71. 隔離
そうやって何度も繰り返し魔物に挑み、痛みに叫び、傷と枯れた喉をヘステスに治してもらい───としていれば、あっという間に時は過ぎていく。
辛くも充実した修練を終えたラズエイダは、郵便局の事務棟の前でヘステスが出てくるのを待っていた。
荷運びの仕事を終えたあとのテレミアたちはいつも、翌朝に運び出す荷物が積み上げられた搬出用倉庫の中に放り込まれる。ヘステスとともに迷宮で修練を終えた後のラズエイダも彼女たちに合流し、どうにか横になれる場所を見つけて眠るのが専らの流れだった。当然奴隷の身で勝手に倉庫の扉を開けるわけにもいかないから、迷宮から帰ってきた後には毎度こうしてヘステスが事務棟のドレッシュに知らせている。
とはいえ、今夜はさっさと寝てしまうわけにはいかない。オトがテレミアに会いに来るのだ。
二人を引き合わせんと画策した当人がその場にいない、など失礼極まる失態を犯すことはできない。
夜の遅い時間になるとオトは言っていたが、できることなら疲労に瞼を引きずり下されるよりも先に来てほしいものだ。
「どいたどいたぁ!」
ガラガラとけたたましい音と共に、がたいの大きな男がその身体にふさわしい大きな荷車を引いて郵便局の前を駆け抜けていった。
荷台には膝丈ほどの長さに切り分けられた木がこれでもかと積み上げられていた。
ラズエイダは荷車が道の奥へと消えていくのを目で追って、そのまま島の風景に意識を向けた。
ハーダーンは、皇国ディトリーデの長い歴史に幾度となくその名を現す、世界的に見ても価値の高い島だ。
島の大きさこそさしたるものではないが、迷宮から産出されるクロイタという品種の木が、途絶えることのない活気を島に生み出している。
樹皮を剥いで日干しするととても脆くなるクロイタは、細かく砕いて煮ることで上質な紙の原料となる。ペンを滑らかに走らせるきめ細かな表面、そして他島の紙とは一線を画する丈夫さを併せ持つハーダーン印の紙は、北方海域のみならず、世界中で本や記録書簡、魔導具の材料として重宝されている。
もう夜だというのに、海岸線を埋め尽くすように並ぶ製紙小屋の灯りは消える気配がない。今も、波の力を使ってクロイタを砕くための受圧板が所狭しと海の中に伸びてゆらゆらと揺れている。
世界にもここにしかない珍しい光景なのだとどこかで聞いたな、とぼんやり考えながら、ラズエイダは郵便局の正面入口を振り返った。
どうもヘステスが戻ってくる様子がない。
たかだか「奴隷を連れてきた」と伝えるだけなのだから、そうそう時間がかかるものでもないはずだ。もういい加減に出てきてもおかしくない頃だが、どうしたのだろうか。
そのとき、
「───白い髪、首輪……あんたがアラダだな?」
思わぬ方向から聞き慣れない声が聞こえた。
横を向けば、己の名前を呼んだらしい若い男がこちらを手招く様子があった。
「来な。寝床まで連れて行くよ」
「……失礼を承知でお尋ねします。ヘステス様、あるいはドレッシュ様とはどういったご関係でいらっしゃるのでしょうか。お二方のご命令でなければ私めはここを動くわけには参りません」
「ん、ああ、俺はこの島の郵便局員だよ。二番回船のドレッシュ船長に頼まれてんだ。怪しいってんならこれで納得してくれ」
そう言って、男は胸元の徽章を指さした。そこにはもう見慣れた郵便局章が留まっている。
さっぱりした態度と口調に、嘘をついている気配を感じることはできなかった。
「……畏まりました」
一抹の不安を覚えながらも、ラズエイダは男について行くことを選んだ。
連れて行かれた先は、人の気配のない物置小屋だった。
男の手にした鍵の束からいくつもの鍵が試された末に、ようやく滑りの悪い扉がこじ開けられた。男はそのまま床に散乱している桶や箒を片付け、満足げに手を打った。
「うっし、こんだけ空けりゃ、とりあえず横にくらいはなれんだろ」
わざわざ奴隷のために手を動かすという随分と親切な振る舞いをとった男は、ラズエイダを小屋に押し込んで扉を閉めようとした。
「不躾ながら、一つ質問を許してはいただけませんか」
ラズエイダはとっさにそう呼びかけた。
「んぁ? 何だ?」
「私めの他に三人ほど、同じような扱いをされている者がいるはずです。なぜこの身ばかりを別の場所に置くのですか」
男はぽりぽりと頭を掻いた。
「ああ、なんでだろうなぁ。俺も良く分かんねえけど、とりあえず回船長が全員別の場所に分けて鍵かけろって言うから従ってるだけさ」
心臓が大きく跳ねる感触がした。
ドレッシュが自分たちを隔離して閉じ込めることを決断したのだ。オトとテレミアが再会を果たすはずだった夜に。
「っぱ無駄だよなぁ。鍵のかかる小部屋なんか四つもいきなり用意できるかっての。お前ら何か変なことでもしたのか? 預かり荷に手でも出したんじゃねえの?」
「……いえ、そのようなことは決して」
「そうかぁ。ま、何か考えがあんだろうさ。俺もあんたも知る必要ねえよ」
男はラズエイダが冷や汗をかいていることには全く気づかない様子で、「んじゃ、明日の朝迎えに来るぜ」と扉を閉めた。
がちゃり、と鍵の閉まる音がして、足音が遠ざかっていった。
ラズエイダが昨晩から抱えていた大きな懸念の一つが、オトに話したあれこれをドレッシュに盗み聞きされている可能性だった。
二人には、ヘステスのように人避けの魔導は使えない。だから、オトの部屋で話をするときは、オトの気配探知の魔導で近くに人がいないかを警戒しながら必要に応じて声量を小さくし、その上で常に誰かの耳があることを踏まえながら言葉を選ぶものだった。
しかし、昨晩に限って言えば、オトにその余裕はなかったかもしれない。
昨晩、オトが「誰かいる」と警告を発することはなかった。
手本として魔導具を作ったときに、間違いなく一度気配探知を止めなければならなかったはずだ。その後オトは気配探知を再開しただろうか、それともテレミアの話に気を取られてそれどころではなくなっていただろうか。
ラズエイダ自身にしても、かなり大きな声を使ってしまった自覚はある。
それでも、テレミアを守るためにモムルが船員を殴り飛ばした事件をドレッシュが黙殺したこともあり、ラズエイダは「ドレッシュはどうせオトを萎縮させたくないはずだ」とある程度楽観的に構えていた。
もしこのことが、オトを巡るドレッシュによる一手なのだとしたら。
踏み越えてはならない一線を、気づかぬうちに踏み越えてしまっていたのかもしれない。
募る焦燥はどれだけ時間が経っても陰ることなく、暗闇の中でラズエイダはひとり頭を抱えて一晩を過ごした。
扉の錠のガチャガチャとうるさい音で、ラズエイダは目を覚ました。
壁により掛かる窮屈な姿勢で意識を失っていたことに気づき、顔をしかめる。身体を動かすと、案の定重い痺れと不快な強ばりが手脚を走った。
相変わらず滑りの悪い扉が開き、眩しい太陽の光が小屋へと飛び込んできた。
どうにも眩しすぎるな、と感じつつ顔を出すと、そこには郵便局員ではなく見慣れた老人が立っていた。
「ラズエイダか。起きておるな?」
「……ああ」
動きの鈍い身体をなんとか引き起こし、小屋の外に出る。
肌に感じる空気がやけに暖かい。
太陽の位置からしても、既に日の出からかなりの時間が経っているらしい。
「荷運びの仕事には遅すぎないか?」
「黙って儂に付いて来るのじゃ。時間がない」
険しい声色だった。
「手短に話すぞ。儂らを置いてドレッシュは船を出した。じきに海賊を捕まえに皇国軍が動き出す。その前に島を出ねばならぬ」




