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第7章 後輩三人組

 俺が通っていた大学は、市内の一等地にある小山を切り拓いて建てられていた。交通の便もよく、ひとたび敷地内から出れば遊び場や飲食店も充実しているので、意外と高校生からは人気の高い大学なのである。ま、偏差値は高いのかと問われれば、苦笑いして黙って首を横に振るしかないのだが。


 また元々緑が満ちていた小山を可能な限り拓いたためか、キャンパス内は無駄に広い。それだけ学食や図書館などの福利施設が充実しているのだけれど、あまりの広さに講義と講義の合間の移動などがとても大変だった。大学の入り口から講義棟までの道のりも急勾配の上り坂だったし、特別スポーツらしいスポーツはやっていなかったというのに、随分と鍛えられたものだった。


 そんなことを危惧しながら、俺は隣で歩くジャージの少女を心配に思った。メノは見るからに運動ができそうではないし、途中で疲れたから動けないとか言い出さないよな。


 俺のアパートから大学までは、歩いて十五分ほど。バス停を通過する際、タイミングが良ければ乗っていこうと話が一致したが、生憎だった。


 というわけで、川の字に並んでの通学である。


「いいなぁ。なんか家族みたいで」


 ほんわかしたノリで言ってみたら、サナに凄まれた。


「よ、め、よ、り、さ、き、に、ま、ず、しょ、く、を!」

「……善処します」


 嫌な顔をされないのは、未だ俺は飽きられていないからだ。と、前向きに捉えておこう。

 十五分ほど歩き、心臓破りの坂を上って、ようやく大学のキャンパス内へと足を踏み入れた。


「おー、広い! 公園みたい」


 はしゃぎたくなるのも無理はない。俺も受験で初めて訪れた時は、声を上げたもんだ。普通の県立高校に通ってて、校庭といえばグラウンドのイメージしか無かったからな。


「久しぶりだな。一ヶ月ぶりか。……やけに人が少ないような気がするけど」

「ゴールデンウィーク中だからね。講義がある学部と無い学部があるらしいよ。私たち四年生にはあまり関係ないけどね」

「教授は……いる?」

「三時限目と四時限目は講義があるみたい。合間に戻ってくるかもしれないけど、学生の研究室の方には顔は出さないと思うよ」

「そ、そうか」


 それを聞いて安心した。未だ就職先が決まっていないことがバレたら、どんな嫌味や皮肉を言われるか分かったもんじゃない。だからできれば会いたくないな。


 福利厚生施設や学舎に囲まれた広場で、呆然と掲示板を眺めていたメノを呼び戻し、サナたちの研究室がある講義棟へと向かう。やはり大学構内でジャージ姿をした女の子は珍しいのだろう。出歩く人は少ないとはいえ、ほぼ漏れなく寄せられる視線が痛かった。


「なんか……汚い」


 蜂の巣のように窓が並ぶ講義棟を見上げ、メノが感想を漏らした。

 うるせーな。とは思うも、反論はできない。実際その通りだから。


 設立当初、講義棟などは敷地の奥の方から建設されたため、入り口付近の方が比較的新しいのである。なので先に新設された学舎を見てしまったメノの感想は、当然といえば当然といえよう。できれば『古い』と言っては欲しかったが。


 薄暗いホールを抜けて、エレベーターに乗る。階数は五階。ほんの一ヶ月前まで俺も毎日のように通っていたのに、この手順が妙に懐かしかった。


 青い扉が並ぶ無機質な廊下を進み、ようやく到着だ。

 中から話し声がした。これまた懐かしい声だ。


「みんな、遅れてごめーん」

「うーっす」


 一応、今は俺も部外者なので、サナの背中に隠れて遠慮したように入室した。

 一番手前でパソコンに向かっていたメガネの男が振り向き、俺の顔を見るやいなや、朗らかに笑った。


「あ、久しぶりですね、ニート先輩。未だにニート力向上の日々は続いてますか?」

「うっせ。俺はニートじゃない。フリーターだ」


 同じようなものじゃないですか。と言って笑う後輩の頭を殴っておいた。


 このメガネの名前は宇佐美真一(うさみしんいち)。今のセリフは、なにも就職できなかった俺を軽蔑しているものではなく、むしろ尊敬の念すら抱いているらしいので困る。将来の夢はニートで、先に達成してしまった俺を崇拝しているのだ。奴の信仰心が金に代わるのなら、いくらでも拝ませてやるってのに。


「でも、桂氏。こんなところで油売ってて大丈夫なん?」

「バイトは夜からだからな。三時間くらいは時間ある」

「これはもう手遅れかも分からん……」


 そう漏らすのは、奥の方で陣取っているちょっと太めの猪飼健太(いのかいけんた)だ。まだ五月だというのに、もうすでに半袖で二の腕丸出しだし、額には薄っすらと汗が滲んでいる。ぶっちゃければ、キャラの分かりやすいデブだった。


「紅葉先輩、桂先輩。こんにちわ。コーヒーでも淹れますか?」

「あれ、椿ちゃんもいたんだ」


 電気ポットの隣に座っている小柄な女の子は、千堂椿(せんどうつばき)ちゃん。宇佐美や猪飼とは違い、彼女は三年生だ。サークルの後輩という縁で、俺とも顔見知りなのである。


「えぇ、桂先輩が来るって聞いたから、思い切って来ちゃいました!」

「またまたぁ。君の狙いはサナでしょうが」


 俺の指摘はまったくもって聞く耳持たずで、椿ちゃんはずっとサナの方を見つめながら、サイドテールをまるで尻尾のように揺らしていた。


 この忠犬みたいな女の子は、うん、まぁ、アレだ。女の子が好きなのだ。


 もしかしたら椿ちゃんという人懐っこい後輩がいたからこそ、サナはメノの面倒見が妙によかったのかもしれない。


「んで、桂氏。その後ろに隠れている幼女は誰なん?」

「幼女言うな。この子は中学生だ」


 一同は千堂椿という小柄な大学生を見慣れているためか、メノの年齢と見た目に対しての追求はなかった。


 だが同時に、どうして女子中学生を連れてきたのか説明しなければならない。みんな、俺とサナに妹がいないことは知ってるもんなぁ。


「この子は流河メノっていうの。ヒデの愛人」


 サナが言うと、全員が一斉に携帯電話を取り出した。


「通報しますた」

「すんな!」

「『悲報』大学の先輩がJCのセフレを連れてきた件について」

「スレ立て乙」

「立てんな!」


 ヤバい、なんだこの団結感は。猪飼に至っては未だキーボードを叩いているんだが、まさか本当にスレ立てしてるわけじゃないよな?


 ふとメノの顔を一瞥すると、サナの後ろでキョロキョロと研究室内を見回していた視線が、俺の瞳で固定された。


「カツラ、セフレってなに?」

「友達のこと! フレンドって意味!」

「ふーん」


 興味なさげな返事だったので助かった。猪飼の野郎、あとでぶち殺す。

 メノはみんなの視線が自分に集まっていることに気づいていないのか、再び室内を見回し始めた。


「冗談だってば。ヒデの愛人なんて、私が許すわけがないじゃない」

「冗談なのは分かってますよ、紅葉さん。我々はこの女の子がどこの誰かなのか知りたいだけです」


 メガネを光らせながら宇佐美が言う。前から思っていたが、コイツの自分をインテリキャラに見せたい感は半端ない。


「実はこの流河メノちゃんはね、地球の自爆スイッチなの」

「って、おーい! なにさらっとバラしちゃってんの!?」

「えー、いいじゃん。他の理由とか考えるの面倒だし、あんたの妄想をみんなで共有した方が楽しいじゃない?」

「妄想じゃねーし。真実だし!」


 俺かメノの服に盗聴器が仕掛けられていないことを本気で祈る。もし俺のせいでみんなに危害が加わったとしても、責任が持てん。


 しかし手前の二人の反応は、妙に希薄だった。宇佐美はメガネの位置を直しながら『何言ってんだコイツ』とバカにせん勢いに眉間に皺を寄せているし、椿ちゃんに至っては声が聞こえなかったと疑うくらいにキョトンとしていた。


 ただ奥で陣取る猪飼だけは違った。


「その話、kwsk」


 興味津々だった。マジで勘弁してくれ。


「その前にメノちゃんを紹介するわね。メノちゃん、ほら」

「ん?」


 背中に隠れていたメノを、サナは無理やり前へ押し出す。特に嫌がっているわけでも恥ずかしがっているわけでもないが、メノは自分が何をすればいいのか、全く理解していないような顔だった。


「自己紹介、する?」

「自己紹介? ……あっ」


 背筋を伸ばしたメノは、みんなに向かって一礼した。


「メノの名前は流河メノって言います。グラブ研究所出身です。好きな食べ物はショートケーキです。みなさん、一年間よろしくお願いします!」


 頭を上げたメノは、満面の笑みを浮かべていた。


 一年間? と疑問に思ったものの、どうやら始業式のクラスでの自己紹介と勘違いしたらしい。理解できなくもないけど……そう易々と組織の秘密を漏らさないでほしいものだ。


「も……」


 一同がポカンと呆れていると、一番奥の男が痺れたような声を上げた。


「萌ええぇぇーー!」

「よろしくお願いします、萌さん!」

「僕の名前は萌えじゃないお」


 とは言いつつも、満更でもない様子で感動しているようだった。


 前々から危険人物だと感じていたが、どうやらその通りだったらしい。でもまさか本当にメノに手を出したりはしないだろう。普段からエロゲ三昧だし、おそらく三次元については臆病なくらいに奥手なはずだ。……たぶん!


「はじめまして。僕は宇佐美真一です。よろしく」

「よろしくおねがいします!」


 手前にいた宇佐美と握手を交わした。


「ふむ、なるほどなるほど」

「?」


 両手でメノの右手を包み込んだ宇佐美は、なかなか放そうとしない。薄っぺらい笑顔を浮かべたまま、メノの瞳を見つめながら、セクハラ上司が如く女の子の若い肌をご堪能しているご様子。


 宇佐美がロリコンだという事実は耳にしたことはないが、しかし猪飼みたいに自分の性癖を公言していないからこそ、腹の奥底でどんな変態性を隠しているか分かったもんじゃない。できれば、こいつら男二人にはメノを近づけたくはないなぁ。


 ……何故かメノの父親の気分になっていることに気づき、ちょっとだけ自嘲してしまった。


「私は千堂椿です。メノちゃん、クッキー食べる?」

「食べる!」


 餌に釣られて椿ちゃんの元へ駆け寄るメノ。ナイスだと思いながらも、手焼きのクッキーをつまむメノの横を見て、少しだけ心配してしまった。主に椿ちゃんの顔だ。あの子、可愛い女の子だったら年上でも年下でも構わないのか。


「それで桂氏。地球の自爆スイッチとやらを早く!」


 何故あんなにも活き活きとしているのだろうか。てっきり二次元の萌えオタクだけだと思っていたけど、SFチックな話でも食指が動くのは知らなかった。


 俺は溜め息を漏らしながら、責めるようにサナを睨みつけた。

 サナはというと俺の視線には気づいているようで、露骨にそっぽを向いていた。


「分かった。話すよ。でもこの話は、絶対に他言しないでくれ。お前たちの命に関わる」


 昨夜の出来事を話し出してから五分後。真剣に耳を傾けていた猪飼は、すでに興味なさ気にパソコンの画面へ集中していた。


「っておい、興味失せるの早すぎないか?」

「桂氏、うるさい。マリアたんの喘ぎ声が聞こえないお」


 しかもエロゲやってやがった。

 その画面、絶対にメノに見せるなよ!


「僕は関心があります。特に自爆スイッチである流河さんを、ニート先輩に預けた理由について」

「気を遣ってくれるのは有難いんだがな、俺自身、なにも理解していないんだ。今に至る過程以上のことは話せないよ」


 意外にも、宇佐美の方が真摯になって聴いてくれていた。コイツなら無駄にインテリぶって『非科学的です、ニート先輩のただの妄想です』とか言って全否定してくるかと思ってたのに。


「下らない妄想はこれにて終了。桂氏、そろそろ卒業研究について教えてもらいたいんですけど」


 イヤホンを外した猪飼が、奥の席で偉そうにふんぞり返っていた。

 くそっ、アイツには先輩を敬う気持ちはないのか。いや、無いんだろうな。だって俺、フリーターだし。


「まぁ、そうだな。じゃあ……椿ちゃん、メノのこと頼める?」

「合点承知です。メノちゃん、パソコンでゲームでもする?」


 クッキーを頬張っていた手が止まり、メノは椿ちゃんの顔をポカンと見上げた。


「パソコンってゲームできるの?」

「むしろ学生なら、ゲームのためにパソコン買う人もいるかな」

「へー。メノは線とか数字とか英語とかがたくさん書いてあるのしか見たことがない」

「椿ちゃん。くれぐれも、猪飼の席のPCは見せないようにな」

「大丈夫ですよ。ゲームっていっても、マインスイーパーやソリティアくらいですから」


 そう言って、椿ちゃんはメノを空いている席へと案内する。こう見ると仲睦まじい姉妹みたいだ。言い方は悪いが、厄介払いができて安心した。椿ちゃんがいて、本当によかったよ。……可愛い妹を取られたみたいで、隣で拗ねたように唇を尖らせているサナのことは、少しだけ放っておこう。


「じゃあまずは俺の同期たちの卒業論文を見てこうか。実際に論文の発表も見たから、どんな研究をしてたのか説明もしやすいし」


 研究室の本棚には、過去に卒業していった研究生たちの論文がファイルに綴じて保管してある。何を研究するか、目標はどう定めるかも大事だが、論文の書き方は先人に倣った方が圧倒的に良い。むしろこれが一番単位に影響があるからな。


 俺が本棚へ向かって歩くと、座っていた男二人も立ち上がった。

 その際、近くにいた宇佐美の独り言が聞こえた。


「なるほどなるほど。可愛いというのも、自らの生存率を上げるための一つの手段ですか」

「?」


 あまりにも理解不能で前の会話との関連性の無い独り言だったので、あえて問い返したりはしなかった。

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