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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
三章 「友達」の意味
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67. 伝令官

 その日のうちにこの一件はドレッシュの耳に入ったようで、テレミアとモムルは寝床として指定された船倉から外に出ることを禁じられた。今のところはドレッシュはそれ以上に事を荒立てるつもりもないようで、ひとまずテレミアとモムルの命は何日か分は長らえたらしかった。


 暗い船倉の中、テレミアは筵の上で膝を抱えていた。服は様子を見に来たヘステスに頼んで水洗いしてもらってからまだ乾いておらず、小さく丸まる姿勢が肌寒さに耐えるという意味でも一番楽だった。


 少しでも早く乾くようにと広げた服に弱い風を当てながら、テレミアは細く口を開いた。


「ねえモムル」

「何だ」


 返事は一瞬で返ってきた。


「本当に私は平気だからさ。そんなガチガチになることないよ。寝ちゃいなって、疲れてるでしょ」


 隣に座るモムルは、テレミアに襲いかかった船員を殴り飛ばしてから、ずっと側を離れようとしないでいる。


「んなことできっかよ」

「できるできないじゃなくてさ。見張りをしてくれるにしても、せめて少しは寝ないと明日まともに動けないでしょ。また荷運びするんだよ」

「一日二日寝ないくらいで弱るような鍛え方はしてねえな」


 テレミアは、「強情だね」という言葉を喉の手前で引っ込めた。

 正論にも折れないときのモムルを言いくるめるのはとても難しい。

 己の方に強い意思がないときは、なおさら。


 一度吸い込んでしまった息に乗せるための別の話題を探す。

 行使している風魔導のことが真っ先に思い浮かんだ。

 

「……アラダ、遅いね」

「最近爺さんが教育にお熱だからな」


 モムルがそっけなく答えたとおり、ここ数日ラズエイダとヘステスは一日のかなり長い時間を魔導の訓練に割くようになっていた。

 ラズエイダに新しい魔導適性が見つかったことが、その大きな理由だ。


 起符術、と呼ばれるその魔導は、多様な魔導具を作ることができるものらしい。誰でも特定属性の魔導を扱えるようになる魔導具や、簡単な治癒の力を発揮する魔導具、などが有名な部類───とラズエイダの記憶の中でヘステスが語っていた。


 自らの弱さをよく理解しているラズエイダは、この力を決して無駄にするまい、と熱心に修練に励んでいる。幸いにも低くない適性を持ち合わせていたらしく、急いで買い集めたらしい素材から作れる簡単な魔導具については、その大体を完成させられているようだった。


「第一、俺達のところに来れるのかも分かんねえしな。オトはあいつと会えるんだろ? ドレッシュがオトに俺達と近づいてほしくないなら、二人まとめて俺達から離しとくぜ、普通は。ちょうどおあつらえ向きの口実も手に入ったしな」

「……はは、そうかも」


 乾いた笑いを交えた返事が宙に溶けていく。

 ファンエーマが顔を上げたのはその直後だった。船倉の外に向けて耳を澄ませ、やがて小さく息を漏らす。


「アラダ様がいらっしゃるようです」

「……噂をすれば影ってね」


 ファンエーマに倣って扉の方に耳を向けても、何の音もしない。聞こえてくるのは船を打つ波の音と木材の軋みだけだ。

 それでも、もうしばらくもしないうちにラズエイダが扉を開けてひょっこり顔を出すのだろう。ファンエーマの優れた感覚が彼女の主君を間違えるところを、テレミアは未だに知らない。


 テレミアは身体を起こして、左腕に盾を生み出した。

 

「都合のいいこった」


 決して嬉しそうではないモムルのつぶやきには触れてやることなく、テレミアは船倉の扉の前に立った。

 今夜ばかりはどうしても、さばさばしたラズエイダの感情が恋しかった。

 


 少しして、テレミアの耳にも規則的な足音が飛び込んできた。

 扉が開き、ランタンの光が差し込み、灯りの幅が膨らむ。


 ラズエイダはまずランタン、次に手に抱えた紙や革の魔導具をファンエーマに託して、そしてテレミアの前に立った。


「すまない、遅くなった。ドレッシュと一悶着あってな」

「こっちには来るなって?」

「ああ。よほどお前達とオトを引き剥がしたいと見える。そのオトに反抗されて、最初の決意は見る影もなかったが」


 テレミアは思わず目を丸くした。


「オトが?」

「ああ。「アラダをミアと会わせないなら、私が勝手に会いに行く」とな」


 ラズエイダが口にしたオトの言葉は、彼女の心がまだテレミアの側を離れていないことを示しているように思われた。

 それが過ぎた思い込みなのかもしれない、という悲観的な思いを、テレミアは頭を振って払い飛ばした。


「別に来てくれてもいいのに。オトなら気配を消していつでもここまで来れるよ」

「オトなりに、お前達のことを考えて立ち回っているのさ。いくらお前達に会いたくても、船の中では素直にドレッシュに従う方が安全だとわかっているのだろうよ。互いに譲歩できるのが、私という伝令官を置くことらしい」


 ラズエイダはファンエーマの手によって綺麗に並べられた魔導具から一枚の紙を抜き取り、テレミアの方に差し出した。

 見慣れた身体強化の札だった。


「そろそろ補充しないと効力が切れるから、と渡されたものだ。ほら、受け取れ」

「……ありがとう」


 テレミアは札をそっと受け取った。

 オトの作る札の効き目は大体半年ほどは残るはずで、今テレミアが懐に忍ばせているものはまだ三ヶ月も経っていない。

 それなのに新しい札を渡すことには、それなりに意味があるのだろうか。

 意味があるのだと思ってもいいのだろうか。


「オトに伝える感謝はそれだけでいいか?」


 心の奥底から湧き出る感情に、ラズエイダが冷や水をぶっかけてきた。

 

「……何、お涙ちょうだいの名演説でもくれてやれって?」

「そんなことは言っていないさ。オトに頼まれただけだ、ミアがなんて言ってたか教えて、とな」


 肩をすくめたラズエイダは右手に剣を生み出した。

 

「最近はお前にオトのことをあれこれ訊かれ、オトにはお前達三人のことを根掘り葉掘り訊かれ、いい加減口がすり減りそうだ。さっさと合わさろう、そちらの方がずっと楽でいい」


 そう言ってラズエイダは手を伸ばしてきた。大きなため息をつきながら、テレミアはラズエイダの手に自分の手を合わせた。


 迸る金と銀が意識を埋め尽くし、そして一瞬で晴れ渡る。


 即座にテレミアはラズエイダの記憶を辿り、そこに映るオトの姿を余すことなく我が物とした。


(……お前の身に起こった一件を耳にしたのだろうな、今日は一段と会いたがっていたぞ)

(みたいだね。……嬉しいよ、うん)

(嬉しい、と。それはオトに伝えてもいいのか?)

(……まぁいいかな。これくらいなら、オトを説得する感じにもならないし)


 ラズエイダの呆れがテレミアの心を舐めていく。


(オトは恋しい、しかし説得したくない……相も変わらず、お前の思考は複雑怪奇だな)

(何とでも言ってよ。考える時間だけはいくらでもあるんだもん)

(その有り余る時間で思考が前に進んでいればだな……)

 

 考えをすべて言葉に組みあげることなく、ラズエイダは思念を途中で萎ませた。

 どうしたのか、と訊くよりも先に、別の言葉がラズエイダの思考から産み落とされた。


(……やはり疲れているようだな)


 その言葉の裏には、配慮や同情と呼べるような感情が見え隠れしていた。


(……わかる?)

(わかるも何も、お前の心から漏れ聞こえてくる)

(私もヘステスに疲れを飛ばしてもらえばよかったかも)


 冗談めかして返すと、ラズエイダの感情に怒りの色と心配の色が強く混じるようになった。


(心がそう伝えてくる、と言っただろう。感情に溌剌さがない、といえばいいか?)


 心を通わせる二人の間に嘘や隠し事は存在し得ない。

 何度も何度も陽と陰を行き来し、徐々に陰から抜け出せなくなってきたテレミアの心の内は、ひとたび身を一つにしてしまえばすべてラズエイダの知るところになる。

 今更それをどうこう思う感情もないとはいえ、調子よく居続けるのもまた難しいことだった。


(不思議なやつだ。そんな打たれ弱い心で、お前はどうして海賊などという身分で生きてこられたのだ)


 どこかで聞いたような問いだな、と思いながら、テレミアは真っ先に思い浮かんだ答えを素直に返すことにした。


(さあ。私はこれ以外の生き方を知らなかったから)


 ラズエイダは少し考えて、やがて何か結論を導いた。


(……ヘステスの教育の賜物だな)


 即座に意味を理解できず、テレミアはラズエイダの思考を読み取ろうとした。

 それよりも先に、ラズエイダが説明を付け加え始めた。


(僕はニラギで同じことをヘステスに問うただろう。「どうして、海賊など下賤な身分に甘んじていたのだ」と。あのとき、ヘステスはまるで自分の生き方を悔いているかのような答え方をした。そんな男が手塩にかけて育て上げた一人娘が、お前というわけだ……ニラギで民がどれほど必死に生きているかを目の当たりにし、ディトリーデで海賊と呼ばれる強欲で暴力的な搾取者がどれほど嫌われるのかを身を以って感じ、自分の生き方を恥じるようになった、のだろう?)


 違う、とは思えなかった。

 

(心にさざ波すらたてずに人を刺し殺せるというのに、なんと軟弱なことか。海賊として人から奪い人を殺すことを日常として生きてきた割に、そうした悪事を忌避する感情を宿してもいる。友愛と冷徹、情と合理が実に不安定な形で共存している。ヘステスが理想とした真人間に、お前は確かになってしまったのだろうよ)


 何も言い返せないでいる間に、ラズエイダは畳みかけるようにテレミアという人物のつくりを底から全て暴いていく。


(身を襲う暴力に海賊らしく暴力で返すことを選ばないというだけで既にどうかしている。お前なら如何様にでもかの男を片付けられたはずだ。自分の身体を他人に明け渡すとは、贖罪のつもりか? あまり頭のいい方法ではなさそうだが)

(贖罪なんて、そんな)

(何を否定しようとしているのだ)


 思わず噛みついても、ラズエイダはただ静かに切り返すだけだった。


(改めて言おう。お前は海賊としてのお前自身の生き方を恥じている。だからこそ、お前はオトに何も伝えられないでいる。過去の己の所業を罪として認めない限り、オトに合わせる顔がないというのだろう? 罪に塗れたお前との人生を選ぶのか、罪と無縁の清廉な皇国民としての人生を選ぶのか、オトに()()()決めさせるためには。そういう考えでいる限り、お前自身の思いは既に一方に傾いていそうだが)

(……)


 返す言葉もなかった。

 実際、こうやってラズエイダが編み上げたテレミアの思いは、テレミア自身が言葉にすることを恐れていただけで、何もかも正しいのだから。


 なら、オトとは別れてしまうべきだろうか?


(……うぅ)

(腑に落ちるが、しかしそれで納得したくもない、か。人の心とは難解だな)


 二人の口からため息が漏れた。

 ラズエイダの憐憫とテレミアの苦悩が、吐き出された息の重さに(かたど)られていた。


(結論を急ぐ必要はない。よく休め、僕がうまくやるから心配するな)

(……うまくやる、って?)


 答えを読み取るよりも先に、ふっ、とラズエイダの意識は抜け落ちていった。

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