香酔坂にて柴田勝家斬る
香酔破陣、兵燹醒酒
層岩巨淵東麓、香酔坂
「香酔」と名付けられたこの坂は、本来璃月酒造の至宝となるべき地だった。坂の斜面には秘酒「瓊漿夜泊」の醸造に欠かせぬ特殊な葡萄の蔓が広がり、坂の地下岩洞には数百年の歴史を持つ酒蔵が眠っている。毎秋、坂一面に葡萄の熟れる香りと酒の醗酵する芳しさが充満することから、この名がついた。
だが今日、香酔坂に漂うのは酒香ではなく、硝煙と血の臭いだ。
柴田勝家は坂頂の廃棄された見張り台に立ち、自ら布陣した防衛線を見下ろしていた。織田家筆頭猛将、「竹割り勝家」の異名を持つ男の顔は重く曇っている。配下の織田精鋭五万は坂に三重の防線を築き上げた。第一線は先の尖った杭と落とし穴から成る障壁地帯、第二線は鉄砲隊と弓兵からなる遠距離攻撃陣、第三線、最後の砦は自ら率いる重装歩兵と長槍兵の白兵陣だ。
「勝家殿、これほど堅固な布陣は、少々慎重すぎませんか?」副将の佐久間盛政がためらいがちに問う。「香酔坂は要衝とはいえ、敵の本軍は断龍台を強襲しており、分兵してこちらへ攻め寄せるはずが……」
「慎重だと?」柴田勝家は冷たく鼻で笑い、東方を指す。そちらには黒煙が立ち昇り、連合軍の大陣がある。「あの旗を見ろ。明の日月旗、璃月の岩紋旗、ナタランの炎の旗……五十万の大軍だ。一箇所に全軍を寄せると思うか?」
一瞬言葉を切り、続けて語る。「香酔坂は層岩巨淵外周の高地である。ここを抑えれば巨淵全域の戦況を一望でき、連合軍の側背を脅かすことも可能だ。鍾離は愚将ではない、必ず兵を派遣して奪いに来る。我々はここで、テイワットの民に織田軍鉄蹄の恐ろしさを知らしめる!」
言葉が途切れるや否や、東の空に三本の赤い信号弾が上がった。
「あれは……」佐久間盛政の顔色が一変する。
「敵襲!」柴田勝家の反応は一瞬だ。「全軍、警戒せよ!」
警報が響くと同時、香酔坂東側の山林から天地を揺るがす太鼓の音と角笛が鳴り響く。続いて二隊の騎兵が矢のように林から飛び出し、織田軍第一線へ突撃してきた。
左の騎兵隊は全員黒衣黒鎧、馬にも鎧を掛け、隊首は長槍を手にする李如梅。右の部隊は装備が入り混じり、明の鉄騎と璃月千岩軍の軽騎が共に進み、指揮するのは李如柏だ。
二人は兄弟だが、戦術の風格はまるで異なる。李如梅は軍規を厳しく定め、隊列は堅固で突撃時は動く城壁の如し。李如柏は勇猛で積極的、部隊は柔軟に機動し、敵陣を切り分ける挿撃戦を得意とする。
今、二隊の騎兵は左右から鉄の挟みのように迫り、香酔坂を挟み撃ちにする。
「弓兵、放て!」柴田勝家は厳しく命令する。
矢の雨が降り注ぐが、明の騎兵は既に備えていた。前列の兵は特製の丸盾を掲げ、矢はカチャカチャと弾き返される。さらに騎兵の速度は凄まじく、瞬く間に二百歩の距離を走り抜け、第一線目前に迫った。
「長槍兵、前に出よ!」柴田勝家は再び号令を下す。
織田軍の長槍兵が一斉に前進し、槍の森を作って騎兵の突撃を阻もうとする。だが李如梅と李如柏はこれを予測していた——
「陣形を変え!」李如梅は長槍を高く掲げる。
突撃中の騎兵は左右に分かれ、中央から数十輌の特製戦車が現れる。戦車前部には巨大な鉄鋤と回転刃が取り付けられ、障壁と歩兵陣を打ち崩す専用の兵器だ。
「障壁破壊車だ!」佐久間盛政は驚きの声を上げる。
戦車は杭の防線に激しく衝突し、鉄鋤が地面を抉り、回転刃が杭を切り裂く。第一線は瞬く間に数カ所の突破口が生まれ、騎兵は戦車の後に続いて陣内へ雪崩れ込む。
「第二線、鉄砲隊一斉射撃!」柴田勝家の顔は青ざめる。
織田軍の鉄砲隊が射撃を開始し、坂一面が硝煙に包まれる。今回は効果を上げ、突撃する騎兵が次々と馬から墜ち、馬は悲鳴を上げて倒れる。だが明軍の突撃の勢いは少しも衰えない。理由は——
「奴らに護りの術がかかっている!」兵が恐怖して叫ぶ。
確かに最前線の李如梅と李如柏の周囲には淡い光の輪が漂っている。出陣前に璃月の方士が施した防御呪術だ。銃弾を完全に防ぐことはできないが、傷のダメージを大幅に和らげる。
「畜生……」柴田勝家は歯を食いしばり刀を抜く。「親衛隊、我に続いて迎撃せよ!」
第二線も守り切れないと見抜いた。敵に段階的に陣を崩されるより、自ら精鋭を率いて逆襲し、敵のリズムを乱すしかない。
「勝家殿、おやめください!」佐久間盛政は引き止めようとするが、柴田勝家は既に馬に飛び乗っていた。
「織田家の武士どもよ!」柴田勝家は名刀「瓶割」を高く掲げる。「我と共に突撃せよ!異界の蛮族に真の武士の姿を見せてやれ!」
五千の織田最精鋭親衛騎兵が後に続き、坂頂から猛虎のように駆け下り、李如梅の部隊へ直撃する。
二隊の騎兵は香酔坂の中腹で激しく衝突する。金属の打ち合う音、馬の嘶き、兵の怒号が混ざり合い、瞬く間に凄惨な白兵戦へと変わる。
柴田勝家は真っ先に駆け出し、「瓶割」を振るうだけで三人の明騎兵を馬上から斬り落とす。その刀法は剛猛で激しく、一撃一撃が山を割り岩を砕く勢いを持ち、普通の兵は一太刀も受けきれない。
「賊将、無礼なるか!李如柏、ここにいる!」
李如柏は馬の向きを変え、柴田勝家へ突進する。手にするのは特製の斬馬刀で、普通の馬刀より長く重く、騎馬戦の斬撃に適している。
二人の馬が擦れ違い、刀身が激しくぶつかり、火花が飛び散る。一合目は互いに優劣つかず。
「多少の腕前は持っているな」柴田勝家は馬を転回させ、片眼に闘志を宿す。「名を名乗れ!」
「大明遼東、李如柏なり!」李如柏も馬を向き直す。「貴様が『竹割り勝家』か?」
「その通り!」柴田勝家は凶々しく笑う。「今日は貴様の首をもって、我が『瓶割』に捧げよう!」
二人は再び突撃し合う。この時、柴田勝家は奥義を繰り出す。馬が擦れ違う瞬間、体を大きく傾け、刀を不自然な角度で下から上へ薙ぎ上げ、李如柏の腹を狙う。
これは「瓶割刀法」の必殺の一撃「逆巻波」で、多くの敵将がこの技で命を落としてきた。
だが李如柏は事前に備えていた。間一髪で手綱を強く引き、馬が前足を上げて立ち上がる。柴田勝家の刀は馬の腹を切り裂くだけに終わる。同時に李如柏の斬馬刀が勢いよく振り下ろされ——
「カーン!」
柴田勝家は必死に刀で受け止めるが、力の差に押され、腕に痺れが走る。
「三弟、助けに来た!」李如梅の声が側方から響く。
李如梅は既に第二線を突破し、側面から迫っていた。柴田勝家はたちまち挟み撃ちにされる。
「卑怯だ!多勢で一人を襲うとは!」柴田勝家は怒鳴る。
「戦は武術の試合ではない!」李如柏は冷ややかに返し、攻撃の手を緩めない。
兄弟二人が共に攻め立て、柴田勝家は危機に立たされる。李如梅の長槍は毒蛇の舌のように突き出、足元を狙う。李如柏の斬馬刀は重く強烈に上半身を襲う。柴田勝家は勇猛だが、一対二では分が悪く、次第に劣勢に立つ。
十合を過ぎた時、李如梅の槍が柴田勝家の馬の前足を突き刺す。馬は悲鳴を上げて倒れ、柴田勝家は地面に転がる。立ち上がる暇もなく、李如柏の斬馬刀が迫る。
「殿、お気をつけ!」佐久間盛政は命を顧みず飛び込み、身をもって一太刀を受け止める。斬馬刀は肩鎧に深く突き刺さり、血が噴き出す。
「盛政!」柴田勝家は目を血走らせる。
「逃げてください……殿……」佐久間盛政は地に崩れ落ち、息絶える。
悲しみと怒りに狂った柴田勝家は刀を乱舞させ李如柏へ襲いかかる。馬を失い、冷静さも失ったため、無数の隙を晒す。李如梅は好機を捉え、槍を電光のように突き出し、柴田勝家の左足を貫く。
「ああ!」柴田勝家は地面にひざまずく。
李如柏は休む暇を与えず、斬馬刀を再び振り下ろす。柴田勝家は刀で受けようとするが、負傷して力が抜け、「瓶割」は手元から弾き飛ばされる。
「これで終わりだ。」李如柏は刀の先を柴田勝家の喉元に突きつける。
柴田勝家は二人を睨んだ後、突然天を仰いで大笑いする。「ははは……我、柴田勝家は一生を戦場に捧げたが、最期は異界の地で散るとは。まあ良い!病床で朽ちるのではなく、戦場で死ねるのだ!」
胸鎧を一気に引き裂き、体に巻き付けた火薬包を露出させる。「共に冥土へ行こう!」
導火線に火がつき、シューシューと音を立てる。だが李如梅の反応はそれを上回る。槍を閃かせ、人ではなく火薬包へ突き、穂先で導火線を綺麗に切り落とす。火薬包は地面に転がり、無力になる。
「何?!」柴田勝家は一瞬呆然と立ち尽くす。
その一瞬の隙に、李如柏の斬馬刀が振り下ろされる。
刀光が一瞬走り、首が地に転がる。
織田家筆頭猛将、「竹割り」柴田勝家は香酔坂にて戦死した。
主将が討ち取られたことで、織田軍の士気は完全に崩壊する。残った兵は降伏するか、四方へ散り逃げる。開戦から一時間も経たぬうちに、香酔坂の防線は全て陥落した。
李如柏は馬から下り、柴田勝家の首を拾い上げ、層岩巨淵の奥深くを眺める。
「長兄の戦いも始まっているだろう……」と独り言をつぶやく。
李如梅が傍らに来て、傷跡だらけの戦場を見渡す。「香酔坂は奪取できたが、本当の激戦はまだ下に待ち受けている。」
二人は底知れぬ巨淵の深部を見つめる。そこでは太鼓が雷のように鳴り、殺気が天地に満ち、岩元素と血桜の力が激しく衝突し、大地全体が震えている。
層岩巨淵の決戦は、まだ始まったばかりだ。
一方、無光台では織田信長が明智光秀と碁を打っていた時、柴田勝家戦死の報せが届く。報告を聞き終えると、しばらく黙って碁石を一つ置く。
「勝家も逝ったか。」喜怒哀楽のない声で呟く。「前田利家に伝令せよ。勝家の軍を引き継ぎ、中層鉱道を死守せよ。どんな犠牲を払っても、鍾離の本軍を足止めせよ。」
明智光秀は肯いた後、ためらいつつ問う。「殿……我々は本当に勝てるのでしょうか?」
織田信長は顔を上げ、血桜玉の淡い光に照らされた濃紅の瞳が深く沈黙を宿す。
「勝つか負けるか、そんな些細なことは重要ではない。重要なのは、最後の瞬間まで戦い抜くこと。千年後、後世の人がこの戦を語る時、こう記憶されること——自らの文明を守るため、最後の一兵まで戦った者たちがいた、と。」
碁盤に目を戻す。自身の黒石は白石に囲まれているが、中央の一点だけは最後の活路を残していた。
「それに……誰が我が敗北が定まっていると言った?」
指先で碁石を回すと、濃紅の妖しい光がますます強まる。
層岩巨淵の奥底で、真の決戦の幕が上がろうとしていた。




