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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
三章 「友達」の意味
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63. 熱情

「おぬしは不必要にオトを奪われかけた挙げ句、カラバラーセという島に辿り着くまでの長い時間儂らの命を危険に晒すこととなったわけじゃ。ど阿呆めが」

「……不必要なんて」

「不満であれば言い換えてやろう。考えなしに、の方が好みか?」


 反論を思いつかず、テレミアはただ黙って顔を俯かせた。


「少しは頭を働かせてみればどうじゃ。六人分の命と血の繋がっているかすら定かでない他人同士の縁、どちらに価値があるかなど犬でも分かるわい」


 船に戻ってヘステス、ラズエイダ、ファンエーマの三人に事情を説明してから、既にそれなりの時間が経っていた。

 冷たい声に苛立ちを色濃く浮かべるヘステスは、縮こまるテレミアに向かって延々と雷を落とし続けている。


「合理をどこに忘れてきたのじゃ、目先の情に食われてはならぬ、後先考えずに直感で動くな……儂はおぬしにあと何度言い聞かせればよい」

「ごめんなさい」

「儂に謝っておぬしが行動を改めたことはあるか? 刑場で泣いて謝っても遅いのじゃぞ。皇国の処刑方法が絞首か斬首か、はたまた海に放り捨てるのかは知らぬが、謝罪を聞き入れるような寛大な執行者はおるまい」

「……ヘステス。私も悪かったから、ミアを許してあげて」

「これはテレミアの問題じゃ。人間誰しも完璧ではない、おぬしのように間違いを犯す者もおろう。それを全てひっくるめて操れるようでなければ、テレミアに未来はない。故に儂はおぬしではなくテレミアを叱らねばならん」

「……う」


 オトのおっかなびっくりの助け船は一瞬で撃沈して、そしてヘステスはまた一回り小さくなったテレミアを見下ろす姿勢を取った。

 ヘステスの方が圧倒的に正しいことは分かっている。テレミアはせめてしおらしい態度は隠さないようにしようと、素直な感情を全身に被ってただその場に項垂れた。


 そのときだった。


「その言い方なら、私達はテレミアも完璧ではないことを許容しなければならないのではないか?」


 ラズエイダの明朗な声が甲板の上に響き渡った。


「ほう?」


 ヘステスが視線だけを向けた。


「テレミアを庇う、と?」


 ラズエイダはひょいと肩をすくめた。

 賢人ヘステスを前に、挑戦的な姿勢だ。


「海賊という身の上を不用意に明かしたことを擁護するつもりはない。しかし、主君というものは配下を率いる責任を負う代わりに、好きなように配下を動かし、頼る権利を持つものだろう。少なくとも、私はそうやって己を律してきた」


 かつてのラズエイダは、沢山とは言えずともテレミアよりは余程大勢の配下を従えていた。

 そうした背景を持っている彼の台詞には、ヘステスをも黙らせるだけの重みがあった。


「翻って、配下……テレミアの言葉を借りれば、仲間か。仲間というものは己の身の上に責任を持たない代わりに、頼られたときには応えなければならないという義務を持つものでもある。……完璧でない主君を仲間達が助ける、それでよいではないか」

「儂がテレミアの頼みに応えてこなかったと?」

「昔の話は気にしてなどいない。今テレミアの求めに応えようとしているようには見えない、そのことを指摘している。今私達が成すべきはテレミアを叱って時間をすり減らすことではなく、「魔導士ヘステスと海賊上がりの三人、それと奴隷の二人」という演劇をそつなくこなすための準備ではないのか?」


 ヘステスは黙って髭を撫で、そしてラズエイダをじろりと見つめて「おぬしが正しい」と呟いた。


「テレミア、おぬしは恵まれておる。せめてそう肝に銘じておけ」


 そう言い残して、ヘステスは船室の方に向かっていった。

 甲板に余韻を残す言葉は、テレミアには少し恨めしげにも聞こえた。


 それほどの間を置かずに、ラズエイダが改めて声を発した。


「さあ、明日にはもう郵便船に乗ってここを発たねばならないのだろう? さっさと荷物をまとめて、”演劇”の設定を共有する時間を作ろう」


 奇妙な沈黙が降りたのを受けて、ラズエイダはテレミアの肩を叩いた。


「ほら、お前がキャプテンだろう」

「え、あ、うん」


 慌てて、テレミアは気を取り直した。

 一つ咳払いを挟んで、そして「みんな、よろしく」と発する。


「なんか締まんねえな」

「……うるさい」


 モムルの呟きに反発して、テレミアは自分の荷物を整理しに向かった。




 片付けが終わったのは日が沈んだころだった。

 甲板に山と積まれた、というにはいささか少なすぎる荷物を眺めながら、テレミアは静かに木箱に腰掛けていた。


 ふと隣を通りかかった影があったので、テレミアは彼に声をかけることにした。


「さっきはありがと」


 話しかけられたラズエイダは足を止め、そしてテレミアの側に腰を下ろした。

 ふわり、と風がテレミアの肌を撫でる。


「お前が不憫だったからああしたわけではない。合理を好むヘステスが不合理を選んでいたから、それを諫めてやっただけだ。そもそも、私だってお前の勝手な振る舞いには少し呆れているしな」

「……ごめん」

「謝ってどうこうなるものではない、とはヘステスも言っていただろう。行動で示すんだ」


 行動で示せ、というのが何を意味するかは、テレミアにもよく分かっている。

 不用意で、直情的で、向こう見ずな部分をなくしていかないといけない。


 ニラギの麦の島で、ヘステスはテレミアのことを「情に篤すぎる」と評していた。

 テレミア自身にそのつもりはなかったが、振り返ってみれば確かにその通りなのかもしれない。

 情に目をくらませた結果が、このオトを巡る勝ち目の薄い争いなのだから。


 女将が取り決めてくれた「オトを説得できなければ全て諦める」という条件を、女将の見ていないところでドレッシュが守るとは思えなかった。ドレッシュにしてみれば、オトを確保して、あとの残りカスは怨嗟が囁くままに始末してしまうことに、何の障壁もない。

 そうならないように、これからテレミアはドレッシュの身にこびりついた十五年の恨みを晴らし、己の方にその心を靡かせなければならない。決して簡単なことではないだろう。


 憂鬱な思いを抱えるように、テレミアは膝を抱えて小さくなった。


「だがな」


 ラズエイダが逆接の言葉で空気を揺らした。


「お前は決して、大きく変わる必要はないんだ。理性的であろうと努力しながらも、心の叫びをかき消すことができない。私が遙かな昔に捨てざるを得なかった、人として生きるための眩しい熱情を、まだ心に宿している……それを失ったとしたら、お前はきっとお前ではなくなる」


 そっと見上げたラズエイダの瞳には、憧憬の色が浮かんでいた。

 失ったものを懐かしむ、そんな姿を見てとって、テレミアは思わず「でも」と言い返していた。


「遙か昔に捨てた、っていうけどさ、あんたが私に教えてくれたんじゃん。仲間を大事にしろって」


 二人が初めて合わさって心を通わせたその少し後。ラズエイダが「命を賭けてでもお前の仲間を救い出せ」と発破をかけてくれたから、今テレミアはここにいる。

 あのときのラズエイダの瞳に浮かんでいた激情は、今もテレミアの記憶に鮮明に残っている。その感情が「失ったもの」だとは、とても思えなかった。


「あんたにだって、まだ残ってるんじゃないの」


 問われてラズエイダは微かに笑った。

 自嘲的な笑みに見えた。


「かもしれないな。だが、私は間違いなく、一度心を捨てたんだ。自分がのうのうと生きていることを忘れるために、そうせざるを得なかった」


 小さな声だった。


「どうしてか、分かるか」


 答えは、テレミアの中にあるラズエイダの記憶が知っている。


「……みんな、(あんた)のせいで死んだから」


 織り重なっていく配下たちの死が、ラズエイダの心を取り返しもないほどに痛めつけたのだと。


 ラズエイダの瞳にほの暗いものが閃いた。


「正解だ。対して、お前はまだ誰も失っていない。私が失ったものを、お前はまだ全て持っている……お前は、あの三人のうち誰一人、失ってはいけない。忘れるな」


 それが言いたいことだったのだろう、ラズエイダは立ち上がって、背筋を伸ばした。

 そのまま元々の目的地に向かって歩き去ろうとしたラズエイダは、しかし何かを思い出したらしく、足を止めて振り返った。


「それと」


 テレミアの耳元に口が寄せられた。


「裏切り者をこちらに寝返らせるために”仲間思い”の姿を演じたのだとすれば、お前は上手くやっているさ」


 他人に聞かれてはいけないからだろう、囁くような声だった。


「……」

「何だ、違うのか?」


 違う。

 そんな大層なことなんて考えてなかった。

 ……と正直に言ってしまうのは、どうにも勿体ない気がした。


「そういうことにしておこっかな」


 もしも心が繋がっていたならいとも簡単に本音を読み取られて、皮肉が飛んできていたかもしれない。

 心が離れているからこそ、こういうむずがゆい感情を大切にできるのだろう。


 ふん、とラズエイダは鼻を鳴らした。


「まあ、狙っていようがいまいが、どちらでもいい。今は窮地を切り抜けることに力を注ごう」

「あんた、良い奴だね」

「……誰のおかげだろうな」


 ラズエイダは呟いて、そして今度こそテレミアの前を去って行った。




 翌日の朝早くに港湾局の人間がやってきたので、テレミアは金貨五十枚を支払って船を明け渡した。これだけ支払ってもニラギでもらった分の金はまだたくさん残っていて、今のところは旅費の心配をする必要はなさそうだった。


 六人はそれぞれ荷物を背負うなり手に抱えるなりして、ドレッシュに指定された集合場所に足を運んだ。

 港の側にある倉庫にも似た構えの建物には、大きな羽ペンの飾りが付けられていた。

 昨日ドレッシュが見せてきた郵便局章というものにも羽の模様がついていたが、あれはきっと羽ペンを由来としていたのだろう。


 建物の中から桟橋の方へせわしく紙の束や荷物を運び出す人の流れを眺めていると、近くの扉が開く音がした。


 出てきた男はオトの姿を見つけて、表情を引き締めた。


「来たか」

「ふむ。お主の顔は覚えておるぞ。よもやオトの父親だったとはの」


 ヘステスが先に立つ。テレミアはその後ろに引き下がって、昨日取り決めた設定通りに彼の下僕らしい立ち振る舞いに努めた。


「あんたは……ああ、魔導士か」

「いかにも。オトの監督者の魔導士じゃ。名をヘステスという」


 ドレッシュはヘステスを見下ろすような格好でしばらく何かを考えた後、ひょいと右手を差し出した。握手のつもりらしい。


「……ドレッシュだ。よろしく頼む。南西部局第二番回船の船長をやらせてもらってる。あんたがこのことをどう思ってるのかは知らんが、海賊を相手にして三人も生け捕りにできるような実力者と対立しようとは思わない。仲良くしてくれ」


 ヘステスが同じように右手を伸ばしてドレッシュの手を握った。


「ま、旅の足になってくれるというのじゃから、儂の方に文句はない。せいぜいこやつらは船賃程度にこき使うがよい。人並みの仕事ができるよう躾はあれこれ済ませてある、手紙の宛先くらいならば読めよう」

「そっちの二人は? 首輪が付いているあたり、奴隷のようだが」

「儂の奴隷じゃ。別に海賊との関わりはないが、似たような事情で抱えておる。人手が欲しければ貸してやっても良いぞ」


 手を離したドレッシュは「そいつぁいい」と改めて二人の奴隷を見やった。ラズエイダについてはチラリと見ただけですぐに興味を失ったようだったが、ファンエーマのことは舐めるように見つめている。


「荷の積み込みに積み下ろしが一番忙しいもんでな、今すぐにでも借りていきたい。特に女の方は槍を背負ってるあたり戦闘用の奴隷だろう、力仕事にも使えそうだ。対価がどれほどか聞いても?」

「む。そうじゃの……船に本かそれに相当するものは積まれておるか?」

「探せばあるかもしれないが、断言はできない。本が欲しいのか」

「読ませてくれればそれでよい。船を失った今、荷物をやたらと増やすわけにもいかぬしの」

「その程度で良いなら大歓迎だ。借りるぞ」

「うむ。こやつらを汚すことだけはするでないぞ」


 ヘステスはいかにも彼らしい対価を要求して、それで交渉は決着したようだった。

 黙って立っていたテレミアたちの方にドレッシュがすたすたと歩み寄ってきて、そしてオトに目を向けた。


「まずはオト、お前には船が出るまで事務棟で仕事を頼みたい」

「!」

「話は通してある。とりあえず中に入って、正面の机にいるアドラーって奴に話を聞いてくれ」


 一人きりにさせられてしまうことに少し抵抗を覚えたのか、オトはすぐには返事をしなかった。

 しかし他に何ができるわけでもない。


「……分かった」

「良い子だ」


 オトはテレミアにだけ聞こえるように「がんばって」とささやき声を残して、そしてドレッシュが指し示した事務棟の中に消えていった。


 扉が閉まったすぐ後、ドレッシュはすっと顔から丸みを消し去って、刺々しい態度を浮かべた。


「おい、お前ら、よく聞け。今はこの集荷場に集められた郵便物を船に詰め込んでいるところだ。まずは桟橋に荷物を運ぶ。次に甲板まで吊り上げる。その後は行先に沿って仕分けして船倉に詰める。お前らは荷運びと吊り上げの役だ。いいか、荷物を乱暴に扱うなよ」


 オトにだけは事務棟での仕事を与え、他の面々は力仕事に従事させる。

 ドレッシュがとった態度はあまりにも分かりやすいものだった。


「……露骨だな、ええ?」


 堪えきれずに思わず本音を呟いたモムルの背中を叩いて、テレミアはその口を閉じさせた。


「先に客室に連れていってはいただけませんでしょうか、このような荷物を抱えては仕事もままなりません」


 ラズエイダが問いかけると、ドレッシュはわざとらしい舌打ちを放った。


「テメエらに客室なんざくれてやれるわけもねえだろうが。適当な空き倉庫で雑魚寝だ」

「……この身の扱いなど如何様にしてくださっても構いませんが、それでも、少なくともヘステス様のお部屋はありますでしょう。そこに荷物を置く許可をいただいております」


 ラズエイダはため息を押し殺し、冷静さを保ったまま別の切り口から要求を通そうとした。


「甲板の隅にでも置いとけ。誰も盗ろうなんざ思わねえよ、テメエら海賊とは違ってな」


 冷たく答えたドレッシュの両目には冷ややかな光が湛えられていた。

 これからの日々は、どうしたって楽しいものにはならなさそうだ。

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