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32話

 1938年。ドイツが拡大路線を取り続ける中、我が国では不穏な動きがあった。

 共産主義者による集会、デモ、ストライキ。

 一件容易く弾圧できそうに見えるが、範囲を絞ることができない。

 それにすでに、政府内に一部の共産主義者が紛れ込んで活動を妨害している兆候がある。

 表立った活動は見せていないが、恐らく政府の内情はすべて彼らに流れていると考えてよいだろう。

 軍や警察による検挙も検討され、一部小規模ながら実行もされたが、事前に情報を掴んだ彼らはすでに姿をくらませていた。

 つまりは軍内部に協力者がいるということになる。

 それを受けた私とウルマニスは独自に一計を案じた。

 治安維持任務を行うよう、陸軍、海軍、警察、空軍の各部隊に指示する。

 ただし、各組織には横のつながりを一切持たせず、それぞれ別々に任務を実行させた。

 統合軍も同じで、すべての立案は私とウルマニス、そして内務省の情報課だけで行われた。

 結果として陸軍、海軍、警察、空軍の実施した作戦はすべて失敗。

 我々統合軍の作戦のみが成功した。

 これを受けて以後の政治犯の検挙は統合軍によって行われることとなった。

 また、人物調査が徹底して行われた警察の選抜小隊を統合軍に組み込みMPとして活動させる。

 以後彼らは統合軍本部付憲兵小隊となる。

 また、各軍の中でも徹底した調査が行われ、共産主義との関与が確認された士官は情報漏洩罪として政治犯となった。

 兵については人格テストが行われ、問題がないとされたものは現状維持。

 問題ありとされた者は除隊となった。


 1938年7月。

 共産主義内部の急進派がエストニア地方の管理庁舎を襲撃するという計画を事前にキャッチ。

 その対応策として敵主要メンバーの捕獲が統合軍第1旅団に命令された。

 位置は旧エストニア首都の市街地にある一軒の家。

 理髪店に偽装されたそれは地下に複数の部屋があるということしか確認されていない。

 あまりにも不確定要素が大きい任務だが、時間をかけることはできない。

 結果三つの突入部隊を編成することとなった。

 1班、正面玄関から侵入する部隊。

 この部隊は当初リマイナ・ルイ中尉が店内に客を装い侵入、突撃開始時刻と共にコートに仕込んだ拳銃にて店員を射殺。

 それと同時に正面玄関で待機していたほかの9名が突入する。

 2班、裏口から突入する部隊。

 家の裏側に確認されている裏口から1班と同時に突入し、地下へと浸透する。

 3班、包囲する部隊。

 家周辺を市民に偽装した班員が包囲し、逃走しようとする敵を捕獲又は殺害する。

 状況に応じて予備部隊としても機能する。

2班はそれぞれ海蛇大隊からの選抜兵で構成される。

3班についてはエストニア中隊から選抜した兵士で構成される。

また総指揮を私がとる。


当日、えらく浮かない顔をしたリマイナの姿がそこにはあった。

「どうしたの?」

 そう声をかけると弱弱しく「気が乗らない」と呟いた。

 私としても気は乗らない。

 相手は自国民だ。

 たとえそれが共産主義者やテロリストだろうと、それは私たちが守るはずだった自国民だ。

 それでも私はリマイナにこう言わねばならないだろう。

「これが、任務よ」と。

 たとえ将来冷酷な軍人だと言われようが。

 戦犯として処刑されようが。

 私はこの国の番犬だ。

 命じられたことは素直にこなす。

 それだけでいい。

 私がそう伝えると彼女も顔を強張らせ「任務、命令なんだよね」と言ってその場を去っていった。

 現在時刻は0948。突入は1000となっている。

 リマイナの入店は0955。

 彼女が我々から送り込まれた刺客であると敵に露見しなければよいのだが。


 

 私はリマイナ・ルイ。

 かの名門ルイ家の第一女。

 いまは何の因果か陸軍に身を寄せている次第でございます。

 そんな私は今、とある極秘任務に従事していまして―― 


はち切れんばかりの胸の鼓動。

 必死に平常心を装いふつうの少女となる。

 演劇は十分に学んだ。

 彼女の母親から庶民を学んだ。

 出来る。私が信じているあのリューイ・ルーカスが私を信じるんだから。

「こんにちは」

 手元の時計は0955を示している。

カランカランと美容室のドアを開ける。

 中は事前の情報通り、右側に理髪台が4つと、左側にソファーと小さな本棚。

 奥にはカウンターがあって店員もそこにいる。

 私はこれから5分間、町娘を演じ、中の敵を油断させなくちゃならない。

「失礼ですが、初めてのご利用ですか?」

 若い店員の男性が声をかけてくる。

 いかにも頭のよさそうな風貌でうちの中隊にはいないタイプ。

 しいて言えばヴェゼモア大尉がそうだろうかと内心笑う。

「えぇ。そうです。毛先を整えてほしいのですけど」

 お嬢様言葉を出さず、軍人らしさを隠して。

 町娘を演じる。

 右腕に着けられた時計も官給品ではなく自費購入した皮時計。

 これなら少し金の融通が利く程度にしか思われないはず。

 時刻は0956。意外と時が過ぎるのは早い。

「ではこちらにかけてお待ちください」

「失礼します」

 努めて冷静に。

 こんな任務初めてだよと自らの上司である親友を恨む。

「どの程度お切りしましょうか」

 店員が道具を探りながら私に尋ねてくる。

 私が「整える程度でお願いします」と答えると、店員はさわやかな笑顔で「かしこまりました」と答えてくる。

 この店員を数分後に私は射殺しなければならないと思うと気が重いが、これも任務。

 カチッ、カチッと腕の時計が時を刻んでいく。

 あと、何分だろうかと腕の時計を見ると、のこり1分。

 私は大きくため息を吐く。

 それを感じ取った店員が「いかがなさいましたか?」と尋ねてきた。

「なんでもないです」と自嘲気味に笑う。

 これでさらに相手の警戒心を解くことができただろう。

 だがそれでも時間は残酷に過ぎていった。

 カチッ。

 手元の時計がちょうど0950を刻んだ。

 直後、右手を腰に回し店員の脳天を打ち抜く。

「なぁっ……」

 店員のうめき声に私は何も答えることはなかった。

 銃声と同時に突入する海蛇大隊の隊員達。

「進め」

 私は心を氷にする。

 ダン、ダン。とあちこちで響く銃声。

 美容室の最初の部屋から奥に進み、従業員待機室へと向かう。

 呆気にとられた敵は特に抵抗することもできずに私の拳銃で殺されていく。

 あぁ、綺麗。

 紅に咲く血の花をみて呑気にもそう思う。

「制圧!」

 最後のドアを蹴破るとそこにはB班の姿が。

 そして彼らの視線の先には地下へと続く階段。

「中尉、いかがなさいますか」

 この場で最も階級が高い私に彼らはそう尋ねてくる。

 思わずうろたえる。

 でも、親友ならこうするだろうという確信をもって応えた。

「手榴弾投擲。起爆後、短機関銃兵を前に突入」

 そう、まるで機械のように。

 数名の兵士が手榴弾を投げ込むとすぐに訪れる爆発。

 それを合図に兵たちが駆け込む。

「私は、悪魔にもなる」

 小さく呟くと私も彼らに続いた。


 全てが終わった後、部隊は死体の後片づけと調査を行っていた。

 陣頭指揮をリューイがとり、その間私は呆然としていた。

 次々と運び出される担架に乗せられた死体をただ見ていると、とても小さな死体が運び出されてきた。

 まさか、と私が思った瞬間その死体にかぶせられていた布がずり落ちた。

 あぁ、見なければよかった。

 できることなら見なければよかった。

 5歳ほどの少女の死体がそこにはあった。

 その顔は酷く歪み、苦痛に満ちていた。

 兵たちが私に気が付き、急いで布で覆っているがもう、遅い。

 見てしまったのだから。

 その時、私は自らの罪深さを実感した。



 あの作戦は統合軍にとって初めての戦果となった。

 作戦を露見させることなく敵を撃滅したことにより、多大なる評価と称賛を得た。

 被害もなく、一見万全で終わりを迎えたかに見えたが、実際は無関係の人間も数名巻き込まれてしまうなど決して笑顔で結果を迎え入れることはできなかった。

 だがこれで、共産主義者によるクーデターを未然に防ぐことができたのは非常に大きかった。

 私にとって気がかりなのは作戦後からリマイナの表情が優れないことだった。


「リマイナ、いるかしら」

 私がリマイナの居室の戸をノックすると中から「リューイ?」という弱々しい声が聞こえた。

「えぇ、そうよ」

「……入っていいよ」

 私の言葉にリマイナはそう小さく答えた。

 彼女の部屋に入ると、女性らしく彩られた私とは全く違う部屋であった。

「どうしたの?」

 私は勝手知るこの部屋でココアを淹れる。

 彼女が力なさげに座るソファーの前にある机の上にそれを置くと私は彼女の横に座った。

「……あんなに小さい子を」

 彼女の言葉に私は思い当たる節があった。

 当時あの店には共産主義者である夫婦の間に生まれた幼い少女がいた。

 普段は祖父母の家に預けられていたその少女は偶然、その時その店にいた。

「私の命令であの日、あの時私が襲撃させた。貴女は気に病むことはないわ」

「でも……」

 彼女の言葉を遮りなおも私は続ける。

「あれは命令。貴女はあれ以外にやりようはなかったのよ」

 冷酷になるしかない。

 その少女の死と引き換えに我々はクーデターを未然に防ぐことに成功したのだ。


「私たちは国家の番犬であればいいのよ」


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