19/1「暗闇への一歩」
19/1「暗闇への一歩」
それはまごうことなき拉致誘拐であった。ハヤミ・シロウ、モーリ・シエナの2人は後にその旅程を冒険のようなものだったと振り返るのだが、もちろんその当時は生きた心地ではなかった。
イスルギ社の亡命強奪事件に巻き込まれる形で帯同することになった2人は数々の中継地点を経由していたため実際に自分たちがどこにいて、どんな経路をとっているのかを把握することはできなかった。これは2人に限らず当のイスルギ社の面々、その場の責任者であるエディタですらあまり解ってはいない。指示はカンナギと呼ばれる女から出された。
この道中でエディタ以外のイスルギ社の人員が次々に合流していた。驚かされたのはその人数だった。エディタに聞いたところだいたい120人という答えが返ってきた。イスルギ社の構成員のほとんど全て、つまりそこそこの組織一つがまるごと亡命しているわけだ。ごく少数の逃亡劇だと思っていたハヤミは驚愕した。それと同時にエディタの態度にも納得がいく。エディタは何も一人で全ての決断をしているわけではない。同じ考えを持った多くの仲間がいた上で決断したのだ。
ハヤミらの一団はいくつかの宇宙港を旅行者として移動して数日前からは一つの客船で長い航海に入っている。この時点で道中を警戒しながら帯同していたスミスらの姿が見えなくなりカンナギすらほとんど姿を見せなくなった。危険域を脱したようでエディタらはもちろん、ハヤミらも船内を常識の範囲内で好きに動けるようになった。
だんだんと縮こまっていることに意味がないと思ってきたハヤミは情報収集を始める決断をした。最初の相手は客船の食堂にいた。
「いつつくんです?」
「何事もなければ二日後だってさ」
朝食を頬張りながらエディタは気楽に答えた。
「で、そこからそっちは新しい環境で働くと」
「ま、そうなるね。やること自体はそれほど変わらない」
だったらなんで亡命なんて選択が必要になる?ハヤミには理解できない。
「んで、そっちの話なんだけどね」
皿の上のものを胃に移し替えるとエディタは背筋を伸ばした。釣られてハヤミも背筋が伸びる。
「もちろんマサトにも話は通してあるし、そっちからその筋に話は通されてる。2人とも客人として遇されることになるし、誓って粗末に扱われることはない」
「まぁ、その点に関しては別にそっちを疑ってませんけどね。ただ、思ってることとできることは違うでしょーよ」
エディタがいくらそう思ってもそれより上位の思惑によっては屈するしかないことはあるだろう。エディタもそれは理解していると頷くがその顔は全く懸念の色を持っていなかった。
「ところがどっこい。うちの若大将は大概のことはできちゃうんだよなぁ」
ここで初めてこの事件の首謀者であるマサトの正体がシミズ・マサト・リューベックというWOZの貴族に叙される権力者であることがエディタから語られた。
「意味が解らない」
一通り聞き終えたハヤミの偽らざる感想である。
「あたしも同感だよ。ま、あいつのことに関してはあたしにも解らないことの方が多いし、聞くなら本人によろしく」
「会えるんです?」
「さすがに近いうちに顔を出してくると思うよ。で、そっちの方はどうしたい?」
「俺の方はなるように、としか考えてないっすよ」
ハヤミはこの先の展望に関しては投げやりになっていた。自分の意識と権利で状況を変えられるようには思えない。好きにしてくれという諦観の心境である。
苦笑しながら食後のコーヒーに口をつけてエディタはもう一度背筋を伸ばした。
「改めて考えたんだけど、私は2人には一緒に働いてもらいたいと思ってるし、そう提案するつもりでいる。もちろん、2人の気持ち次第だけど」
本当にいい人だなぁ。その提案でハヤミが思ったのはそんなことだった。下手に他者に任せるくらいなら自分のところで預かろうということだろう。新しい職場ではエディタ自身も外様の身になるはずで厄介ごとどころか急所にもなりかねないだろうに。
「俺の方はお任せしますよ。ま、問題はもう1人ですけど」
解りきったことだったのでハヤミもエディタも同時にため息をついた。モーリをどうするか。望まざる形での拉致誘拐。この先、彼女の扱いをどうするか。エディタとしては悪い目に合わせる気はなく、むしろ可能な限りの厚遇でもって自分たちの陣営に迎え入れたいところなのだが、こればかりは本人の意向なしではどうにもならない。そして、今のところ本人にその気はない、というよりも考えようがない状態だった。客室に籠ってエディタもハヤミも寄せ付けない。手の施しようがなく途方に暮れる毎日である。
「おや、揃っているね。ちょうどいい」
2人のテーブルにもう1人加わった。しばらく姿を見せていなかったカンナギである。エディタはともかくハヤミは心理的に身構えた。危険はないと解っていてもこの女だけは落ち着いて対応ができない。なぜかハヤミの中の警戒レベルが数段引き上がるのである。そんなハヤミの心理を見透かしてカンナギは笑う。
「喰いはしないわよ。私らは今日でお役御免だから挨拶に来ただけ。というわけでこっちは一足先に本国に戻るけど、入れ替わりで外務局の担当者がくるから後のことはそっちによろしく」
闇の実行部隊から公的な担当者に移行する。これで逃避行は終わるわけだ。何よりカンナギがこの件から離れるという事実にハヤミはホッとする。カンナギがいるということはつまりこれまでもそれなりに危険があったということなのだ。
一方でエディタの方は逆に不安げになる。
「外務局ってまさかあの人?」
「当然。シミズの案件だからね」
「うわぁ、あたしあの人苦手なんだよなぁ」
「悪い人間じゃないし、性質が解ればむしろ接しやすい方よ」
何のことか解らないのでハヤミは適当に聞き流していたがカンナギの視線が向いたので義務的に応待する。
「お世話になりました」
「そう思ってくれるなら有難い。貸しよ」
「貸し、ですか」
押しつけがましい言い方。不穏を感じたハヤミにカンナギは悪戯っぽい笑みを浮かべながらさらに物騒なことを言い始めた。
「私の勘が確かなら君とはまた会うわ。今度は同じ陣営としてね。その時に君は役に立つ、私はそう考えている」
役に立つって。一体どういう意味だよ。迷惑そうな顔をするハヤミにカンナギは思わぬことを言う。
「私はこう見えてロマンチストなのよ。運や因果は巡り巡っていずれは返ってくるものと思ってる。情けは人の為ならずってね。君のような運命力のある人間は味方につけるに限る。貸しを作るのは先行投資のようなものね」
「それって俺にとっては良いことじゃないんですけどね」
「だから言ったじゃない。人の為ならずって」
ケラケラ笑いながらカンナギは去っていった。その予言の通り、後にハヤミはカンナギとまた巡り合い、肩を並べることになるのだがそれは随分と先の話であり、その頃にはその予言もハヤミにとってはほとんど意味のないものになっているのだった。
目が覚めるたびに見覚えのない天井。自分のではない部屋。自分のではない服。人生。
どうしてこうなってしまったのか。そればかり考えているモーリは時間の感覚をなくしていた。船室には鍵がかかっていなかったが出る気にはならなかった。踏み出すことよりも戻ることを切に願っている。この先どうなるのかを考えることはできなかった。無意味だと思うことによって拒否していた。いずれにせよ自分の意思でどうにかなるものではないのだ。
これまで手にしていたものがもう戻らないことは明白だった。その結論に何度も達して涙を流しては眠ることを繰り返していた。
翌日、カンナギらから引き継いだWOZ外務局の人間たちが客船に乗り込んできた。イスルギの職員たちが彼らの指示に従って諸手続きに入る中でハヤミとモーリは別室に呼び出された。イスルギ社員たちと違ってそれは明らかな異物扱いだった。エディタが強引に同席して局員を威圧するようにふんぞり返っている。恐らくここでハヤミらの扱いが決まってくるのだろう。
ハヤミはモーリの方を伺うが相変わらず黙して全てを拒絶している。最近ではかけるべき言葉も尽きてエディタ共々途方に暮れるばかりである。
「お待たせしました」
小一時間ほど待たされて部屋に入ってきた女の容姿にハヤミは唖然とした。銀髪、色ぬけした白肌。まごうことなきノーブルブラッドのアイコン。WOZ外務局外務官マチルダ・レプティスの異質な美貌は消沈していたモーリの視線すら動かした。
銀髪の外務官は3人の正面に座るとサディスティックさを秘めた笑顔を見せた。
「WOZ外務局外務官マチルダ・レプティスと申します。ようこそWOZへ、と申し上げたいところですが、招いた覚えはございませんね」
うわぁ…。ハヤミは精神的に仰け反った。エリカなどとは毛色が違うがお近づきにはなりたくないタイプの女。見ればエディタも苦虫を噛み潰した顔をしている。エディタの言っていた「あの人」とはこの女なのだとハヤミは直感した。
マチルダは3人の正面に座ると出されていた紅茶を一口飲む。その優雅な仕草に3人は呆けて見ているだけだったがその口から出された言葉に耳を疑う。
「それで、どういったご用件でこちらに?」
素っ頓狂な質問に3人は固まった。用件も何もモーリとハヤミは巻き込まれてここにいるのである。話が伝わってないのか?ハヤミがエディタの方を向いてもエディタ自身も困惑しているようだった。
「いや、用って、2人はこっちの夜逃げ、じゃなくて撤収に巻き込まれただけで」
「そのように見えますわね」
「はぁ?」
意図が読み込めず固まるエディタの隣でハヤミは心の内で舌打ちした。これを恐れていたのだ。この相手はハヤミとモーリをスパイ扱いしている。実際のところがどうであるかは関係ない。そういうことにして処理する方が圧倒的に堅実で楽なのだ。
「偶然としては出来過ぎている。そう思うのは考えすぎでしょうか」
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ!?」
ようやく事態が呑み込めたエディタが抗議する。エディタからすれば自分たちが巻き込んだのである。2人をそれなりの待遇で迎えるのは当然と言う意識がある。しかし銀髪の外務官にとってはそうではない。
「クサカがイスルギを完全に信用していたはずもございません。実際こちらの状況を探るための要員はいたと聞いていますが」
「そ、それは」
エディタは口ごもった。確かにイスルギにもクサカの間諜として潜り込んでいた人員はいた。それは今回の夜逃げ騒動に際して排除されたのだが、完全に取り除かれたと言い切れる根拠をエディタは持っていない。
「で、あるならば。このお方がそうでないと言い切れるのでしょうか」
言い切れない。のだがエディタは何とかそれを否定するために理屈を捻り出した。
「カンナギさんから状況は聞いたでしょ。仮にモーリがスパイだったとしてもあんな訳の分からない形で潜り込むなんてするわけないじゃない。危なっかしいし、不確実だし、何より意味不明過ぎる」
随分な言い方だなぁ、とハヤミは思ったが実際その通りなので文句は言わない。モーリとハヤミの立ち回りは場当たり的であれをイスルギに潜り込む方法と捉えるのは無茶苦茶に過ぎる。結果としてそうなったというだけだ。モーリとハヤミの行動をもって2人をスパイと言うには無理がある。
ただ、これは相手を納得させる理屈としては片手落ちだな。ハヤミの思った通り、マチルダはその点を指摘した。
「では、これからそうなるという可能性は?」
エディタは一瞬意味を理解できなかったがそれに気付くと視線を落とした。
これからスパイになるという可能性。モーリがどうあっても地球に帰還したいと願うのであればそれは取りうる選択となる。その状況が出来上がればモーリはそちらに飛びつきかねない。この懸念に対してエディタは全く反論できなかった。
当のモーリはといえばその可能性に今さら気づいたのか目を丸くしていた。しばらく唸っていたエディタは反論を諦めて切り口を変えた。
「だったらどうするっていうのさ。現時点ではモーリをどうこうする根拠はそっちにはないでしょ」
マチルダは困った顔をした。しかしその切り口を予測していたのか、あるいは導いたのか。切り返しは明らかに芝居がかっていた。
「そうですわね。ですから困っているんですけど。参考までにお聞きしますわ。そちらこそ、どうするおつもりなのか」
窮したのはエディタの方だった。先ほどまでの話からモーリの懸念を棚上げにしたのはエディタだった。その状態のままでエディタ及びイスルギはどうするつもりなのか。
これを解決しないことには話は前に進まない。ようやくエディタも認めた。
「解った。悪かったよ。それでこっちが聞くんだけど。何が必要になる感じ?」
エディタが不承不承聞く。マチルダは意外なことに率直に答えた。
「まず本人の同意。これは必須です。なし崩し的な亡命は拉致誘拐と変わりませんし、どちらのためにもなりません」
それが一番の問題なのだ。エディタは思わずモーリの方を見た。視線が合うとモーリは顔を逸らした。
「なるほど。そこから話が進まない、と」
状況を汲み取るマチルダだが次の言葉はそれを少しも慮っていなかった。
「でしたら。こちらから提示できる選択肢はありません。亡命は認められない。保護もできない」
無情な宣告にエディタは狼狽した。
「じゃ、じゃぁこの先モーリはどうなるのよ」
「それは我々のどうこうする問題ではありませんね。本来ならそちらで処分しておくべきこと。自分たちで処理をできないからと言って泣きつかれても迷惑です。それでもこちらに投げると言うなら、どうしようがこちらの勝手ということになります」
ぐうの音も出ないと言った様子でエディタは黙り込んだ。出る幕なしのハヤミもマチルダの言い分に理を感じる。回りくどい言い方だがまず責任を果たせということだ。しかしモーリにはエディタの負っている責任に応えるつもりがない。
さて、どうしたもんだかね。結局ここで話は手詰まりになるわけだ。エディタにもモーリにも話を先に進める手がない。もちろんハヤミにも。そしてマチルダの方にはやる気も義理もない、はずである。
しばしの沈黙の後、マチルダの口から大袈裟なため息が漏れた。話が終わる気配を感じた3人の視線を受け取ってからマチルダはサディスティックな目をそれぞれに流した。次の言葉は明確にモーリを侮辱していた。
「ま、同情は致しますわ。情けをかけてやったと言うのに被害者面で何の決断もできずに泣いているだけの人間なのですから。甲斐のない人助けでしたわね」
なんという言い草。エディタは凍り付き、ハヤミは唖然とした。しかしどういう方向であれ、マチルダの言葉はモーリの心を動かした。顔を真っ赤に紅潮させたモーリは食って掛かるように身を乗り出す。
「巻き込んだのはそっちです!歓迎してないっていうなら結構です。私を帰してください。今すぐ!」
慌てて宥めようとするハヤミとエディタをマチルダは手をかざすだけの所作で止める。その顔からは嘲りは消え、今度は無感情な人形のようになった。
「残念ですがそういうわけにはいきません。今となってはあなたは知り過ぎている。それでも地球に戻りたいと願うのであれば我々がそれを叶える手段は一つ。あなたを消す以外にないでしょう」
冷厳なる物言いとその言葉の意味するところにモーリは萎縮した。ハヤミも心内で身構えるがそれには何の意味もなかった。こうなってくるととにかくモーリが現実を受け入れてくれることを願うしかない。
「ねぇ待ってよ、もうちょっと言い方あるでしょうよ」
懇願するようにエディタが口を挟んだ。巻き込んだうえで追い詰めるような展開にエディタは面目なさで一杯だった。しかし銀髪の外務官は何ら気にするでもなくゾッとするような冷笑を浮かべて一言。
「お優しいこと」
人のことを気にしている場合か?言外の一撃にエディタは顔を引き攣らせたがそれでむしろ開き直った。
「マサトの了承は取り付けてあるんだ。勝手なことはさせないからね」
「もちろんそれは聞いています。しかし、当の本人がこちらに協力的でない。帰りたいという目的のために利敵行為を取らないという保証がない以上、こちらとしても警戒を解く理由がありません。そして解くための努力をする理由も。先ほど言った通り。これはそちらが解決すべき問題です」
エディタは仰け反って唸った。話が戻った。やはりここに帰結するのだ。モーリが不穏分子とならない保障。エディタにはそれはないと断言することができるがそれは心証でしかない。ましてエディタも外様の亡命者に過ぎない。その言葉には何の力もない。
エディタが苦悩する隣でハヤミは首を捻った。なんでモーリばっかりが問題にされてるんだ?ハヤミは蚊帳の外になっている。単に順番の問題に過ぎないかもしれないが。気まずい沈黙が流れる中で一人問題から外されているハヤミだけが異なることを考えることができた。
エディタ、モーリ、マチルダ。この3者はそれぞれ立場が異なり、譲れないものがある。しかし一人だけ立つべき場所を誤っているようにハヤミは思えた。果たしてそれを伝えることは適切なことだろうか。
ふと、マチルダと視線があった。その目はハヤミに同意を示していた。動け、と。背中を押されたような感覚に捉われてハヤミは口を開いた。
「ここ狭いんで、エディタさんそっち座ったら?」
今度の沈黙は困惑で占められていた。ハヤミら3人はカウチに並んで座ってマチルダと相対している。確かに3人で座るには少々窮屈でマチルダの側は逆に同じカウチに一人で座っていて空いていた。
回りくどかったか?ハヤミの気の回しにマチルダは僅かに苦笑した。
「確かに、窮屈そうですわね。こちらに座った方がよろしいのでは?」
そういうとマチルダは身体をずらしてエディタに移動を促した。先ほどまでの態度からは想像もつかない言動は間違いなくハヤミへのフォローだった。
困惑しながら、そして露骨に嫌がりながらもエディタは言われた通りにマチルダの隣に座った。再び気まずい沈黙が流れたのだが、間もなくエディタの顔色が変わった。
しばし俯いてエディタは自分が的外れな場所に立っていたことを恥じた。次に顔を挙げた時、その表情は悲壮感漂う覚悟を孕んでいた。
「悪い。ここまでの話で分かったと思うけど。こっからはモーリの覚悟の問題になってくる」
それまで自分の側に立っていたエディタが突如として相対してきたことにモーリは動揺した。助けを求めるようにハヤミの方を向いたがハヤミは切り捨てるように見向きもしなかった。モーリを助ける者は誰もいなかった。
「そんなの言われたってわかりませんよ。なんでこうなっちゃったんですか」
絞り出された言葉にエディタは居たたまれなくなった。しかしその襟首を掴むようにマチルダの言葉が引き戻す。
「では、まずはそこからですね。なぜ、こうなってしまったのか。この際説明してしまうべきでしょう」
言われてエディタは気づいた。言われてみれば自分たちは結論だけを提示してなぜこうなってしまったのかを2人にほとんど説明していなかった。そんな状態で決断だけを迫るのは無理な話だろう。重大な機密に関わるためエディタ個人の判断では喋れなかったという面はあるが、ここに至ってはモーリに黙っておく意味はほとんどない。マチルダが示した道筋にエディタは沿うことにする。
大きく深呼吸してからエディタは話始めた。マサト・リューベックなる人物の正体がWOZの重要な貴族であること。イスルギ社、クサカ社との関係性。マサトらがALIOSを拡散させることを真の目的としていたこと。
前提から覆る情報が次から次に出てきてモーリは無心を保っていられなかった。中でもALIOS開発計画の実態はモーリに衝撃を与えた。
「そもそもALIOSの根本となる部分はスターク・エヴォルテックの方で最初からできてたんだ。私ら、つまりイスルギの仕事はそれを多種のHVに適応可能なように整えることと汎用HVOSとしてパッケージングすること、そしてその効果を証明すること。XVF15もそのために計画だったんだ」
確かにXVF15はALIOSありきで設計された機体である、それもまたALIOSを効果的に拡散させるためのデモンストレーションだった。そこまで大掛かりな計画に自分たちは知らずに巻き込まれていたのか。
誰にも知られず。本当に?モーリは違和感を覚えた。本当にそんなことが可能なのか?クサカにも協力者が必要なはずである。モーリは恐る恐るそれを確認した。
「あ、あの。もしかしてですけど、その計画ってエリカさんも」
最後まで言い切る必要もなくエディタには伝わったようだった。これ言っていいのかな?エディタの顔にはそう書いてあったが2人がそれを求めるとエディタは渋々と白状した。
「ご明察。エリカも共犯だよ」
足元が崩れて転落する感覚。気を失いそうになるのを堪えるのに精一杯でモーリは何も言えなかった。むしろこれ幸いとエディタはゆっくりと可能な限り穏やかに言い聞かせた。
「厳密に言うと協力者って感じかな。エリカとはかなり前から取引があって、HVの設計情報なんかをやり取りしてる。こっちの要望に応じた機体設計なんかもあってそれをやってたのもエリカなのさ。だから最終的にイスルギが持ち去られるってことをエリカは承知してた」
だからこそ怒り狂ってるだろうな。エディタは溜息をついた。クサカが襲撃されたのはクサカも被害者であるという体裁を整える意味がある。だからカンナギらゴーストは襲撃という形を取りながらも可能な限り被害を抑えるという繊細な作戦を行っていた。モーリが巻き込まれて行方不明というのはイスルギ側の完全なやらかし。エリカにはそう見えているはずである。
一方、モーリの中ではそれまで別々の絵と思われていたピースが急に噛み合いはじめた。この事件がイスルギ単独のものではなく、内部にクサカ、それもエリカが関わっている。このこととエリカの働いてきた「悪事」が繋がっていく。
「まさかサーバーにあったデータって」
モーリの言葉は不明瞭だったがまたしてもエディタは言いたいことを翻訳できてしまった。面目なさそうに真実を告げる。
「どれのことかは解らないけど。うちのために作ってたやつだと思うよ」
エリカが極秘裏に設計していたとなればほぼ間違いないだろう。つまりそれらのデータも最初からイスルギに提供するために作られたものなのだ。それをサーバー内にあったALIOSのデータを介してやり取りしていたのである。
それってつまり。モーリは青ざめる。この事件の思わぬ実態が明らかになった。
モーリ、ハヤミの拉致事件の発端であるALIOSの不正規侵入も仕組まれていたものだったのである。それをたまたま見咎めてしまったモーリは全く無意味な場所で大騒ぎをして事件に巻き込まれることになった、ということになるのだ。
私の苦労と葛藤は何だったの。モーリは意識を保つのが難しくなって倒れ込みそうになった。慌ててハヤミが支える。
そりゃー堪えるわな…。ハヤミは同情する。いくら何でもあんまりだ。もちろんエディタらにとってもこんな状況は予測のしようがない。申し訳なさで泣きそうなエディタの顔を見ると責める気にはならなかった。
「それじゃ、私のやってたことってまるで無意味だったんですか?」
消え入りそうなモーリの訴えにエディタはどう答えればいいのかまるで解らなかった。実際、意味はなかった。モーリは何の必要性もなく事件に巻き込まれたのである。そのような状況で望まない選択を強いる筋合いが自分たちにあるのだろうか。
「ここまではそうかもしれませんわね。でも、この先もそうとは限りらないでしょう」
銀髪の外務官が事もなげに言った。その場にいた全員の注目が集まったことに少し眉を動かすとマチルダは咳払いしてから言いなおした。
「それを偶然とするか、必然とするかは後からいくらでも変えられることでしょう。今の状況は誰が望んだ結果でもありませんが誰かの不幸を望んだ選択でもないことは確かなようです。ジョーダンさんもカンナギ様も自らの取りうる選択肢の中で最良と思える選択を取った。私が言っても詮無き事かもしれませんが彼女らの選択はその場にある中でベストなものだったと私も考えます」
ベストと言い切られてエディタはむず痒い気分になった。気づけば話の流れは完全に変わっており、3人は完全にマチルダの話に聞き入っていた。
「しかし彼女らにできることはここまで。ここからは我々の領分です。こちらにあなたを慮る理由はございません。懸念を考えればなかったことにする方が堅実ですらあります。ですが、彼女らの望みと整えた流れを遮るつもりはこちらにも御座いません。しかしそのためには決定的に欠けているものがある。それを持っているのは一人だけ。ここまでの無意味にどのような意味を与えるのか。それを決めるのはあなた以外にあり得ないのです」
銀髪の外務官は冷厳ではあったが無情ではなかった。エディタらが整えた道を進むならよし、そうでないならそれはそれ。どちらであっても、それを決めるのは当人でなければならない。マチルダが求めているのはその一点のみ。
ないのであれば作ればいい。言っていることは解る。しかしそれをマチルダが言うことにハヤミはまたしても妙な違和感を持った。先ほどまでモーリらをスパイ扱いして歓迎していなかった人間である。
「そうだよ。モーリ、あんたの仕事は私もよく解ってる。私らと一緒に働かないか」
最初からそのつもりでもあったエディタがここぞとばかりに提案する。モーリの反応は困惑で変わらないが自らに価値を見出されることにその色は変わりつつあった。
またしばらくの沈黙。これ以上決断を促す言葉はない。後はただ待つのみ。その気まずさを誤魔化すようにマチルダはゆっくりと紅茶を弄んだ。
「あ、あの」
やがて、蚊の鳴くようなか細い声でモーリは一歩を踏み出した。
「私にはどうすればいいのかなんてわかりません。ですけど、その。そちらに害をなすような気はないです。私の為に、色々気を回してくださってることも解ります。感謝してます。ですから、あの、どうか、よろしくおねがいします」
後半はほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。ただ無害であることを主張しただけとも言える。しかしマチルダは何の感情も見せることなく、あっさりとそれを受け取った。
「結構です。マサト・リューベックからの要請もあることですから今の発言を亡命申請と認識して受理いたします」
エディタとハヤミの2人から緊張が抜けていく。マチルダの表情も幾分和らいで部屋の空気が弛緩した。それを待っていたようにそれまで控えていた金髪の外務官キャシー・アグスティンが状況を引き継ぐ。
「では、さっそく手続きをはじめてしまいましょう。ちょうどイスルギの方々がやっていますのでそれと一緒に、どうぞどうぞ」
いきなり?戸惑うモーリの手を取ってキャシーはかなり強引に連れて行ってしまった。2人が出ていくとエディタは早速マチルダに食って掛かった。
「あんな乱暴なやり方なくない!?」
マチルダは微塵も怯むことはなくあきれ顔で切り返した。
「手順は重要です。今回の場合は特に。やるべき人間がやっていませんし」
そう言われるとエディタは返す言葉がない。今回の場合。確かにハヤミとモーリは然るべき過程をすっ飛ばしてなし崩しにマサトの陣営に組み込まれている。身内のみでならそれでかまわないかもしれないが対外的に見てそれは隙になりかねない。マチルダはそれら諸々の懸念点を払拭する意味でも飛ばされた過程を後追いで消化させているのである。
理屈は解るけども。エディタは納得しきれなかった。イスルギの夜逃げ作戦のためにかねてよりマチルダとは面識がある。その頃からマチルダの役者ぶりは見せつけられているがその機械的な演じ分けが恐ろしくもあり、また信用しきれない理由にもなっていた。
一方でハヤミはエディタとは異なる視点でマチルダを見ていた。先ほどから持っていた違和感。そしてカンナギの言っていた「性質が解ればむしろ接しやすい」という人物評。何よりこのやり取りの展開と帰結。マチルダはモーリをスパイ扱いしておきながら最終的には消極的にとはいえ亡命を同意に導いた。結果論かもしれないがエディタの望む形になったのである。これは実のところ、マチルダ自身にとっても望んでいた形なのではないか?
訝しむハヤミにマチルダの目線が向いた。あのサディスティックな目。
「で、ハヤミ・シロウさん。でしたっけ?」
ようやく自分の番か。ハヤミは身構えたのだがマチルダはハヤミの件に関しては全くの逆をいった。
「こちらに関しては特に言うことはございませんね。異存がないなら亡命を受理します。同意なさるということでよろしいですか?」
なんだよそれ。肩透かしを喰らわされてハヤミは唖然とする。エディタも同じだったのか口を尖らせた。
「何その落差?」
「何と言われましても。ハヤミ・シロウに関しては扱いを迷う要素がないというだけです。本人同意もあると聞いていますし、マサト・リューベックどころかカンナギ様まで推薦なさっているとあれば我々としても反対する必要がござません。ま、これはそちらにとっては不運なことかもしれませんが」
訳知り顔でマチルダは大袈裟な同情を示した。こいつ面白がってるな。性質が解ったところで好きにはなれそうにない。ハヤミはエディタと同様にマチルダのことが苦手になり始めた。
「で、どうします?」
ハヤミに迷いはなかった。それでも改めて問われると口から出すことに苦労はした。少しの沈黙の後にそれは絞り出された。
「いいですよ。します」
「結構。歓迎いたしますわ」
マチルダは微笑んだがハヤミは素直にそれを受け止められなかった。ハヤミの心証などどうでもいいのだろう。マチルダは話を終わらせにかかった。
「さて、話はつきましたわね。お2人の扱いに関しては然るべき手順を得るまではこちらで預からせていただくということで、よろしいですわね」
む。とエディタは不服気な表情をしたが食い下がってもいいことはないと判断したのか頭を下げた。
「くれぐれもよろしくお願いします」
エディタが頭を下げている間にマチルダが見せた苦笑はハヤミと同じ感情を持っていることを示していた。どういうことなのかハヤミにはそれがはっきりと理解できた。
「では、本日はこれで。ウォルシュタットにつき次第、こちらのものがお2人を案内します」
それだけ告げるとマチルダは席を立ったが何か思い出したのか身を翻すとため息が出るほどの美しい笑顔をハヤミに向けた。
「ようこそ、WOZへ」
自分の選択が果たして正解だったのか。ハヤミは急激に不安になった。