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小隊結成

東征の誓い


弥助の帆船が東シナ海の水平線に消えて七日目、璃月港「三碗過ぎ港」の二階の個室にて。


机の上には東アジア全域を描いた巨大な地図が広げられ、墨の線で朝鮮半島の曲がりくねった海岸線と起伏に富んだ山々が形作られていた。地図の脇には各種文書が散らばっている——李如松から届いた緊急軍事報告、朝鮮使節の救援要請の国書、そして作成が完了したばかりの名簿一覧。


「それで……」八重神子は指先で名簿を軽く弾き、淡い紫色の瞳に戯れの光を宿らせた。「この特別志願部隊の名前を『初潮(ファースト・タイド)』にするの?」


向かい側の空は背筋を伸ばして座り、愛らしいほど真剣な表情で答える。「初めての遠征の潮、という意味です。テイワット同盟が初めて、異世界の戦争へ志願兵を派遣するのだから」


「ふふっ~」神子は口元を覆ってくすりと笑い、狐の耳が小さく震える。「『七国正義軍』や『テイワット遠征軍』といった、誰が考えたか野暮な名前よりはずっと面白いわ。だけど……」


身を前に乗り出し、紅い爪で「軍師」の二文字をそっと叩く。「私を軍師に招くの?小さな子、私が何者か知っているの?」


「稲妻鳴神大社の宮司で、知謀と策略に長けた八重神子様」空は淀みなく答える。「それに五百年前のカーンリア戦争で、雷電将軍の参謀として作戦立案を補佐したことを、影様自ら教えてくれました」


神子の笑みが深まる。「あら?あの子がそんな昔の話まで話してくれたの?二人は随分親しいようね」


「将軍様はまた、貴方が表はふざけているように見えて、本気になった時は将軍様ですら気を遣うほどだ、と仰っていました」


「まあまあ、将軍様にそこまで褒められるなんて照れちゃうわ~」口では照れる素振りを見せながらも、表情は嬉しさに満ちている。茶碗を手元に寄せて一口啜り、瞳に思索の色が宿る。「だけど朝鮮の戦場はテイワットとは全く違うのよ。元素力も神の目も仙術や妖術も一切通用しない。純粋な人間同士の血の殺し合い。私の策略など、役に立たない可能性が高いわ」


空は首を横に振る。「人間同士の戦いだからこそ、人間を超えた知恵が必要なのです。嵐を呼ぶ力を求めているのではなく、五百年の経験から戦局の本質を見抜き、打開策を探す知恵をお借りしたいだけです」


神子は茶碗を置き、指で地図をなぞり、最終的に鴨緑江の地点で指を止める。「李如松率いる明軍はここに集結している。豊臣秀吉の主力は八つに分かれ、朝鮮南部を全域支配下に収めた。兵力の差はどれほど?」


「明軍は八万、うち騎兵五万、火器部隊三万です」空は即座に回答する。「日本軍は二十万だが、釜山から平壌に至る長大な戦線に分散して布陣しています。だが水軍の優位性を握り、補給線は比較的安定しています」


「二十万対八万か……」神子は目を細める。「テイワットとの大敗で士気は落ちているものの、追い詰められた獣のように狂った闘志を燃やすだろう。一番厄介な相手よ」


唐突に視線を上げる。「戦後処理担当として胡桃を呼んだの?あの娘、任務を務めきれるのかしら?」


言葉の直後、個室の扉が「ガラッ」と勢いよく開かれた。


「堂主が無理だなんて誰が言ったの~?」


胡桃が跳ねるように部屋に飛び込み、後ろには困り顔の香菱がついてくる。往生堂第七十七代堂主は、いつもの茶色い衣装を脱ぎ、動きやすい濃い青の闘装に身を包んでおり、梅の形の瞳が陽光に煌めいていた。


「戦場は死体と怨念に満ち溢れている。こここそ往生堂の専門家が活躍する場所よ!」胡桃は胸を叩き、分厚い冊子をどこからか取り出す。「見て!『戦時往生業務効率マニュアル』を作成したわ。遺体回収、身元確認、霊の鎮魂、遺品整理……全部で十二項目、四十八の細部まで記載済みよ」


香菱が空のそばに寄り、小声で話す。「この二日間、胡桃はすごく真剣だったんです。鍾離さんや私に質問攻めして、層岩巨渊の戦後処理手順を全部研究していました」


空は胡桃の手の冊子を見ると、文字や図解がびっしり書き込まれているのが確認できた——臨時往生堂の設営方法、簡易棺の作り方、戦場で多い死因別の鎮魂儀式早見表まで載っている。


「胡桃」空は心動かされる。「わざわざ準備してくれてありがとう……」


「感謝の言葉は一旦ストップ!」胡桃は手を振るが、瞳は真剣に輝く。「無償で手伝っているわけじゃないわ!戦争が終わったら、朝鮮王室に往生堂の『越境葬儀プラン』を売り込むのを手伝ってね。七七曰く……これは市場拡大、だって」


八重神子が吹き出して笑う。「堂主任、大きな野望だわ。それで香菱は?戦場の料理長……まさか両軍の真ん中に万民堂支店を開くつもり?」


「そんなわけないですよ!」香菱は頬を膨らませ、背中から特大の鉄鍋を取り出す——自分の体ごとすっぽり収まってしまうほど巨大な鍋だ。「神子お姉さん、これを見て!お父さんと特注した『行軍百味鍋』です!」


ドン、と重い音を立てて鍋を机に置き、嬉しそうに説明を続ける。「軽策庄特産の軟鉄で鍋本体を作り、軽量なのに頑丈。底は三層構造で、外層は防風、中層は熱伝導、内層は焦げ付き防止。蓋の圧力弁で高地でも調理可能。何より……」


鍋側面の隠し仕切りを開くと、数十種の小瓶が整然と並んでいる。「調味料は全部で七十六種類!モンドのタンポポの種、璃月の琉璃袋粉末、スメールのハラフルーツ、稲妻の海霊粉……自作の絶雲唐辛子濃縮ペーストもあるの。小さじ一杯でスープが体の芯から熱くなるんです!」


香菱の目が輝く。「お父さんが言っていました。戦場で士気を左右するのは食事が一番だと。凍える雪原で熱いスープを飲めたり、激闘の後に腹いっぱい食事を摂れたりすれば、どんな出征演説より効果的なんです!」


個室に一瞬静けさが訪れる。


八重神子はゆっくりと手を叩き、いつもの戯れの笑みではない、本心からの微笑を浮かべる。「どうやら我が初潮小隊は、隠れた才能が集まっているようね」


立ち上がり窓際へ歩き、港の方角を眺める。中等サイズの帆船が最終整備を受けている——凝光が特別許可した「遠征号」で、船体は補強され、フォンテーヌ製航測機器とスネジナヤ製防寒設備が積み込まれていた。


「人員は揃い、物資も準備完了」神子は振り返り、狐の耳が陽光に柔らかく輝く。「最後の質問よ、空隊長。我々はどの立場でこの戦争に介入する?」


空も立ち上がり、三人の仲間を順に見渡す。「いかなる国の代表にもならず、領土や利益も一切求めません。ただの志願者として、困っている人を助け、非道な行いを止め、その後は去るだけです」


「天真な考えね」神子は評するが、嘲りの色は瞳に一切ない。「だが、その天真さこそ挑戦する価値がある」


袖から繊細なお札を取り出し、地図の漢陽の位置にそっと置く。「軍師として最初の策を授けよう——鴨緑江へ進んで明軍と合流してはいけない」


「え?」胡桃が首を傾げる。「じゃあどこへ行くの?」


神子の指は半島南端の小さな点へ移動する。「ここ。全羅道・麗水港だ」


香菱が身を乗り出して眺める。「ここって前線からすごく遠いですよ?」


「遠いからこそ、日本軍の警戒が緩んでいるのよ」神子の瞳に狐らしい悪賢さが走る。「地形を見てみなさい。麗水港は三方が山に囲まれ、一方が海に面す、守りやすく攻めにくい天然の要害。そして何より……ここは朝鮮水軍最後の拠点なのだ」


空は瞬時に理解する。「李舜臣!」


「その通り」神子は微笑む。「あの水軍の名将は今、残った十数隻の亀船を率いて近海を遊撃している。彼と合流し水軍を再建、日本軍の海上補給線を断ち切れば……」


「根っこから叩く作戦!」胡桃が先に叫ぶ。


「正解よ」神子は頷く。「陸上戦では八万で二十万に敵うのは不可能、我々が加わっても大局は覆せない。だが海上戦なら話は別だ」


「だがこの作戦には大きなリスクが伴う。敵陣深くへ潜入し、数ヶ月補給が絶たれ、陸海両方の日本軍に追われることになる」


空は一瞬も逡巡せず答える。「この作戦で進めます。神子様、詳細な作戦案の作成をお願いします」


「任せてちょうだい~」神子は地図を丸める。「三日後に出航する。それまでは……」


意味深な笑みを浮かべる。「香菱の新しい鍋料理を試してみない?戦場適応訓練用に、スネジナヤの冷凍魚、竜脊雪山の冷肉、大量の絶雲唐辛子を使った『氷国行軍鍋』を開発したらしいわ」


香菱は興奮して頷く。「清心の花びらを入れて辛さを調整しました!一口食べれば体中が汗ばみ、寒い雪原でも寒さ知らずになれますよ!」


胡桃は既に箸を構える。「まずこの堂主が毒見……いや試食係を務めるわ!」


空は目の前の三人を見つめる——知略に長けた狐の宮司、奔放な往生堂主、熱意溢れる天才料理人。後に船に合流する夜蘭、刻晴、甘雨、申鶴、シトラリの面々も思い浮かぶ。


風変わりなメンバーだが、心強さに満ちた部隊だ。


窓の外では港の労働者が荷物を運ぶ掛け声が響き、カモメが青空を旋回する。遠征号は静かに湾内に停泊し、乗組員と海を越える旅を待っていた。


遥か東方の朝鮮の大地は戦火に焼かれている。鴨緑江辺りでは李如松が対岸の山々を眺め、約束された援軍の到来を待ち望んでいた。


三日後、初潮小隊が帆を上げて旅立つ時、見送りの人混みの片隅に鍾離が静かに佇んでいた。岩元素で凝縮された碁石を指の間で遊ばせ、最後に港地図の麗水の箇所にそっと置く。


「潮は満ち、また引く、永遠に繰り返す」小さな独り言が漏れる。「今回、貴殿たちがどのような波を起こすか、見届けよう」


帆船は港を離れ、青く広がる深海へ、未知の冒険へと進んでいく。


初潮小隊、ここより出航。

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