6話
フランス全土を手中に収めたドイツは南部にて傀儡政権を樹立し、北部においては自らで統治することとした。
また、これを機に旧フランス植民地において親ドイツ派の通称ヴィシー政府と親イギリス派の自由フランス政府による戦争が勃発し、ドイツはこれを支援することとなり、その司令官に対フランス戦で頭角を現したロンメル将軍が充てられた。
また、対イギリスには空軍の総力が結集され、現在フランスとイギリスの間にある海峡上空で激しい空戦が行われている。
状況はドイツ有利である。
しかし、史実のようにイギリスは粘り強い抵抗を見せ、この戦争は長引くものと考えられている。
時は1940年8月。
私たちは一時の安息日を過ごしていた。
各地を転戦してきた我々にとってわずかな休暇でもうれしいもので、各人がそれぞれ思い思いの休息を過ごしていた。
そんな中、私は愛すべきわが祖国へと列車で向かっていた。
昔と違い、ドイツからバルトニアに行く際にポーランドを通る必要は無く、国境を超える際にも国境警備隊にウルマニスから渡された手形を見せればすぐに検問をクリアすることができた。
国境警備隊が降りていくと列車は再度発車し、一路首都を目指す。
あぁ、変わってない。
この風景はいつまでも変わっていない。
私は流れていく車窓をみながら感傷に浸っていた。
離れてまだ1年と少しなのに、ひどく懐かしく感じる。
「懐かしいね」
私が車窓を眺めているとリマイナが声をかけてきた。
彼女も私に同行してくれている。
「そういえば、数年前に今とは逆の方向に二人で向かって行ったわね」
ソビエトとの戦争どころかそれよりも大分前。
まだ私たちが正式に任官する前のことだった。
二人でドイツへ視察に向かっていたことを思い出す。
「そうだね! あの頃は若かったね」
昔と変わらない笑顔でリマイナが言う。
当時はまだ15に満たない少女だった。
今や二人とも20前後。
時の流れとは残酷なものだと思う。
昔に比べればリマイナは起伏ができ、色気が出てきたと思う。
それに比べ私ときたら……。
「ねぇ、リューイ」
「なにかしら?」
私がそう問い返す。
すると彼女は何やら恥ずかしそうに懐から一つの箱を取り出し、私に手渡してきた。
彼女は頬を赤らめながら小さく
「これ……誕生日」
と言ってきた。
なんと愛らしいことだろうか。
感激のあまり彼女を抱きしめそうになる。
前世ではまともな友達もおらず、今世では戦争続きで自分の誕生日すら忘れていた。
「開けてもいいかしら?」
「う、うん」
彼女は恥ずかしそうに頷く。
私は手渡された小さな箱を受け取り丁寧に梱包をほどいていく。
その中には美しい装飾の施された腕時計があった。
繊細ながらも十分な強度を兼ね備えているそれは並大抵の額ではないと思われた。
「これ、高かったでしょう?」
私が尋ねると恥ずかしそうに笑った。
彼女の給金は決して高くない。
ただでさえ激務で尚且つ祖国には一切の関係のない戦いに従事する兵たちの士気を上げるために、将校の給料は大分低く設定し、その分を兵たちの給与に充てているからだ。
「頑張って貯めたから、大事に使って欲しい」
リマイナはそう私に言ってきた。
腕時計は軍事作戦で邪魔になることは滅多にないものだ。
実用性も高い。
しかしそれ以上の意味が腕時計にはあった。
数年前の共産主義者を討伐する作戦の際に、市民に扮するリマイナに官給品の腕時計ではよくないと自費で時計をプレゼントしていたのだ。
その腕時計は今もリマイナの細い腕につけられており、幾度もの戦火をくぐっても正確に時刻を刻み続けている。
「ありがとう。大事にするわね」
昂る胸の気持ちを何とか隠してそう微笑んだ。
この日を境に私は20歳になった。
「ねぇ、リマイナ」
「なに?」
今度は私が語り掛けた。
「お酒、飲みましょ?」
20歳になるまで我慢し続けてきた酒を今日。
リマイナのために解禁しよう。
初めて飲む酒はとてもとても苦く、甘かった。
駅に降り立てば昔と一切変わらない風景がそこにあった。
今回の目的はウルマニスでも、エルツィン中佐でもない。
ただの観光と親に会いに来ただけだ。
リマイナに伝えなければならないこともある。
それを伝えたリマイナがどんな反応をするのだろうかと少し楽しみに思う。
私は郊外を進み、家へと向かう。
だが、その道中で駐輪場にバイクを預けていることを思い出し、それを取りに行く。
「さて、乗って」
駐輪場の主から預けていた鍵を受け取り、バイクに跨る。
私がリマイナに後ろに乗るように指示すると彼女はたどたどしい動作でバイクに跨り、私に後ろから抱き着いてきた。
「離さないでね」
私はそういうとエンジンをかけた。
久しぶりにエンジンをかけたがいい音を響かせている。
異音がないことを確認すると一気にアクセルを踏み、駐輪場を飛び出す。
戦車とは違った心地よい風。
戦車のそれは土臭くてとてもじゃないが心地よいとは思えない。
「リューイ! こっ、こわいよ!!」
リマイナの非難の声を無視し、さらに増速すると今度は悲鳴を上げた。
私はそれをひとしきり楽しむと、彼女が恐怖を感じないであろう速度まで速度を落とす。
ただそのころには市街地からは大きく離れていて、周囲は畑や牧草ばかりだった。
「リューイの家ってこっちなの?」
リマイナが不審そうに尋ねてきた。
「そうよ。あと数分で見えてくるわよ」
私の家はもう何世代も続く軍人の一家だ。
それ故に家自体が広く、庶民よりは多少なりとも良い暮らしをできていると思う。
私の返答にリマイナは「へー」などと呑気な声で返答していた。
どうやら、特に他意があるわけでもないらしい。
言葉通り数分もしないうちに家が見え、家の前にバイクを止める。
見る限り周りにも家が数件あるが、遠く離れている。
市街地が10年前とは大きく変わっていても、こっちは変わっていないんだなと安心する。
私たちがバイクを降りてあたりを見渡していると家の中から一人の男性が出てきた。
「愛しき娘よ。よく帰ってきた」
落ち着いた雰囲気のあるその男は私の父。
フォルマン・ルーカス。陸軍大佐だ。
私の生存を知る数少ないバルトニア人でもある。
「おや、そちらの娘は?」
わざとらしそうに父がリマイナへと視線を向ける。
すると彼女は姿勢を正し見事な敬礼をした。
「リマイナ・ルイ。陸軍中尉です。リューイ中佐にはいつもお世話になっています」
私から父は陸軍大佐であると聞いていたリマイナはそれ相応の態度を取った。
しかしそれを見て父は顔をゆがめた。
そして急にリマイナの頭に手をポンと置く。
「いいか、今は軍務ではない。仮に軍人どうしだろうと軍務にない以上、普段通り接しなさい」
父がそういうとリマイナは素直にうなずいた。
というより、その切り替えはリマイナが一番得意なものだ。
休暇中であれば同期であるヴェゼモアや私とタメ口で話すものの、軍務に戻ればそれはなくなり、全て敬語となる。
私としては少し寂しいのだが、彼女としてはそれが一つの線引きとなっているらしい。
「ごほん……私はフォルマン・ルーカス。そこのリューイの父親だ。いつも娘が世話になっている」
父は咳払いすると自らも名乗った。
するとリマイナは「いえいえ、こちらこそいつもお世話になってばかりです」などと返していた。
失礼な。
思っていたよりもリューイの父親は優しい人だった。
この時はあぁ、私のお父様もこの方であったのなら、と羨ましく思った。
それは、贅沢な悩みかな。
いや、それぐらいの我儘は許されるはず。
心で思うだけなら。
「さぁ。リマイナ君、中に入りたまえ」
私はぼうっとしているとリューイのお父様に声を掛けられた。
は、はい! と気を取り直して戸を開ける。
ん? そういえばなんでリューイとかお父様が先頭じゃないんだろうか。
私は不審に思いつつも、家主であるお父様が何も言わないというのならそれでいいのだろう。
私が戸を開けると女性の声が響いた。
「おかえりなさいませ。お嬢様」
聞きなれた、声であった。
間違えるはずもないあの人だ。
軍に入って以来一度も聞くことがなかった声。
私が軍に入るきっかけになった声。
「えぇ。いま戻りました」
私の眼前には母がいた。
実の母ではないが、生みの母以上に母としての役目を果たしてくれた女性。
幼い頃、私の家にメイドとして仕え私の世話をしてくれた女性。
ロフィーネ・ルーカスがそこにはいた。




