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今川本陣への奇襲

東の暁、天を駆ける


今川軍の本陣に残る残り火は完全に消えず、黒煙が柱となり、明け方の淡く光る空へと立ち昇っていた。陣内は見る影もなく荒れ果てている。倒れた旗竿、散らばった兵器、埋められぬままの屍、そしてひざまずき降伏し、虚ろな目をした残兵たち。昨夜の大敗は突然襲う疫病のように、かつて天下を睥睨したこの軍の根幹を瞬く間に打ち砕いた。


中軍の幕舗——焼け落ちて骨組みだけになったこれを「幕舗」と呼べるならば——の前で、今川義元は地面に座り込み、愛刀「宗三左文字」を強く握り締めていた。「東海道一の弓取り」を自負する貴族の将軍である彼の華やかな陣羽織は灰と血にまみれ、丹念に結った髷は乱れ、顔には信じられぬ茫然たる色が浮かんでいる。


「二万五千人……二万五千人が……」

彼は砂で擦れるような乾いた声でつぶやいた。

「ありえぬ……ありえぬはずだ。あのような夷狄どもに、なぜ負けるのだ……」


副将・朝比奈泰能が彼の前にひざまずき、額を地面につけた。

「殿、この敗北はすべて我らの罪です。どうか速やかに退き、フォンテーヌへ戻り、態勢を立て直してください」


「退く?」

今川義元は猛然と顔を上げ、目には血の筋が浮かんだ。

「退いて、それからどうする?織田殿のもとへ戻り、二万五千の軍勢を失い、火器も碌に持たぬ夷狄に敗れたと報告するのか?」


三浦義就も続いてひざまずき、震える声を上げた。

「殿、生き残れば再起の道も……」


「再起の道?」

今川義元は狂気と絶望に満ちた笑いを漏らした。

「我が再起の道は、昨夜のうちに焼き払われた!織田殿が敗者をどう扱うか、お前たちは知っているはずだ!分かっているか?」


关口氏広は腰の脇差を抜き、両手で差し出した。

「殿が退くことを拒まれるのであれば、臣らは殿と共に……」


言葉は途切れた。今川義元が突然立ち上がり、宗三左文字を抜き、一閃の刀光が走ったからだ。


朝比奈泰能の首が地に転がり、顔には言いかけた表情が残った。鮮血が飛び散り、今川義元の陣羽織を真っ赤に染め上げた。


三浦義就と关口氏広は愕然としたが、次の瞬間、二人は選択を下した。抵抗ではなく、殉じる道を選んだのだ。


「殿……お先に」

三浦義就は短刀を抜き、ためらうことなく腹に突き立て、横へと引き裂いた。見事な十字切りである。


关口氏広もそれに続き、二人はほぼ同時に倒れ、血が焼けた地面を浸した。


今川義元は多年仕えた家臣たちの三つの屍を見つめ、目の狂気は次第に消え、底知れぬ疲労に覆われた。


「よい……よい……」

彼は再び座り、宗三左文字を膝の上に横たえた。

「武士らしく、この地で最期を迎えよう」


だが運命、あるいは敵は、彼にその時間を与えなかった。


地面が揺れ始めた。最初は遠くの雷のような微かな震えだったが、やがて鮮明で力強く、規則的な響きとなった。それは幾百、幾千もの馬が駆ける蹄音である。


「敵襲――!」


残った歩哨が絶叫の警報を上げたが、もう手遅れだ。昨夜の霧と奇襲で疲れ果てた今川軍の残兵は、まともな防衛態勢を組むことすらできなかった。


陣の東側の柵が真っ先に突破された。押し倒されたのではなく、まるごと吹き飛ばされた。最前を進むのは重装騎兵の一隊で、人も馬も鉄の鎧をまとい、進撃する姿は動く城壁のようだ。隊長は青龍偃月刀を振るう李如松である。


「降参する者は命を助ける。抵抗する者は死あるのみ!」

明軍の兵士たちが一斉に叫び、声は天地を揺るがした。


同時に西側、南側からも鬨の声が響いた。璃月の千岩軍、ナタの火神軍の残党、そしてディシア率いる砂漠の傭兵たちが、三方から一斉に本陣へと殺到した。これは綿密に練られた奇襲であり、敵を崩すのではなく、殲滅するための攻撃だ。


「殿を守れ!」

今川軍最後の忠義の者たちが抵抗を試みるが、鉄の奔流の前には紙切れ同然だった。


李如松の標的は明確だ。中軍の幕舗、その廃墟である。地面に座る華やかな衣装の姿を一目で見抜き、荒れ果てた様子ながら、周囲の兵士とは比べ物にならぬ気品が滲んでいた。


「今川義元!」

李如松は一声喝し、馬を走らせて真っ直ぐに迫った。


今川義元はゆっくりと立ち上がり、刀を胸元に構えた。この絶望的な状況にあっても、貴族将軍としての尊厳を失わない。

「名を名乗れ。我が今川義元の刀は、名も無き輩を切らぬ」


「大明遼東総兵・李如松なり!」


声が落ちる間もなく、青龍偃月刀が振り下ろされた。


今川義元は刀で受け止め、二つの刀が激突して火花が飛び散った。宗三左文字の切れ味と自身の武芸を頼り、数十合は渡り合えると思っていたが、交戦した瞬間、己の過ちを悟った。


李如松の刀法は伸び伸びとし、一撃一撃に戦場で磨かれた殺気が宿っている。これは屍山血河をくぐり抜けた真の武芸だ。一方の宗三左文字は切れ味に優れるが、繊細な剣術に適しており、このような力と力のぶつかり合いでは分が悪い。


五合目、今川義元は虎口を裂き、血を流した。十合目には刀気で陣羽織が引き裂かれ、胸に傷を負った。


「殿、ご安心を!岡部元信、ここにあり!」


今川義元が崩れ落ちようとする寸前、黒馬が混乱の戦場を突き抜け、騎乗する猛将が槍を手に、李如松の背後を突いた。今川家最後の猛将、岡部元信である。


李如松は刀を返して受け流し、槍と刀が激突し、耳を刺す金属音が響いた。二人は視線を交わし、互いに好敵手を得た興奮を宿した。


「見事な槍捌きだ!」李如松が称賛する。


「見事な刀法だ!」岡部元信も応じ、一気に猛攻を仕掛けた。


彼の槍術は毒蛇のように素早く苛烈で、急所ばかりを狙う。李如松の刀は猛虎が山を下りるがごとく重厚で勢いに満ち、攻めをもって守りとする。馬を巡らせ、槍と刀が飛び交い、瞬く間に二十余合が過ぎ、勝負はつかなかった。


周囲の戦いも自然と沈黙し、明軍も今川残兵も、この一騎討ちのために道を空けた。武士と武将の闘い、二つの戦闘文化が激しくぶつかり合う瞬間だ。


「貴殿は敬うに値する敵だ。だが、それぞれ主君のために戦う身、仕方のないこと」

再び受け流した後、李如松が言った。


「余計なことを言うな!槍を喰らえ!」


岡部元信は必殺の技を繰り出す。槍が龍の如く一つから三つに分かれ、李如松の頭、胴、足の三路を同時に突く。影槍術——虚実入り混じるこの技で、これまで多くの敵将が命を落としてきた。


だが李如松はそれらの敵将とは違う。目に鋭い光を宿し、避けることなく青龍偃月刀を加速させ、攻撃をもって攻撃を迎え撃ち、真っ直ぐに胸元を薙ぎ払った。


相打ち覚悟の打法だが、李如松は読んでいた。相手の槍が届くよりも先に、己の長く重い刀が相手を捉える。


岡部元信もその意図を見抜いた。一瞬のうちに決断を下し、槍を引かず、逃げもせず、全ての力を槍先に込め、共に散る道を選んだ。


刀光が閃き、槍の軌跡は砕け散った。


岡部元信の槍は李如松の左肩の鎧を貫き、肉に三分食い込んだ。しかし李如松の青龍偃月刀は、岡部元信の兜、頭部、胸までを一気に断ち割った。


「殿……申し訳ございません……」

岡部元信の最期の言葉は、風に乗って消え去った。


李如松は歯を食いしばり、肩から槍の穂先を抜き、血が溢れ出す。だが眉一つ動かさず、布をちぎって簡単に傷を縛り、再び馬に上がった。


「今川義元、次は貴殿の番だ!」


今川義元は岡部元信の最期を目の当たりにした。最後の家臣、最後の盾が今や倒れた。周囲を見渡せば、配下の軍勢は完全に崩壊し、降伏する者、逃走する者、屍となった者ばかりだ。


「はは……ははは……」

苦しみに満ちた笑いが漏れる。

「よい。真の武将の刀で命を落とせるのなら、今川の名も汚れはしない」


彼は再び宗三左文字を構える。だが刀の矛先は李如松ではなく、戦場に駆け入ったもう一人の男——旅人・空に向けられた。


「貴様か!」

今川義元は空を見定めた。

「貴様が明軍を連れてき、我が全てを滅ぼしたのだな!」


空は馬を止め、穏やかに彼を見つめる。

「戦争と死をもたらしたのは貴方たちだ。我々はただ自衛したに過ぎない」


「自衛?ふざけるな!」今川義元は高笑いする。

「弱肉強食は世の理だ。弱き者は支配され、征服されるのが当然!」


「ならば刀と剣で決めよう」


空は馬から下り、長剣を抜いた。この戦いは自らが終わらせなければならない。


今川義元も馬を降り、両手で刀を握る。焼けた地面と屍骸の間で二人は対峙し、硝煙と残り火が辺りに漂っている。


余計な言葉はなく、戦いが始まった。


今川義元の剣術は正統な貴族流で、優雅で精密、儀式に満ちている。すべての技に名があり、振るう動作は規範通りだ。道場で三十年鍛え、数え切れぬ試合で磨き上げた剣術である。


空の剣術はそれとは全く異なる。定型の技も華やかな名もなく、最も簡素で直接的、効果的な攻防だ。幾多の世界を旅し、幾多の敵と戦う中で自ら会得した、「生きるための剣」である。


五合目、今川義元は己の攻撃がことごとく読まれ、防御も一拍遅れることに気づいた。十合目には華やかな衣装に幾筋もの傷が増え、深くはないが絶対的な劣勢を示していた。


「ありえぬ……これはどのような剣術だ……」今川義元は荒い息をつき問う。


「愛する者を守るための剣だ」

空は答え、剣の勢いを緩めない。


十五合目、宗三左文字は弾き飛ばされ、回転しながら近くの焼け地に突き刺さった。素手となった今川義元は、己の喉元に突きつけられた剣先を見つめた。


「殺せ」

彼は目を閉じる。

「だが覚えておけ。織田殿が我が仇を討つ。貴様たちの世界も、やがて……」


言葉は途切れた。空の剣が彼の喉を貫いたからだ。


今川義元は目を見開き、何かを言おうとするが、口からは血泡が溢れる。ゆっくりと地に倒れた。かつて東海道一の弓取りと謳われた男は、異世界の地で最期を遂げた。


周囲の戦いはほぼ終結した。明軍と璃月連合軍は戦場の後始末、捕虜の収容、負傷者の救護に当たっている。李如松は空の元へ歩み寄り、今川義元の屍を眺めた。


「最後に何と言っていた?」


「織田信長が仇を討つ、と」


李如松は鼻で笑う。

「ならば来ればよい。今川を打ち負かせた我らが、織田をも討ち取れる」


ディシアとイェランも駆け寄ってきた。ディシアは宗三左文字を蹴ったが、拾おうとはしない。

「この刀は血に塗れすぎている。禍々しい」


イェランは戦果を確認する。

「暫定の集計によれば、敵兵約一万八千人を討ち取り、三千人を捕虜とした。残りは散り散りに逃走。我が軍の損害は約二千人、うち明軍の犠牲は八百人に満たない」


李如松は頷く。

「少なき兵で多き敵を破り、弱きが強きを制した。この戦いは歴史に刻まれよう」


鐘離と凝光が護衛に囲まれ陣内に入ってきた。鐘離は今川義元の屍を一瞥し、嘆息した。

「また一人、野望に飲み込まれた魂か」


凝光は現実的な視点で言う。

「今川軍が壊滅し、フォンテーヌに展開する織田信長の側面の脅威は一時的に去った。だが直ちに防衛線を強化し、敵本隊の反撃に備えねばならない」


その時、八重神子がどこからともなく現れ、扇子を揺らしている。

「あらあら、見事な戦いでしたわ。ですが皆さん、勝利を祝う前に、こちらをご覧になって?」


彼女は陣地北西の一角を指した。厳重に警備された幕舗があり、他の幕舗とは異なり無事な上、周囲には特殊な封印の紋様が刻まれている。


「あれは……」鐘離は目を細める。


「今川義元の『秘宝』ですわ」

八重神子は神秘的に笑う。

「捕虜の記憶から読み取ったのですわ。今川が幾重もの防衛線を突破できたのは、あの幕舗の中の代物の力によるもの」


一同は直ちに幕舗へ向かう。幕をめくると、中には金銀財宝などなく、奇妙な機械装置が三台置かれていた。金属と透明な水晶で構成され、表面には見知らぬ紋様が彫られ、中央には暗赤色のエネルギーコアが浮いている。


「これは……」

空は不快な違和感を覚えた。ヴィモール荘で浅井長政が使った力と同じ、不吉な気配だ。


イェランが詳しく調べ、顔を曇らせる。

「これらの装置は周囲の元素力を吸い取っている。緩やかだが確かに吸収を続け、さらに何らかの共鳴を起こしている」


「共鳴?」ディシアが問う。


「そう。遠くへ信号を送っているようだ」

イェランは西方を眺める。

「おそらく、織田信長にここの状況を報告しているのでしょう」


鐘離が装置に近づき手を伸ばすが、接触する寸前、装置は耳をつんざく警報音を上げ、暗赤色のエネルギーが一気に膨れ上がった。


「下がれ!」


鐘離は即座に岩元素の盾を張る。


次の瞬間、三台の装置が一斉に爆発した。物理的な爆発ではなく、エネルギーの爆発だ。暗赤色の衝撃波が四方に広がり、幕舗は瞬く間に灰となり、周囲の兵士は吹き飛ばされた。


鐘離の盾が大部分の衝撃を防いだが、全員が胸騒ぎを覚え、何か邪悪な存在が解き放たれたような感覚に襲われた。


煙が晴れると、装置のあった場所には三つの黒く焼けた穴だけが残り、空気には不快な邪気が漂っている。


「自壊したのだな」

八重神子は扇子を閉じ、珍しく真剣な表情になる。

「織田信長は、これらを我々に研究されるつもりはないようですわ」


李如松は眉をひそめる。

「これで敵はここで起きたすべてを把握したということか」


「その通りだ」

鐘離は西方を見つめる。

「勝利を祝う時間はない。真の戦いは、今から始まる」


沈玉谷に朝日が完全に昇り、夜の名残を払い去り、血戦の跡が残る大地を照らし出した。勝利の歓びは束の間だ。今川義元の滅亡は終わりではなく、より大きな嵐の前触れに過ぎないことを、誰もが知っている。


織田信長の本隊、徳川家康の軍勢、そして他の世界から来る侵略者たち……彼らはまだ暗がりに潜み、軍勢を集め、機会をうかがっている。


だがこの瞬間だけは、テイワットの連合軍は一息つくことができる。死者を弔い、負傷者を癒やし、希望を再び灯すことができる。


空は剣を収め、東から昇る太陽を仰いだ。


戦いは続く。だが抵抗し、守り続ける者がいる限り、希望は決して絶えることはない。


一方、遥かフォンテーヌ廷。織田信長は知恵宮の最上階に立ち、手に持つ暗赤色の水晶が砕け散った。


「今川も、ついに敗れたか」

彼は低くつぶやき、やがて笑みを浮かべる。

「よい。無能な者は淘汰されるのが当然だ」


振り返り、背後の将軍たちに命じる。


「全軍に伝えよ。一ヶ月以内に、璃月港にて鐘離の降伏を受け入れる」

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