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3.ターロの君とファーリューラ 6





 年端もいかぬ幼い少女の姿でありながら、不思議な程に大人びた印象を受ける微かな笑み。青金石の如き瞳は、底知れない程に深く蒼く、真っ向からこちらを見詰めていた。艶やかに輝く青味を帯びた白銀の髪は、その歳の幼子に似付かわしい頭巾で隠される事も無く、額の両側を申し訳程度の花飾りで飾られたのみで、帚星の如く彼女の肩口を被っていた。

 ファーリューラは時を忘れた。残された唯一の伯母姫の肖像画を目にするのは、これが二度目であった。大陸一の美姫とまで唄われた伯母姫であったが、五度目の生誕日を目前にして俗世を離れた為に、肖像画はこの一枚のみであった。

 確かに似ているのかもしれないと、ファーリューラは自身の幼かった頃の顔を思い起こしながら、目の前の幼子の顔を見詰める。しかし自分はこの年頃の頃、こんなに落ち着いた表情をしていたであろうか......?

 オーヴィスの元に嫁ぎ王城に程近い今の館に暮らす様になってから、人に接する機会も独身の頃に比べると随分と増えた。王城に出掛ける度に亡き大巫女に良く似ていると、今まで幾人の人に言われたであろうか.....? 美女との誉れ高かった伯母姫に似ていると言われる事は、それまでのファーリューラには喜ばしい事であったのだが、今のファーリューラには喜びよりも疑問の方が勝ってしまっていた。


 ........クウィンディラの娘よ............


 大地の精霊の言葉が脳裡に幾度も木霊し、そしてやがて消えた。


 「考え過ぎなのかしら......」

 ファーリューラはふと呟いた。変に勘ぐり過ぎなのだろうか.....。ただ単に、亡き伯母と同じ神秘の能力ちからに恵まれたから.......?

 「だからよね? 大地の紳士方があんな事言ったのは.....」

 ファーリューラは独り呟き、肩を竦めた。だが突如、叔父であるサラードル王子の驚駭した表情が甦った。あの時確かに叔父は、琥珀色の瞳を戦きに見開きファーリューラを凝視しながら呟いたのだ。クウィンディラ....と、伯母の名を.......。

 本人と見間違える程に似ているという事なのだろうか.......? もやもやとした霞のかかる胸の内を持て余し、ファーリューラは盛大な溜息を吐いてみた。ともすれば胸の内で形作られそうになる恐るべき疑問。誰に尋ねられ様か....? 口にする事さえも憚られる事である。不敬罪に問われよう。絵の中の幼い伯母姫は沈黙を守ったまま微笑している。

 (考え過ぎだわ....)

 ファーリューラが首を振りながら苦笑をもらした時、突如扉が開いた。部屋の静寂しじまを破る靴音の主に、ファーリューラの表情は一瞬にして綻んだ。

 「お父様っ!」

 嬉しさに思わず小走りに駆け出したものの、微かな違和感にはっとし慌てて歩を止めた。一瞬、琥珀色の瞳を見開き、次の瞬間には、それを細めた父王.....いや、王弟である叔父は、深みのある低い笑い声を零した。


 「すまんな、お前の父では無くて、ファーリューラよ」

 「叔父上様! いいえ、そんな......」

 ファーリューラは頬を染めながら膝を折って頭を下げる。よく見れば髪の長さも、ヒゲの形も父王とはわずかに異なる。それでも見紛う程にサラードル王子は、父王に酷似している。双子であれば何の不思議も無い事なのであろうが....。

 「こんな処で、独り寂しく何をしている? 物思いにでも耽っていたのか?」

 もごもごと口ごもるファーリューラの姿が可笑しかったのか、サラードル王子は今にも笑い出しそうな表情で尋ねた。

 「伯母上様の姿絵を見ておりました」

 「クウィンディラのか?」

 「はい。多くの方に、わたくしは伯母上様に大層似ていると言われるものですから...」

 「そうか.....。そうだな......」

 サラードルは、幼い姉姫の姿へと目を向けながら歩を進めた。こちらを見据える紺碧の瞳が、在りし日の姉姫の瞳に重なる。死して尚、こちらの総てを見透かしている様な...、見透かされている様な...、そんな錯覚に陥りサラードルは目を背けた。

 「でも、伯母上様の絵姿はこの一つしか無いのですね」

 口惜し気な姪に、サラードルは頷く。

 「早くに俗世を離れた故な。これが唯一のクウィンディラの姿絵だ」

 「残念ですこと。どれ程似ているのか、とても気になりますのに.....」

 心底残念そうな表情で姿絵を見詰める姪を、サラードルも又見詰める。姿だけは亡きクウィンディラそのものでありながら、その醸し出される雰囲気は対照的であった。今しがた、サラードルを父と見紛い駆け寄って来た時の満面の笑顔。頬を赤らめ、慌て口ごもった表情やら、残念そうに眉を下げた表情やら、くるくると変わる生き生きとした表情。そして、唄う様に紡がれる彼女の言葉.......。


 「似てなどいない.....」

 「え?」

 傍らに立つ叔父の呟きに、ファーリューラは琥珀色の瞳を見開き振り返った。

 「いや...、姿は生き写しだ......。だが、全く似てなどいない」

 叔父の瞳は、真っすぐにファーリューラへと向けられていながら、その実何処か遠くへと馳せられている様にも見え、ファーリューラは返す言葉を失った。

 「クウィンディラは.....、お前の様に生に溢れてはいなかった....。お前の様に、生き生きとした笑顔を見せた事は無かった。お前の様に唄う様に話す事も、笑い声を響かせる事も無かった。巫女たるべくして生まれた様な女だった。めしいた瞳は、現世の何物をも写さなかったにも拘らず、総てを見透かしていた.....、そんな女だった.....」

 サラードルは手を伸ばして、姪の見事な銀の髪に触れた。

 「お前は、クウィンディラとは全く違う」

 「叔父上様...」

 「お前の方が、数十倍も人間味があって良いという事だ、ファーリューラ」

 サラードルが低い笑い声を零した。


 叔父の遠い眼差しが突如戻った様な気がし、ファーリューラは何故か安堵する。父王にそっくりな声で笑う叔父の笑い方は、しかし、父王の輝かしい笑い顔とは異なり影を帯びていた。

 若かりし頃は、アガダル王と二人、その見目良い姿と美貌から多くの女達より恋慕の眼差しを贈られたという。双子の王子達が並んで立つだけで、多くの女達は悩まし気な溜息を吐いたのだと......。以前ファーリューラの守役を務めたシャドスが、いつだったか語ってくれた話である。嘗て父王の小姓を務めたシャドスは、時折そんな思い出話をファーリューラに語ってくれたものであった。

 “光の王子と影の王子”.....突如その言葉がファーリューラの脳裏を過る。人々は嘗て、父と叔父の事を陰ながらそのように呼んでいたのだと、随分前にシャドスが洩らした事があった。だが不敬にあたるであろうから口にしてはいけないと言われた。

 影の王子........。確かに、不敬にあたるのであろうか.........。何故、叔父は、辺境の部族民達の地に暮らすのであろうか......。ファーリューラが生まれる前から、叔父は王国を後にして遠く野蛮な土地に暮らして来た。何故......? 此度の滞在も、年明け後の天候の安定する季節までの事。一年も滞在せずに、また遠い異国の地へと叔父は去って行くのだ。


 「サラ叔父上様は、何故東の地へ赴く事を望まれたのですか?」

 唐突に尋ねられたサラードルは、軽く目を見はったが、次の瞬間には苦笑をその口元に浮かべていた。

 「当時はまだ、東の地も混沌としていてな、誰かが兵を率いる必要があったのだ。俺は思慮深い王とは違い、昔から腕っ節だけの人間だ。まあ、血が騒いだというわけだ」

 低い笑いを零す叔父のどこか奥深くから、強い恐れと愛と、そして哀しみを感じた様な気がしてファーリューラは息を呑み込んだ。

 「さあ、そろそろ王の元を尋ねてやれ、ファーリューラよ。さもないと、お前を独り占めしたといって俺が王から責めを受ける事になろうよ」

 「まあ、そんな事は...」

 無いとは言えずにファーリューラは肩を竦めた。そんな姪の様子に、叔父は苦笑を零す。

 「では、サラ叔父上様、後ほどお茶をご一緒して下さいませ。手製の茶菓子を持参致しましたの」

 「ほう? お前の手製か?」

 「はい。きっとご一緒して下さいませね。約束ですわよ、叔父上様?」

 「ああ、分かった。後ほど顔を出そう」

 叔父との約束を取り付けると、ファーリューラは満足げに膝を折ると部屋を後にした。


 サラードルは、姪の絹糸の如き見事な銀の髪に被われた背が扉の向こうに消えると、静かに息を吐いた。そして、姉姫の姿絵へと琥珀の瞳を廻らせた。

 「あれは...、誠にお前の娘ではないのか? お前と俺の...? クウィンディラ......?」

 それは、苦悩に満ちた、消え入る如き声であった。

 

 

 

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