74. 人格者
そのまま隣の船へと飛び移り、同じように船を燃やして魔導士を潰し、飛び出してくる無謀な人間を斬り殺す。
静かになったところで気配を探るも、こちらにもルカの存在はなかった。
最後に飛び移った船には有能な指揮官がいたようで、甲板上に着地するなり潜んでいた弓兵と魔導士たちが四方八方から攻撃を加えてきた。
手足や胸を貫かれて痛みに視界が霞む中、ラズエイダが叫ぶように「『風よ』!」と魔導を放ち攻撃を遮断した。
生まれた一瞬の隙をついて光の盾の裏側に閉じこもり、治癒魔導で傷を消してしまえば、その後は一方的な展開となった。
〈──〉
「『忍びは敵の息を聴く』」
しかし、相変わらずルカの気配はどこにも見当たらない。
(……既に死んでいるのか?)
(最初に沈めた二隻のほうだったのかな)
(この場にいない可能性はあるか)
(ありえない。これだけの規模で遠征するなら、キャプテンがいないとまとまらない)
(避難用の小舟は)
(旗艦にはついてるか。でも使われた跡がないね)
(ならば───)
二人は互いの知識をもとにあらゆる可能性を検討するも、確信の持てる結論は一向に得られなかった。
(もう海に飛び込んで逃げたとか?)
(一度空から確かめるか?)
二人が痺れを切らして空に舞い上がった直後だった。
「見ろやバケモノォ!」
野太い声が耳を突き刺した。
反射的に顔を向けた先、郵便船の甲板の上に、ルカは立っていた。
「───!」
侵入を許していたことに気づかなかった己の失態への怒りが二人を包み、それはすぐにオトの生死に対する底なしの不安に取って代わった。
風を背に急ぎ郵便船へと舞い降りようとしたところで、ルカが再び叫びを上げた。
「それ以上動いてみろァ、こいつの首が飛ぶぞゴラァ!」
その脅迫を聞いてようやく、二人はドレッシュがルカの構える剣の先に膝をついていることに気がついた。
テレミアやラズエイダに見せていた横柄な態度は影もなく、蒼白な顔を乗せた身体は一回りも二回りも小さく見えた。
青肌の”バケモノ”一匹によってほんの一瞬で炎と血の赤色に塗りつぶされた戦場の中心に立つルカの身体は、恐怖と狂気に塗れて震えを隠せていない。手に持つ剣もガタガタと震えていて、肌に触れて離れてを繰り返す切先はドレッシュの首をまだらな血の色に汚していた。
その光景はしかし、テレミアにもラズエイダにも何の逡巡を抱かせることもなかった。
(僕達が皇国の者だと勘違いしているのか。その思考は理解できるが、哀れなことだな)
(あんな奴より、オトを助けないと)
(ああ、ドレッシュには申し訳ないが───っ!)
いつの間にか視界に映り込んでいた存在に気づいたのは、テレミアだったかもしれないし、ラズエイダだったかもしれない。
微かな違和感に意識を割けば、甲板の上に立つオトの姿が目に飛び込んだ。
そして、彼女が短刀を鞘から抜き払う場面を、二人は確かに認識した。
気配を殺してルカの背後に忍び寄るオトが何を目論んでいるのか、テレミアとラズエイダはそれぞれに想像し、その答えは完全に一致した。
(オトは本当に人格者だな)
(……そうだね)
二人は導き出した答えに従い、両手を上げながらゆっくりと甲板に降り立ち、十歩ほど離れた場所でルカと向き合った。
今にも己の首に刃を向けんとしていた相手が動きを止めたのを見て、ルカの口が三日月のような笑みの形に開いた。
「へ、へへ、物わかりがいいじゃねえかバケモノの割によぉ……」
「……何が望みだ」
「決まってるだろう、俺を逃がすんだよ」
「逃がすとは、どこまでだ」
「そうだな、北のフィランまででいいぜ」
「その後の人質の扱いはどうなる」
「そりゃ当然お前らの行動次第だよ。安心しろ、下手に殺しゃしねえよ。な、お前も死にたくないだろ?」
「ひっ」
「だってよ!」
適当な問答を続け、ルカの注意を引きつける。
血走った目のルカは己の望みが叶う気配を感じているのか、言葉のやりとりにどんどんとのめり込んでいく様子だった。
「貴様、己の犯した罪を知っているのか」
「あ? 知らねえよ。弱ぇ奴らが悪いんだろ、嫌なら俺を殺せば良いんだぜ」
「ただで済むと思うなよ」
「恨み言なんざいくらでも吐いとけ。さぁ、船を北に向けろ。今すぐにだ!」
「……分かった、従おう」
両手を上げたまま、じりじりと操舵室のある方へと遠ざかる。
少しでも怪しい振る舞いを見逃さないためだろう、ルカは目を皿のように見開いている。
オトが身をぐっと縮め、跳ねるように飛び出した。
「さぁ、さぁ、早くうっ!?」
〈──〉
ルカが切り落とされた己の右手に瞠目する一瞬の間に、全ては決着した。
最も効率のいい方法でルカを無力化したオトは、流れるような身体捌きでドレッシュを甲板に転がし、ルカの右手が取り落とした剣の刃からその身を守った。
テレミアとラズエイダはルカの身体を無詠唱で放った氷の杭で縫い止め、そして出せる限りの速さで距離を詰め首を切り落とした。
ドレッシュとオトの座る方に向かう。
「ひぃっ」
「安心して、この人は味方だから」
明らかな怯えを隠せずにいるドレッシュに優しげに声をかけたオトは、顔を上げて微笑んだ。
その頬に涙が流れたあとを見つけて、テレミアは心が締め付けられるような気分になった。
ひし、と抱きついてきたオトを受け止めて、そしてゆっくりと頭に手をかざす。背の高い青肌姿でオトと向き合うと、どうしても子供をあやすような格好になってしまう。
心臓の前で震える小さな声をいつまでもあやしていると、やがて満足したのか、オトは抱擁を解いた。
「助けてくれてありがとう、ミア」
「……名前出しちゃったかぁ」
「あ……ごめん」
「気にしないで」
オトが秘密を明かしてしまったので、テレミアとラズエイダは分かれることを選んだ。
青色の人外から金銀の光が溢れ、その光から見覚えのある赤髪と白髪が現れるという超常の光景に、腰を抜かしたままのドレッシュは何度も目をこすり、信じられないとばかりに首を横に振った。
「俺は、何を、見ているんだ」
「軍に突き出したはずの海賊が自分を海賊から守ってくれたって現実?」
「ひっ」
ドレッシュは途端に恐怖を思い出したのか、まるで病に侵された赤子のように震え始めた。
「どんな気分?」
「わ、悪かった、俺が悪かった、だから許してくれ、殺さないでくれ!」
「そんなことしないよ。仮にもあんたはオトの父親なんだし、殺そうと思ったらとっくのとうに殺してるし」
「ひぃ……」
頭を抱えて縮こまるドレッシュの前に、ラズエイダとオトが立った。
「テレミア、それ以上は不要だ。止めておけ」
「そう。……お父さんは、どうしても私を守りたかっただけだから」
二人の柔らかい声色は、テレミアの中に燻っていた鬱屈した思いをさらさらと融かしていった。
何気なくお父さんと呼んでしまえるほどにオトはこの男に懐いていたのだな、と染み入る感傷を抱きながら、テレミアはドレッシュに最後の挨拶をすることにした。
「ここまで散々お世話になったのは、忘れないけど。タダで旅をさせてくれたのはまぁ事実だし、最後に報いを受けさせられたみたいだし。あとオトに色々教えてくれたのも含めて、何もなかったことにしてあげる」
「……」
返事はなかったが、沈黙をいいように受け取って、テレミアはドレッシュの存在を頭の中から追いやることに努めた。
今重要なのは、オトと今後どうするのか、そしてどうやって皇国軍から逃げるか、の二つだけだ。
そしてこの瞬間に目の前にいるのは、皇国軍ではなく、オトだ。
つまり、ここで山を一つ乗り越えなければならない。
「ふぅー……」
オトと向き合い、一つ息を吐いて、気持ちを切り替える。
「……すぅ」
切り替えて、
「……」
切り替えるとは、つまり、
「……あのねラズエイダ、ちょっと、いい?」
「……お前という奴は!」
どう切り出せばいいのか分からず、テレミアはラズエイダに助けを求めることになった。
勢いに任せて助けに来たのはいいものの、実際に会って何を言えばいいのかは全く考えていなかった。
「オトを守らなければ」が「オトと一緒にいたい」よりも前にあって、その疑いようもない願いに衝き動かされていたのが、ほんの少し前までのテレミアだった。
つまり、テレミア自身は、自分の抱えている葛藤に何ら決着をつけていない。
しかし、既に時間もない。いつ皇国軍が後ろに迫ってきてもおかしくないのだから、逃げるならば早く逃げなければならない。
ラズエイダはテレミアの浮かべる強ばった表情に全てを悟ったのだろう、大きなため息をついた。
「こうなるだろうとは思っていたさ。お前の心の内を占めていたのは「オトを守らなければ」という衝動ばかりだったな。いつまで己を殺せば気が済むのだ、お前は」
おそらく貶されているのだろうが、言い返す方法も分からない。
「言っておくが、私はだな」
「───諸君、少し良いだろうか」
刹那、風が三人を包み込んだ。




