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第6章 グロウリアン・ラボラトリ

 テーブルを挟んで向かい合い、とりあえず事情を説明した。


 一通り語り終えたところで、腕を組んでじっと黙り込んでいたサナが、胡散臭そうに顎に皺を溜めていた。


「本ッッッッッ気でその話を私に信じろっての?」

「ま、まぁ……」


 個人的には『ですよねー』と同意したくはあったが、それを言うと怒られそうなのでやめておいた。


 結局、サナには真実を話すしかなかった。俺には想像力も創造力も人並み以下しかない。こんな短時間で言い訳を考えられるほどに頭は持っていないのだ。それがましてや女子中学生を預かって、一緒に暮らすことになった理由となれば尚更である。


 ただ、真実というのは少し語弊があった。


 俺は昨夜の出来事を、事細かに順序通り説明しただけだ。その中には俺の願望や憶測などは含まれていないし、どこまでが真実だったのかは俺には判断ができない。だから完全に俺が騙されていて、それに伴ってサナが騙されたんだとしても、俺には責任の取りようがない。せいぜい両手を合わせて『ゴメンヨー』と謝ることしかできないのだ。


「だからさ、俺をいくら罵ってくれても殴ってくれてもかまわない。けど、取り乱してはくれるな。帰る時は普通に出て行ってくれ。万が一ってこともある」

「んー? 私がいつ取り乱したって言うのかしらぁ?」

「お前さっき泣いてたじゃん!」

「知らなーい。泣いてなんかなーい。幻覚だったじゃないのー?」


 ツーンと突き放した言い方で、サナはそっぽを向いてしまった。


 二年も付き合っているというのに、未だにコイツのこういう性格が分からん。涙を見られるのは恥ずかしいのか? いや俺は見るのも見られるのも恥ずかしいけれども。むしろ女ってのは、みんなこうなのか? うーん、理解不能です。


「で、私が飛び出て行ったら、近くで監視しているその黒服の男たちに殺されるかもしれないってこと?」

「少なくとも銃は持ってたし、俺も答え一つ間違えれば本気で殺されていたと思う。その場じゃなくても、誘拐される可能性が高い」

「その銃って本物だった?」

「ん? うーん」

「うわー、説得力のない返事ねー」


 仕方がないじゃないか。俺だって本物の銃なんか見たことがないのだ。撃鉄の上げる音は分かっても、それが本物か偽物か区別できるほどミリオタではない。


「よし、分かった」


 バシッと自分の膝を叩いたサナが、自信満々に頷いた。

 ひとまず説得には成功したようだと、俺は安堵の吐息を漏らした。


「その黒服たちのところに殴りこんで、任務とやらを取り消させればいいのね」

「全然分かってねぇじゃん!」


 無駄のない動きで立ち去ろうとするサナの腕を、なんとかギリギリで掴むことができた。今度は俺が泣く番だった。


「私、信じるなんて一言も言っていないけど?」

「お願い、落ち着いて! 話せば分かる!」


 力強いサナの足取りは、青年将校並みの勇み足だった。


 一応は立ち止まってくれたものの、追いすがる俺を見る目はまるでゴミを見るようだった。さらには口の端を釣り上げて、嘲笑しながら言う。


「だってねぇ、地球の自爆スイッチ? 異星人のグロウリアン? はっ! 今時のB級映画でも、もっとマシなストーリーで勝負してくるわよ」

「俺も思ってる。思ってます。だから待って」

「信じさせるための根拠が無いもんねぇ」

「根拠はないけど、サナを大切に想ってるから引き止めてるんだよ!」


 一度だけ身体がビクンと揺れたのが、掴んでいる手首から伝わってきた。ちょっとだけ頬を赤らめたサナが、顔を背ける。こういう言葉に弱いんだなぁ、可愛いなぁまったく。


「でも私のことを想ってくれてるんだったら、他の女の子を預かるなんて、そんな……」

「本当だよ」


 背後で小さな声がした。ここへきて、今まで黙っていたメノが初めて言葉を発したのだ。


 俺とサナは同時に振り返った。ベッドに腰掛け、脚をぶらぶらさせながら、ショートボブの少女がこちらを見つめていた。当然ながら、ズボンはちゃんと穿いてもらっている。


「カツラの言っていることは、本当」


 少し修飾をつける形で、先ほどと同じことを言った。


 俺はサナの顔を見上げる。彼氏の浮気相手に対する嫉妬心も含まれていれば、不幸な境遇にある小さな女の子に対する憐憫な想いも含まれているように見えた。


 怒っているようで、それでいて同情もしているよう。関心があるような無いような曖昧な溜め息を漏らしたサナは、赤ジャージの少女へ問い返した。


「本当って、どこまでが本当なのかな?」

「全部。メノが自爆スイッチだってことも、宇宙人が攻めてきてるってことも」

「…………」


 疑うような半眼で、サナはメノを見据えた。


 はっきり言って、ちょっと怖かった。完全に浮気現場を押さえられた矮小男に成り下がった俺には、一言も声を発する権利が無いよう感じてしまった。


「メノちゃん……だっけ。ちょっとこっちへいらっしゃい」


 俺の手を振りほどいたサナが、さっきまで座っていた場所へ戻っていった。それと同時に立ち上がったメノが、彼女の側に寄る。対面に座るか、もしくは膝を突き合わせられるくらいの距離まで近寄るのかと思っていたが……あろうことか、メノはサナの背後に回り、そのまま軽い抱擁を施した。


「えっと……何かな?」


 驚きのあまり、サナの表情が引き攣っている。

 サナのうなじや首元を、メノはまるで犬のように嗅ぎ回す。ある程度嗅ぎまわった後、一通り満足したのか、抱擁を解いたメノはサナに向かって笑顔で言った。


「いい匂い」

「あ…………ありがとう…………」


 再び赤面するサナ。コイツは褒め言葉全般に弱いのかもしれない。


 サナが油断していると、次にメノは、正座している彼女の太腿を枕にして寝転がってしまった。その仕草はほとんど猫だ。しかも顔の向きはサナのヘソの方に向いている。うらやましいことこの上ない。


「気持ちいい」

「あ、あの……話したいことがあるんだけど……」

「このまま話す」


 何故かサナは鬼の形相で俺を睨んできた。

 いえ、メノの行動にまで逐一責任は取れませんよ?

 居たたまれなくなっても逃げることなどできず、結局今度は俺がベッドに座った。


「メノちゃんは宇宙人が攻めてきてるって、どうして知ってるのかな?」

「研究所のみんなが言ってた」

「研究所?」


 俺が問い返すと、膝枕をしてもらっているメノがピクリと動いた。しかし身じろぎしただけで止まった。どうやら寝返りを打つのが面倒くさかったらしい。


「昨日までメノが住んでた研究所。グラブって言うの。グロウリアン ラボラトリィ? ……あっ」


 何かを思い出したかのように、メノは慌てて口を塞いだ。


「これ、言っちゃダメだったんだ」


 だよな。佐伯も組織名は伏せるとか言ってたし。


 昨夜、俺が拘束されている間に、盗聴器か何かを設置されていないことを祈る。ま、組織名を知ったところで殺されるとは到底思えないが。


「グラブって名前の割には、そのグロウリアンって宇宙人を一匹も捕まえてないそうじゃん」


 皮肉を言いながら、サナがチラリと俺を見る。だからさっき話したことは、俺の妄想でも創作でもないんだってば!


「それで、メノちゃんが死んじゃうと、地球が爆発しちゃうってのは?」

「爆発はしないよ。でも自爆はする」

「?」


 膝の上のおかっぱ頭を撫でながら、サナは首を傾げた。俺の方からは表情は見えないものの、メノが「ん?」と唸って不思議そうな目をしているのが手に取るように分かった。


 何がお互いの間で食い違っているのかは、俺にも理解できた。『爆発』と『自爆』。この二つはどう違うのか。


「えっと……」


 と逡巡しながら、メノは両手で不思議な踊りを披露した。


「きょうりゅう」

「恐竜?」

「誰も知らないことなんだけど……」


 言いにくそうに口をもごもごさせているため、ちょっと聞き取りづらい。けどメノの喋り方がゆっくりなためか、なんとか言葉の意味は理解できた。


「本当は昔、世界には七つの自爆スイッチがあったの。だけど押しちゃって、恐竜は絶滅しちゃった」

「ちょっと待った。恐竜が絶滅した理由って、隕石じゃなかったのか?」

「隕石だよ。隕石が自爆スイッチを押しちゃったの」


 確か佐伯も言っていた。地球外の物体や生命体なら自爆スイッチを押すことができると。

 なんかすごいことを聞いてしまった。自爆スイッチは実は七つあって、はるか昔にすでに二つも押されていたとは……もしかしたら自爆スイッチとは、地球上の生命体を全滅させる効果があるのかもしれない。


「誰も知らないってことは、そのグラブ……っていう組織の人たちも?」

「うん」

「じゃあどうしてメノは知ってるんだ?」

「うーん……」


 と、唸り声を上げる。今度は言いにくいというよりは、言葉にしにくいといったような感じだった。


「地球に聴いた。聴いた? 聴いたのかな? 最初から知ってた」

「つまり自爆スイッチの役割を受け継ぐ時に、ある程度のことは地球から教えられるってことか……」


 あの黒服の男たちが知らないのは、こちらにとってのアドバンテージかもしれない。もし何か不利な事が起きれば、交渉の材料として使えるな。


「よくもまぁ、そんなくだらないストーリーで難しい顔ができるわね。こんな純粋無垢な子にまで嘘を吹き込んだりして」


 いつの間にかサナが軽蔑するような視線でこちらを見つめていた。

 俺はというと、怒ることも悲しむこともせず、ただただ呆れてしまった。


「これだけ説明しても、まだ信じてくれないのかよ」

「あーもー、分かった分かった。信じる、信じるからもうこの話はおしまいおしまい。はい、おしまい」


 とても面倒くさそうに言われてしまった。なんか納得できない。

 にしても、サナは懐いているメノの頭を撫でる手を止めない。むしろ本当の猫でも扱うように、ほっぺをプニプニ、顎の下をゴロゴロとかやっている。女ってみんなこうなのか? 幼く見えるけど、一応メノは中学生だぞ? しかも彼氏のベッドで寝ていた女なんだぞ? 憎ったらしいとは思わないのか?


「何もしてないんでしょ?」


 確信半分、願望半分な声色だった。

 俺は黙って頷く。もちろんだ。触れてすらいない。……まぁ、ズボン放っぽり出しちゃってたから、いろいろ見ちゃったりはしたんだけどね……はは。


「んじゃ、そっちは信じる」


 それでいいのか? 朝日が西から昇ったくらいに驚いているんだが。

 俺からメノへ視線を移したサナの顔が、淡白から一転、完全なデレ顔へと変化した。


「だってメノちゃんはすごく可愛いもんねー」

「メノ、可愛いの?」

「うん、可愛い」

「ぎゅー」

「ギュー」


 膝枕した体勢のまま抱き合ってしまった。

 マジで何なんだこいつら。女という生物の考え方が本気で分からん。それとも俺が非常識なんだろうか。サナも俺と同じ理系のはずなんだけど。


「メノちゃんに手ぇ出したら、本気で殺すから」

「……心得ておきます」


 接し方の差が激しすぎる。俺、一応お前の彼氏だぞ。

 何はともあれ、感情的になって飛び出ていくという最悪の事態からは脱したようだ。ただ俺の話を信じないで、メノの存在をどう処理したのかは知らんがな。


「ところでサナ。話題を変えてもいいか?」

「どうぞ」

「今日の用件はなんだ? こんな朝早くっから」

「ゴメン。突っ込みどころ満載」


 そうだよな。もう昼前だった。てへっ。

 しかし俺が自分の非を認めても、サナの深い深い溜め息は続いた。


「ひとーつ。せっかく恋人が遊びにきてやってんのに、『用件はなんだ?』ですって? 男としてもうちょっと気の利いたセリフは言えないわけ? 傷ついちゃうわー」

「……すんません」

「カツラとサナエって、恋人同士なの?」

「ん、まぁ一応ね」


 膝の上から飛び起きたメノが、「おー!」と歓喜の声を上げて瞳を輝かせた。


「さっき大人のキッスしてたもんね!」

「ま、まぁね……」


 照れ隠しで顔を背けてしまうサナ。勢いだったとはいえ、他人から指摘されてしまうと、恥ずかしいというよりは背徳感を覚えてしまう。今の俺がそうだった。


 というか、メノは年頃の女の子らしく、他人の恋バナに興味津々のご様子だった。地球の自爆スイッチということで身構えてしまってはいたが、どうやら普通の女の子として接した方が正しいのかもしれない。


「ふたーつ」


 気を取り直したサナが、指を二本立てて俺に突きつけてきた。


「研究室の中のガイドとかしてくれる約束だったでしょ?」

「うぐゎ、完ッッッ全に忘れてた!」


 片手で顔を覆い隠したサナは、本気中の本気で呆れ果てている様子だった。


 俺の通っていた大学は工学部で、卒業研究は必修科目となっている。四年生になってすぐ各研究室に配属されるのだが(研究室の選択は自由。定員を超えたら抽選だった)、サナを含めサークルの後輩が何人か俺と同じ教授の研究室に入ったため、概要を詳しく教える約束をしていたのである。


 先人の後を継いで同じ研究をするか、そうでなくとも自分のやりたい方向くらいは見つけられるだろう。資料や各機械の使い方なども、一年経験した人間に教えてもらった方が楽に違いないし。


 ……ま、就職できずに暇だろうから俺に頼ろうという魂胆は、完全に見え見えなんですけどね。はは。


「確か一時だったよな」

「うん」


 よかった。まだ一時間はある。つーか寝過すことを見越してサナが起こしに来てくれたわけだから、俺に安堵する権利は無いんだけどな。


「どうせ起きたばっかりでお昼ご飯も食べてないだろうから、早く来て作ってあげようと思ったんだけどね……まさかこんなことになっているとは」

「俺のせいじゃない」

「分かったってば。その話は終わりって言ったでしょ」


 なにかとすり寄ってくるメノの頭を撫でながら、サナは諦めた口調でそう言った。メノのサナへの懐き具合が半端ないのに加え、サナの方も特に嫌がっているようには見えない。収まるところに収まったというのはちょっと違うかもしれないが、俺は案外に運が良いのかもしれなかった。


「じゃあお昼作るわ。どうせラーメンとチャーハンくらいしかできないけど」

「はは……」


 一応弁明しておくが、別にサナがそれだけしか作れないというわけではない。単に俺ん家の冷蔵庫がすっからかんなのを知っているがための、皮肉だった。


「メノちゃんも食べるよね?」

「うん、食べる。お腹すいたぁ」


 ぐぅと腹の音を鳴らすメノの頭を撫で、サナは立ち上がった。

 微笑ましいその光景は、姉と妹というよりも、どちらかといえば母と娘のようでもあった。……殴られそうだから言葉には出さないけどな。


***


「「ごちそうさまでした」」

「はい、お粗末さまでした」


 空になった丼ぶりと皿を持って、サナが流し台の方へ片付けにいった。爪楊枝で歯をいじりながら、俺はチラリと隣でくつろぐ少女を一瞥した。


 ラーメンはともかく、チャーハンは少し作りすぎたとサナが言っていたが、メノの奴、結局全部食べたな。小さな体の割に意外だ。満腹まで食べられるというのは健康の証である。見知らぬ部屋で一夜を過ごし、体調を崩していなくてよかったよ。


「一心不乱に食べてたよな。そんなにお腹が減ってたのか?」

「うん、おいしかったから」


 おいしかったって言えばおいしかったけども。でも、あんなのほとんどインスタントだぜ。チャーハンはご飯を炒めて素を入れるだけだし、ラーメンに至っちゃ茹でるだけだ。俺だってできる。


「二年も付き合ってたら、相方の考えてることが分かるようになるのねぇ」

「早苗さん。食器の片付けに包丁は必要ないかと」


 怖えーよ。包丁もそうだが、たった二年で読心術が使えるお前が怖えーよ。

 もしかしたら嫁になるかもしれない女の狂気に怯えていたら、メノがこちらを見つめていることに気が付くのが遅れた。


「ラーメンがカップに入ってなかった。これが普通なの?」

「普通……といえば普通だよ。カップラーメンの方が食べる頻度は多いけど」


 値段だけで言ったらどっこいどっこいだが、作る手間が若干違うからな。

 この反応を見るに、どうやらメノは今までカップラーメンしか食べたことが無いようだった。だから食べ始める前に、とても不思議そうな顔をしていたのか。


「あと、白くないご飯を食べたのも初めて」

「白くないご飯? チャーハンが?」


 確かに白くはない。しかしそんな表現は初めて聞いた。


「白くない飯……か。例えば赤飯とかは?」

「あんたが赤飯とか言うと、セクハラにしか聞こえないわ」


 片付けを終えたサナが戻ってきた。軽蔑するような視線が怖い。

 つーか、赤飯=セクハラと関連付けるのはさすがにやめてほしい。いやもちろん、年頃の女の子に訊くべきことじゃないと、今になって俺もちゃんと自覚してますけども。


「っていうか、何やってんの? 時間が無いんだから、片付けてる間に着替えてといてよ」

「あー、すまん」

「脱衣所でね!」


 引き出しからズボンを取り出し、パジャマを脱ごうとしたところで思い出した。今日はサナだけじゃなくて、メノっていう女の子もいたんだった。


「……かかあ天下」


 慌ててトイレへ駆け込む途中、メノがボソリと呟いたのが聞こえた。


 ……変な言葉知ってんだな。


 どうして家の主である俺が追いやられなければならないのかという疑問を抱くこともなく、さっさと着替え終えてから戻った。居間に戻ると、サナが私物の櫛でメノの髪の毛を梳いていた。


「メノちゃん。あんまり髪のお手入れとかしていなかったでしょ」

「うん。してない」


 少しだけ痛そうにしながらも、メノはサナの世話に身を任せていた。

 なんつーか……いい光景だなぁ。うん、感動する。

 そう考えると、今の今までまともな飯を食べさせていなかったり、年頃の女の子にお粧しをさせない研究所とやらの人間たちに対して腹が立ってきた。佐伯の顔しか浮かんでこなかったんだけれども。


「さって、終わったよ。で、どうするの?」

「どうするって? 大学に行くんだろ?」

「違うって。メノちゃんこと。留守番させておくわけにはいかないでしょ?」


 あー、そうか。完全に失念していた。これから先、俺は何をするにしてもメノと行動を共にしなけりゃならないんだった。


「ちょっと待ってろ。今連絡するから」


 お札の入った封筒から連絡先が書かれている紙を取り出し、携帯に番号を入力する。コールが鳴る。しかしいくら待っても、無機質な電子音が流れてくるだけだった。留守電にすら切り替わらない。


「……出ないな」

「妄想の相手と電話で連絡が取れるわけないじゃない」

「…………」


 さすがに今度は少しだけムッとした。終わり終わりと言っている割には、話を蒸し返すようなサナの言葉が気に入らなかった。


「困ったな。外に出る時は、逐一連絡しろって言われてるのに」

「大学に行かないのと、留守番をさせるという選択肢はあり得ないよ。じゃあもうやるべきことは一つじゃない?」

「研究室に部外者とか入れていいのか?」

「いいんじゃない? 誰かに何か言われたら謝ればいいでしょ」


 そんな簡単でいいのか大学生よ。


「むしろ大学へ連れて行くって決まってんなら、俺に確認するなよ」

「だーかーらー」


 もう本当に勘弁してくれと泣きを入れるくらいに、サナが落胆した。


「メノちゃんの服とか無いんでしょ? 後から黒服の男たちが持ってくるとかいって、連絡取れてないじゃん。このまま大学へ連れてけって言うの?」

「あー……」


 そうか。その件はどうなったんだろう。誰かがメノの日用品を持ってきてくれれば、サナも少しは信じてくれるんだろうけど……今はそんなことを考えてる場合じゃないか。


「ジャージなんだし、別にそのままでいいんじゃないか?」

「かぁ~、これだから男ってのは!」

「言いたいことは分かるけどな。でも無いもんは無い。俺の服じゃ、サイズがデカすぎるし」

「その冗談は笑えない」


 そんなジト目で睨みつけられても、俺のジョーク力は上がりませんよ?


「どうしよう。私の家に取りに行くにも、デパートへ買いに行くのにも時間が無いし……」

「メノ、このままでいいよ」


 真剣に頭を悩ませているサナに、メノが言った。その顔は無表情で、特に遠慮しているわけでもなく、嫌々そうにもみえなかった。


「でも可愛い女の子がジャージで外を歩くなんて……ねぇ」

「研究所はずっとジャージだったから、いい」


 連れてこられた時間が深夜だったから勝手に寝巻だと思っていたけれど、そういうわけではなかったのか。となると、黒服が持ってくるサナの日用品とかもアテにはならない。色違いのジャージとか持ってきそうだ。


 複雑そうに顔を歪めたサナが、諦めたように決断を下した。


「時間もないし、サナちゃんがいいって言うなら……」

「そういえば俺たちが一方的に決めてたけど、メノは大学行くよな?」

「うん、行く。大学、行ってみたい」


 思いのほか乗り気だった。どことなく目を輝かせている。子供にとって、大学のキャンパスというのは憧れの場所なのかもしれない。


「大学! 自由! イエス、ウィー、キャン!」


 また古いネタを。しかも大学=自由という風潮は、もっと過去のものだ。

 支度を整え、監視している黒服たちに見咎められるんじゃないか戦々恐々としながら、俺たち三人はアパートを後にした。

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