ストリート・センス
古いログイン画面がそのまま残っている。
指でなぞると、微妙に遅れて反応する。
今のゲームにしては、やけに鈍い。
アカウントは残っていた。
パスワードも、変えていない。
最終ログインは、かなり前だ。
日付を見ても、特に何も思い出せない。
起動。
余計な演出はない。
そのままメニューが開く。
見覚えのない項目が増えている。
いくつかは、触る気にもならない。
適当に一つ選ぶ。
マッチング。
元の会社は売上低迷で解体された。
その中で中心にいたプロデューサーとプログラマーが集まり、新しくスタジオを立ち上げた。
このスタジオが開発したのが今回のゲームである。
開発規模は小さいが、仕様と作り込みに強いこだわりがあり、一部のユーザーから高く評価されていた。
その後、このゲームは国外の大手企業に買収された。
契約条件は開発側に有利で、運営・アップデート・マーケット機能などは大手が担当し、ゲームの中身には開発側が関与し続ける形になっている。
さらに、この企業は同スタジオに複数タイトルの開発を任せ、それらを接続する形で現在のプラットフォームが構築された。
走り出した時点で、背後に気配が増えているのは分かった。足音が一つではない。理由は分からないが、止まれば追いつかれる距離だとだけ判断する。前方に置かれた障害物を横に抜けると、減速はほとんど発生しない。段差に足を掛けるとそのまま上に乗り上がり、通路の高さが一段変わる。下の通路では追ってきた側が一度詰まり、すぐに別のルートへ回り込む動きに変わる。
視点だけを後ろに回して位置を確認する。人数は増えている。距離はまだ維持できているが、進路の選び方を誤れば詰められる。左に折れると壁際に細い足場が続いており、そのまま体を乗せて進める。下から手が伸びてくるが高さが足りず届かない。足場の終端で跳び、そのまま進行方向を変えると、入力は途切れずに繋がる。動きに制限は感じない。
攻撃は選ばない。まだ状況が分かっていない。距離を保つことだけを優先して、そのまま逃げ続ける。
逃げながら腰の鞘に手を掛けて剣を引き抜く。刃は白と橙が混ざった色で、掘り出したばかりの宝石のように濁りがない。氷にしたジュースをそのまま磨き上げたような質感で、光を受けると表面が細かく揺れる。ただ見た目がいいだけで、内部の性能は低レアの範囲から外れていない。
ただ、その陽光に人は魅了される。その結果がこれだ。
背後の足音が増える。最初に一つだったものが、角を曲がるたびに重なっていく。進路を変えるたびに、別の方向から回り込まれる。距離は詰まりきらないが、離れもしない。誰も先に手を出さないまま、追跡だけが続く。
攻撃は選ばない。理由が分からないまま距離を保ち、逃げ続ける。
さぁ、改めて確認をしよう。
このゲームには、ある機能がある。
スキンを賭け、それを手に入れる。
名付けて、スキンギャンブルシステム。ガチャで引いた当たりを売るも良し、賭けで手に入れて売るもよし、賭けで市場を破壊し独占しインフレを起こすもよし。ゲームが壮大過ぎるが故に許された享楽。
それに何も知らぬ中で飛び込んだ蛙は、滅多打ちが相応しい。
引き抜いた剣が、背後からの月光を反射して通路の壁を白く撫でる。白と橙の混ざり合った刃は、振るたびに甘い色彩の残光を残す。
背後の足音は、もはや一つの塊となって響いている。石造りの通路は左右に高く、逃げ場はない。前方には大きな石門が見える。その表面には、現運営会社による派手なホログラム・広告が投影されており、古いスタジオが作り込んだ重厚な石の質感を無慈悲に塗り潰している。
右足の踏み込みに対し、画面上のキャラクターが僅かに遅れて反応する。このラグは、最新の環境に最適化されていない古いアカウントの仕様だ。
加速を維持するため、入力を一定のタイミングで刻み続ける。段差を跳び越え、足が僅かに縺れる。
背後で、重い破砕音が響く。
追跡者の一人が、移動スキルを使用した結果だ。
振り返らずとも分かる。彼らが纏っているのは、現行マーケットで高値取引されている「雷光の走者」あるいは「重力の支配者」といった、エフェクト過剰な限定スキンだ。
彼らにとって、この追跡は単なる戦闘ではない。
目の前で揺れる、見た目だけが異常に洗練された正体不明の「剣」を奪い取るための、先行投資としての追走だ。
通路が途切れ、円形の円形劇場のような広場に飛び出す。
着地と同時に、左右から二人の影が割り込んでくる。
一人は、全身が結晶体で構成されたような、透明度の高い女性型のスキン。
もう一人は、漆黒の煙を常に噴き出し続ける、騎士型のスキン。
どちらも、見た瞬間に「高額」であると理解させる、過剰なまでの装飾性と美しさを備えている。
彼らの足が止まる。
それと同時に、広場の地面に巨大な六角形の紋章が浮かび上がる。
システム・ボイスが響く。
「フィールド・ロック。」
逃走経路が物理的な障壁によって遮断される。
広場の周囲には、いつの間にか他のプレイヤーたちが集まり始めている。
「それ、どこのコラボだ。」
騎士型のスキンを纏った男が、低く響く加工された声で問いかけてくる。
答えは返さない。
鞘に戻したばかりの剣の柄に、再び指を掛ける。
指先から伝わる感覚は、今のゲームの滑らかなフィードバックではなく、ザラついた、古いプログラム特有の抵抗感がある。
「設定説明はいらない。出せ。」
結晶体のスキンが、細い腕をこちらへ向ける。その指先が、空間を裂くようにしてマーケット・インターフェースをこちらへ押し付けてくる。
目の前に、強制的なトレード・ウィンドウが開く。
こちらの持ち物欄には、先ほどの「白と橙の剣」のみが表示されている。
対する相手の提示枠には、現在のマーケットで都市一つが買えるほどの数字が並んでいる。
しかし、ウィンドウの最下部には、赤い文字でこう記されている。
「ギャンブル形式:強制剥奪マッチ。敗者は全装備の所有権を失う。」
...まだ、初めてから三時間も経過していないというのに。
追跡者の数はさらに増えている。
広場の入り口を塞ぐように、さらに数人の「美しき」プレイヤーたちが並ぶ。
彼らの装備はどれも、この古いスタジオが解体される前に残した「最高傑作」の断片や、国外大手が資本を投じて作り上げた「至高の限定品」ばかりだ。
彼らの目は、キャラクターの背後にいる操作者の欲望をそのまま透過させている。
この状況で、逃げ続けることは不可能だとシステムが告げている。
心拍数が、指先の入力に干渉する。
画面内のキャラクターの呼吸が、ラグの影響で不自然に途切れる。
だが、その視線だけは、正面の敵を正確に捉え続けている。
剣を引き抜く動作を開始する。
刃が鞘から離れる瞬間、白と橙の光が広場全体を、冷たいジュースを零したような質感で浸食し始める。
この剣の性能は低い。
だが、この「光」だけは、今のマーケットのどのスキンにも存在しない、異質なコードで描かれている。
「さぁ、始めよう。」
声には出さない。
ただ、システム・ボタンの「承諾」を、親指で強く押し込む。
その瞬間、広場の時計が止まったように静まり返り、周囲のマーケット・ボードの数字が、狂ったように回転を始めた。
背後の足音は止まった。
代わりに、世界が私を解体しようとする、システムの駆動音だけが耳の奥で鳴り響いている。
私は、ただ前を見据える。
逃走の時間は終わり、ここからは、この「美しき皮膚」を維持するための、最も残酷な取引が始まる。
剣の表面が、周囲の豪華なスキンたちの光を吸い込み、さらに輝きを増していく。
相手の騎士が、一歩踏み出す。
その動きに合わせて、私も一歩、重いシステムを無理やり引きずるようにして踏み出した。
白と橙の剣を、右手に位置する家屋の石壁に突き立てる。
刃が石の隙間に潜り込み、抵抗と共に深部まで埋まる。
そのまま左足を軸に体を反転させ、壁に沿って一気に走り出す。
石材が削れる高い音が響き、火花が散る。
剣を引く腕に重い負荷がかかり、画面上の指が僅かに遅れて追従する。
背後で石壁が縦に裂け、亀裂が屋根まで走る。
柱が折れる鈍い音が空気を震わせ、瓦根が滑り落ちて地面で砕ける。
家屋全体のモデルが歪み、物理演算の崩壊と共に一気に瓦礫の山へと変わる。
砂埃が舞い上がり、視界を白く染める。
足を止めず、隣接する店舗と思われる建物へ踏み込む。
再び剣を突き刺し、今度は斜め上方へ切り上げる。
窓枠が弾け飛び、看板が地面に叩きつけられる。
壁の判定が消失した箇所を突き抜け、反対側の路地へ出る。
背後で二軒目の建物が崩落し、広場を囲んでいた輪郭が消失する。
足元の石畳を蹴り、瓦礫の山を跳び越える。
着地の衝撃が膝に伝わり、土煙が靴を汚す。
前方では、騎士型のスキンを纏った男が依然としてその場に留まっている。
彼の周囲を巡る青白い光の渦は、秒を追うごとに密度を増している。
エフェクトの輝きが広場の中央を昼間のように照らし出し、瓦礫の影を長く伸ばす。
騎士は動かない。
青白い渦が地面を削り、彼の足元を中心に同心円状の文様を描き出している。
攻撃範囲を示す光の境界線が、広場の端まで到達する。
私は三軒目の建物へ向かう。
角に突き出たテラスの支柱に剣を叩きつける。
支柱が折れ、屋根が重力に従って垂直に落下する。
そのまま剣を壁にめり込ませ、建物の中を通り抜けるように走り抜ける。
家具のオブジェクトが跳ね飛ばされ、内壁が次々と粉砕される。
出口を突き破って外へ出た瞬間、家屋が背後で完全に潰れる。
広場の右半分を占めていた建造物はすべて瓦礫に変わり、障害物の判定がマップから消去される。
風が通り抜け、砂埃を広場の中央へと運ぶ。
騎士との間に遮るものは何もない。
彼は依然として不動のまま、高出力の攻撃モーションを維持している。
定石に従い、最大火力を一点に集中させるための静止。
だが、その射線を遮るはずだった壁も、私が隠れるはずだった遮蔽物も、今はもう存在しない。
瓦礫の山が足場を不規則に変え、平坦だった広場は凹凸の激しい荒野へと変容している。
私は剣を引き抜き、正面を向く。
白と橙の刃には、砕いた石の粉が付着している。
光を受けると、その粒子さえもが剣の色彩に染まって輝く。
足を一歩踏み出し、重心を低く構える。
騎士の周囲の光が飽和し、空間が軋むような音を立てる。
スキルの発動が近い。
視界の端で、他のプレイヤーたちが距離を取るのが見える。
彼らは安全な場所から、システムの提示する勝率の変動を注視している。
私は地面を蹴り、加速する。
正面から騎士へと肉薄する。
背後で最後の壁の残骸が崩れ落ち、視界の全てが彼一人へと収束する。
青白い光が炸裂する直前、私は剣を斜め下から振り上げる。
刃が騎士の足元の地面を抉り、土砂と共に彼を捉える。
固定されていた彼のモデルが、物理的な衝撃によって僅かに浮き上がる。
発動寸前だった青白い渦が、軸を失って乱れる。
エフェクトが空中で霧散し、システム・ノイズが広場に響き渡る。
騎士の鎧の表面に、白と橙の光が触れる。
装飾された宝石のようなパーツが弾け飛び、内部のポリゴンが剥き出しになる。
私はそのまま剣を押し込み、彼の懐へと踏み込む。
スキンの隙間に刃を滑り込ませ、一気に横へと引き抜く。
金属が擦れる音ではなく、データが剥がされる乾いた音が耳に届く。
騎士の腕から、豪華な手甲のスキンが剥がれ落ちる。
光の破片となって四散し、実体のない腕が露呈する。
「スキンどころか、皮膚も剥いでやる。」
喉が渇き、呼吸が熱を帯びる。
攻撃範囲を誇った騎士は、今はただの、剥離を待つ獲物でしかない。
私は再び剣を構え、剥き出しになった彼の胸元を見据える。
瓦礫の荒野に、剥ぎ取られた光の残滓が降り注ぐ。
騎士がよろめきから復帰する。
その身を包む重装甲から、再び青白い火花が散る。
彼の手元には、大航海時代の意匠を施したレイピア型のスキンが出現している。
刀身は細く、氷のように透き通っているが、そこから放たれるプレッシャーは先ほどの広範囲攻撃をも凌駕する。
騎士が地を蹴る。
加速。
システム上のレベル差が、物理的な速度の差となって現れる。
レイピアの先端が、私の胸元にある低レアの防具を正確に捉える。
パリィとは、剣術に関する用語である。フランス語の parerを英語訳したものがパリィ(parry)である。フェンシングの主流はフランス、イタリアやスペインも剣術文化が有名だが、大航海時代の影響からか不思議とスペインのイメージが多い、という人もいるだろう。
軽くて速くて、服の上からでも致命傷を狙える、その上に市街地では名誉問題ですぐ決闘、貴族・市民も剣を携帯。ドイツ将校等は近代でも別の名誉として残していた。
ゲームでは少し緩く、細いとか、軽いとか問答無用で弾ける。...なら良かったがそんな訳がなく、レベル差次第で反撃不可、復帰などの面倒なモーションこそないが剣を地面に突き刺しノックバックするモーションが入る。圧倒的な実力差を埋めることは出来ない。ゲームシステムがそれを許さない。
だが、剣と剣が接触した瞬間、システム・ログに赤い警告が走る。
「レベル差による判定無効。」
硬い金属音が広場に響く。
逸らすはずだった衝撃が、私の腕を伝い、全身の骨を軋ませる。
剣を握る右手の感覚が麻痺し、視界の端でHPバーが僅かに削れる。
画面内のキャラクターは反撃に転じることができない。
体が大きく後ろへ弾き飛ばされる。
足が石畳を離れ、背後の瓦礫の山に叩きつけられる。
衝撃に耐えるため、私は右手に持った剣を逆手に持ち替え、地面に突き刺す。
刃が石を砕き、地中深くまで沈み込む。
そのまま数メートル、剣で地面を削りながら後退し、ようやく足が止まる。
突き刺した剣が激しく振動し、私の肩を揺さぶる。
これが、このゲームの「システム」だ。
レベルが、ステータスが、所有するスキンの資産価値が、技術の介入を許さない。
圧倒的な実力差。
名誉ある決闘の様式美を、冷徹な数字が踏みにじる。
騎士は止まらない。
レイピアを腰の横に構え、刺突の予備動作に入る。
彼の足元では、先ほど私が剥ぎ取った手甲のデータが、光の塵となって消えようとしている。
その消失が、彼の攻撃性をさらに引き上げている。
私は地面に突き刺さったままの剣を、両手で握り直す。
振動はまだ止まらない。
刃が削り取った土砂が、白と橙の光を反射して不気味に明滅している。
騎士が再び踏み出す。
一足一刀の距離。
回避のモーションは間に合わない。
パリィの判定も、システムが拒絶し続けるだろう。
だが、私は剣を抜かない。
突き刺したまま、さらに深く、重心を乗せて押し込む。
瓦礫の山が崩れ、足元の不安定さがさらに増す。
定石に従えば、今の私は隙だらけの「ノックバック中」のモデルだ。
騎士のレイピアが放たれる。
空気を切り裂く高周波の音が、鼓膜を突く。
石畳を削る剣の音が止まない。
右腕の筋肉が強張り、呼吸が浅くなる。
前方から迫る騎士のレイピアは、このゲームの歴史と、注ぎ込まれた資本の重みを体現している。
私の持つ低性能の剣は、その輝きに照らされ、ひどく場違いな存在としてそこに突き刺さっている。
システムは非情だ。
どれほど鋭い入力を行っても、キャラクターの背負う「数字」が足りなければ、結果は書き換えられない。
騎士の突きは、私の心臓の位置にあるポリゴンを正確に狙い、加速し続ける。
私は視線を上げない。
ただ、突き刺した剣の柄から伝わる、地面の下の「感触」に集中する。
この広場を囲んでいた建物を破壊した際、地下に空洞があることを、足裏の振動が伝えていた。
古いスタジオが、かつての仕様で作り込んでいた、今は使われていない地下通路の残骸。
今の運営は、表面のスキンを美しく整えることには長けているが、地中の古いコードまで管理してはいない。
レイピアの先端が、私の喉元に触れる。
その瞬間、私は突き刺した剣を右へ、力任せに抉るように回す。
地面の石材が限界を超えて砕け、私の足元から爆発するように土砂が舞い上がる。
私の体が、崩落した地面と共に、暗い穴の中へと吸い込まれていく。
騎士のレイピアは、私がいた場所の空気を空しく貫く。
落下の衝撃。
背中に冷たい水の感触が伝わる。
かつての生活排水路か、あるいは忘れ去られた水路か。
頭上では、騎士が崩れた穴の縁に立ち、無機質なレイピアをこちらへ向けている。
私は水路の中に立ち上がり、白と橙の剣を構え直す。
全身が濡れ、泥が付着している。
しかし、その汚れを反射するように、剣の刃はさらに鋭い橙色の光を放っている。
彼のエフェクト過剰な重装甲が、狭い水路の壁を削り、火花を散らす。
広場という舞台を失った彼は、もはや美しき騎士ではない。
ただの、鈍重な金属の塊だ。
私は水路を駆け出す。
水の抵抗。
不規則なラグ。
だが、ここでは「壁」が味方をする。
剣を壁に突き立て、跳躍する。
狭い空間を立体的に使い、騎士の側面へと回り込む。
水路の暗がりに、白と橙の光だけが揺れている。
騎士が壁からレイピアを引き抜く。石が削れる鋭い音が水路に響き、水面に細かな波紋を広げる。
彼は右肩の装甲を失い、そこには灰色の無機質な素体が露出している。
対等な賭けの証として、剥ぎ取られた銀の破片は私の掌の中で光の粒子となり、そのまま消えた。
騎士が再び地を蹴る。
泥を跳ね上げる音と共に、レイピアの先端が一直線に喉元へ伸びる。
私は剣を地面に突き刺したまま、柄を強く握り込み、右に体を沈める。
突き出された刃が空気を切り裂き、頬のすぐ横を通り過ぎる。
そのまま剣の柄を支点にして、泥の中を滑るように前進する。
騎士の懐に入る。
左手で彼の胸当ての縁を掴む。
彫刻のように作り込まれた金属の感触が、指先に硬く伝わる。
そのまま右手の剣を地面から引き抜き、逆手に持ち替えて胸当ての隙間に刃を突き立てる。
白と橙の光が、騎士の鎧の内部から漏れ出す。
騎士が左の拳を私の横腹に叩きつける。
鈍い衝撃が走り、肺の中の空気が押し出される。
足元の泥に足を取られ、体勢が崩れる。
だが、掴んだ左手は離さない。
剣を捻り、力任せに手前へ引く。
胸当てを固定していた留め具が弾け飛ぶ。
金属の板が重力に従って水面に落ち、重い水音を立てる。
剥がれた箇所から、さらに騎士の素体が露わになる。
彼は一度大きく後退し、背中の壁に激しくぶつかった。
水路の壁に付着した苔が、彼の残った鎧に塗り付けられ、その優雅な色彩を汚していく。
私は口の中に広がる鉄の味を飲み込み、再び剣を構え直す。
水路の奥から冷たい風が吹き抜け、濡れた服を冷やす。
騎士のレイピアは依然として鋭い光を放っているが、その持ち手は先ほどまでの安定を欠いている。
彼は左手で欠落した胸元を隠そうとするが、その指の間からも光の粒子が零れ落ちる。
私は一歩、泥を踏みしめて前進する。
白と橙の刃を騎士の喉元へ向ける。
水路の天井から滴り落ちる水滴が、剣の表面で弾ける。
騎士がレイピアを大きく振りかぶり、決死の刺突を繰り出す。
その動きに合わせて、私は剣を斜め上へと振り上げる。
刃と刃が重なる。
金属が擦れる耳障りな音が反響する。
力で押し切る。
私の剣の重みが、細いレイピアを壁際へと押しやる。
騎士の腕が震え、足元が泥の中で滑る。
そのまま剣先を滑らせ、彼の右腕を覆う手甲を捉える。
引き裂く。
手甲が砕け、光の塵が水面に降り注ぐ。
レイピアが騎士の手から離れ、水底へと沈んでいく。
武器を失った騎士が、両手を壁に突いて激しく呼吸する。
彼の全身からはすでに半分以上のスキンが失われ、不格好な素体と、汚れ果てた鎧の残骸が混在している。
私は最後の一歩を踏み出し、彼の眉間に剣先を突き付ける。
暗闇の中で、白と橙の光が騎士の顔を照らし出す。
そこにはもはや、かつての高貴な美しさはない。
ただ、剥ぎ取られるのを待つ、無力な皮膚だけがそこにある。
剣を深く押し込む。
騎士の全身が激しく発光し、次の瞬間、すべての装飾が光の破片となって四散した。
水路に残ったのは、何も纏っていない灰色の人型と、私の手元に残る冷たい感触だけだ。
水音が止まる。
静寂の中に、自分の荒い呼吸の音だけが響く。
足元に広がる光の粒子を見下ろす。
これが、奪い取ったものの対価。
私は剣を鞘に納める。
泥と水に汚れたこの地下道から、再び地上へ続く階段へと足を向けた。
水面に沈みかけたレイピアを一瞥して、視線を戻す。
灰色の素体だけになった騎士は、壁に手をついたまま動かない。
剣を軽く持ち上げる。
白と橙の光が水面に揺れる。
「お前の恥にならないように、全力をかけてコイツを守るよ。」
それだけ言って、刃を下げる。暴力ではなく、見せびらかしただけの刃物だ。




