9/5「出来の悪い舞台」
9/5「出来の悪い舞台」
ついに出立の日が来た。有り余る時間と最高品質の部材で持って整備補修された3艦はほとんど万全の状態で出発の時を待っている。
アンダーセンが当初懸念していた士気の問題は皮肉なことにヤング事件という打撃の反動で返って高まっていた。多くが忌まわしい事件とこの逃避行に決着をつけたいと願うようになっていたのである。もっとも、処分を待つことになる何人かは気が気ではなかっただろうが、そんな彼らにも逃げ場は残っていない。
「この日を迎えられてホッとしておりますわ」
本来ならそこに「無事に」という言葉を付け加えたいところだがヤングの件だけでなく、先の騒動のこともあってマチルダもルビエールもほろ苦く笑ってここまでの苦労を共有した。
とはいえ、準備そのものは万全である。後の問題は宙域境界付近まで進出しているカリートリーの迎えと合流する道程のみとなる。
「領域境界付近までは我々がお送りします。ただし、あくまでエスコートであって何かあっても手出しはできないと思いますが」
もちろん解っているとルビエールは神妙に頷く。
地球連合の部隊を守るためにWOZが戦うことはない。エスコートをするのは厄介ごとが起こることを防ぐためであって、起こってしまったことは当事者間で解決してもらうしかない。そこまでWOZがやってやる義理はない。
「とはいえ、ご安心ください。現在、領域境界で火星の活動兆候は見られません」
キャシーが胸を張って断言する。イージス隊に何かあってはここまで面倒を見てきた案件が頓挫しかねない。WOZにとってはともかく、マチルダたちにとっては力を尽くす意味はある。マチルダらは自分たちの権限の許す範囲で手立てを講じて出立日に合わせて火星共和の軍事活動のかく乱を行っていた。
「色々と尽力いただき感謝しかありません」
「我々にできることはここまでですが、全てが終わったわけではありません。幸運を祈っております。特に、地球に戻ってからの」
意外なことにこの言葉には皮肉の色は見られなかった。地球に戻ってから、という言葉の意味はいくらかの解釈がありそうだった。
「では、またお会いしましょう」
マチルダはルビエールとまた相まみえることがあると見ているようだった。ルビエールがマウラ閥の人間として動くことになれば、確かにそういう未来もあるかもしれない。
差し出された手を握り返したルビエールは不思議とこの嫌っていた女に不快を感じなくなっていた。
「そちらもお元気で。できれば交渉事以外で」
これにはマチルダももっともだと頷き、互いに苦笑した。
「ああ、言い忘れていました」
踵を返しかけていたルビエールが動きを止めるとマチルダはその美貌を複雑に歪めて、いつもの表情を作った。
「我が国は優秀な人材をいつでもお待ちしておりますよ」
「二度と会うことがないよう願っています」
前言撤回。そう応じたルビエールの表情はマチルダと同じ歪み方をしていた。この外務官と軍人の奇妙な関係はこの後もしばしば繋がりを見せるのであるが、最初から最後までこの妙な隔たりを抱えたままである。
イージスの指揮席に座るのは何時ぶりだろうか。不思議な居心地の悪さを覚えながらもルビエールはあるべき場所に戻った。それを見届けたコールが報告する。
「準備完了」
頷くとルビエールは厳かに宣言した。
「帰還する」
出航するイージスに続いてシュガート・ブラッドレーの両艦も長らく世話になったドッグから出航していく。入る時より物資は多く、命は少なくしての出航である。
「あまりいい思い出は作れませんでしたね」
コロニーの外観を目に焼き付けてヘリクセンがそう溢す。被害の上では2名。他の強硬策を取った場合はそれ以上の犠牲が出ていたことは明白なのは承知していたが後味の悪さは消すことができずしこりとなって残っている。このしこりは彼らが軍人としての道程を手繰るたびに指先に触れるだろう。
「まだ全てが終わったわけではない。これ以上の犠牲なきよう、警戒を厳に」
話を変えて集中を促すアンダーセンにヘリクセンはいつも通りの対応だった。
「もしかしてもう一山あるって踏んでます?勘弁してほしいですねぇ」
苦笑しながらアンダーセンはその可能性を検討する。WOZの話を信頼するなら火星軍との接触の可能性はほぼないだろう。それでも老兵の警報は静かに点滅を繰り返し、意識の隅に残り続けた。それは老兵の生存本能の警鐘か、あるいは経験からなる備えなのかそれともただの杞憂か。本人にも判断はできない。だからこそ、その全てに備える。それが老兵の生存術だった。
出発において緊張と不安を抱えているのは軍人たちだけではなく、ロドニー・エディンバラも同様だった。イージス隊の実務的な面に関わりのない彼は艦を降りたクサカ社のスタッフと共に帰国する道もなかったわけではない。エディンバラはイージス隊の運営に不可欠な存在ではないし、一部からはむしろ邪魔とすら思われている。
「何の役にも立たないんですから降りればいいんじゃないですか」
とは遠慮という言葉を地球に置き捨ててきたエリカ・アンドリュースの言葉である。とはいえ、この言葉はエリカ自身にも向けられるものでもあった。イージス隊の試験プロジェクトは事実上凍結状態にある。戦闘に備えて機体を整備する以外にエリカにやるべきことはないのである。能力的に言えばむしろエリカこそ艦を降りて安全に地球に帰還すべきと考えている人間は少なくない。これには地球のクサカ本社からも何としてもアンドリュースだけは無事に連れ帰ってほしいと言及されていたという後日談までつく。
しかしこの完璧主義者の偏屈は自らの安全には全く無頓着であり、聞く耳を持たなかった。エリカがそうである以上はエディンバラも付き合うしかない。彼自身も自分だけが帰れればいいなどとは考えておらず、むしろエリカに近い考えを持っていたので無理矢理に考えを曲げさせることもできなかった。それに自分だけが帰ったところでアンドリュースはどうしたと言われるのは想像に難くない。結局のところエディンバラの選択は彼の立場と責任によって狭められたと言える。
しかしそんな思い虚しくディンバラの決断はあまり歓迎されなかった。何せ彼にはやることがないのである。やることがなく、ふらふらしている上司などどこの世界でも鬱陶しいものである。エリカの方にはまだ整備スタッフの統率という名目があるのだが、エディンバラが率いるべきスタッフの多くは艦を降りてしまっている。話す相手にすら不自由したエディンバラだったがここで彼は残った僅かな事務方スタッフの仕事に手をつけ始めた。彼自身も事務方から出世してきた人物であり、その仕事に関してはほぼ完ぺきな適性を示し、暇を持て余して効率化を始めた。そうすると僅かなスタッフにすら余剰が出始めた。ここで彼は自分のやるべきことを見つけた。仕事の大半を自分で請け負って余剰になったスタッフを艦から降ろしていったのである。最終的に彼は事務スタッフ2人を残して全てのスタッフを艦から降ろしてしまった。
「やるじゃない」
人を褒めることを滅多にしないエリカが漏らした呟きにモーリは仰天したという。何の役にも立たないと言われた男の小さな勝利だった。
宇宙空間に国境などない。俗に宙域と評される区分けにも正確な座標はなく、大雑把な勢力圏を表しているに過ぎない。地球から、火星までの宙域も正確にそれぞれの勢力圏で区分けされているわけではない。
それぞれの国家が主張する勢力圏にも明確な決まりはない。主張はあってもそれを保障するのはそこを実効的に支配しているか否か、つまり軍事力の及ぶ範囲というのが実情だった。
それぞれの勢力圏は広大な宇宙を挟んで孤立した大陸のようなもので周辺の僅かな宙域が勢力圏と呼べるものになっている。ようするに地球・火星間の宇宙の大半は誰のものでもない空白の海が広がっているのである。
イージス隊が合流を図っているダラスは地球連合の領域であり、WOZの領域と隣接するのだが、勢力圏までもが触れあっているわけではない。現実にはその間には広大な空白地帯が存在している。双方の軍事的な影響力が及ばないその領域には何が潜んでいてもおかしくないのである。
道中の半分に差し掛かったところ。WOZの軍事的影響力も薄まる宙域にさしかかったころだった。
「ちょっと冗談でしょ」
何の因果か、それを最初に捉えたのはWOZ巡視隊のホリィ・ラングウェイ巡視長の艇だった。イージス隊らよりはるかに先を進んだ場所で警戒にあたっていた巡視隊は所属不明の艦隊を捕捉した。その緊急性は先日とは比較にならない。ホリィは即座に為すべきことを実行した。
「数確認、本体に連絡!」
巡視艇は大きく旋回すると索敵用のビーコンを多数ばら撒き、同時にピンを発して所属不明艦隊の解析を行った。ピンは強力なレーダー照射で、自身の位置が相手に知れ渡るという危険を孕むがもっとも詳細な情報を得られる手段でもある。この行為で当然ながら所属不明艦隊はホリィらの存在を確認したがたかが巡視艇1隻に対応してくることはなかった。そうでなくとも速力に優れる巡視艇であれば振り切ることは難しくはない。数秒の後にはじき出されたデータにオペレーターの声は上擦った。
「所属CC。数BC6、DC2。敵です!!」
「うっそでしょ!?」
得られた情報は想定外の最悪だった。ホリィらが遭遇したのは共同軍の本格的な武装艦艇だったのである。
なんでこんな場所に、このタイミングで。考えられる可能性は多くない。どれにしてもホリィらの対応力を越えているのは確かだった。
オペレーターの読み上げをそのまま本体に伝えるように指示するとホリィは即座にキルゾーンと化すであろう宙域を離脱した。
不必要に多くの人間を関わらせたくない。という本庁の意向によってイージス隊らのエスコートを担当することになったウェイン・ダスティ巡視正は前回よりは落ち着いた対応ができている。
「まったく祟られてるのはこっちか、それとも連中か?」
とんだ貧乏くじだ。と思ったウェインだったが少ししてこの考えは行き過ぎだと考えなおした。今回の場合は自分たちが共同軍艦艇に対して何かする必要はないのである。仮に何かする必要があるとしてもウェインがその判断をすることはない。全てはそのホストである銀髪の外務官に帰結する。祟られているのは自分たちでなく、エスコート相手か、さもなくば銀髪の外務官というわけだ。
共同軍の艦隊とイージス隊らの距離が徐々に縮まるのをマチルダは苦々し気に見守っていた。ここにきて共同軍。それもこのタイミング、この場所。偶然ではないのは間違いない。誰かが妨害を企図して送り込んできたのだ。
そう遠くないうちに両者は互いの存在を認知するだろう。ルビエールたちだけなら逃げようもあるかもしれないが連れている2艦を見捨てる選択をあの女はしまい。マチルダ自身もしてほしくはないのだが、それで致命的な事態になられても困る。
冗談じゃない。今さら失敗させられてたまるか。
「艦を割り込ませられませんか」
共同軍が現時点でWOZと敵対する意思はないはずである。ならばこちらの艦艇を割り込ませれば迂回を強要できるだろう。
マチルダの提案にウェインは首を振った。
「冗談じゃありませんよ。理屈は解りますが、そんな賭けにベットできるほどおれも部下も給料を貰っていませんぜ。それに俺らとしては連中よりあなたの方が優先度は高いんです。危険に巻き込むわけにはいきませんね」
言い草はふざけているが、理屈は真っ当である。マチルダは自らの提案を引っ込めたがそれはつまり見ているしかないことを認めたこととも同義だった。
敵性存在の感あり。
WOZ側からの情報を得たルビエールは感情を表に出さないようにして失敗した。したくない選択が突き付けられたのである。
敵勢力は中隊クラスの戦力。諸隊の連合宙域への帰還を遮るように移動しており、まもなくイージスの索敵にもかかるだろう。このような宙域をウロウロしている以上はただの巡回とは見做せない。何らかの目的があって、それは自分たちであると見るべきである。
想定していなかったわけではないが実際にその状況が来てしまった。
「如何しますか?」
問うたのはコールだった。敵艦隊との位置関係からイージスの速力であればギリギリ振り切ることも可能かもしれない。さらに、シュガートとブラッドレーを囮にすればなお確実だろう。イージス隊には試験小隊としてクサカ社の新型機を持ち、さらに内秘とはいえ元大統領補佐官という重要人物を抱えている。その選択をするだけの理由はある。
無論、それは両隊を切り捨てるということである。シュガート・ブラッドレーの速力はイージスに大きく劣り、敵艦隊を迂回しながら振り切ることは不可能である。再度WOZに逃げ込むという選択肢ももはやない。補足された以上、その行動を受け入れたらWOZは今度こそ連合側に加担したと見做される。
ルビエールに突き付けられた選択は2つ。イージスのみで敵艦隊を突破するか。諸隊によって迎撃するかの2つである。後者に関しては成功の見込みは全くなかった。
瞑目しての沈黙はおよそ20秒程度続いた。ただルビエールは選択を悩んでいたわけではなかった。どれだけの理屈を並び立てたところでルビエールにその選択肢を選ぶことなどできなかったのである。その結論は当の昔に出ていた。
「迎撃する。総員戦闘配置!」
ルビエールは覚悟を決めた。その覚悟にコールもリーゼも何の言葉もなく従った。
「了解。総員戦闘配置!」
「シュガートとブラッドレーに連絡します」
軍人である2人はルビエールの覚悟を全面的に支持した。
ルビエールはエディンバラの方を見た。ルビエールとしてはエディンバラが反対したところで無視するつもりだった。ところがそのエディンバラの方はと言えば降りかかる災厄を嘆いてこそすれ、ルビエールたちの行動を非難するような様子ではなかった。
エディンバラにしてみれば、そもそも艦を降りる選択肢を自ら捨ててのこの結果である。ルビエールの選択より自分の選択の方がよほどバカげているのである。それに前回の例もある。この少女は自分たちの命を賭けてでも仲間と共に帰艦する方に賭けた。今さらこれに意義を唱えることの無意味さくらいは想像できる。結局のところエディンバラにできることは精々邪魔をしないでいることと、自分の不幸を嘆くことくらいなのだった。
このようなエディンバラの投げやりな心境からくる殊勝な態度にルビエールはエディンバラという男を多少見直したし、巻き込んでしまったなと少しばかりの申し訳なさを覚え、両者の間に妙なシンパシーが生まれることになる。
そしてもう一人はと言えば苦笑しながら肩を竦めるだけなのだった。
この遭遇に困惑しているのは何もイージス隊やマチルダだけではなかった。当の共同軍艦隊、AAB第九大隊ですらこの遭遇には困惑していたのである。
「何であんなのがいるわけ?」
第九大隊のエース部隊であるエンジェリオの一人であるデジーは神経質そうな顔で与えられた情報の不正確さに不満を見せている。
聞いていた情報とまるで違う。アキラ・タチバナも同じことを思っていたが彼女の場合はその裏を推察できる立場にあった。
クソ情報部が踊らされたのだ。どこかの誰かが両者をぶつけるために欺瞞情報を吹き込んだに違いない。
リーズデンがあっさりと陥落したことで第九大隊は活動の場を一時的に失い、一度根拠地に戻ることになっていた。それと同じタイミングで共同体に奇妙な情報がもたらされた。この情報の詳しい内容は解ってはいない。情報部は機密と言って明かそうとせず、ただ指定期間の間、指定宙域への警戒を厳とすることを軍部に要求したのである。
ここで宙ぶらりんになっていた第九大隊に白羽の矢が立った。実際には面倒ごとを押し付けられたとアキラは解釈しているが、ともかくアキラは第九大隊から1個中隊を引き抜いて向かうことになったのである。
「どうしますか?」
分艦隊を名目上預かっているカールソン少佐が不安げにアキラに伺った。彼には実的な指揮権はなく、分艦隊は特別大尉であるアキラによって握られている。
もちろん叩くべきである。敵新型機はアキラら「ネピリムの子」の価値を示す格好の獲物だ。しかしアキラは彼女にしては珍しく即座に決断をしなかった。いくつかの点で気に入らない要素が混ざっていた。
一つにはこの遭遇がどこの誰とも知れない者によって御膳立てされたことだ。その目的がはっきりしているならまだいいが、それも解らない。つまり、何らかの罠である可能性もある。
二つは敵の目的もはっきりしないことである。なぜ、このような場所にいるのか?なぜ、WOZにエスコートされているのか?WOZと地球が結託しているのなら話は簡単なのだが、WOZの動きからそれは否定される。
そして三つは敵が決して油断のできない相手であることだった。戦うとなれば負けることは許されない。アキラ自身は勝てるという確信があったが他の者、特にCLZ01を使っていない者たちでは分が悪い。数の利は明らかに自分たちにあるが無傷で、とは言い切れるものではない。まして犠牲となる機体がCLZ01、さらにはネピリムであればアキラの目的は実質的には失敗となる。
要するにこの戦いはアキラにとって不明な部分ばかりなわりにメリットが薄いのだった。そもそも遭遇したのは艦隊とも呼べない小部隊である。放置したところで何の影響もないだろう。理性的な部分でアキラはそう考えながらも別の意識野がこうも言う。
腰抜けめ。
「出るぞ」
慎重にやればいいだけの話だ。御膳立てされた場所だけで踊るのが真価ではない。目の前にある戦果を喰らい尽くしてこそのAAB最強部隊エンジェリオである。
警報が響く。総員戦闘配置。
最悪のケースではあったが将兵たちの士気は決して低くはなかった。最後の壁が来た、というだけである。これを突破すれば帰れるのだ。ならば、やるしかないではないか。
スーツに着替え終えたハヤミは見慣れない自身の機体を見上げた。ぶっつけ本番だが今さら文句を言ってもしょうがない。
「隊長、揃いました」
マージュリーら5人の旧ホーリングス隊のパイロットがハヤミの前に整列して言葉を待っていた。
やれやれ、最後まで演じ切りますか。本心を押し込めてハヤミは虚飾を口にした。
「いいか、この戦いに任務もクソもねぇ。状況は至ってシンプルだ。生きてれば勝ち。死んだら負けだ」
自分で言っておいてなんだが奇妙な状況だ。通常兵士たちには作戦ごとに何らかのタスクがある。生き残ったところでそれが果たされなければその戦いは負けであり、死んでしまったところで勝ちとなる場合もある。個の生存と全体の勝敗は一致しない。これこそが軍隊という組織の維持が困難となる最大の要因だろう。
ところが今回の場合はその勝敗と個人の生存は一致する。負ければ生き残りようがない。勝つしかない。そしてそのためには全員で戦わねばならないのである。
「生きて帰る。それ以外はなしだ!」
ハヤミの故郷には言霊という言葉がある。口にした言葉が持つとされる力である。発した時点でその言葉は発した者、聞いた者に力を付与する。暗示のようなものとハヤミは認識しているがこの言霊はシンプルさゆえにハヤミだけに留まらず5人の隊員それぞれの心に刻まれた。
「搭乗!」
6人のパイロットはそれぞれの機体に同じ思いを持ち込み出撃していった。
後に特殊部隊ソードストライカーの現場隊長となるマージュリー・ライナスは自身の持つ理想的な隊長像にハヤミの名を上げる。虚飾のHV隊長シロウ・ハヤミ曹長はこの時、事実としてシュガート隊のHV隊長だった。
後は機体に乗り込んで出撃するだけの状態になった。エリックの心境も平常ではありえない。緊張の度合いがこれまでとは異なる。今回の戦いには戦術上の勝敗はない。諸隊が無事に逃げ切れれば勝ち、という至ってシンプルな作戦になる。しかし、難易度もまた重大さもこれまでの比ではない。
これまでのエリックの戦いとは自分が生きるか死ぬか、拡大解釈しても精々味方を巻き込むくらいの範囲での戦いでしかない。しかし、今回は自分たちの敗北が諸隊全ての生死に直結する。
自分「たち」はここで死ぬかもしれない。そのことがエリックだけでなく、他の若いパイロットたちを狼狽させる。
「まるで最終決戦にでも挑むみたいな様子だな」
いつものように人の機微を的確にぶち抜いてくるのはエドガーである。この状況下でもエドガーの様子はいつも通りだった。
「生き残る限りはこんなもんはちょっとした危険の一つにすぎねーんだぞ。毎度そんな状態で出撃してたら身が持たねー」
エドガーなりの励まし、とはエリックは受け取らなかった。それなりに付き合いを深めて解ったことがある。この人でなしは味方を積極的に強化する。その方が自分にとって有利だからだ。ギリアムは上に働きかけ、エドガーは下に働きかけるわけだ。ベクトルが違うだけで結局のところエドガーもやれることをやっているに過ぎない。
軍人として戦い続けるならこんな状況はいくらでもくる。それはそうだろう。ただ理屈が解れば委縮せずに済むと言うならどれほど簡単だろうか。今回ばかりはエドガーの言葉も大した効果を発揮しなかった。
それでもやることをやる以外に道はない。エリックは自分を懸命に叱咤し続ける。その様子は先ほどまであまり変わっていないように思える。
「相手は共同軍ってどういうことなんですかね?」
マリガンは自分たちに最後の壁があるとするならそれは火星だと思っていた。もちろん彼も共同体が火星に肩入れし始めたのを知ってはいたがわざわざWOZの近隣領域まで進出しているとは思ってもいなかったのである。
「そんなこたぁ連中に聞いてくれ」
にべもなく切り捨てるエドガーにマリガンは呆れる。
「少尉は自分が何のために、何と戦ってるのかは気にならんもんですか」
「ならないね」
エドガーはまたしても切り捨てる。この言葉はさすがにマックスとエリックも興味を惹かれる。
「つまり、少尉にとって敵はただの仕事上のスコアってことです?」
言いながらマックスは自分の投げかけが正しいものとは思っていなそうだった。確かにエースの中にはそういう人種もいる。ある種の狂人のような存在で、マックスもそういう人種との接触はいくつかある。しかし、エドガーがその仲間であるとするには違和感がある。
エドガーはいかにも面倒くさそうな顔をしながら語る。それは珍しくもエドガー自身から明かされる身の上話だった。
「オーキッドって名前は蘭って意味だが、その由来を知ってるか?」
マックスとマリガンは顔を見合わせて解答権を譲り合った。この質問に答えたのはエリックだった。
「えーと、確か、睾丸ですよね」
あまり口に出すのは憚れる意味だったがエドガーは気を悪くするどころか満足げに笑みを見せた。
「そうだよ睾丸だよ。だからうちの家系では女は蘭のように華やかに、男は睾丸をぶら下げるに相応しい男でなければならないって言われてる。馬鹿々々しいと思うだろ?俺は少なくともバカみたいだなって思ってる。だが結果としてうちの家系はエースパイロットなりなんなり大量の軍人を生み出してきたんだよ。どれだけ切っ掛けがバカらしくてもそれが結果なんだよ。だから俺が生き残って子供ができてもやっぱり言うだろう。てめぇの睾丸に相応しい男になれってな」
あまりにヒドい家訓話に3人とも閉口してしまったのだが予想通りの反応だったのかエドガーは気にもせずに続ける。
「相手がどうとか関係ないんだよ、俺は。自分がてめーの金玉に相応しい男でありさえすれば誰を相手にしようと、どこへ行こうとも同じだ」
しばらくするとマリガンが3人を代表してかろうじて口を動かした。
「なるほど。つまり、自分の定義する自分でありさえすれば、周りの環境は関係がない、と。身勝手の極致ですなぁ」
解りやすいと言えば解りやすく。単純と言えば単純だった。ただし、誰にでも真似のできることではない。人は流される生き物だ。それは悪いことではなく、最大の長所でもある。いかようにも変われる自在さ。個を持ちながら群体でもあるこの種にあって自らの定義を最優先してそれを貫く者はアノマリーとされ人間社会において爪弾きされることは珍しくもない。
マリガンは改めてこの人物と自分は全く別の生き物である結論することでかろうじてこの考えを受け入れることにした。
「で、理想的な少尉殿は、この状況にどう挑みます?」
ある意味で同じような考え方を持っているマックスは冷やかすように投げ、エドガーは悠々と答える。
「御膳立てされたところで踊れて二流、いつ、どこでも踊れて一流よ」
無造作に言ってのけるエドガーだがその表情は待ってましたと言わんばかりにも見える。実際、彼の勘はこの逃避行にまだ一山があることを訴えていたのだ。3人はまたしても呆れた顔をする。
他のベテラン勢も想定外のスクランブルなどこれまで何度も経験してきていた。パイロットに比すると整備スタッフの手際が心配されたが完璧主義者エリカ・アンドリュースは想定外を許さず、現場人にとってははた迷惑とも言える想定マニュアルを作り上げていた。この一度切りのために用意された手順が効果を発揮して整備スタッフの動きもよく、即座に出撃態勢は整えられた。
「出ます」
共同軍の艦艇からHVが展開されたとき、マサトはそれだけ言ってハンガーへと足を向けた。
何事かと問う間もなくルビエールとコールなどは呆気にとられて顔を見合わせた。2人にとってマサトは参謀としての方が重要であり、それはマサト自身も認識していると思っていたのだ。
ほとんど同時にレーダー管制官が分析された情報を報告した。
「共同軍艦艇の所属が判明しました。第9突撃機甲大隊所属。HVの中にCLZ01も確認できます」
不吉さが質量を持って肩にのしかかったのをルビエールは感じた。マサトはそれを察して動いたのだ。
何の因果か、第9大隊と言えばリーズデン戦区に派遣されてイージス隊とも対峙した部隊である。リーズデンがあっさり陥落したことで手隙になったのかもしれない。
共同軍突撃機甲大隊は言わば地球連合における特殊戦略師団に相当する遊撃戦力でいつ、どこにでも派遣されうる戦力ではある。それでもなぜこのタイミングに、これほどの戦力が?という点には疑問を抱かずにはいられない。しかしルビエールはその疑問を棚上げにしなければならない。
目的、というよりは獲物だけははっきりしている。自分たちである。逃げても追ってくるだろう。では、どうするか。
「本隊との合流地点は?」
「まだ16時間はかかります」
その時間まで凌ぎきれるものか?非現実的に思える。かと言って迎え撃って追い返せる戦力差ではない。敵艦を直接攻撃するか?無理だろう。
どうするか?
答えを算出しないまま時間だけが浪費されていく。
「司令、ご指示を」
たまりかねてリーゼが呟いたとき、ルビエールは初めて勝算のないまま指示を出すことになった。
「全隊、全機出撃。こちらの隊の機体を前面に出して迎撃する。シュガート・ブラッドレーの隊は後方に展開して艦隊に攻撃を仕掛けるものを迎撃。艦隊はこのまま前進を継続する。離れすぎるな」
何とか艦隊を迂回させて振り切るしかない。この方針の成功見込みに関してルビエールは悲観的になるしかない。
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