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層岩巨淵殲滅戦

織田鉄砲、巨淵に降る血雨


層岩巨淵の七晩目、身に染みる寒さが辺りを包んでいた。


刻晴は破れたマントを身にまとい、鉱山の奥深くに腰を下ろしていた。揺らめく篝火が、彼女のやつれた顔つきと、消すことのできない血走った瞳を照らし出す。傍らでは甘雨が目を閉じて休んでいるように見えるが、微かに震える長いまつ毛が、熟睡していないことを物語っていた。


「三万七千四百二十八人」

洞窟内に刻晴の虚ろな声が響き渡る。「これが現在戦闘可能な兵士の数だ。薬は残り二割、食料は節約しても五日分しか持たない」


甘雨が目を開け、氷のような蒼い瞳に火の光を映し込む。「留雲借風真君が去って四日になります。仙人たちは……」


「仙人だけに頼るわけにはいかない」

刻晴は非難する口調ではなく、穏やかに言葉を遮る。「帝君は璃月を人の統治に返された。この責任は最終的に我々の肩にかかっている。自力で活路を見出さなければならない」


洞の外から足音が響き、千岩軍の斥候が慌てて転げ込んでくる。抑えきれない恐怖が顔に浮かんでいた。「刻晴様!敵軍が増援を送り込んできました!織田家の木瓜紋の旗が掲げられています!」


「織田?」

刻晴が勢いよく立ち上がる。「第六天魔王と呼ばれる男か?」


凝光が残した情報でその名を目にしたことがある。織田信長は異世界の戦国時代に名を馳せた、侵略的な大名であり、強権と革新を以て世を席巻した。武田信玄を猛虎、徳川家康を狡狐と例えるなら、織田信長はまさに天災そのものだ。


「兵力はどれほどか?部隊の編成は?」甘雨が慌てて問いかける。


斥候は声を震わせて答える。「正確な数は把握できません。しかし敵の武器は奇妙で、火縄銃に似ていますが、より長く精巧な造りです。層岩巨淵上部の崖縁に陣を敷き、高台からこちらを見下ろしています」


刻晴は洞口まで駆け寄り、隙間から夜空を眺めた。層岩巨淵は椀型の巨大な鉱坑となっており、璃月軍の残存部隊は坑底の鉱洞や廃墟に身を隠し、周囲は切り立った崖に囲まれている。


その時、崖縁に無数の光点が灯り始めた。松明ではなく、金属が光を反射している様だった。


「全軍に伝達せよ、散開して身を隠せ!開けた場所に姿を晒すな!」刻晴は厳しく命じる。「遠距離攻撃部隊だ、奴らは……」


言葉は唐突に途切れた。


崖縁に一斉に整然と火の光が浮かび上がったのだ。


数十、数百ではなく、数千もの光点が闇の中を蛇行する火線を形作り、まるで竜が目を開いたかのようだ。


そして、銃声が轟いた。


――――


それは璃月の人々が一度も聞いたことのない音だった。


火縄銃の轟音とは異なり、鋭く密集し、極めて致命的な響き。数万枚のガラスが一気に砕け散るようで、鉄板に激しく雨が叩きつけられる音を百倍に増したような轟きだ。


一斉射撃第一陣。


坑底で物資を運んでいた数十名の千岩軍兵士が、見えぬ重槌に打たれたかのように一斉に倒れ伏した。体に矢も刀傷もなく、胸から背中へ貫通した細い血痕だけが残されていた。


「隠れろ!」将校が絶叫する。


だが層岩巨淵で身を隠すのは困難を極める。坑底に掩護物は存在するものの、大半の部隊は迅速な集結と移動のため開けた場所に駐留していた。今やその平地は死の罠と化した。


第二陣の射撃は精密な狙撃となった。姿を現した兵士は走っていようと、隠れていようと、反撃を試みようと、わずかな隙を見せた瞬間、何処からともなく飛来した弾丸に撃ち抜かれる。巨岩の後ろに隠れた者は岩ごと貫かれ地面に打ち付けられ、坑内に飛び込んだ兵士には、奇妙な軌道を描いた弾丸が追い討ちをかける。


「これは一体何の武器だ!」掩護物に身を寄せた部隊長が恐怖に歪んだ声で叫ぶ。「これほど遠くまで届き、精密で岩さえ貫通するとは……」


言葉が終わらぬうち、三尺の岩層を貫いた弾丸が、その額に真っ直ぐ命中した。


虐殺。


これは戦いでも包囲討伐でもなく、一方的な殺戮だ。織田軍の鉄砲隊が扱う小銃は、火薬兵器の歴史を持たないこの世界に圧倒的な戦力差を見せつけた。射程、命中精度、貫通力は璃月軍の常識を遥かに超えていた。


刻晴は次々と倒れる兵士を目の当たりにする。反撃を試みるも、弓の射程は届かず、元素攻撃も遠くの崖まで届かない。神の眼の所持者が命懸けで姿を出し攻撃しても、瞬く間に複数の弾丸に撃ち抜かれてしまう。


「刻晴、このままでは全滅してしまいます!」甘雨は彼女を奥の鉱洞へ引き込み、洞口に氷の盾を張る。直ちに盾に亀裂が走り、絶え間なく弾丸が叩きつけられていた。


「分かっている……」刻晴は歯を食いしばる。「だが撤退先がない。層岩巨淵の出口は三箇所しかなく、既に封鎖されているだろう」


その言葉を裏付けるよう、血まみれの伝令兵が洞窟内に這い入ってくる。「北門は武田軍に封鎖され、南門には徳川の旗が現れました。東門には忍者の痕跡が多数見られ、服部半蔵の部隊と思われます!」


四面楚歌。


絶望的な状況だ。


刻晴は目を閉じ、脳裏に凝光の顔、群玉閣が崩れ落ちる瞬間、霊矩関で大敗した惨状が浮かぶ。本当に璃月は守り切れないのだろうか。


「西側に道が残っています」甘雨が突然口を開く。


「西は絶壁で、下は深淵だ……」


「深淵の向こう側はスメールです」甘雨の瞳に決意が宿る。「帝君と共に七国を巡った記憶があります。層岩巨淵西側に、スメール砂漠へ繋がる廃れた索道が存在する。古く商人の密輸路として使われ、今は放置されていますが……」


「それが唯一の生き道だ」刻晴は意図を理解した。


彼女は弾丸が頭上を飛び交うのを顧みず洞を飛び出し、高台に躍り上がる。「行動可能な兵士全員、西側絶壁へ撤退せよ!戦いに拘らず振り返るな、生き残れ!」


元素の力で命令が鉱坑全域に伝わる。残存する璃月軍は西へ進み始めるが、移動そのものが死への道だ。織田軍の弾丸は死神の鎌の如く、一斉射撃の度に数十の命を刈り取る。


刻晴と甘雨が後方を守る。刻晴の剣は紫色の光の幕となり弾丸を阻もうとするが、弾丸は数多く速すぎた。一発が頬をかすめ血痕を残し、もう一発が左肩に命中。彼女は呻き、剣の勢いが乱れる。


甘雨の氷の盾は砕けては再生を繰り返す。弓を構え崖縁へ矢を放つも、途中で勢いを失い落下する。距離が遠く、仙獣の力をもってしても届かない。


「行きましょう」甘雨は刻晴の手を引き、西の絶壁へ走り出す。


道中に地獄の光景が広がっていた。死体が山積みとなり、血が小川となって鉱洞奥へ流れ込む。両足を失った兵士が這い進むも、背中に弾丸を受け絶命。岩元素で壁を築こうとした若き神の眼所持者も、建造途中に額を撃ち抜かれ倒れる。


三万七千の兵士は西への撤退路で次々と数を減らしていく。


三万人。


二万五千人。


二万人。


刻晴と甘雨が絶壁に辿り着いた時、同行した兵士は五千人にも満たなかった。


眼前の光景に、全員の心は絶望に沈んだ。


秘匿された索道とは、朽ちた鉄鎖数本が万丈の深淵を跨ぎ、スメール砂漠の崖へ繋がったものだった。風に揺れる鎖の下には果てしない闇が広がっている。


「これでは渡れるはずがありません」兵士が震える声で呟く。


「渡れようが渡れまいが、進むしかない!ここで待ち死ぬより遥かに良い」刻晴は断固として言う。「甘雨、先に負傷者を連れて渡ってくれ」


甘雨は頷き鉄鎖に飛び乗る。仙獣として常人を超えた平衡感覚を持ち、負傷者を背負いながらも軽やかに鎖を進む。対岸に着くと直ちに鎖を固定し、簡易な渡し路を整え始める。


だが時間は待ってくれない。


崖縁の銃声は次第に迫ってくる。敵は下へ進軍しながら射撃を続け、追い詰められた獣を狩る猟師のようだ。


「急げ!早く!」刻晴は兵士たちに渡るよう促す。


鉄鎖は一度に数人しか支えられず、移動速度は極めて遅い。千人目が深淵を渡り終えた頃、織田軍の先鋒部隊が姿を現した。


南蛮胴具足を身に纏った武将が、煙を上げる銃を手に立っている。背後には同じ装いの鉄砲足軽が数百名並ぶ。


「織田家臣、滝川一益である」拡声器を通じた声が鉱坑に響き渡る。「信長公の命により残敵を討伐する。武器を捨て降伏すれば命を助けよう」


誰一人武器を手放さなかった。


残存する四千人の璃月軍は黙って武器を握り締める。渡り切る時間はない。必ず誰かが殿を務め、同胞に生きる道を与えなければならない。


左腕を失い包帯で簡単に処置された老千岩軍兵士が歩み出る。右手で槍を強く握りしめ、「刻晴様、甘雨様はお逃げください。璃月は老兵たちを失っても存続できますが、七星と仙人だけは失ってはなりません」


「そうだ!お逃げください!」


「我々が殿を務めます!」


兵士たちは次々と前に出て、刻晴と索道の間に人壁を作り上げた。


ついに刻晴の瞳から涙が溢れ落ちた。凝光の最期にも、霊矩関の敗北時にも涙を流さなかった彼女も、死を覚悟で立ち向かう兵士たちの姿に、感情を抑えきれなくなった。


「私は……」


「行け!」老兵が怒鳴る。「我々の死を無駄にするな!」


対岸から縄のついた矢が飛んでくる。「刻晴、急いで!」


刻晴は最後に兵士たちを見つめる。炎に照らされた顔つきは岩のように堅く、生き残れた時のために一人一人の顔と名前を心に刻む。


彼女は鉄鎖に飛び乗り対岸へ走る。背後で再び銃声が轟いた。


遠距離射撃ではなく、至近距離での虐殺だ。織田軍が百歩圏内まで迫り、雨あられのように弾丸が降り注ぐ。殿を務めた四千人の兵士は畑の麦のように次々と倒れ伏す。


誰一人退くことはなかった。身を盾にし、命を懸けて時間を稼ぐ。敵の足にしがみつき銃弾を浴びても離れず、爆薬を抱え敵陣に突入し、最後の力で槍を投げ敵兵を討ち取る者も現れる。


刻晴が対岸に着き振り返ると、絶壁側に立つ璃月兵士は一人も残っていなかった。


四千人、全滅した。


深淵を生きて渡り切れたのは千二百余人、大半が負傷者だ。


滝川一益は絶壁際に進み、スメール砂漠へ逃れた敗残兵を眺める。銃を構え狙いを定めるも距離が遠く、弾丸は途中で深淵へ落ちてしまう。


「構わぬ」銃を下ろし、「落ちぶれた敗残兵、脅威にはならん。全軍に伝達、層岩巨淵を完全占領したと信長公に報告せよ」


「捕虜の処遇は?」副将が問う。


滝川一益は坑底を見下ろす。動けぬ重傷兵が数千人血の海に横たわり、呻き、気を失い、憎しみの眼で上空の敵を睨んでいる。


「信長公の命令は完全殲滅だ」滝川一益は振り返る。「一切始末せよ。また凝光の首を回収し、群玉閣の残骸と共に璃月港へ送れ。抵抗する者の末路を璃月の民に知らしめるのだ」


「承知いたしました」


再び銃声が響き、抵抗不可能な負傷兵への処刑が始まった。


対岸で銃声と微かな絶叫を聞いた刻晴は砂漠にひざまずき、熱い砂に両手を突っ込む。爪は砕け血が滲み出るが、肉体の痛みは一切感じられない。


甘雨が彼女を支え、自身も涙に暮れていた。


「四万の軍勢が……全て失われた」刻晴は呟く。「凝光、明俊、多くの仲間……誰も残らなかった」


「我々はまだ生きています」甘雨の枯れた声に揺るぎない決意が宿る。「生き残った限り、璃月は滅んでいません。刻晴、立ち上がりましょう。スメールへ援けを求め、そして……戻ってきましょう」


「戻る……」刻晴は東方を仰ぐ。層岩巨淵の上空に死体焼却の煙が立ち昇り、さらに東には守り続けた故郷、璃月港が広がっている。


涙を拭い立ち上がる。肩の傷から血が滲み、頬の擦り傷は灼けるように痛むが、心の痛みには及ばない。


「進もう」彼女は言う。「スメールへ。援軍と力、復讐の炎を携え、必ずこの地に戻ってくる」


千二百名の負傷兵は互いに支え合い、砂漠の奥へ歩き進む。背後の層岩巨淵は支配者を変え、織田家の木瓜紋が最高地に翻っている。前方には未知の異国、定まらぬ運命が待ち受ける。


砂嵐が足跡を埋め尽くし、一行の存在すら消し去るかのようだ。璃月最後の希望が巨淵の血の中に葬り去られたかに見えた。


だが砂漠の果てにスメールの雨林が姿を覗かせる。知恵の国、草神の加護、そこに活路が眠っているかもしれない。


刻晴は最後に璃月の方角を振り返る。


「待っていてくれ」心に誓う。「璃月、必ず戻る。血には血を、仇には仇を返す。すべての侵入者に代償を払わせる」


夕日が人影を長く長く引き伸ばし、不屈の亡霊のように砂漠を独り進む姿となる。


層岩巨淵の戦煙は絶えることなく立ち昇り、璃月港、抗い続ける民の心に重く降り積もる。


戦争は最も暗き時を迎えた。


しかし闇の果てには、必ず光明が存在する。


信じる者、戦い続ける者、故郷への帰路を忘れぬ者が存在する限り――。

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