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第4章 流河メノ

 小柄な少女だった。


 年齢は十歳前後だろうか。肩の辺りで無造作に揃えられた黒い髪に、太陽を知らなさそうな白い肌。目は大きく、鼻は低い。なかなか器量の良い可愛らしい顔つきの女の子だが、不機嫌そうにへの字に曲げる口元が、無垢な印象を台無しにしていた。


 いや、少女の憮然とした態度だけが、彼女の可憐さを損ねているわけではない。


 だらしなく着込んだ赤いジャージは、一人暮らしのOLの部屋着みたいだ。それに頭頂部あたりの髪の毛が、縦横無尽に飛び跳ねている。赤い目をこすっていることから、どうやら寝ていたところを無理やり起こされたのだろう。不満顔になるのも分かる。


「…………」


 いやしかし、この状況は何なのだろうか。地球の自爆スイッチを拝めると思って、慄き半分好奇心半分で待機していたのに、何故俺は女の子をまじまじと観察しているのだろうか。おかしい。おかしすぎる。


 部屋の入り口辺りで佇む、黒服の男に連れられてきた少女から眼を切り、俺は佐伯に説明を求めた。


「えっと……自爆スイッチは?」

「彼女が今の自爆スイッチだ」


 ついついもう一度赤ジャージの少女を見てしまう。

 どう見ても生きている人間だった。


「自爆スイッチは時代によって姿形を変えていると言っただろう? 今現在は人間の姿をしているというだけだ」

「スイッチが……人間?」

「絶体絶命の非常時以外は確実に保護できるよう、自由に動けた方がいい。となれば生物だ。そして今現在の地上を支配する生物は人間だ。知能の高い人間ならば、スイッチを管理することもできる。……非常に合理的な地球の判断だと、俺は思うがな」


 そういうものなんだろうか。


 ただスイッチというには、何かの手段で信号を送って起爆の合図をしなければならない。人間のどこをどうすれば自爆装置を起動できるんだ?


「彼女が死ねばそれが合図となる」

「…………は?」


 この数十分で、俺は何度呆気に取られただろう。あまりに現実離れした展開が次々と説明されるので仕方のないことかもしれないが、しかし今のは一番の衝撃だった。


 この女の子が死ねば、地球が自爆するだって?


「いやいやいやいや、それはない。そりゃ他の生物に比べりゃ死ににくいかもしれんけど、人間だっていつでもどこでも簡単に死ぬぞ。そんなことで自爆するわけがない」


 でなけりゃ、地球はとっくの昔に終焉を迎えている。運が良ければ百年や二百年は持つだろうが、億年単位など絶対に無理だ。


 しかし佐伯は俺の意見を簡単に否定した。


「自爆スイッチに選ばれた人間は、事故や病気では絶対に死なないんだよ。地球に守られているからな。彼女が死ねる原因は三つしかない。自殺と寿命と……あとは地球外生命体の攻撃だけだ」

「絶対に……死なないのか?」

「あぁ、死なない。とはいっても、原理は不明だ。過去の調査では、免疫力や自然治癒力は年相応のものでしかないらしいし、実際に風邪を引いたり怪我をしたりもする。おそらくだが、不死と言っても、例えば『絶対に事故には遭わない』ではなく、『事故には遭うが、奇跡的に軽傷で済む』といった形で、何かしらの地球からの保護を受けてるのだと俺は思っている」

「例えば、その……即死性のある毒を飲ませたりしたら……」

「お前が研究者の立場だったら、そんな実験するか?」


 いや、しないな。倫理とか道徳とかはひとまず置いといて、もし万が一死なれてしまったら地球が消滅してしまうからな。


 ただこれで佐伯が言った言葉の意味が分かった。

 たとえ地球に守られていなくとも、俺が自爆スイッチを押すのは絶対に不可能だろう。


「でもちょっと待て。今、寿命でも死ぬって言わなかったか?」

「寿命で亡くなった場合のみ、スイッチとして作動はしないんだ。十三年前、前任者が寿命で亡くなるのと同時に生まれたこの娘が選ばれた。もっとも、地球のヒントが少なすぎて、今回の自爆スイッチを捜し当てるまでに五年はかかったがな」

「別に遺伝ってわけじゃないのか。……って、え? 十三年前?」


 慌てて少女の方を振り返る。

 十三年前にスイッチとしての役割を引き継いだというのなら、今十三歳なのか? 悪いがとてもそうには見えない。病的に白い肌もそうだが、適切な発育のための栄養が足りてないんじゃないだろうか。


「さて」


 俺が少女の体格に気を取られていると、佐伯が立ち上がった。


「必要な説明はあらかた終えただろう。近隣住民に不審がられる前に、俺たちは撤収する」

「ちょちょ、ちょっと待った!」

「待たん。また何か分からないことがあれば、この中に入っている番号へ連絡しろ。俺が取り次ぐかは分からんが、大抵の要望は聞き入れるつもりだ。……お前が任務をまっとうしている内はな」


 不遜な態度で鼻を鳴らすと、佐伯は懐から取り出した封筒をこちらに投げた。チラリと見えた中身は白い紙が一枚と、万札。パッと数えただけでも二十枚以上はありそうだ。


 目の前の大金に一瞬だけ気を取られたものの、すぐに我に返った俺は、背中を見せる佐伯に噛みついた。


「だから俺は引き受けるつもりはないって!」

「諦めろ」


 低く、どすの利いた声だった。


「別にお前は特別なことはせんでもいい。ただこの娘の世話をするだけだ。日常生活に比べれば少しばかり危険が増すかもしれないが、最低でもさっき提示した報酬は用意する。ニートにとっちゃ、ローリスクハイリターンな賭けだとは思うがね」

「俺はニートじゃねぇ、フリーターだ」

「同じようなものだ」


 最後に緊迫した雰囲気は多少和んだものの、鼻で笑われた。あれは完全にゴミを見るような眼だった。

 黒服の部下たちが、狭い廊下を通りさっさと退却していく。最後尾だった佐伯が、扉の前で振り返った。


「後日、その娘の衣装やら日用品やらを届けさせる。あとは外に出るなとは言わんが、その都度連絡を入れろ。じゃあ頼んだぞ」


 静かに閉められた扉が、耳鳴りがするほどの静寂を生んだようだった。


 いつも通りの深夜の静けさが戻った今、ほんの数秒前まで起こっていた出来事が、夢か幻覚かのように感じられてしまう。黒服たちの登場はそれほどまでに突拍子もなく、また現実性の欠いた話の内容だった。


 現状把握に苦しみ呆然としながらも、一応は危機が去ったことは理解できる。しかし新たな問題が現在進行形で発生していることは、嫌でも物理的に目に入った。


 手の中にある、厚みのある封筒。そして未だ玄関脇に佇む、十三歳の少女だ。


「えっと……」


 黒服の男たちが去ってから、一歩も動こうとはしない。俺が声をかけても、目をこするばかりで反応を返してはくれない。寝ぼけているのか無視されたのか、判断に困った。


「こっちに来て座ったらどう……かな?」


 遠慮がちに誘うと、少女は眠たそうに頷いた。ちゃんと言葉が通じるようで、ひとまず安心する。

 裸足でペタペタと歩いてきた少女が、先ほどまで佐伯のいた位置で正座した。


 いやぁ、それにしても何なんだこの緊張感。まるで初めて彼女をこの部屋に連れ入れた時のような感覚だ。ただ当然ながらあの時は初対面ではなかったし、共通の話題で盛り上がりもしたし、そして何より後のことを期待した緊張感だったからな。


 教師とか目指さなかった俺には、女子中学生と和気藹々に会話できるスキルは無い。


「その、なんだ。なんか成り行きで今から君はこの部屋に住むことになっちゃったんだけど……よろしく」


 こちらが頭を下げると、少女もまた頷いてくれた。

 話題作りとなれば、そうか。まずは自己紹介か。


「君の、名前は?」

「メノ」

「メノ?」

流河(りゆうが)メノ」

「流河メノちゃんか。いい名前だね」


 別に心の底から褒めたわけではなかったが、少女が急に瞼を見開いた。驚いたわけでも、照れているわけでもないだろう。逆に、幼いながらもその美貌に見惚れてしまった俺の方が、少しばかり恥ずかしかった。


 急にメノが真顔になった理由は、すぐに分かった。


「名前」

「え?」

「あなたの名前」

「あぁ……」


 相手の名前だけ聞いて自分の自己紹介を忘れるとか、大人として情けない限りだ。


「俺は桂。桂秀明だ。よろしく」

「カツラ?」

「うん?」


 今、発音がおかしかったぞ。


 と思っていると、予想通りの意味で捉えたようだ。メノは自分の頭を指で示しながら、にんまりと微笑んで、再度俺の名前を繰り返した。


「カツラ?」

「くっ……」


 全国の桂さんが、幼い頃に受ける洗礼だと思う。だが俺は大人だ。そんな子供じみた悪口に、いちいち反応はしない。ましてや相手が子供ならな。


 いやいや、それにしてもちゃんと笑えるじゃないか。いかにも怪しげな黒服たちに連れられ、仏頂面で登場したものだから、てっきり人格に少々問題があるのか疑っていた。これから一緒に過ごしていく辺り、子供らしい無邪気な笑顔を見れて、俺はさらに安心した。


 安堵の溜め息を吐くと、メノが大きな欠伸をかました。寝かせてあげたいが、寝る前にどうしても一つだけ訊いておきたいことがある。


「君が地球の自爆スイッチだから俺が預かることになったんだけど、それは本当の話なのか?」


 もしかしたら、メノは自分が自爆スイッチであるという自覚が無いのかもしれない。もしかしたら佐伯の話は全部デタラメで、まったく別の理由で俺にこの娘を預けたのかもしれない。何にせよ、メノ自身がどれほど現状を把握しているのか、訊いておく必要があった。


 しかし意外にも、メノは首を縦に振った。


「君が地球の自爆スイッチであることは真実。ってことでいいんだな?」


 頷く。


「君が死ねば、地球は消滅するのか?」


 するとメノは首を横に振って否定した。


「消滅はしない? じゃあ爆発するとか? 地球上の全生命が死に絶えるとか?」

「メノの他に、自爆スイッチは世界で四人いる」

「四人?」


 じゃあメノを含めて五人ってことになるのか。


 しかし妙に納得できた。自爆スイッチが一人だけじゃ、万が一にも誤爆の可能性がある。核兵器だって二つのボタンを同時に回さなきゃ発射されないって聞くし、おそらく五人同時に死ななけりゃ、起爆しないのだろう。


「違う。メノが死ねば、地球の五分の一が自爆する」

「五分の一?」


 それはまた奇妙な話だった。

 地球が五分の一も消滅したら、それはもうすべてが終わるのと同じことではないだろうか。


「ふぁ~あ」


 再び大きな欠伸。もう限界そうだ。深夜四時を回ってるし、無理もない。


「じゃあ寝ようか。先に言っとくけど、自分の家のようにくつろいでもらって構わないから。何か不満とか要求とかがあったら、遠慮なく言ってくれ」

「うん……」


 そう言って頷くものの、なかなか動こうとはしない。さらには座ったままもじもじし始めた。トイレだろうか。


「遠慮しないでもいいの?」

「ん? あぁ、まあな」


 何故か顔を赤く染めて下を向く。恥ずかしくて言いにくいことだろうと予想はつくが……まぁ、この年頃だと、年上の男性に向かってトイレに行きたいとは、なかなか言えないかもしれない。


 しかし鼻を押さえたメノの発言は、俺の予想とはまったく異なっていた。


「なんか、その……ちょっと臭い、かも」

「臭い?」


 そうだろうか。自分の部屋だからか、匂いに鈍感になっている。四年も住んでいるため、確かに桂秀明という人間の匂いが染み付いた部屋ではあるが……。


 ふとメノを見ると、チラチラと横を見ていた。どうやら異臭の発生源があるらしい。視線の先を追ってみると……それはゴミ箱だった。


「…………ッ!?」


 まずいまずい。ゴミ箱の中に何が入っているのか、思い出した。さすがに女子中学生にあんなものは見せられない。


「よ、よし寝よう。ゴミ箱は片付けておくからさ!」

「うん」


 眠たげに立ち上がったメノは、倒れ込むようにベッドへ沈んだ。そのまま掛布団を羽織ることもなく、うつ伏せの状態で寝息が聞こえてきた。相当、眠いのを我慢していたみたいだ。


 夢の世界へと旅立つメノを見送った後、俺は密かに溜め息を吐いた。


 この数十分の間に、いろいろあり過ぎた。これまで二十二年間生きてきた以上に、密度の濃い時間だったかもしれない。いや、それは言い過ぎだろうが、俺の人生の転換期であることは間違いなさそうだった。


 グロウリアンという名の異星人。

 地球の声を聴くという巫女と、黒服の男たち。

 自爆スイッチの役割を持つ少女。


 まるで映画だ。どんな人物が脚本を書いたのかは知らないが、そいつは間違いなく三流だろう。特に取り柄もない一般人の俺を巻き込んだ時点で、駄作が出来上がるのは目に見えている。いや、そもそも俺はただのエキストラなのかもしれない。宇宙人が襲来した際、一番最初に攻撃に遭い、宇宙人の凶暴性を示すためにあっけなく死んでしまうモブ。


「ぶっちゃけどうでもいい」


 考えるのも面倒になってきた。もう四時半。いい加減、俺も眠い。


 とりあえずゴミ箱を遠ざけ、フローリングの冷たい床へ倒れ込む。あー、どれだけの期間この生活が続くかは分からないけど、これから性欲処理はどうしよっかなー。などと思っているうちにも、泥のような眠りへと堕ちて行った。

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