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第八話:賢者の依頼と騎士の忠誠

『アルテラの沈黙工房』。

その発見は、暗闇の中に差し込んだ一条の光だった。だが、同時にそれは、エルリックとリアーナに新たな、そして巨大な壁を突きつけるものでもあった。


「……王都の、王立図書館の禁書庫、ですか」

エルリックは、こめかみを抑えながら呻いた。リアーナが頷く。

「ええ。古代帝国の、特に秘匿された魔導技術に関する資料となれば、そこ以外には考えられません。父である国王に頼み込み、閲覧許可を取ること自体は、おそらく可能でしょう。でも……」


問題は山積みだった。

聖女であるリアーナが、古代の魔導技術、それも生命力に関わるような禁断の知識を調べていると知られれば、教会内の政敵にどんな口実を与えるか分からない。「聖女が異端の魔術に傾倒している」とでも騒ぎ立てられたら、全てが終わる。

そして何より、エルリックはギルドから追放され、「二度と王都の土を踏むな」と宣告された身だ。彼が王都に姿を現せば、ギデオンたちが黙っているはずがなかった。


「……詰み、ですね」

エルリックは、あっさりと結論を出した。

「諦めるのは早いわ、エルリック」リアーナは、悪戯っぽく細めた目で彼を見た。「私たちには、最強の『駒』があるじゃない」

「駒、ですか?」

「ヴァレリウス隊長よ」


その名を聞いた瞬間、エルリックは顔をしかめた。

「駄目です、絶対に駄目です! あの人は、私のことをとんでもない大賢者だと勘違いしているんです! これ以上関われば、誤解が天元突破してしまいます!」

「その『勘違い』こそが、私たちの最大の武器なの」

リアーナは、エルリックの抗議を冷静にいなした。

「彼はあなたに絶対の敬意を払っている。そして、王国騎士団隊長という、絶大な権限と信用も持っている。彼ならば、私たちの目的を誰にも知られることなく、禁書庫の資料を手に入れることができるかもしれないわ」


それは、正論だった。正論だったが、エルリックの胃はキリキリと痛み始めた。誤解の雪だるまが、コントロール不可能なほど巨大になっていくのが、目に見えるようだった。

しかし、リアーナの青白い顔と、彼女の瞳に宿る必死の光を見てしまえば、彼に「嫌だ」と拒否する選択肢はなかった。


数日後、エルリックは胃痛と格闘しながら、ヴァレリウス隊長宛の一通の書状を書き上げた。リアーナと二人で、一語一句を慎重に練り上げた、極めて簡素な文面だ。


『拝啓 ヴァレリウス隊長。先日は大儀であった。さて、小生、古の武具の研究に行き詰まっており、古代帝国の金属精錬技術、特に北方の工房群に関する資料を要している。極秘裏に、閲覧の手配を願いたい。賢者エルリック』


「……これで、大丈夫でしょうか」

「ええ、完璧よ」リアーナは満足げに頷いた。「『賢者』なら、これくらい思わせぶりな方が、かえって真実味が増すものよ」

エルリックは、もう何も言うまいと心に決めた。


その書状が、王都の騎士団本部に届けられたのは、二日後のことだった。

執務室で受け取ったヴァレリウスは、封蝋に記された簡素な印を見て、直立不動の姿勢になった。

(……賢者様からの、書状!)


彼は、部下を下がらせてから、まるで神託を開くかのように、恭しく封を切った。そして、そこに記された短い文面に、何度も、何度も目を通した。彼の顔は、みるみるうちに厳しく、そして引き締まっていく。


(『古の武具の研究』……これは、暗号に違いない。先日見せた我が剣『アイゼンヴィレ』から、何かを読み取られたのだ。古代帝国の『金属精錬技術』、そして『北方の工房群』……なんと広範囲な。賢者様は、単なる一つの呪物ではなく、古代帝国が遺した兵器群そのものに連なる、巨大な厄災の芽を追っておられるのだ!)


エルリックの「趣味の研究」という意図は、ヴァレリウスの忠誠心というフィルターを通ることで、「国家の安寧を左右する極秘調査」へと、壮大に変換されていた。

『極秘裏に』という一文が、彼の確信をさらに強固なものにした。


(賢者様は、私を信頼し、この重大な任務の協力者として指名してくださったのだ! このヴァレリウス、粉骨砕身、ご期待に応えてみせる!)


彼の決意に燃える瞳は、もはや誰にも止められない。

その時、執務室の扉がノックされ、副官が報告に入ってきた。

「隊長、報告です。鑑定士ギルドのギデオン派が、辺境各地に調査員を派遣している件ですが、どうやら『高価値な古代遺物』の探索が目的のようです。一部では、現地の冒険者ギルドと小競り合いになるなど、かなり強引な手法が目立ちます」


その報告を聞いた瞬間、ヴァレリウスの中で、二つの情報が電光石火の速さで結びついた。

(ギデオンめ……! 賢者様の追っておられる『厄災』の存在を嗅ぎつけ、私利私欲のために横取りしようと画策しているのか! 賢者様の聖域たる、あのオークヘイブン周辺にまで、奴らの汚れた手が伸びているやもしれん。……断じて、許すまじ!)


ヴァレリウスは、即座に行動を開始した。

彼は、王立図書館の館長に隊長権限で圧力をかけ、それらしい資料を禁書庫からごっそりと運び出させた。ただ手配するだけでは、賢者様への敬意が足りぬ、と自ら内容を検分し、関係がありそうな数十冊の貴重な文献を厳選した。


そして、それだけでは終わらなかった。

彼は、最も信頼の置ける部下たちを数名呼び寄せ、極秘の指令を下した。

「貴様らには、オークヘイブン周辺の森林地帯にて、長期の『対山賊討伐演習』を行ってもらう。表向きは演習だが、真の目的は、賢者エルリック様の『庵』の周辺警護だ。賢者様の静かな研究を妨げる者は、たとえハエ一匹たりとも近づけるな。ただし、我らの存在を賢者様に悟られてはならん。影に徹しろ。これは、王国騎士団の威信を懸けた、最重要任務である!」


「はっ!」

精鋭の騎士たちは、隊長のただならぬ気迫に、緊張した面持ちで敬礼した。


こうして、エルリックがただ「本を数冊、融通してほしい」と願った結果、王立図書館の禁書が外部に持ち出され、王国騎士団の精鋭部隊が、彼の店の警護のために秘密裏に派遣されるという、国家を揺るがしかねない一大事へと発展してしまった。


その数日後の夜。

エルリックとリアーナが、「返事はまだかしら」と不安げに待っていると、店の外がにわかに騒がしくなった。馬のいななきと、重い車輪のきしむ音。

エルリックが恐る恐る店の扉を開けると、そこには、紋章を消した、質実剛健な大型の幌馬車が停まっていた。


そして、その荷台から、月明かりを背負って降りてきたのは、旅装マントを羽織ったヴァレリウス、その人だった。

彼は、積み上げられた木箱――その一つ一つに、王立図書館の禁書印が押されている――を背後に、エルリックに向かって、厳かに敬礼した。


「賢者エルリック様。ご依頼の『研究資料』の、一次分をお持ちいたしました。また、賢者様が研究に集中なされますよう、周辺の『清掃』も、手配済みです」


「…………え?」

「…………は?」


エルリックとリアーナは、目の前の光景が理解できず、ただ呆然と立ち尽くすばかりだった。

頼んだのは、図書館の閲覧許可。

届いたのは、禁書数十冊の現物と、王国騎士団による秘密警護。


誤解の雪だるまは、もはや雪崩となって、エルリックのスローライフを完全に飲み込もうとしていた。

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