貴重性はもちろんのこと、運用実績に箔をつけたいクサカにとってみれば願ってもないストーリーである。このストーリーは後にある事情も合わさって大いに喧伝されることになる。


 イージス隊が無事にキルゾーンを抜け出したのを見届けたマチルダの胸に安堵と同時に訪れたのは怒りだった。

「あれだけ厳重にタイミングを計ってなんですかこれは」

 最後の最後で自分の仕事に泥をつけられたマチルダの怒りは何の遠慮もなくリーに向けられた。

 通信越しのリーも深刻に事態を受け止めていた。火星が共同体に命じて襲わせたとなればWOZを敵対者として積極的に排除する意思表明ともとれる。しかしもう一人の担当者であるCJの見解は違った。

「情報が洩れていて、本気で止めにかかっていたのならあの程度で済むとは思えませんし、もっと都合のいい場所で待ち受けていたでしょう。海兵隊が出てきて引き下がったのも杜撰と言えば杜撰です。連中に与えられた目的はこちらが思うほど重要なものではなかったのではないですかね」

 なるほど。CJの言にリーは思い当たる節がある。アマンダ・ディートリッヒである。あの女にはそうする感情的な理由がある。

「火星、というよりもアマンダ・ディートリッヒが共同体を適当な情報で唆した可能性はあるね。この場合の適当、とは稚拙なという意味だが。共同軍もそれに気づいて付き合いきれないと判断したのかもしれないね」

「つまり、単なる嫌がらせってことですか。付き合わされた方はたまったもんじゃありませんねぇ」

 ほとんど関りのないCJは軽く言うがマチルダは歯を噛み締めた。

 イージス隊らはもちろん、共同体にしてもディートリッヒに振り回されたことになる。何らかの成果が得られたならともかく、この件に関してはディートリッヒ含めて誰も何も得てはいない。

 信じられないことだがディートリッヒの行動は嫌がらせ以上の意味はない。にも関わらずその結果として人間同士が戦って命を奪い合ったのである。

 戦争を何だと思っている。

 それを傍観するしかないことにマチルダは美しい美貌を怒りに歪めた。このとき、アマンダ・ディートリッヒは自らの迂闊な行為によって無用な敵を生み出したのである。



 イージス隊ら諸隊とダラスの駐留艦隊はついに合流を果たした。役割を終えたWOZ巡視隊を見送って艦隊はついに連合領域に入った。

「ご迷惑をおかけしました」

 通信画面の向こうでカリートリーはルビエールの敬礼を受け取る。その表情は彼にしては柔らかいものに思えた。

「まだ合流したというだけだ。WOZ側からは多少の事情は聴いているが仔細はお前から聞かせてもらおう。とりあえずはダラスへの入港を急ぐ」

 2人の共有する政治的な案件の示唆にルビエールは神妙に頷いた。これからルビエールは自分のとった行動に対する裁定を受けることになるのである。後ろではひそやかにクルーたちが生還の喜びを分かち合っていた。


「とりあえず、一安心ってところですかね」

 自らのシートに身体を沈めてヘリクセンが吐き出した。イージスと違ってシュガートの方は歓喜の叫びで満たされていた。アンダーセンもダラス艦隊を見ながら大きな勝利を噛み締め呟いた。

「また老兵が生き残ってしまったな」

 17名のHVパイロット。ホーリングス隊の者たち。ヤング中尉、リード特務大尉。失われた命は少なくない。それでも自分の預かるシュガート隊の多くを生きて帰還させた勝利を今は喜ぼう。


 イージス隊・シュガート隊・ブラッドレー隊、そしてホーリングス隊の4隊にとってのドースタン大会戦がようやく終わった。この戦いと生還劇の中でルビエールはいくつかの縁を手にし、そのうちのいくつかを自覚していたがその中でもっとも重要な縁には気づいていない。

 彼らはロバート・ローズと共にリターナーと呼ばれることになる。この称号は慰めばかりの栄誉と共に苦難を一部の者たちにもたらすことになる。



 歴史的補項

 シュガート隊・ブラッドレー隊及びホーリングス隊の旧第七艦隊の生き残り隊はその他の生き残りと同様に解隊されて方々に散っていくことになる。これによって第七艦隊の存在は完全に消滅することになる。

 シュガート隊のトーマス・アンダーセン少佐は新たな任地へと早々に転属することになる。ハンス・ヘリクセン少尉もこれに帯同したようである。以後も各地を転戦しながら生き残り続ける。

 ブラッドレー隊のオオサコ少佐はしばらくの予備役の後に激戦地の補充部部隊を率いることになる。それが彼にとって最後の戦場となった。

 旧ホーリングス隊にして臨時にシュガート隊のパイロットとして活動したマージュリー・ライナス軍曹はいくつかの戦場を生き抜いた後に連合正規軍特殊作戦群のパイロットとなり数多くの作戦に従事することになる。最終的に特殊部隊ソードストライカーのHV隊長として終戦を迎えた後に退役。最終階級は大尉。

 もう一人、シュガート隊のHV部隊の隊長を務めたシロウ・ハヤミ曹長に関しては後の歴史の表舞台にその名は見られず、ある時期を境に消息も不明となる。ただし、関係者の証言から生存は確認される。



 激動のUF309年は暮れにかかるところだった。

次回の本編更新は10月の予定です

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