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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
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10. 黒髪

 テレミアの目の前に槍の穂先を包むように氷の壁が出現していて、それで攻撃が阻まれていた。


「双方、そこまでじゃ」

「何者ですか」


 力任せに槍を氷塊から引き抜きながら女が問うた。


「こやつらの、ま、相談役といったところかの」


 尻餅をついたテレミアの横を、ヘステスがスタスタと歩いて行く。


「こう言っては何じゃが、お主と戦えば儂らに勝ち目はない。見逃してはくれんかの」


 見逃してくれと乞い願う割には、やけに明るい声色だった。

 女も同じようなことを思ったようで、返す言葉には若干の苛立ちが含まれていた。


「わざわざ出てきて何を言うかと思えば、それは命乞いですか?」


 ヘステスは女の威圧を気にすることなく、まるで露店の店主と会話をするような具合で語りかける。


「ああ、誤解はしてくれるな。お主の見えないところで既にその子どもに狙いを定めている者がおってな。仮にお主が儂に手を出せば、即座にその子は散り散りになるぞ、文字通りな」

「なっ!」


 ヘステスが言うのはきっと、オトのことだろう。

 少年に狙いを定めているというのは本当だとしても、遠距離から標的を『散り散り』にするような術を使えるとオトの口から聞いたことはないから、ヘステスはそれなりにはったりを利かせている。

 しかし、そんなことを知るよしもない女には、さらに敵が潜んでいるという情報は効果覿面だった。

 槍がゆっくりと下ろされる。

 とりあえず、この場は助かったらしい。


「とは言え、儂らがうっかりその子を手にかけてしまえば、お荷物を抱えずともよくなったお主は怒りに任せて儂らを簡単に殺しきるじゃろうな。つまり、今儂らは互いに手出しのできぬ状態にあるというわけよ」


 女は苦虫をかみつぶしたような顔で言葉を絞り出した。


「既に殺したにもかかわらず、今更「うっかり手にかける」などと言いますか。白々しいにも程がありますね」


 ここでようやくテレミアにも女の主張が飲み込めてきた。

 少年に仕えているらしい女は、どうやら少年が私たちに殺されたと思い込んでいるようだ。


 剣を油断なく構えたまま、テレミアは二人の会話に口を挟んだ。


「そいつだけど、たぶん気絶してるだけだよ」

「……なんですって?」

「私の経験上ね」


 テレミアが見たものが正しければ、少年は剣が解けて生まれた光に包まれて、その後に倒れたはずだ。同じようにしてテレミアも意識を失っているのだから、ほぼ間違いないだろう。


 女はさっと身を翻して少年の元に駆け寄り、彼の口元に手を当てた。息があるのを確認しているらしい。

 やがて自分の勘違いを理解したのか、ぴくり、と女の肩が震えた。


 顔を上げた女はばつの悪そうな表情を浮かべる。


「……大変申し訳ないことをしました。非礼を詫びねばなりませんが、私どもは事情を抱えた身でございまして、大した金品の持ち合わせがありません。どうかご容赦いただけないでしょうか」

「ならば詫びの印として一つ願いを聞き入れてはもらえぬかの」


 せめて汚い言葉で文句を垂れてやろうとテレミアが口を開く前に、ヘステスが威厳のある声で答えた。

 まるでこうなることが分かっていたようだった。


 軽々しかった雰囲気をいつの間にか塗り替えていたヘステスはしっかと女の目を見て告げる。


「儂らのことはすっからかんに忘れて欲しい。どのような見た目をしていたか、どのような声をしていたか、どのような武器を振るっていたか。一切合切、な」

「それだけで構わないのでしたら、是非に」

「うむ」


 神妙な顔で女は頷いた。


 テレミアの心には、ふがいない自分を恥じる気持ちが湧いた。

 ヘステスはテレミアを守ってくれたどころか、盾を見せてしまうという失態の尻拭いをしてくれようとしているのだった。

 

「とは言え」


 おもむろにヘステスが言葉を続けた。


「儂はちとビビりでな。儂らの与り知らぬところでポンポン吐かれることがないという絶対の保証が欲しい」


 何を企んでいるんだろう、と眺める先でヘステスは再び軽薄な空気を纏い、目を細めて楽しげに喉を震わせた。


「さて、お主が守るところの子どもはなんとも珍しい見た目をしておるな。漆黒の髪とは、儂も噂に聞いたことしかないが」

「!」

「この辺りの海域ではまず見かけぬのぉ」


 少年の髪の色は、確かに夜の闇によく溶ける深い黒色をしていた。

 そういった髪色を、テレミアは生まれてからあまり見た記憶がない。見かけるのも黒というよりは、黒っぽいこげ茶色がせいぜいだ。


 女が握る槍が細かく震えるようになった。

 これまでのどんなやり取りよりも、ヘステスが何でもないかのように指摘したたった一つの事実が、女にとっては何よりも恐ろしいようだった。


「ま、深くは訊かぬよ」


 沈黙に飽きたか、ヘステスが肩をすくめて呟いた。


「……皆様は、国の手の者ではないのですね?」


 女の声は緊張のためか掠れていた。

 ヘステスは更に畳みかける。


「違うのぅ。じゃが、お主らの国の者への伝手などいくらでもある」

「っ」

「勿論お主らも、儂らが情報を漏らしたと判断した時点で何を語るも自由というわけじゃから、これは対等な取引と思ってもらってよいぞ。互いに互いのことを忘れる、というな」


 女はついに槍を放り捨て、地面に平伏した。


「仰せのままにいたします。ですので、どうか、どうか、私どものことは口外せずいただきますよう、お願い申し上げます」

「それはそちらの行い次第じゃの。安心せい、儂らかて危ない橋を渡っておるのじゃ。むやみなことはせぬよ」


 それを言い切ったあと、ヘステスはぎろりとテレミアに冷たい視線を向けた。

 むやみなことはするなと釘を刺したいのだろう、とは流石にテレミアにも分かった。


「さ、追われている身なのであろう? さっさと隠れ家にでも戻るがよい。儂らも宿に戻るとしよう」


 そして、ヘステスは女に背を向け、悠々と路地裏を歩き出した。

 テレミアとモムルも慌てて後に続く。


「さてテレミア、儂の言いたいことはわかっとるじゃろうな」

「……はい」

「おぬしは昔から後先を考えずに手を出す癖がある。改めよと言い聞かせてもう何度目かのう」

「ごめんなさい」

「謝罪などいらぬ。いい加減覚えよ」

「はい」

「……はぁ。これでは本当に先が思いやられる」


 ヘステスの叱責はいつも彼の体力が許す限り続く。

 そのどれもが正しいと分かってしまう以上、テレミアには何を言い返すこともできない苦しい時間となるのだった。


 やがて、十字路を折れる。


 最後にちらっと少年の方を見ると、どうやら彼は目覚めたようで、女が抱きついて泣いているのをなだめているところだった。少年が無事であったことを確認してほっと胸をなで下ろす。

 

 ただ、それも束の間に「聞いておるのか」というヘステスの声がテレミアの鼓膜を貫いて、わずかな安堵はすぐに萎れてしまうのだった。


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