81. ”神罰”
それはとある夜のことだった。
「ヘステス、一つ考えを聞かせてほしい」
「なんじゃ」
ラズエイダは宿の一室で行われた魔導講義の最後に、いつものように自分の思考を整理し、論理のあちこちに生えるまとまらない疑問をどうにか形にまとめて、師たるヘステスに答えを求めることとした。
「最近の話題である「物質が魔素を励起状態に置く原理」についてなのだが。今日の話を整理すればとどのつまり、術者と物質の間に形成される魔素的経路を介して術者の脳の一部が物質に作用し、実質的に魔導の発動を継続している、ということになる」
「思考領域の意識外の部分が、じゃぞ」
「それは後日また改めて説明を願おう。私が聞きたいのは、オトが語っていた理論との関係についてだ」
眠たげにしていたヘステスの目に力が戻った。
どうやら質の高い議論に繋がる良い質問を繰り出せていそうだ。
「オトは魔導具が魔導を発動できる理由を、「一度死んだものに命を与え、自律的に思考させるから」と表現していた。ヘステスもこれを正しいものと認めたのだとも聞いた」
前置きとして、いつかオトから聞いた魔導具を作るにあたっての心構えを述べる。
そのまま本題に入ろうとしたところ、ヘステスが「ああ、そのことか」と割って入ってきた。
「安心せい、オトの方は適当にあしらったに過ぎんよ。おぬしに教えた理論が正しい」
ラズエイダは思わずヘステスの顔を見た。
そこにあるのは、全く気負わないいつもの皺の入った顔だ。
「……いや、それはあり得ないだろう」
「ん? 何故じゃ」
「何故も何も」
ラズエイダは籠の中に詰め込まれた荷物を漁った。
目当ての符紙を底に見つけ、引き抜く。
書き込まれた文様にブレがある。まだ起符術に慣れていなかった頃の物だ。
「オトに教わった通りに想像すればしっかり符紙を作り出せたぞ」
机に置き、隣に昨日作った符紙を並べる。
見た目にははっきりと制作者の実力の差異が現れてこそいるが、込められた魔導は全く同じものだ。
「どちらの理論に基づいて魔導を行使しようと、生み出される魔導具の効果に変わりはない。魔導とは想像を具現化するものだろう? なら、「自律」「他律」という異なる想像を基に同じ魔導具が生み出せるということは、この二つの説明が実質的に同等であることを示しているはずだ。ただ、表向き全く食い違う二つをどうやって結びつければ良いのか、私には分からない。この事態をうまく解釈してくれないだろうか」
一度遮られた疑問を吐き出しきって、ラズエイダは一息ついた。
「……」
ヘステスは即座には答えなかった。
老人の眉間に刻まれた皺が、ラズエイダの見つめる先でどんどんと深くなり、戻らない。
これほどまでにヘステスを悩ませる問題だとは思ってもみなかった。何か面白い答えを聞くことができるかもしれない。
回答を待ちわびていると、かなりの時間が経って、ようやくヘステスが目を開けた。
「魔導とは、随分不自由であると儂は思うのじゃよ」
一句一句を噛みしめるように口にしたヘステスは、再び目を閉じ、少しの間動かずにいた。そして、ぶるり、と肩を震わせて長く深く息を吐き、「すまぬ、説明しよう」と怪訝な顔のラズエイダに向き直った。
「おぬしが今挙げたような例は、この世界にごまんとある。ある国で教えられる魔導の原理が、別の国で教えられる原理と全く異なる、ということもある。おぬし、アルタスではどのように風を教わった」
「風の言葉を聞け、と」
ラズエイダは即座に答えた。
フジュロ先生の教えは、ラズエイダの中に今も深く刻まれている。
異なる風魔導への理解を持つはずのヘステスは軽く頷いてみせた。
「それは儂の思う風魔導ではない。儂は、風魔導とは風を調伏するものであると思うておる」
「……そうだな、感じてはいた」
「じゃが、儂が使う風も、おぬしが使う風も、現象は完全に合致するものとなる。おぬしが使う「言葉を聞く」ことで吹かす風も、例えば自然にある風の動きを強めるという効果を持つようにはならない」
「……確かに」
言われてみれば、確かに、アルタスにいた頃も、今こうしてヘステスの講義を頭に入れるようになってからも、風魔導は「風を吹かす」魔導のままだ。
ヘステスが吹かす帆風がラズエイダのものと異なることもない。
オトとの会話を通して気づくことのできた小さな不和は、こうして考えてみれば実にありふれた事象だったのだ。
「全く別の想像を根として具現化される、全く別の魔導として成立してもよいものが、型に嵌まった一種類の魔導としてしか具現化され得ない。これを儂は不自由であると思うておる。……人の想像とは無限の広がりを持つものであるのじゃから、それに呼応する魔導も無限の広がりを持つものであってもよいとは思わぬか?」
そう言ってヘステスは、また目を閉じた。
僅かに身体に力がこもっているのが見て取れる。
憤っているのだろうか、とラズエイダは想像した。
世を通貫する真理を追い求めるばかりに”知りすぎた”ヘステスは、世に満ちる不和を美しくないものとして嫌っているのではないだろうか。
型に嵌まった、という言葉を聞いて思い出すことがある。
魔導はそもそも、型に嵌まったものとして人間に与えられたもののはずだ。なぜなら、現出させるこの世の物質自体が既にある種の”型”に従って構成されたものであるからだ。
例えば土は、石・水・空気・滓の四種類の素材から成る。しかしこの込み入った事実を知らずとも、世の土魔導士は何の問題もなく土を自由に操れる。
そこまでを考えたとき、ラズエイダの脳裏を一つのひらめきが訪った。
むしろ、下手に”型”から外れてしまう方が問題なのではないだろうか。
土であれば、四種類の素材という”型”から外れた場合には、全く性質の異なる砂や岩となってしまう。何も知らない土魔導士が魔導を行使したとき、使い物にならない砂が出現してしまうかもしれない。あるいは、間違った知識を得た状態では人体に害のある土が出現してしまうかもしれない。
創世の神々は彷徨える魂を救済するために人という器を与え、神々に比べれば遙かに儚く脆い人が生きるための箱庭としてこの世界を生み出した。いわば、人の守護者たる存在なのだ。その神々が人に与える魔導は、人の生きる助けとしての役割を持たなければならないはずだろう。
「魔導の詠唱や魔導具の材料もそうだが、魔導というものは創世の神々が定め、その上で我々人間に与えたもうたものであるのだろう? ならば、ある程度は神々の定めた型通りに動くことも当然なのではないか? 時と共に人間はより深く自然を理解するようになるものだろうが、千年、万年前の人間が今の私達と同じように自然を理解できていたとは思わない。そうした、いわば無知である彼らが、無知故に魔導を使えないという不利を、神々は認めなかったのだろう。故に、間違った原理に基づく想像であれ、正しい原理に基づく想像であれ、求める魔導の形があれば一定の型にはまった魔導が具現化されるというわけだ」
ラズエイダは一息に言い切ってから、己の発言に矛盾を探し、それが見つからないことに安堵を抱いた。
自分で訊いておいて自分で答えを出してしまったことに若干の申し訳なさを覚えつつ、しかし一つの結論にまで易々と導いてくれるヘステスの確かな教導の腕に改めて感嘆する。
ラズエイダが語る間、ヘステスは目を丸くしてその口が動く様を眺めていた。
部屋に静けさが戻った後もしばらく表情を変えずにいたヘステスは、やがて苦笑いと共に「聡いのぉ」と呟いた。
「今おぬしが語ったことは全て真じゃ。魔導大矛盾の容認原則、として神学者や魔導学者の間では知られておる。よもや自力でたどり着くとは思わなんだ」
ラズエイダの顔はほころんだ。
手放しに褒められれば、気分も高揚するというものだ。
ヘステスは苦笑いのまま髭を撫で、こう続けた。
「儂にとっては誠に不本意なことじゃがな。いくら本を読み起こる事柄を深く理解したところで、使える魔導は同じであるのじゃから」
不本意と感じるのも無理もないだろう、知識を深めることをこよなく愛するヘステスにしてみれば、その全ての営みに意味はないと突きつけられるような話だ。
そう考えたとき、一つ大きな疑問が生じた。
「……ならば、其方が私に行う講義とは、初めから全て無駄な時間だったのではないか?」
知識を深めたところで魔導が上達するわけではない。
魔導大矛盾の容認原則が存在する以上、こうして世の真理を学ぶ時間は、ラズエイダの放つ魔導の効果に何ら意味を及ぼさない───そういうことになるはずだ。
ヘステスは「たわけ」と即座に否定した。
「そうなら初めから魔導の効果と詠唱だけ叩き込むわ。知識を深めることは、魔導で引き起こす現象を深く細かく想像することに必ず繋がる。さすらば僅かな適性を知り、そしてより効果の高い方法で魔導を放てるようにもなるじゃろう」
聞き覚えがあるな、とラズエイダは記憶を辿り、少し昔にテレミアと合わさったときのことに思い当たった。
こうしてヘステスに魔導を教わるようになったきっかけは、迷宮の中で役に立たない自分を恥じていたときに、テレミアが助言をくれたことだった。
そのときのテレミアが、今のヘステスの発言と同じことを考えていた。
察するに、ヘステスはテレミアにも同じような考え方を伝えていたのだろう。
抱く疑念に、聞かされた弁明を照らし合わせる。
やはり、噛み合わない。
「いくら知識を深めようと、型に嵌まった魔導しか使えないのだろう。ならば型そのものを教える方が効率も効果も高いはずだ。……それどころか」
確かに、深く細かく精緻な想像ができることが魔導の上達に繋がるのは間違いない。上等な魔導というものは、より複雑な現象を、遠くまで、大きく、微に入り細に入り想像して、ようやく形になるものだからだ。
しかし、魔導に神が作った型が存在する以上、必要なのは「引き起こす現象の原理の想像」ではなく、「引き起こす現象の姿の想像」だ。
氷魔導を槍の形で飛ばすためには、「氷が槍の形をとり、敵に向かって飛ぶ」と想像すれば、それで十分なのだ。わざわざ「空気中の水蒸気から形熱を奪うことで生まれる氷を槍の形に出現させ、行使主体である我が身から離れず魔素操作が有効なうちに十分な速度を与えよう」と想像する必要はない。どちらでも最終的に完成する氷槍は型に嵌まった同じものだ。それどころか、余計な想像に思考を割いてしまえば、想像強度が低下し魔導の発動に支障をきたしかねない。
「魔導の上達のためには、むしろ知識を深めてはいけない。違うか」
合理を突き詰めるヘステスが、この矛盾に気づいていないはずがない。
疑問は徐々に違和感となり、違和感はやがてヘステスという人間に対する猜疑となった。
───この講義は純粋な善意に基づいて行われてはいないのではないか。
気づけばラズエイダの顔からも、ヘステスの顔からも、柔らかいものは消え失せていた。
「……おぬしの指摘は正しい。儂の目的は、魔導の上達とは別のところにある」
ラズエイダは右手に剣を生み出しかけて、それをすんでのところでこらえた。
まだ、決定的な局面にはほど遠い。
ヘステスがテレミアや己を騙していたからといって、テレミアをラグーダに売り飛ばしたかどうかは全く確定しない。
「なら、それは何だ」
情報が必要だ。
ラズエイダは宙に浮いていた腰を椅子に下ろし、冷静たれと頭に刻み込みながら尋ねた。
ヘステスは目を閉じた。
固く閉じられた瞼は力のあまりに震えていて、皺の入った顔の中で行き交う葛藤が老人にとってとても重大なものであることをありありと示していた。
張り詰めるような沈黙の後に、観念したようにヘステスが息を吐いた。
「儂から答えを告げることはできん。下手をすれば死ぬがゆえ」
ラズエイダの身体は反射的に強ばった。
回答の拒否、自身の命がかかっているという告白。
それはつまり、悪意を持った他者の指図を暗示するヘステスの悲鳴だった。
知ってしまったラズエイダに向けて攻撃を加えてくる様子がないあたりに、ひとまず現時点で事を荒らげるつもりがないとは察せられた。
ラズエイダはいつでも剣を生み出せるよう右手を構えながら、ヘステスに質問を重ねた。
「何に殺されるというのだ」
ラグーダだろうか。ジャルダだろうか。テレミアの他の兄姉だろうか。あるいは、全く別の存在が背後にいるのか。
あらゆる可能性を脳裏に描きながら、ラズエイダはヘステスの口が動くのを待った。
「神罰」
「……は?」
奇想天外な言葉が現れたことに、ラズエイダは間の抜けた反応をしてしまった。取り繕うように咳を払い、よく締まった場の空気を取り戻そうと試みる。
ヘステスの顔を窺う。
大きく開かれた目に、机の上に置かれたランタンの明かりが反射している。
鋭い眼光に、一切の揺らぎを見いだせない。
「……冗談を言っている様子ではないな」
「冗談ではない。希代の天才魔導士は往々にして早逝じゃ」
それからヘステスが口にした何人かの魔導士の名前は、誰も彼も歴史に名を残す、ラズエイダも当然のように知っているものだった。
「危険視されて、対立する勢力に暗殺されたのだろう?」
少なくとも、学校の授業ではそう習ったはずだった。
ヘステスはふんと鼻を鳴らすだけで、何も言わなかった。
やがて何かを決心したのか、ヘステスはラズエイダに向かって手を伸ばし、肩にその手を置いた。
「おぬしはテレミアやオトと違い、論理的興味の広い素地を持っておる。それを儂はよく分かって、おぬしに世の深みを伝えるのじゃ……こう語ることで、おぬしの中に決して消えない疑問の種が根付くことを祈りながら」
老人の目に浮かぶのは、敵意や嘲りには見えなかった。
「聡明なおぬしであれば、いつの日か儂の頭の中をも理解するのであろう。儂はその日を切に待ちわびておる」
ここまでをお読みくださったあなたに感謝を。




