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第六話 貴女のおかげで1

反逆


「はぁ! フン! ヘア!」


 切る。切る。切る。

 目の前のゴミどもを二振りの刀で肉の塊にする。

 赤黒い何かが絶えずに飛び散る。


 海異たちの悲鳴がこだまする。その中で私はただ一人、笑っていた。

 今、私がやっていることは町を守るためでも、依頼をこなすためでもない。

 イサナに対する1000回にも及ぶ愚行と私の鬱憤をぶつけるように力を込める。


 楽しい。気持ちいい。気が晴れる。

 そんあ刹那的な快楽を求めてただただ乱暴に二振りの刀を振る。


「ハハハハハ!」


 狂気とも言えるような、叫びに似た笑い声が響き渡る。

 さっきまで海異だった物の破片が雨のように降り注ぐ。


 ようやく見つけた。ようやくたどり着いた。


 何年だろう。一体どれだけの時間がたったんだろう。


 やりたいこと、やるべきこと、それを思い出すだけにどれだけの時間をお前に奪われたのだろう。


 イサナよ。聞こえているか。


 私が背負う全てを吐き出す怒りが。


 これは復讐などではない。


 これが私のこの世界で出来る、最後の反逆だ。


「イサナァ! お前に絶望をくれてやる!」

 



                始まりの記憶


 「…きろ。…起きろ。」


 何か聞こえる。


 声が聞こえていることを自覚する。


 目を開ける。


 あたりは青一色。


 青に染まった空間を見て自分はモノを見ることが出来るのだと自覚する。

 上も下も青。


 なら声の主はどこにいる?

 私は口を開く。


「誰だ? どこにいる?…あ。」


 声が出た。


 自らの意思で開いた口から音を発した。

 私はどうやら目で見て、耳で聞いて、声を使って話すことが出来るらしい。


「お? なんじゃおぬし、喋れるのではないか。」


 さっき聞こえた声だ。跳ねるような高い声。

「誰だ?」

 私は先ほど自覚した声で問いかける。


「妾はこの海の神「ワダツミ」じゃ! まあ訳あっておぬしの前には出てこれぬがの。」

「海? 神? なんだそれは。」


 海とはなんだ。神とはなんだ。私には何を言っているのかがわからなかった。


「なんじゃおぬし、海も神も知らんのか。海とはいまおぬしがいるこの場所じゃ。」

 ここが海なのか。だとしたらこの一面の青は海の中にいるからなのか。

「そしてこの海の主こそ! 海の神たる妾のことじゃ! …おぬし、全然わかってない顔をしておるのぉ…」


 全然わかってない。

 というか今の説明じゃ誰も分からないんじゃないか。


「わかりやすく言えばこの海を好きなように操れるのじゃ!」


「ならやってみせてくれ。」

 私はそういうと途端にはつらつとしていたワダツミの声が聞こえなくなった。

「どうした?」

 問いかける。

 しばらくして「そのぉ…」とさっきとは違い、力のない声が聞こえてきた。


「実はの? 今はおぬしを生み出すのに力を使ってしまってのぉ…今はなにもできないのじゃ…。」


 じゃあおまえは何ができるんだ。自称、海の神に呆れ、そう言いかけたところで大事なことを言っていたのに気が付く。


「待て、私を生み出した?」


 私が指摘するとワダツミは「はっ!」とまるで何かを思い出したかのような声を出す。

「そうじゃそうじゃ! 一番おぬしに伝えなければならないことじゃった!」


 ワダツミがそういうとあたりの雰囲気が変わったように感じた。

 海の青は変わらないのに少し黒く染まったように感じた。


「この海…いや、この世界がとある人間によって脅かされようとしておる。」

 人間? なんだそれは。


「そうか! おぬし人間を知らぬのか! 人間とはな…この世で最も愚かで、最も愛おしい生き物じゃ。海の外…地上に数え切れん程おるぞ。」


 少し声色が暗くなったように感じた。


 ワダツミの言い方的にはその沢山いる人間の中に世界を脅かす何者かがいるらしい。


「おぬしにはその者を止めてもらいたいのじゃ。」

「…何を言っているんだ? 自分が何者かも分からないのにそんな得体のしれない奴を私がどうにかできるとは思えない。」


 率直な意見を述べる。海の神ですらどうこうできない様な相手を私がどうこうできるわけがない。そもそも、自分が何者か、自分に何ができるのか何も分からないというのにどうしろと言うんだ。


「なら今からおぬしの姿を見せてやろう。後ろを見るがいい。」


 ワダツミがそういうと後ろから何かの気配を感じた。


 体を動かして後ろを向く。


 平べったい体。

 細長い尻尾。付け根にはとげが生えている。

 左右に伸びたヒレをゆっくりと上下に動いている。


 どうやら私の動きに対応して動いているらしい。


「これが…私の姿?」

「そうじゃ!「エイ」という生物の姿じゃ。大正の時代、妾が力を与えたやつもその姿じゃった。あやつ、相当強かったのう。」


 よくわからないが私はその強いやつの姿をしているらしい。だとしても、私がその世界を脅かす奴をどうにかできる理由にはならないだろう。そんなことを考えているとそれを見透かしたようにワダツミは語り始める。


「その者は妾の海の神としての力の大半を持っていきよった。妾の力を持った者には妾の力だけでしか対抗できん。じゃが、当の妾は力を失って奴に対抗できんのじゃ。」


 私はそんな話を聞きながら実感がわかないままヒレを動かす。


「そこでじゃ! 妾の残った力を使って未来に託すことにしたのじゃ!」

「どういうことだ?」

 ワダツミは神妙そうな声で話しを続ける。


「汝のことじゃよ。汝に妾の力の一部を受け継がせ、成長させる。そうすればいずれ奴にも対抗できるほどの強さを持つことが出来るじゃろう…」


 ワダツミの声はどんどんと力がなくなっているように感じた。


「すまぬ…妾が話せるのはここまでのようじゃ…」


 ワダツミが力なくそう言うと辺りから気配が消えていく。


「ワダツミ?! おい! どういうことだ?!」

「力を振り絞っておったのじゃが……限界が来たようじゃの…」


 どんどんと気配が薄まっていく。

 だが、まだ聞き足りないことがあった。というか多すぎる。

 気配がどんどん薄くなり最後には完全に気配は消えた。


 気配が消える直前、最後に私はワダツミの絞り出したような声を聞いた。


     「奴の名は「イサナ」じゃ。頼んだぞ。この世の命運を背負いし者よ。」



                  美しさと愚かさ


 ワダツミからこの世の命運を背負わされてからそれなりの時間が経った。世界というのは季節で温度が変わり、それが一年という時間の中で四回起こるようだ。それに倣うなら私は実に20回以上は温度の切り替わりを感じている。 


 イサナという人間がこの世を脅かそうとしているらしいが実際のところ自分が何をすればいいのかが分からなかった。


 イサナという人間を探そうにも海に人間は基本にいない。

 船というものに乗って海を浮かぶ人間は多く見てきたが、どれもただの人間でこの世を脅かすなんてことが出来る存在とは思えなかった。


 代わりに見てきたものと言えば海の「美しさ」と人間の「愚かさ」だろうか。

 私は海でいろんな物を見てきた。


 弱き者同士でも群れを成して生きる小魚の懸命さ。

 明日を生きるために必死に狩りをする者の強さ。

 子孫を産み、未来へ託す者の逞しさ。


 色々な生物を見て、色々な生き様を見てきた。

 私はその姿に美しさを感じている。


 だが、そんな海の美しさを汚す存在がいる。それが人間だ。

 人間はとにかく自らの快楽のために美しい海を汚す。

 とあるものは価値が高いと言ってヨシキリザメのヒレを切り落とし、残ったサメ本体は海に投げ捨てる。


 とあるものは船からゴミを落として海を汚す。

 他にも人間が仕掛けた網にかかったクラゲを無造作に投げ捨てたり、見世物にするために生き物を捕まえたりと、考え出したらきりがないほど人間の愚かさをこの目で見ていた。そんな愚かさに直面するたびにワダツミの言っていたことを思い出す。


「人間とはこの世で最も愚かで最も愛おしい生き物」


 愚かさは海にいるだけでもたくさん見てきたが、間違っても人間に対して愛おしいなんて思うことはなかった。実際、これから先そう思うことは無いのだろう。


 だが、人間は海の外、地上にいる生き物。私がこの目でどんな生き様をしているかを見ることが出来たわけじゃない。私はエイ。ワダツミによって生み出されたこと以外は本当にただのエイ。少なくとも私が知る愚かな人間の姿はすべて海を通してしか見ることが出来ていない。要はまだ人間のすべてを理解したわけじゃないのだ。


 ワダツミが言っていた「イサナ」という人間。海どころか世界そのものを脅威にさらさんとする人間。

 実際に見たわけじゃないが、愚かな人間の中でも飛びぬけた愚者であることは容易に想像できる。


 私はそのイサナを止めなくてはならないらしい。そのために私は成長しなければならない様なのだが、どうしたらいいのかも分からずに海からしかものを見ていなかった。


 だから私は人間のいる場所に向かっている。正確に言えばその近くだが。

 人間の生き様を、営みをこの目で確かめてみようと思った。それでイサナも見つけることが出来ればこれ以上の収穫はないだろう。まだ、ただのエイでしかない私も少しは成長することが出来るだろう。


 ヒレをゆっくりと動かし水中を流れるように進む。

 漂うクラゲやきびきびと尾ひれをばたつかせ泳ぐ小魚。

 海というのは少し移動するだけでもいろんな景色が見れるから楽しい。

 そんな風に泳いでいると水位がだんだんと浅くなってることに気が付く。海の景色を見ながら泳いでいるといつの間にか時間がたってしまう。


 水面から器用に目を出し海の外の景色を見る。エラは水中にあるから目を出すだけなら生きが続く。

 外は暗い。一日のうちの「夜」と言われる時間のようだ。


 陸地の方を見ると大きくて角ばっている物体がたくさんある。あれは「建物」だ。人間が様々な用途で中に入って使うものだ。そして大半の建物が「家」と呼ばれるものでそこに人間は住んでいるらしい。その様子はまるでサンゴ礁やイソギンチャクを思わせる。だがその二つと比べるとあまりにも彩りに欠けるように感じる。


 手前には砂浜が広がっていた。白い砂がまるで海が青一面に広がっているようにきれいだ。少し奥の方を見てみると、ヤドカリが重そうな貝がらを背負ってよたよたと歩いている。


 そんな風に辺りを見て回った。夜なだけあって人はあまりいなかったが少しだけでも人間の世界を見ることが出来た。これからイサナを止めるために力をつけなければならない。少なからず今の私ではどうにもできない。そんなことを考えながら夜が明けてからまたここに来よう。そうして水面から目を収めようとする、その瞬間だった。


「きゃあああ!」


 叫び声が聞こえてくる。人間の女がなにか恐怖を感じた時に発する声だ。

 何があったのかと思い、声の方向へと水を薙ぎ進んでいく。

 見ると恐怖に支配された表情で体を震わせている女と、それを今にも喰らってしまいそうなシャチが宙を浮いていた。


 そのシャチは私が海で見たシャチの姿と似ているが、普通の鯱よりも巨大で、とげとげしいヒレを持っていた。体からは生物とは思えないような禍々しいオーラを放っている。

 あのまま放置したらあの女は間違いなくシャチの餌となるだろう。

 助けなければ。

 そう思った時だった。


「なぜ助ける。」


 頭の中でそう聞こえてきた。

 確かにそうだ。

 人間は愚かだ。海を汚すし、私利私欲で生物たちにひどいことをする。

 あの女が海に害を成す存在とは限らない。だがその逆もしかり。結局のところ助ける意味がない。

 それに私はエイだ。ここから陸地に上がったとしてできることなんてない。息もできずに砂浜をのたうち回ることになるだろう。


 私の理性は必死にあの女を助けない理由を探していた。少なくともそれが正しいはずだ。この状況でできることなんてないし、やる意味もないという正解を私の理性はすぐに導き出していた。

 だが、私はその理性を認めることが出来なかった。どれだけ助ける意味がないとわかっても、どれだけ陸地に出て無力ということが分っていても、私の理性が言う正論に迎合することが出来なかった。


 その時に気が付く。私は心からあの女を助けたいと思っていたのだ。相手が人間だとしてもそんな理屈は関係なく、私の心があの女を助けたい、助けるべきだと叫んでいた。そこには何の理論も理屈もなく、ただただ無根拠にそう叫んでいた。


「その女から離れろ!」


 気が付くと私はそう叫びながら水面から飛び出し、シャチめがけて一直線に身を投げ出していた。

 愚直でバカな行為。それでも私は自分の心に従うことを選んだ。

 飛んで行った私の体はシャチにぶつかり、シャチもろとも砂浜へと打ち付けられた。シャチは衝撃で意識を失っている。


「いてて…」


 そう呟きながら私は自分の手で体を起こし脚で立ち上がる。

「ん?」

 待て。今私は無意識に手と脚を使って立ち上がった。だが私はエイ。手も脚もないし立ち上がるなんてもっての外だ。ならどうして立ち上がることが出来た? 私は体を見回す。

 手がある。

 脚がある。

 手で顔に触れると人間と同じ目や鼻や口、耳がある。

 胸のふくらみや、声の感じからして人間の女性の体だ。


 何やら体には布を纏っている。胴体には上半身には白い布が、下半身は黒いひらひらとした布を纏っている。これは見たことこそ無いがなんとなく知っている。和服という人間の服装だ。背中には別の黒い布を纏っている。その下には尻の付け根から生えているであろう細長い尻尾が見えた。


 どうやら私は人間の姿になれたようだ。尻尾が生えていること以外は完全に人間と同じ姿である。


 鼻から酸素を吸って、口から二酸化炭素を吐く。人間と同じ呼吸の仕方が出来ている。息苦しさは何も感じなかった。

 突然の体の変化に困惑する。なぜ姿が変わった? そんな疑問で頭が埋め尽くされるが悠長に考えてる暇はなかった。


 意識を失っていたシャチが起き上がりこちらをにらみつける。

 まずい。ここからどうすればいいか分からない。

 私はシャチを前にして身構える。その時だった。

 目の前が急に明るくなり、私は目をつむる。光が消え私は目を開ける。


「これは…」


 二つの棒のようなものが浮かんでいた。同じ形をしている。それが何かは分からないが、これがシャチに対抗できうる武器であることはなんとなく感じ取ることが出来た。

 私は二つの武器を両手にそれぞれ持つ。触れた瞬間、この武器の使い方が分かった。どうやら銀色の部分を振りかざすことで物を切ることが出来るようだ。


 私はシャチの方に向き、武器を構える。シャチもこちらをにらみつけ、今にも突っ込んできそうだ。

体の使い方はなんとなくつかめた。脚に力を込め、姿勢を低くする。シャチがこちらに突っ込もうと動き出した直後、こちらも脚に籠めていた力を開放シャチの方へと突っ込む。シャチとぶつかる瞬間、構えていた武器を交差するように振り、シャチを切り付ける。


ズバッ!


 大きい体を切り付ける重たい音が鳴ると同時に「✕」の形のようにシャチの体が切り裂かれ、その体が泡となって消えた。

 後ろを見るとあのシャチに襲われていた女がポカンとした顔で立ち尽くしていた。目立った傷は無いように見える。意識の方は少々怪しいが、とりあえずは助けることが出来たようだ。


「大丈夫か?」


 声をかけるとその女はハっとした様子でこちらを向き、いそいそと口を開いた。


「あの! 助けてくれてありがとうございます!」


 ありがとう。その言葉は人間が相手に感謝を述べる時に使う言葉だ。つまり私は今、目の前の女に感謝されているということになる。

 私の胸に何か温かいものがあふれるのを感じるそれと同時にどこかむずがゆく感じる。

 私はどう言葉を返せば分からず口ごもっていた。


「あ! もうこんな時間! もう帰らないとなので私は行きますね!」

 私が何を言おうか考えているうちに女は慌てた様子でまくし立てる。急いでいるところを襲われていたのか。それはとんだ災難だ。


「ほんとにありがとうございました!」


そういいながらお辞儀をすると女は背中を向けてどこかへ走っていった。


「ありがとう」


そう言われたとき、私の心には言葉にはできない温かさが満ちるような感覚があった。

 人間も案外悪くないのかもしれない。

 私はぼんやりとそんなことを考えながら女の背中を見送っていた。



 夜が明けた。空は明るくなり人々が外を歩き始める。

 私は人間になって手に入れた自分の足を使って歩き回った。今いる場所が「汐光町」ということを知ることが出来た。


 最初はイサナを探そうと歩き回ったが、何の手掛かりも無く歩くのは不毛だと感じたので、まずは町を見てみることにしたのだ。


 彩りのないサンゴ礁のような住宅街を抜けるとそこには長い道の横にたくさんの店がある場所があった。ここがどんな場所かは分からないが、たくさんの人で賑わっているところを見るとかなり栄えているということが分かる。横にある看板には「汐光商店街」と書かれている。汐光が町の名前だから商店街場所の名前だろう。

 私は興味本位で商店街に入ることにした。


 中に入るとすぐに色んな店があるのが見えた。野菜を売っている店や服を売っている店、肉を売っている店など色んなものが売っている店があった。人々はその店に立ち寄り楽しそうに買い物をしているようだ。


「へいへいそこの姉ちゃん! 魚でも買ってかねえか?」


 快活な声が聞こえてくる。声の方向を向くと髪の毛の生えていない頭に布を巻いている男がこちらの方に向き手招きをしていた。周りには魚が並んでいる。


「ここはなんだ?」


素直な疑問を男にぶつける。男は大きい声で笑いだす。


「お前さん。この辺を知らないのか? ここは魚屋で俺が店主だ。」

並んでいる魚を見つめる。少し前の私なら海から魚を奪うような真似をして魚を売るなんて許されないなんて考えていたかもしれないが、今は不思議とそんな気にならない。


 しかしこの魚たち、とてもおいしそうだ。そういえば陸に上がってから何も食べていない。


「…随分と熱い視線で魚を見てるなぁ? そんな欲しいのか? ならそこのサバがおすすめだぜ。よかったら買ってってくれよ。」


 そんなに魚を見つめていただろうか? だが実際、腹が減っていたせいで魚から目を話せていなかった。

 今すぐ目の前の魚を食べたい衝動に駆られる。

 しかし、人間の世界ではこういったものを手に入れるためには金が必要になる。

 私がそんなものを持っている訳がなかった。


「欲しいのはやまやまなんだが金を持っていないんだ。」

「そうか…そりゃ残念だな。」


 食べ物をみすみす逃すのは残念だが、金がないならどうしようもない。

 諦めようとした瞬間だった。


「ぐう~」


 私のお腹から何とも間抜けな音が聞こえてくる。

 私が想像するよりも私のお腹は空腹を感じていたようだ。


「…そんなに腹が減ってんのか?」

「そうみたいだ…」


 お腹を押さえ、いたたまれないでいると、店主はおもむろに横にある箱からサバを取り出して差し出してくる。


「しょうがねえからこれをやる。今回はただでいいぞ。」

「いいのか?」

 謙虚なことを言いつつも期待が隠せてない声が出ているのが自分でもわかる。


「調理とかしてあるのはねえけど、これくらいだったらくれてやれるぞ。」

「ありがとう! 恩に着る!」

 私はそういってサバを受け取ると空腹を満たさんと言わんばかりにそのまま口に運び、一口でサバを平らげる。人間の体では骨を飲み込めないので器用に口から取り出す。


「お前さん…そのまま食って大丈夫なのか?」

 店主は幽霊でも見たかのような顔で私に問いかける。

「大丈夫だ。私の体は丈夫だからな。」

 実際、何の問題もない。普通の人間の体ではないからこれくらいは余裕だ。だがそんな様子を見た店主は私に声をかけた時と同じ、快活な声で笑う。


「そうかそうか! お前さん、相当おもしれえな!」

 自分で言うのもあれだが目の前でこんな様子を見せられて笑っていられるは単純にすごいと思う。そんな店主の様子を見ていたその時。


「ひったくりよ! だれかあいつを捕まえて!」


 そんな声が聞こえる。声の方を振り向くと鞄を抱えてこちらに走ってくる全身真っ黒の服装の男とそれを指さして険しい顔をしている女性がいた。声の主はあの女性だろう。

男が持っている鞄は派手な見た目をしていてどちらかと言えばあの女性が持っていた方がしっくりくる様な鞄だ。ちらちらと後ろを見ながら走ってくる男の様子からしてあの男が女性から鞄を奪って逃げているのだろう。


 ならば話は早い。


「店主。これを持っていてくれ。」


 店主にさっき食べた魚の骨を渡すと、足に力を込め、男へめがけて一気に突っ込み男の顔面をつかむ。そしてそのまま思い切り力を入れて地面へと男を倒す。


 横に顔を向けると女性が駆け寄ってくるのが見える。鞄を男の手から奪い取り、女性に返す。男は気絶してしまったようだ。


「ありがとうございます!」


 女性は私にそう言うと鞄を受け取り、お辞儀をする。

 そんなことをしていると辺りに人が集まってくる。どうやら少し目立ちすぎてしまったようだ。

 私は人がさらに多くならないうちに駆け足でその場をあとにした。



 商店街から出ると先ほどまでいた住宅街へ出た。どうやら、人目を逃れようと走っていたらいつの間にか商店街へ入る前の場所まで着いてしまったようだ。今から商店街に戻っても結局同じことの繰り返しになる気がする。


 ここは一旦、別の場所へ行こう。


 しかし一体どこへ向かったらいいのだろうか。そんな風に考えていると遠くに何やら大きい建物が見える。その建物を見ていると、言葉にできないが何か惹きつけられるものを感じる。


 気が付くと私はその建物の方向へと歩きだしていた。

 無心で足を動かしていた。

 その建物の前に着いた時には自分を惹きつけるものの正体をなんとなく感じ取ることが出来た。この気配は海の生物の気配だ。それも一匹や二匹ではない。数えきれないくらいの海の生物の気配がその建物からは漏れ出していた。


 この建物はおそらく海の生物を見世物にしている施設だ。


 施設の生物たちを逃がしてやりたいと思ったが、さすがに建物を壊すとかそういうことはできない。私は中を見るだけでもと思い、入り口らしきところへ向かう。


「待ってくださいっす! チケットって買ったっすか?」


入口の門をくぐろうとしたところで後ろから男に声を掛けられる。

 見ると声の主は若い男のようだった。カウンターのような場所から私の方を見ている。私は男の方に歩いていく。


「お客さんチケット買ってないっすよね? チケットはここで買うんすよ!」


 若い男は明るくハツラツとした声で言う。だが、私は「ちけっと」がそもそも何か分からない。

「すまないが…ちけっととはなんだ? そもそもここはどこなんだ?」


そう問いかけると若い男は質問をした私よりも頭に「?」が浮かんでいそうな顔をして少し考えこんだ。そして私の質問の意味を理解したのか、ちけっととは何かを教えてくれた。


「ここは水族館って言って海の生き物たちを見る場所っす! チケットっていうのは『入ってもいいよ!』って言うのを証明するための紙っすね! …今の説明で大丈夫っすかね?」

 大方理解できた。そのチケットを買わないとこの「水族館」という場所には入れない様だ。


「なるほどな…」

 チケットや水族館について大まかに知ることが出来た。

「…なんで人間は水族館に来るんだ?」

 そのうえで私はこんな質問を投げた。


「へ?」

 当然の反応だろう。私としては純粋な疑問を投げかけただけだが、突然こんなことを聞かれた側からすればなんで聞いてきたかも分からない質問に困惑する。若い男は少し考えこんだかと思えばすぐに答えを出してくれた。


「癒されるからっすかね?」

「癒されるか…」


 心当たりはあった。エイとして海にいた時、揺蕩うクラゲを眺めていたり色とりどりの魚たちがサンゴの周りを泳いでいたり、そういう光景を見るたびに癒しに似た感情を覚えていたのだ。人間も同じ感覚でここに来るのかもしれない。


「ありがとう。いいことが知れた。」


 私は感謝を伝えて入口へと向かおうとする。

「そういえばチケットっすよね? 三千円っす!」

「あっ」

 そういえばチケットを買わないといけないんだった。水族館の方に気を取られていてすっかり忘れていた。しかし、今の私は金を持っていない。思い出したところで結局のところチケットは買えないし水族館に入ることもできない。


「…金がないんだ。」


 困ったな。水族館の中の海の生物をちゃんと見ておきたいのに。どうしたものかと考えこんでいた。


「なんか『絶対に水族館に入りたい!』って顔してるっすね…そうだ!」

 若い男は何かを思いついたように表情を明るくすると下から何か長方形の紙を取り出す。


「これ、チケットっす! ほんとはダメなんすけど、お客さんなんだか深刻そうな顔をしてたんで今回は特別っす!」


 そういって私にチケットを差し出す。

「本当にいいのか?」

「ちゃんと癒されて来てくれるなら大丈夫っす!」

「本当にありがとう…」

 私は若い男からありがたくチケットを受け取り水族館の入口へと向かう。

 入口の門をくぐるとそこには海が広がっていた。


 たくさんの魚たちがガラス越しに泳いでいるのが見える。海の中から見ることが出来る景色には見劣りするが、それでも海特有の青さや暗さの中にある神秘的な雰囲気を感じさせる。まさに海を疑似体験できる施設というわけだ。入口にいたあの若い男が癒しを感じると言っていたのも納得の場所だ。


 どんどん奥へと進んでいく。

 たくさんのクラゲが漂う幻想的な部屋。

 トラフザメが泳ぐ水槽。


 色んな生物がいる水槽を抜けていくと奥の方にひときわ大きい水槽があるのが見える。近づいてみると中には何の生物もいないのが分かる。

 私はそんな空っぽの水槽を眺めていた。


「珍しい格好のお客さんだね?」


 声の方向を見ると白衣を着た長身の男が立っていた。入口の男ほどではないが、若さを感じる。随分と端正な顔立ちをしている。


「初めまして。僕はこの水族館の館長と研究所の責任者をしている鯨井と申します。僕たちの水族館は気に入ってくれかい?」


 鯨井と名乗る男が自己紹介をする。


 この男はこの水族館の館長、つまり魚を捕まえて見世物にしている張本人ということだ。

 それが分かっても私は不思議と鯨井に対して嫌悪感を抱いたりはしなかった。


「ああ。とてもよく海を再現できている。」


 素直な感想を述べる。それを聞いた鯨井は少し笑うと「ありがとう」と端的に感謝を伝えてきた。


「それはよかった。ここは僕にとって思い出の場所なんだ。大切な人とのね。気に入ってくれると嬉しいよ。」

「大切な人?」


 そう問いかけると鯨井は伏し目がちに自分の過去を話し始める。


「そう。でも病気のせいでもういないんだけどね。その人と一緒にこの水族館を建てたから思い出なんだ。」


 鯨井にとっての大切な人と建てた場所。だからさっき「僕たちの水族館」という言い方をしたのだろう。私は、大切な人なんてものはいないし、それを失う痛みも分からないが、鯨井の表情や声色からは痛いほど悲しみが伝わってきた。


「僕の大切な人は海の生物が好きだったんだ。行動力もあったからなんやかんやで一緒に水族館を建てちゃって。「黎明アクアパレス」なんて名前も付けちゃってさ。今思えばすごく変な人だった。けど本当にいい人だったよ。だからこそ、僕がこうして水族館を続けることが弔いになるんじゃないかな。」


 感傷に浸る鯨井の話を私は黙って聞いていた。そして私は話を聞きながら今まで見てきた人間を思い出す。


 フカヒレを乱獲する人間。

 海を汚す人間。

 クラゲを投げ捨てる人間。

 海を害する人間たちを海の中からうんざりするほど見てきた。そのたびに人間とは愚かでどうしようもない生き物だと思っていた。


 だが、陸に上がってから見てきた人間は違った。

 私に感謝をしてくれた人。

 空腹の私に魚をくれた人。

 困っている私にチケットを渡してくれた人。

 大切な人の思い出を語る、目の前の男。

 それらの人間は少なくとも、海から見てきた愚かな人間とは違うように思えた。


「…すこし、しゃべりすぎてしまったね。こんな話を聞いてもつまらなかったよね。すまない…」

 黙って聞いている私の姿を見て鯨井は勘違いをしたのか謝ってくる。実際は聞き入っていただけなのだが、謝罪されてしまうとばつが悪い。


「大丈夫だ。つまらないどころか、いい話が聞けた。」

「そっか。ごめんね。なんだか君にはなんだかシンパシーを感じててね。勝手にペラペラとしゃべっちゃうな。」


 鯨井は安心した様子を見せる。初対面の人間にこんなことを言うなんて随分と警戒心がない。


「あなたの話が聞けて満足した。私は元居た場所に帰るとするよ。」

「そうか。また来てくれると嬉しいよ。」

 鯨井は顔をほころばせる。その様子は私の発言に対して本当にうれしがっていることが分って、こちらもうれしくなる。


「いた! 鯨井さん! 研究の報告書が出来たから見せようと思ったら研究所抜け出してこんなところに!」


 鯨井の後ろから女性の声が聞こえてくる。鯨井と同じく白衣を着た女性だ。

「ごめんね渚さん。今行くからちょっと待ってて。」


鯨井は女性に対して優しい声色でそう告げるとこちらの方に体を向きなおす。


「今日は来てくれてありがとう。本当はもっと話したかったんだけど戻らないと行けなくなっちゃって。それじゃ、またね。」


 鯨井は私に別れを告げると、女性と一緒に奥の方へと消えていった。

 人間とは何なのか。私はずっと愚かでしかない禄でもない生き物程度にしか思っていなかった。だが、地上に上がってから見てきた人間は愚かとは程遠いように見える。

 

 相手に思いやりを持った行動の人や、大切な人を思いなすべきことを成す人。

 私はそんな人たちを思い出しながら人間という生き物が何なのかというの答えを考えていた。

 水族館を出ても答えは出なかった。


                     邂逅


 すっかり夜も更けた。深海のように暗くなった地上を月の明かりが真っすぐ照らす。最初に地上に上がった時も夜だったが、あの時は夜の町は見ても夜そのものに目を向けてはいなかった。私が海の中から水面を見た揺らめく光。私にはその光がとても綺麗に思えた。地上に出て夜を見たことで世界を淡く照らすその光が月によるものということを実感した。


 私は人間の悪いところしか見ていなかったが、地上に出てからは人間の良いところに触れ続けた。だからこそまだ分からないことがあった。


 最も愛おしい生き物。


 ワダツミが言っていたことだ。海や陸から人を見てきて自分なりに理解をしてきたつもりではあった。いい人も悪い人もいるという区別はとっくのとうに付いている。だが、その両方に私は愛おしさを感じていない。いくら考えても、ワダツミの言う「愛おしさ」なんてものが分からなかった。


 本当はイサナとか言う奴を探してそいつの愚行を止めなければならない。でもそもそもイサナが何をしようとしているかも分からないし、何より私の頭はずっと人間の愛おしさとは何かを考えてしまっている。月に照らされ、穏やかに波の音を奏でる水面を砂浜に座りぼんやりと眺めそんなことを考えていた。


 だが、そんな静寂に満ちた夜の海は一瞬にして引き裂かれた。


 穏やかな水面がたちまち音を立てて波を荒立てる。

 何かが近づいてくるのを感じる。そしてその何かは荒々しい波を穿つように水面から飛び出てきた。


 巨大なクジラだ。


 それもただ巨大なだけじゃない。水面から飛び出たクジラはそのまま海へと落ちずに空中で体制を立て直し、あたかも海を泳ぐかのように空中を飛んでいる。その姿は最初の夜の、女を助けた時にいたあのシャチを彷彿とさせた。


 だが、あのシャチの禍々しさとは似ても似つかない姿をしている。胸ビレの形状が天使の翼のようになっていて体はところどころ氷におおわれている。頭には天使のわっかのようなものが見えた。クジラの神々しい様相からは何処か、冷たい怒りのようなものを感じた。


 クジラはこちらに目を向けると口から光線のようなものを放ってくる。私はとっさにそれを避け、両手に刀を構える。


「そっちがその気なら容赦はしない!」


 クジラは立て続けに光線を放ってくる。私はそれを避け、足を踏み込みクジラへと飛びかかる。その瞬間だった。


「うがああ!」


 頭の上が明るくなったと思えば私に光が降りそそぐ。その光は私の体を焼き切るように傷をつけた。私の体はそのまま砂浜へと落ちていった。このクジラ、あのシャチとは比べ物にならないくらい強い。砂浜でうなだれた私を見たクジラはその双眸をこちらに向けると真っすぐ向かってくる。とどめでも刺すつもりだろう。


「くそっ!」


 私は傷だらけの体を無理やり起こし、辺りを見渡す。

 辺りは一面の砂浜と海。遮蔽物は無い。かといって今から町の方へ走るのは今の私の体では現実的ではないし何より町を危険にさらしてしまう。


 どこか、逃げられそうな場所は?


 そう思った時、一つの可能性に気付く。私が逃げ切れる可能性は今よりか上がるが、低いことには変わらない。何より私を狙っているあのクジラ相手なら、この方法を使えば少なくとも町を危険にさらすことは無くなる。


 私は力を振り絞り、町からより離れた場所へと走り出す。それを見たクジラはこちらへと向かってくる。


「今だ!」


 ある程度町から離れた場所に着いた瞬間、私は思い切り海へと飛び込んだ。最初の夜、海から飛び出した時に人間の姿になれた。なら海に入ればエイの姿に戻ることが出来るはずだ。


 泡の音が聞こえる。私はゆっくり目を開ける。息苦しさは無く、手足の感覚がない代わりにヒレや尻尾の感覚を感じることが出来た。どうやらエイの姿に戻ることが出来たようだ。私は急いで遠くへと逃げる。後ろからは巨体が海に潜る轟音と衝撃を感じた。私はさらにスピードを上げて逃げる。その時、後ろから何かが飛んできて私の右のヒレに傷をつけた。


「ぐあああ!」


 クジラが光線を放ってきたのだ。今泳ぐのをやめたらまたあの光の攻撃をしてくる。私はそう確信するとより一層、逃げ足を早める。クジラも追ってくるが私のスピードにはついてこられず、何とかクジラを振り切ることが出来たようだ。


「…助かった…あれ?」


 心から安堵する。その瞬間、視界がぐらつき、体から力が抜けていくのを感じる。目を開けているのも億劫だ。私はそのまま目を閉じ、まどろむ意識を海の流れに任せたのだった。



「…ここは?」


 どれだけ眠っていただろうか。私はいつの間にかどこかの砂浜へと流れついていた。辺りを見渡すと、見覚えのある街並みが見える。どうやらこの砂浜は汐光町の砂浜で、私は戻ってきてしまったようだ。幸い、人がほとんどいない端の方へと流れついていたようだ。空はすっかり明るくなっていた。


「まずいな…またクジラが来たら今度は町も巻き込んでしまう…」


 私は体を動かそうとする。だが、エイの体のまま打ち上げられたせいでどうもうまく体を動かすことができない。人間の姿になろうにも力が入らない。そもそもあのクジラからもらった傷のせいで人間の姿のままでも動くことは難しかっただろう。今は体を休めよう。そう考えていると奥から人が来るのが見える。


 まずい。


 今の状態の私に人間が何をするかなんて分かったものじゃないし考えたくもない。かといって動くこともままならないこの体では人間が近づいてくるのをただ見ていることしかできない。


 人間はとうとう私の前まで来る。姿を見てみると小さい女の子のようだ。この子は一体私に何をするんだろう。そんなことを考えていたが、予想外の一言が少女の口からは聞こえてきた。それが私にとって最大の出会いになるなんて予想もしていなかった。


    「だいじょうぶ?けがしてるの?」



六話目「貴女のおかげで1」


もうお馴染みになりました。こんにちは。深水 優です。


今まで、話は一話ずつで区切りをつけてきましたがついにタイトルの後ろに「1」と付きました。

次は完全に「2」と付きますねこれ。


 さて、今回はレイの記憶という事で、初めからいきなり謎のシチュエーションから始まりましたが、ちゃんと2の方で回収はする予定です。


 いままでの円海や鱶崎、真子のような人物とは違い、スタートから完全に人外だったので、「レイさんよ・・・あなたは何を思っているんだ・・・」とキャラクターとの対話が大変な回でした。(というか次もそう)

 ですがその分、愛着の湧く文章を書くことが出来ました。


ここまで読んでいただきありがとうございました! 「レイかっこいい!」「最後のセリフはまさか・・・!」と少しでも思っていただけたら、ブックマーク登録、評価の星ボタンを押していただけたら飛び跳ねる勢いで喜びます。


七話目「貴女のおかげで2」(仮)は8月26日(水)18:30に投稿予定です。

ぜひ、楽しみにしていてください!

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