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第2章 黒服襲来

 普段の起床だと、目が覚める頃にはカーテンの隙間から朝日が覗いている。設定したアラームより先に起きるか、また休日だと正午を過ぎていることもあるが、基本的には起床とともに視覚は確保される。


 だから目を開けた瞬間、周囲が暗闇だと、自分は起きたのか未だ夢の中なのか、すぐに理解できないこともある。今がそうだった。


 寝ぼけた頭で、今は何時だ? と疑問を持ち、次に自分が目を覚ました理由を探る。

 尿意? いや、無いな。

 悪夢でも見たんだろうか? なんにも覚えてねぇ。


 ん……なんだ、この物音。

 布団の中でじっと耳を澄ましていると、金属が軋むような音がした。そしてさらに人の話し声も。


 このアパートはそこそこの防音効果があるため、隣の部屋ではないだろう。ということは外か? 事故か事件か病人でも出て、野次馬たちが騒いでいるんだろうか。


 気にせず寝るか、このまま起きるか。まったく損得の発生しない選択肢で悩んでいるその時だった。


 バンッ! と、勢いよく扉が開けられる音。四年も住んでるからこそ、この部屋の扉であることは即座に理解できた。


 ビックリはしたが、意外と取り乱しはしなかった。『強盗』という単語だけが脳裏をよぎり、ただ恐怖から身を強張らせていただけだ。人間、唐突な出来事に対応はできなくても、意外と冷静に状況を分析できるものだな。


 続いて足音。しかも複数。やはり強盗だと確信するも、俺の身体は動かず。精々、片腕を支えにして上半身を起こすだけしかできない。


「囲め。窓から逃げられるなよ」


 男の声。遠慮のない足音にしては、やけに声を潜めている。


 起きたばかりだからか、やや暗闇に目が慣れていた。部屋に入ってきたのは三人。体格からして、おそらくいずれも男だろう。派手な衣装ではない。……この暗闇では、それ以上のことは分からなかった。


「いつも通りだ。合図をしたら電気をつけろ」


 侵入者の一人がベッドの傍まで寄ると、俺に向けて片手を伸ばしてきた。俺は反射的に両手を出して遮ろうとする。しかし距離感がつかめないためか、男の腕は俺の防御を素通りした。


「うぐっ……」


 猛烈な吐き気。一瞬遅れて、首根っこを掴まれたのだと理解する。頬の辺りが圧迫され鼓動を感じた。

 続いて俺の首を片手で絞めたまま、男は馬乗りになってくる。最初から俺が寝転んでいたからか、もしくは荒事には慣れているのか、うつ伏せにされて両腕を背中に回されるまでのほんの一瞬の間、俺はまったく抵抗できなかった。


 手首に冷たい金属の感触。おそらく手錠だ。


 さらに口の中に乾いた布が押しこめられる。猿ぐつわというやつだが、背中から布を引っ張られ、エビ反りになっている俺は明らかに手綱を取られた馬だった。


「よし、明かりをつけろ」


 背中の男からの合図で、部屋に明かりが灯った。直接蛍光灯を見ていたわけではないが、暗順応していた虹彩が刺激される。固定された頭で眼球を極限まで横に回すと、窓際に立つスーツ姿の男が一人だけ目に入った。


「騒ぐなよ。寿命を縮めたくなかったらな」

「…………ッ!」


 手綱をさらに引っ張られ、首が逝くかと思った。胸も圧迫され、呼吸もヤバい。

 状況把握? 現状理解? そんなもの、とっくの前に放棄した。今の俺にできることは、喉の奥で呻きながら、鼻息を荒くすることだけだった。


「二つほど質問をさせてもらう。答えてもらうために少し楽にさせてやるが……暴れたり叫んだりすればどうなるか、分かるよな?」


 視界の端に黒い筒のような物が映った。近すぎてはっきりと認識はできなかったものの、この状況であのセリフを吐いて見せるものといえば、一つしかない。拳銃だ。


「まず一つ目だ。このスイッチを押したのはお前か?」


 拳銃が退き、代わりにオレンジ色のプラスチックが現れた。それは紛れもなく俺がさっき拾ったスイッチ、地球の自爆ボタンだった。


 俺は慌てて首を縦に振る。声は出なかった。


「そうか。じゃあ二つ目だ」


 背中でカチャリと音がした。この音を知っている。先ほど見せられた物と相まって、それが撃鉄を上げる音であることは瞬時に理解できた。


 肝が冷凍庫へと放り込まれたように冷えたのに、全身の震えは止まった。


 冷たい鉄の感触が、後頭部へ軽く押し付けられる。ただ飛び出たのは弾丸ではなく、深みのある男の声だった。


「お前はグロウリアン……異星人か?」


 正直に答えることが唯一俺の生き残れる道だと信じていたため、首を縦に振るか横に振るかの準備はしておいた。しかし動かなかった。どちらが俺にとって有利な返答となるのか考察していたわけでなく、ただ単純に質問の意味が理解できなかった。


 何だって? グロウ……リアン? イセイジン?


 先の言葉から、俺の脳内にある似たような単語を必死で引っ張り出す。

 グロウリアン。何か店の名前? 国名? それとも微生物? 就職できなかった俺をミジンコレベルだと揶揄するための、蔑称か何かか?


 ダメだ。似たような言葉すら思い浮かばない。


 続いてイセイジン。即座に社会人という単語が浮かんだものの、さすがにその可能性はすぐに捨てた。それにこちらは比較的早く漢字に直すことができた。


 異星人。つまり宇宙人のことなのだろう。

 お前は宇宙人か? ……質問が分かっても、未だ理解はでいなかった。

 やるべきことは一つ。俺は宇宙人じゃない。


 首を横に振ろうとはしたが、意外と長考していたのか、どうやら時間切れのようだった。背中の男が、溜め息交じりで先に話す。


「まぁいい。おい、血液を採取しろ。そっちの方が手っ取り早い」


 背中の男の指示で、窓際の男が動いた。何をしようとしているのか、未だ馬乗りにされているため明確に把握できないが、右腕に奔った鋭い痛みが何をされたのか物語っていた。


 採血。つまり注射器の針がぶっ刺さったのか? 実際に血を抜かれていることよりも、医者でもない人間に注射器を刺されていることの方が、よっぽど血の気が引く。血を抜く時って、静脈と動脈どっちだっけなどと、場違いなことまで考えてしまった。


「三分で解析しろ」


 返事をした男が部屋を去っていく足音。ほんの少しだけ、圧迫感が減った。


 いや、それは何も室内の人口密度が減ったからだけではない。俺の背中で馬乗りになっている男が、心なしか体重を緩めてくれたのだ。


 しかも先ほどとは別人といってもいいくらい、口調も優しくなった。


「ま、解析結果を待つまでもなく、お前は人間だろうな。まったくバカなことをしちまったもんだよなぁ、兄ちゃん」

「バカなこと?」


 奇跡的に声が出た。余計な質問をしたことで撃たれるんじゃないかと危惧したが、別にそんなことはなかった。


「どこで手に入れたかは知らないが、このスイッチを押したことだ。これを押した瞬間、お前の人生は狂った」


 俺は床に転がっている地球自爆スイッチを睨みつけた。


 そうか。コイツを押してしまったばっかりに、今の状況に陥っているのか。これをゴミ箱に捨てた奴と、地球が滅んでしまってもいいと願っていた過去の自分を殺してやりたい。


「そこのお前、こいつの財布を取ってくれ」


 三人目の男が、机に放置してある俺の財布を拾った。中に免許も入っている。


「名前は桂秀明(かつらひであき)か。今年で二十三歳。ってことは大学は卒業しているのか? それとも高卒で働いているのか? 今はどんな仕事をしている?」

「……フリーター」

「ふん。なるほどな」


 今、絶対馬鹿にされた。心なしか、棘のある鼻息だったからな。


 と、入り口の方からまた誰かが入ってくる足音がした。おそらく、先ほど採血をした男が戻ってきたのだろう。二分以上は経ってると思うし。


佐伯(さえき)さん。解析結果が出ました」

「どうだった?」

「彼は人間です」


 俺以外の人間が、全員溜め息を漏らしたのが分かった。切羽詰まった雰囲気から一転、弛緩したムードへと変化したことから、どうやら安堵の溜め息だったらしい。俺を拘束したまま、勝手に安心しないでほしいものだ。


 猿ぐつわが外された。先ほどから緩められてはいたが、口の中に異物が入っているのとそうでないのでは、嫌悪感が段違いである。


「またいつもの誤爆か。ったく、この作戦を立案した奴は無能もいいところだ」

「あまり時間がありませんよ、佐伯さん。彼に決めますか?」

「分かっている。まだ質問の途中だ」


 愚痴のように吐き捨てた背中の男が、俺の耳に口を寄せた。

 気色の悪い低い声で、先ほどの尋問が続く。


「見たところ一人暮らしのようだが、家族はどうしている? 健在か? それとも絶縁状態みたいになっているのか?」


 家族という単語が出た瞬間、一気に血の気が引いた。

 今の自分の身の危険も顧みず、ついついいきり立ってしまう。


「か、家族は関係ないだろ!」

「慌てるな、落ち着け。そして安心しろ。お前の個人情報を聞き出すために質問しているだけだ。お前の家族に危険が及ぶことはない。だが……」


 背中の男は言葉を切り、あからさまな金属音を鳴らした。


「叫ぶなと言っただろう? お前自身を行方不明者として家族に伝えてもいいんだぞ」


 それ以上、声は出なかった。見せつけられた拳銃が本物か偽物か以前に、コイツに逆らっては命が無いと本能が警鐘を鳴らすほど、背中の男の声には凄味があった。


「俺の質問には素直に答えろ。それだけが、お前が生き延びれる唯一の方法だ」


 生き延びれると聞いて、少しだけ希望が湧いてきた。

 俺は黙って首を縦に振った。


「それは重畳。まずお前の実家はどこだ? 免許の住所でいいのか?」

「…………そうだ」

「随分と遠いな。ここに越してきたのはいつだ?」

「大学に入学した時だから……四年くらい前」

「お前の身内はここへはよく来るのか?」

「最初の一年は何回か来てたけど、それ以降はまったく。正月以外は顔も合わせていない」


 そして仕送りも止められたから、ある意味絶縁状態なんだけどな。


「大学は卒業して、現在はフリーターだったか。なるほどな。大方は把握できた。で、お前はいつまでこのアパートに住むつもりだ?」


 いつまでって……。正直、返答に困る。


 就職が決まらなければこのままだろうし、決まったら決まったで、勤務先によって住む場所は変わるだろう。それとも、実家に帰る予定があるかどうかを訊いているのだろうか。


 答えに悩んでいると、別の黒服の男が横やりを入れた。


「佐伯さん。見たところ、彼はお巫女様が示した条件と合致します。時間もあまりありませんし、彼に決めてしまってはどうでしょう」

「あーあー、分かってるよ。俺はただ、コイツが少し気に入らないだけだ。こんな奴に彼女の世話ができるとは思えん」

「そもそも、提示された条件からして無理がありそうですが」

「そうだな」


 舌打ちをしてから、背中の男は俺の身体を揺さぶった。馬乗りになった状態から強引に顎を引っ張られ、胸が圧迫される。死ぬかと思った。


「お前は今から人類の命運を背負ってもらう。拒否する選択肢は無い」

「へ、へいうん……?」


 耳元で囁かれたあと、急に手を放された。エビ反りになった上半身がベッドへ沈み、乱れた呼吸を整える。何をするんだという声も出ず、俺は背中の男を無言で睨みつけた。


 しかし男は俺の眼力には目もくれず、懐から携帯電話を取り出して耳に当てていた。


「目標を確保しました。えぇ、またいつものように誤爆だったようです。はい……はい……私たちが見る限りでは、この青年は基準を満たしています。本人への説明はまだです。はい……それはもちろん。時間もありませんので、彼に決定しようかと。はい……え? お巫女様がいらっしゃっているんですか?」


 機械的にどこかへ報告していた男の口調が、いきなり変わった。

 しばらく無言が続く。誰も身じろぎしない静けさが、妙に冷たかった。


『ご苦労様です、佐伯さん。それに皆も』

「いえ、人類の危機を救うためです。労力は惜しみません」


 電話の相手が変わったのだろう。ボソボソと籠った声から透き通った女性の声になり、電話口からここまではっきりと聞こえてきた。


 しかし人類の危機っていったいなんだ?


「偽の自爆スイッチでグロウリアンを釣る作戦は失敗しましたが、彼女を預けられる環境にある青年を捕えました。ただ、彼への説明も承諾もまだですが」

『仕方がありません。グロウリアンとの全面戦争になるのも時間の問題。すでに我々だけでなく、人類すべての命運がかかっているのです。その彼にも協力してほしいのですが……佐伯さん。くれぐれも、手荒な真似はしないようにしてください』

「了解です」


 最後の言葉のみ、すでに手遅れだということは分かった。

 それにしても、こいつらは一体何を話しているんだ?


『その青年の名前は?』

「桂秀明です」

『桂さんですね? 一度話をさせてください』

「…………」


 上半身を捻って背中の様子を窺っていると、馬乗りになっている男と目が合った。無表情なのはともかく、どことなく怒っているような気がした。


「お巫女様がお前と話したいそうだ。くれぐれも、粗相のないようにな」

「お巫女様って誰だよ」


 切れ切れになった呼吸では、はっきりと発声できない。俺の声が聞こえたのかそうでないのか、男は無理やり俺の耳に携帯を押しつけた。


「えっと……もしもし」

『初めまして。私は地球の声を聴く巫女、楠野(くすの)と申します。以後お見知りおきを』

「はぁ、どうも。桂です」


 何なんだ、この自己紹介は。


 直接声を聞くと、そこそこ年配な女性であることが分かった。一字一句、はっきりと読み取れる透き通った声は、もしかしたら教師か何かやっていたのかもしれない。……ま、声で分かることといえば、これくらいのものだ。


『まずは本日の蛮行をお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした』

「い、いえ」


 本当は怒るか喚きたてる場面なのだろうが、相手の腰の低さが電話越しでも伝わり、こっちが妙に委縮してしまった。つーか、年上の女性に暴言を吐けるほど、俺の人格は荒れていない。


『もしよろしければ、迷惑ついでで桂さんにお願いがあります』

「お願い……ですか?」

『はい。人類の命運を左右する、重要な依頼です』

「はぁ……」


 さっきから生返事ばっかりだけど、さすがにこれは俺のコミュニケーション能力を疑うとかそういうレベルではないと確信できる。人類の命運とか異星人とか全面戦争とか、既に俺が理解できるキャパシティをはるかに超えていた。


『詳しい話は、そちらにいる佐伯からあるでしょう。ただ今一度言います。これは地球の存亡を賭けた戦いであり、我々に協力するならば、絶対の安全を保証することはできません。受けるも断るも、桂さんの意志次第です。ですが、時間が無いのもまた事実。貴方のような条件に見合った人を再び探すのは、時間が惜しいのです。できればどうか、地球のため、しいては人類のために我々にご協力ください』

「金でも握らせれば協力してくれるだろ? ニートが」


 最後の言葉は背中から聞こえた。

 携帯電話が耳元から離れる。どうやら通話口は手で塞がれているようだった。


『では先のことはお任せしますよ、佐伯さん。くれぐれも、桂さんに危害を加えないようにしてください』

「はい、了解しました」


 そう言って、通話が途切れた。室内が、再び夜の静けさを取り戻す。


 と、背中で縛られていた両腕が楽になった。手錠が外されたのだ。未だ佐伯は退かないものの、両腕が自由になった今ならいくらでも抵抗できる。


「変な気は起こすなよ。お巫女様は危害を加えるなとは言ったが、それはお前が大人しく従っている前提だからな。抵抗したり騒いだりすればどうなるか、理解できる頭をお前が持っていることを願うよ」


 はい、無理でした。後頭部に触れている銃口の感触が、未だ俺を自由にはしてくれなかった。


「理解したのなら立て。面倒だが、現在地球が置かれている状況を説明せねばならん」


 身体が軽くなる。銃口をこちらに向けたまま、佐伯は俺を解放した。


 佐伯はそのままテーブルの反対側へと移る。始めて正面から見た佐伯の姿は、オールバックに眼鏡といった、いかにもできる男を演出したような身なりだった。


「何をもたもたしている。さっさと座れ。あまり時間がないんだ」


 鋭い目つきで睨まれた。もちろん俺がビビったのはその眼光ではなく、銃口の方だが。

 ベッドから這い出て佐伯の正面で正座した。銃を持った黒服の男たちを前に、俺は蛇に睨まれた蛙も同然だった。


「さて、どこから説明すればうまく伝わるか」


 眉間に皺を寄せていた佐伯が、人を脅すような目つきで言った。


「最初に言っておく。俺が話すことはすべて事実だ。だからお前はすべてを信じろ。疑うことは絶対に許さない」


 電話の相手との態度が変わり過ぎだろうと思いながらも、俺は首を縦に振った。

 別に怯えているわけではなく、ただ単純に状況が深く呑み込めないため、場の流れに身を任せているだけの反応だった。

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