神無塚の戦い
神無塚陥落
雷鳴が鉛色の空を引き裂き、豆粒大の雨が本多忠勝の甲冑に叩きつけられる。彼は神無塚対岸の崖に屹立し、三千の徳川精鋭が背後に静寂と立って、まるで移動する森のよう。雨が陣羽織から滴り落ちる音だけが聞こえる。
「大人、稲妻軍は神無塚に布陣し、兵力約二千、神里綾人と荒瀧一斗が指揮しております」斥候は地にひれ伏した。
本多忠勝は微かに頷き、象徴の鹿角兜の下、鷲のような鋭い瞳で海を隔てた島を見据える。神無塚は険峻で雷暴に囲まれ、稲妻城へ至る要の防壁である。
「神里綾人か……」忠勝は低くその名を呼ぶ、「文武両道の将と聞く」
副将が前に出て囁く。「将軍、天候回復を待ちましょうか?」
忠勝は首を振り、口元に僅かな笑みを浮かべる。
「豪雨と雷鳴は天の与えた隠蔽だ。伝令、三隊に分かれて上陸せよ。我が主力で中央陣を直撃する」
波が戦船を叩き、徳川軍は音もなく上陸する。第一批の兵士が神無塚の砂浜に踏み出すまで、警戒の鐘が雨靄を引き裂くまで気づかれなかった。
「敵襲!敵襲だ!」
戦いが始まった。
徳川軍は潮水のように岸に押し寄せ、訓練された足軽は速やかに陣を組む。稲妻軍は慌てて応戦し、両軍は泥まみれの浜辺で入り乱れて戦う。
本多忠勝は自ら精鋭を率いて左翼を突破し、名槍「蜻蛉切」が雨の中で致命的な弧を描く。その槍の届くところ、誰も立ち向かえない。伝えられるところ、この槍は戦場で一滴の血も付かない――血がすぐに槍先から滑り落ちるからだ。
「陣を崩すな!弓隊、一斉射撃!」神里家の武将が後方で指揮する。
矢雨が稲妻軍陣地から舞い上がるも、強風に乱される。徳川軍は稀な矢を凌いで進み、鉄砲隊が直ちに応戦し、硝煙と雨が混ざり合って鼻に刺す臭いを立てる。
戦いが白熱する中、稲妻軍の後方から豪快な笑い声が響く。
「ハハハハ!ようやくまともな相手が来たか!」
裸身の巨漢が巨大な石棒を振り回して戦場に突入し、その通りの徳川兵が藁屑のように飛び散る。まさに荒瀧一斗である。
「かかってこい!俺と一戦を!」
荒瀧一斗が石棒を地面に叩きつけ、泥と砕石が周囲の数人をなぎ倒す。
本多忠勝は目を細め、馬を進める。
「我、徳川家康麾下、本多忠勝!敵将、名を名乗れ!」
「荒瀧一斗、ここにいる!」
巨漢は笑いながら棒を振り上げて襲いかかる。
蜻蛉切と石棒が激突し、耳をつんざく轟音が響く。荒瀧一斗は底知れぬ力を持ち、一撃一撃が山を砕く勢いだ。しかし本多忠勝は技量に優れ、槍術は神の如く、暴雨の中で槍を躍らせ、攻撃を的確に躱す。
「足んねえ!もっと力を込めろ!」
荒瀧一斗は吼え、石棒を横に払う。
忠勝は身をかわし、蜻蛉切を勢いに乗じて刺し、荒瀧一斗の肩に骨まで届く深い切り傷を刻む。巨漢は怒りの咆哮を上げ攻撃を強めるが、失血で次第に弱まっていく。
「お前は勇士だ」忠勝は重く言う。「だが今日、勝利は徳川にある」
蜻蛉切が毒蛇のように突き出し、荒瀧一斗の防御を貫き、胸を狙う。巨漢は辛うじて急所を躱すも、槍先は右胸に深く刺さる。荒瀧一斗はよろけて後退し、親兵に命がけで自陣に救い出される。
稲妻軍左翼が動揺し始める。
「荒瀧大人が負傷された!」
恐慌が稲妻軍に広がる。徳川軍は機に乗じて進撃し、浜辺の陣地は完全に陥落した。
本多忠勝は急いで追撃せず、陣形を立て直し穏やかに進むよう命じる。徳川軍は精密な機械のように、暴雨の中を神無塚高地へと進む。
神里綾人は高所に立ち、面持ちは厳粛である。佩刀「波乱月白経津」を抜き、刀身が雷光の中で煌めく。
「全軍、陣地を死守せよ!」
神里家の武士たちは一斉に叫ぶものの、徳川軍の鉄壁の進撃の前に次々と後退する。戦場は浜辺から神無塚中央の平原へ移り、泥の大地は血と雨を吸い込んでいた。
忠勝は遠くに神里綾人の旗を見定める。
「目標、敵将本陣」
徳川軍は陣形を変え、精鋭の旗本武士が楔形の陣を組み、稲妻軍の心臓へ突き刺さる。神里綾人は自ら部隊を率いて迎え撃ち、その剣術は絶妙にして、数人の徳川武将が相次いで刀下に倒れる。
「神里綾人!」本多忠勝の声が戦場を貫く。
二人の主将がついに相まみえる。
神里綾人は微かに頷く。「本多忠勝、大名を久しく仰いでおります」
「その武勇、目の当たりにした。降参せよ、神無塚はもはや救いようがない」
神里綾人は首を振り微笑む。「稲妻の将として、戦死するのみです」
雷鳴が轟き、二人は一斉に斬りかかる。
神里綾人の剣は流れるように舞い、雨の中で銀色の軌跡を描く。本多忠勝の槍術は嵐のように猛烈で鋭い。水と火の激突、二人の頂点武将の対決に、周囲の兵士は思わず戦闘を止め、息を呑んで見守る。
「神里流剣術、名に恥じぬ腕前だ」忠勝は讃え、妙な突きを払いのける。
「将軍の槍術もまた、敬服にたえません」綾人は返し、身をかわして槍先を躱す。
戦いは続き、二人の体力は急速に削られていく。神里綾人は若いものの、先の戦いで力を耗している。本多忠勝は経験豊富だが、壮年期とはいかない。
ついに忠勝は隙を見せ、神里綾人は見事に罠にかかり、突きすぎてバランスを崩す。蜻蛉切が雷光のように刺さり、神里綾人の胸鎧を貫く。
神里綾人はよろけて後退し、刀で体を支える。
「稲妻……永世……」
彼は囁き、口から血が溢れ、ついに泥の中に倒れる。
主将戦死の報は戦場に速やかに伝わり、稲妻軍の抵抗は完全に崩壊する。荒瀧一斗は親兵に強引に戦場を連れ去られ、残部は散り散りに逃げ出す。
戦い終了後の集計では、稲妻軍戦死者千六百人、負傷者無数。徳川軍の損害は約八百人。
本多忠勝は神無塚の頂上に立ち、硝煐の残る戦場を見下ろす。神里綾人の遺体はきちんと収められ、礼を持って埋葬されることとなった。
「将軍、神里様の幕舎でこれを見つけました」副将が密書を差し出す。
忠勝は書状を開き、眉を徐々に寄せる。手紙には稲妻内部の深刻な分裂、そして神里綾人が今回の防衛戦に度々反対の意を唱えていたことが記されている。
「必ず敗れると知りながら、なお死闘を選んだか」
忠勝は静かに呟き、手紙を仕舞う。
雨はやみ、夕陽が雲の隙間から金色の光を降り注ぐ。本多忠勝は遠くの海面に霞む稲妻本島を見つめる。
神無塚は陥落した。
しかし戦争は、まだ始まったばかりだ。




