19/2「もっと不思議の国」
19/2「もっと不思議の国」
連合軍からクサカ社に出向していたパイロットであるハヤミ・シロウ元准尉とクサカ社の元エンジニアであるモーリ・シエナ。イスルギ社の亡命に巻き込まれる形で帯同することになった2人はWOZ入国と同時に外務局の管理下に置かれることになった。金髪小柄の外務官キャシー・アグスティンが二人を出迎え、その道中でここからの流れが説明される。
まずは二人の事情聴取と身元洗い出し。身元の洗い出しに関してはほぼ済んでいるし、聴取に関してもエディタらの保証でほとんど簡略化されるという。それでも亡命となると手続きには時間を要する。それまで二人の行動は外務局の用意したホテルのフロアに限定された。
「正式に処遇が決定されるまでの一時的な処置ですのでご理解ください」
外出はできず、実質的には軟禁だったが外務局員の対応は紳士的でハヤミに特に不満はなかった。キャシーが毎日顔を出して外務局員の聴取に同席し、エディタらの状況を報告したりしてくれる。しかしその状態も1週間続くとさすがに暇を持て余すと同時に不安にもなる。
「なんか問題とか起こってます?」
ハヤミの問いにキャシーはため息交じりに答える。
「お上の方針は決定してるから心配はしなくていいですよ。お役所の仕事に時間がかかるのは残念ながら万国共通ってことです。特に今回の場合はイスルギの方々の件にプラスしてですから。急かすのも酷なところでして」
気のせいかキャシーの方も文句を言いたいところだがそうも言えず苛立っているようである。急ぐ必要もないハヤミは納得した。
「繰り返しですけど、亡命の件に関しては手続き上の問題だけですので。ご安心ください。それで、こっち的にはもうやることはないんですよね」
「つまりとっとと引き取ってもらいたい、と」
「そういうことです」
このキャシーの願いは程なくして叶ったらしく、翌日からはキャシーではなくハヤミらの身柄を預かることになるISE社の人間が訪れるようになった。
「クローナ・ベリサリオだ」
目つきの悪い女はそれだけ名乗るとカバンから書類の束を取り出して机に乱暴に置いた。
「えーと、どちらさまで」
ハヤミが恐る恐る聞くと椅子に座った女は腕と足を組んだ。年はエディタよりは上だろうか。態度の悪さに比べて服装はカーディガンにロングスカートと淑女然としていてアンバランスに感じる。
「元スターク社、現アイデアル・スターク・エヴォルテック。つまりISE社の第二開発部部長。これで充分か?」
不十分だろ。とハヤミは言いたくなったが我慢した。その口調と態度はハヤミの天敵であるエリカを彷彿とさせた。ISE社つまりこれからハヤミとモーリが務めることになる会社。その開発部長とはつまりマサトと同じレベルにいるということになるのか?つまるところこの先ハヤミたちの上司になるかもしれない人物なわけだ。ハヤミの率直な感想は勘弁してくれだった。
「で、何の御用で?」
ハヤミのお伺いにベリサリオはクソでかいため息をついた。説明するのすら面倒くさいと顔に書いてある。
「入社書類やら役所の届けやら諸々だ。ジョーダンのアホが用事でいけないというから私が持ってくる羽目になった。私はお使いじゃないんだが」
左様で。ハヤミは出かかる言葉を呑み込んで練り直してから吐き出した。
「わざわざありがとうございます」
「とっとと始めるぞ」
そう言うとベリサリオは書類を拡げてハヤミにも着席を促した。
「今から?」
「一人でできるのか?」
ベリサリオは拡げた書類をハヤミに突き付けた。見たこともない手続き書類に見たこともない単語が羅列されており眩暈を覚える。どう考えても一人でできそうには思えない。やむなくハヤミは着席した。
「お願いします」
「よろしい」
ベリサリオの指示を受けながらハヤミは書類作業に入る。イスルギ、もといISE社側の書類はありきたりなものだったが役所書類の方は国籍取得のための申請書、戸籍登録、それらに付随する身元保証などなど。真っ当に生きていればまずお目にかかることがないものだらけだった。
「名前は都合が悪いなら変えられるそうだ。生年月日も変えていいらしい。ま、ややこしくなるからあまりお勧めはしないがね」
名前を変えるなど考えたこともない。ハヤミは改めて自分の境遇を突きつけられて気持ちが萎えた。
「住所はここを書いておいてくれ」
言われた通り見知らぬ住所を書き込んでいるとベリサリオは端末を渡してきた。
「一応、ここが君の住む場所だ。こちらが取り急いで用意したものだからさほどいい物件とは言えんがね」
画面に写っているのはかなりの大型マンションと部屋の間取り。良い物件ではないとベリサリオは言うがハヤミにはかなりちゃんとしたマンションのように見える。部屋数も一人で住むには多すぎる。ハヤミは一つ気になったので念のために確認した。
「え、と。これは俺が一人で住むんですか?」
ベリサリオは何を言ってるんだ?という顔をしたがすぐに得心すると答えた。
「もちろん。モーリ・シエナにも別に用意しているよ。隣だ」
まぁ。さすがにそうだろうな。ハヤミは安心したがしかしということはこのデカい部屋に一人で住むことになるのか。持て余すことになりそうである。
「あくまで仮の住まいと考えて我慢してくれ。落ち着いたら自分で探すといい。立地的に都合の良い場所とも言えんしな」
どういう解釈をしたのかベリサリオは同情的に言う。どちらにせよ早めにそうさせてもらおう。もう少し手狭な場所に。
慣れない書類作業はベリサリオの助けもあってその日のうちに終わらせることができた。ハヤミ一人では絶対に数日はかかっただろう。その点でハヤミはベリサリオに感謝した。
「こちらの生活は窮屈じゃないか?」
書類をまとめながらベリサリオがこの日初めて無駄口を叩いた。口調は不機嫌そうなままなので尋問のようだったが。
「え、まぁ退屈ではありますけど。特に不自由はないです」
「そうか。外務局とうちはよしながあるとは言っても所詮はお役所だ。こちらの方が融通はきくから個人的な要望がある時は言ってくれ」
「それは、どうも」
先ほど感じた違和感が再びハヤミに戻ってくる。どうもこの女史は口調とその内容にズレがある。ぶっきら棒なだけで悪意があるわけではない。むしろ色々気心を回してくれているようである。
もしやこの女。良い人なのでは?ハヤミがそう思い始めた矢先、次の発言は斜め上を行った。
「性欲を持て余しているようならその手のサービスも手配するが」
ハヤミはずっこけそうになった。なんだこの女。
「いや、結構です」
「冗談だ」
勘弁してくれよ。どう対処すればいいのか解らずハヤミの愛想笑いは引き攣る。ベリサリオは何か不満らしく首を傾げた。
「それともう一つ。そんな畏まれても困るんだが」
「いや、開発部長って言ったらマサトと、マサトさんと同格なわけでしょ」
言いながらハヤミはマサトにさん付けをすることに違和感を覚えた。ベリサリオは少し斜め上に視線を彷徨わせてハヤミの言葉の意味を考えていたがしばらくすると合点がいったようで目を丸くした。
「ああ、なるほど。そうか、外部から見ればそうなるのか」
一人で納得するベリサリオは怪訝な顔をするハヤミに向けて少しだけ顔を柔らかくした。
「言っておくが私は彼と同格などではないぞ。肩書上は同じでも彼はISE社の独占株主でもある。同格どころか彼こそ私の雇い主というわけだ。私のポジションは実際のところはジョーダンと同じか、考え方次第ではあいつの方が上だ」
「は?」
「この国では肩書は意味を為さないということだな。君の年は?」
「24、ですけど」
「なら2つと離れてない。ため口で結構だ」
うっそだろ?ハヤミは喉から出かかる言葉を呑み込んだ。全く持って失礼な話だがハヤミはベリサリオの年齢を30は越えていると思っていたのである。
「そうは言われましてもね」
釈然としないハヤミの考えていることを見抜いたのかベリサリオは意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほど。当てにならないものがもう一つあったな。しかし見た目が重要だと言うなら彼の相手なんぞできんぞ」
ん?ハヤミが首を傾げる。ベリサリオはそれまで明らかだと思われる前提を覆すことを口走った。
「彼は私より年上だ」
はぁ?そんなばかな。あの見た目ゆえにハヤミはこれまでマサトの自称19という年齢を信じてこなかった。実際には10代半ばと言われても驚きはしないつもりだったが逆とは想定外だった。
「え、じゃいくつなんだ?」
思わず口調が砕けたハヤミだったが宣言通りベリサリオは気にすることなく質問の方に意識を動かす。
「さぁな。私が16でスターク社に入った時点で上役として在籍していたからな。状況から考えて私より年上だろうと認識しているが正確なところは私も知らんよ。聞いても具体的なことは教えてくれないしな」
16で世界最先端の軍需企業に入るとか天才かよ。今現在のベリサリオが26となると10年は前ということになるか。じゃぁあいつはいつからいるんだ?状況的に考えればベリサリオよりは年上の可能性が高いだろう。
「ま、付き合っていればそんなことは気にしている余裕もないがね。彼の下にいると色々と苦労することになるだろう。ただ退屈はせずに済むと思うよ。もちろん、君がそれを望むなら、だが」
そりゃそうだろうな。あまり嬉しくない予測にハヤミは苦笑いを浮かべることしかできなかった。そこで話は終わり、ベリサリオは席を立った。
「最後に一つだけいいですか?」
部屋の出口まで送りながらハヤミが投げた。
「何かな?」
「エディタさんはあいつのことを信じてるみたいですけど。あなたはどうなんですかね?」
先ほどの言葉を考えるならば、この人も色々と苦労してきたということになるだろう。それでもマサト・リューベックについていく。その理由はなんなのか。
「ふむ」
ベリサリオは真剣に考え込んだ。語るべきなのか。どう語るか。それらを全て整理してから答える。
「重要な質問だ。が、おいそれと語れる内容ではないし、語りたくもない。なので明確な事実のみを答えるとしよう」
ベリサリオは一言に全てを込めた。
「10年だ」
それだけの時間をベリサリオはマサトと共に歩んだ。ハヤミはそう受け取った。十分に納得ができる。しかし誇らしげだったベリサリオの表情は次の瞬間には自嘲的な苦笑に変わった。
「ま、時間をかければいいというものでもないがね。状況が変わったと言ってしまえばその通りなのだろうが。君ほど短期間で入り込んできた人間はいないよ。まぁこれからよろしく頼む」
拗ねているようなことを言いながらベリサリオは右手を差し出した。
お、おう。入りたくて入ったわけじゃないし、まだ入ったわけでもないんだが。困惑しながらハヤミがその手を握り返すとベリサリオは笑みを浮かべて去っていった。
妙なことが起こっている。ハヤミはこの展開に既視感を覚える。評価が独り歩きして勝手に状況を作り上げているのだ。これはまた面倒なことになるぞ。
さらに数日後。ハヤミはついに軟禁状態を解かれることになった。つまりハヤミらはWOZ国民となったのである。諸々の手続き書類と説明を済ませて金髪の外務官は肩の荷が卸せたことにホッとしている。
「以上となります。おめでとうございますと言うべきか解りませんけど。とりあえずご健勝をお祈りします」
そうは言われましてもね。とりあえず礼を言うハヤミにキャシーも苦笑いを浮かべる。
「まぁ何かと大変だとは思いますが頑張ってくださいよ」
「一体何をどう頑張ればいいんだか」
口をついた本音にキャシーは芝居がかった口調で言う。
「そうですねぇ。とりあえずは、生きる。ということですかねぇ」
なんなんだこの女。ハヤミは訝しんだ。真っ当そうに見えてどこかおかしい。
「じゃ、最後に家の方までお送ります」
そういうとキャシーは歩き出していった。直接?警戒心を抱いたばかりのハヤミは謝絶したいところだったが勝手の知らぬ土地。自力でたどり着ける自信はなかったので止む無くついていく。
ホテルのロビーにはモーリもいた。モーリの側についていた外務局の人間とキャシーが話をしている間、ハヤミとモーリは隣あった。2人はすぐ近くにいたはずなのだが喋ることはもちろん、会うことすらなかった。ここにいるということはモーリもハヤミと同様に手付きを済ませたということになるだろう。と、なればエディタの提案を受け入れたのだろうか。
気にはなるのだがモーリは今だこの状況を招いたハヤミに対して何の感情も示していない。恨まれていてもおかしくはない。
「久しぶり」
これ以上ないほど当たり障りのない言葉にハヤミ自身恥ずかしくなった。モーリはちらりとハヤミの方を向いただけですぐに視線を戻した。ただその目にはハヤミに対する敵意は見られなかった。今はまだ喋りたくない、という意思表明でハヤミを拒絶しているわけではなかった。
思ったほどは悪くない。ハヤミはそう自分を納得させる。
しばらくするとキャシーは2人を手招いてホテル地下駐車場に向かった。去り際、もう1人の外務局員が気の毒そうな顔をハヤミらに向けたがそれが何を意味するのかハヤミには解らなかった。
「さぁどうぞ」
地下駐車場。キャシーが胸を張って搭乗を勧める車に2人は唖然とした。別に珍しい車というほどではない。2人にとってはむしろ馴染みすらある。ハヤミも何度か見たことがあるその車はOPAの老舗メーカーであるヨツビシのセイバーという名でハイパワー4WDとして名を馳せているスポーツカーだった。ここで重要なのはどう考えても客人を送迎するような車ではないことだった。
その車に乗り込んだキャシーは5点式のシートベルトをつけるとエンジンを始動させた。凄まじい爆音が地下駐車場に鳴り響く。明らかにノーマルの音ではない。
2人は顔を見合わせて先を譲り合った。助手席も同様に5点式のシートベルトだった。ハヤミの考えではより安全なのは助手席なのだがモーリは断固として助手席に座ることを拒否した。ハヤミは観念して助手席に座った。
「そんな緊張しなくて大丈夫ですよぉ」
気楽に言うキャシーの手にはいつのまにか本革のグローブが装着されている。後部座席のモーリは4点式シートベルトを何度もチェックした。
「んじゃ、出発」
ハヤミとモーリは身構えたが、それでもその衝撃は予想を上回った。
トラックに追突されたかと思うほどの衝撃で車は急加速した。ドライバーは地下駐車場のスロープをジャンプ台か何かと勘違いしているのか凄まじい勢いで登りきると一般車もひしめく市街地に突入した。
この時点でモーリの賢明なる防衛本能はそこから先の記憶を放棄することを決定した。無理もない。HVパイロットのハヤミですら恐怖する。車はスラロームを繰り返し、時にスライド、ホイールロックを起こしながら市街地を猛烈なスピードで駆け抜ける。
映画でもこんな走り見ねーぞおい!
「おいヤバいだろ!事故ったらどーすんだ」
「大丈夫です。外務局ナンバーなんで」
眼球を忙しなく動かしながらキャシーは平然と答えた。そういう問題じゃねぇ。しかしその目に何を抗議したところで無意味だと悟る。ハヤミにできるのは願うことだけだった。これが新手の処刑方法でないことを。
車が急停止した時にハヤミに時間の感覚はなかった。処刑でないなら拷問だ。今なら何を聞かれても喋るだろう。キャシーの送迎はハヤミとモーリをあの世送りにはしなかったが深い傷を負わせた。
どこをどう走ったものかも判然としないがその風景からベリサリオに見せられたマンションらしい。天国ではない、目的地についたのだ。時刻は夕方に差し掛かりコロニーの日も赤みを帯び始めていた。
「生きてるぅぅ」
シートに沈み込むハヤミの後ろでドアを開ける音と何かが這いずる音が聞こえる。そして女が呻く音がした。ハヤミは見ないことにした。
そんな2人の惨状を全く無視してキャシーは待っていた人物に手を振った。視線の先にはエディタがいて引き攣った笑みで手を振り返していた。
「じゃ、私の仕事はここまでですけど。何かあれば連絡くださいね」
言いながらキャシーは2枚の連絡先を記したメモリカードを渡した。本音を言えば受け取りたくなかったがそのやり取りすら面倒臭い。カードを受け取るとハヤミはよろめきながら車から降りた。思った以上に平衡感覚がやられている。ぶっ続けで戦闘機動を取り続けたような疲労感だった。
ハヤミがドアを閉めるとキャシー号は猛烈な加速を見せて一瞬で姿を消した。あれが平常運転らしい。
「話を聞いた時点で迎えにいくべきだと思ったんだけどね。ごめん手遅れだった」
事情を知っているようでエディタが申し訳なさげに謝ってきた。
「戦場でもあそこまで死に近くはないっすよ」
冗談ではなく、本気でハヤミはそう思った。
「驚くべきことにあれで事故ったことはないらしいんだよね」
そりゃーあれで事故ったら確実に死ぬだろうからなぁ。パイロットの中にも危機意識が欠如しているとしか思えないような機動をしながら平気な顔をして生き残っている連中がいるがあの女もそういう人種なのだろうか。
生垣にその日の昼食を吐き出していたモーリがのっそりと起き上がった。
「モーリ、まっじですまない」
無言。モーリの目は即時の休養を要求していた。察するとエディタは自分の用件だけを伝えた。
「ごめんねぇ。今日は手早くすませるから。まずこれが2人の部屋の鍵ね。最低限の家具類は運んであるし、多少は食べるものも冷蔵庫にぶち込んであるから。あとは好きに使って今日はゆっくりして。仕事はじめは4日後。明日の10時に迎えに来るから一緒に街を見て回ろう」
カギを受け取ったモーリは黙ったまま。まだ時間が必要だと判断してエディタは退散することにした。
「じゃ、おやすみなさい」
語りたいこと、言うべきことは山ほどあるだろうに、エディタはそれを押し込めて心を痛めている。申し訳なくなってモーリは呼び止めた。振り返ったエディタにモーリはその時の精一杯を口にした。
「もう少しだけ、時間をください」
それは見方によってはただの現状維持でしかないだろう。しかし選択のための時間ではない。それを理解したエディタは満面の笑みを浮かべて受け入れた。
「うん、待ってる」
エディタの車は常識の範囲内の加速で走り出したがすぐに急停車した。何事かと注目する2人にエディタは手を振りながら大声で叫んだ。
「ようこそWOZへ、一緒に頑張ろう、よろしくね!」
いや、マジで頭が上がらん。手を振り返しながらハヤミは遠ざかるエディタの車を見送る。それが見えなくなるとハヤミとモーリはマンションの玄関に取り残されて立ち尽くした。監視もなく、誰の保護下にもない。一応はISEの社員ということになるが今は勤務外。つまり、何をしようが自由ということになる。
そうか。自分たちは本当にWOZの人間になったのだ。あまりに実感が湧かずハヤミは首を傾げた。唐突に開放された2人は都会のど真ん中で遭難した気分である。
立っていてもなんだ。ハヤミはマンションに向かう。モーリが黙ってついてくる。隣の部屋なので何の問題もないのだが。
ホールを抜けて、エレベーターに乗り、自分たちの部屋につくまで2人は全くの無言だった。
部屋の鍵で扉が開くのを確認するとハヤミは動きを止めた。さすがにここで部屋に入ってしまうのは違うだろう。隣の部屋の扉ではモーリが同じように止まったままだった。考えていることは大体同じらしい。ハヤミと、モーリ。2人の問題に関してはここで決着すべきだ。
「なんか言わなきゃいけないことあるか?」
「別にないです」
即答。しかしだからと言って部屋に入って終わりにはしない。
ハヤミは振り返ってマンションから見える景色に目を向けた。独特な発展をした都市の夜景は全く馴染みがない。新しい世界だ。モーリも同じようにその景色を眺めて、同じことを思った。
ここでやっていけるのだろうか。
「なんでこうなっちゃったのかねぇ」
ハヤミはがっくりと頭を下げた。
「あなたが言うとは思いませんでした」
「俺だって途方に暮れてるっつーの」
「そうは見えませんでしたね」
棘のある言い方だがそれは皮肉に分類されるべきものだろう。2人はお互いに苦笑した。
「まぁ、なんていうかお互いに運が悪かったな」
「そうですね」
ハヤミが確認するように言い。モーリが同意する。そういうことにしておこう。2人の間に和解が成立した。モーリにはハヤミを事件に巻き込んだという呵責があり、ハヤミにはモーリを決断に巻き込んだという呵責がある。どっちが巻き込んだのか、どっちのせいでこうなったのか。今となってはそんなことはもうどうでもいい。こだわるだけの価値はない。
「エディタさんって本当いい人だよなぁ」
「良すぎて困ります」
「確かに」
ハヤミは苦笑した。あの人がいっそ悪い人間だったならここまでの苦労はしなかっただろう。もちろん、その場合は苦労以外のものも失うことになっただろうが。あの場に居合わせたのがエディタだったのは不幸中の幸いと見るべきだ。
「誰の望んだ形でもないが誰の不幸を望んだ選択でもない。か」
ハヤミの呟きをモーリは反芻した。あの銀髪の外務官の言うことはもっともだ。そして、2人のために手を差し出すものがいることは幸いである。それが打算でなく善意であるなら尚のこと。他に道はない。あったとしてもそれはその道からこそ派生するだろう。いまだ受け入れ切れてはいないものの理屈の上ではモーリも納得はできていた。
ふと。モーリは自分のことばかり考えていたことに気付いた。
「そっちはこれからどうするんです?その、つまり、働くんですか?あの人らのために」
あまり考えないようにしていたことを聞かれてハヤミは遠くを見つめた。
「確かに、俺も自分のこと考えなきゃなぁ」
ま、考えてもしょうがないけど。モーリと違ってハヤミはさらにドツボにハマりそうな気配がしている。
ISE社で働く。これは必ずしもマサトらの陣営につくことを意味しているわけではないだろう。少なくともエディタはモーリに対しては様子を見つつ本人の意思を優先するはずだ。
しかし、自分はどうだろうか。エディタはともかくマチルダやベリサリオの対応はハヤミをマサトの陣営に入るものと認識しているように思える。それもカンナギとかいう女の仕業か。
「相談があるなら乗りますよ」
皮肉を顔に浮かべてモーリが言う。調子戻ってきたな。ノーセンキューと表情で返事するとハヤミは話を終わらせにかかった。
「ま、なるようになるさ」
考えることを諦めて伸びをしたハヤミの服の中で異物が存在を主張した。ポケットを探ると2枚のデータカードが手にあたる。
「ああ。あとこれ」
ハヤミが差し出したカードを受け取ったモーリはそれがあの金髪の外務官の名刺であることに気付いて吐き気がぶり返った。お互いにこのカードを見るたびに死のドライブを思い出すことになるだろう。
「一つ確かなのは、あの人の車には二度と乗らないってことだな」
こればかりはモーリも確かな意思をもって同意した。再びお互いに苦笑。
よし、ここだ。引き際を見出したハヤミは素早く手をあげた。
「んじゃ、おつかれさん。また明日」
踵を返して自分の部屋のドアに向かう。その背中に声がかかった。
「おやすみなさい」
振り向く前にドアが閉まる音がする。もうちょっとこう、なんか、あるんじゃね?とは思いながらも、そこに確かな前進を実感したハヤミなのだった。




