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美少女が家族になった話  作者:


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14/21

水族館①


土曜日の朝、待ち合わせ時間よりも二十分早く到着してしまった俺は、心臓の早鐘を抑えるのに必死だった。行き交う人々の中に彼女の姿を探す。昨日の病院で佐伯さんに言われた言葉——「ハメは外しすぎないように」という、どこか揶揄うような、けれど温かい父親の言葉が頭の中で反芻され、耳が熱くなる。俺たちはもう、保護者と被保護者という境界線の狭間で揺れているだけの子供ではない。七海は、俺に自分の未来を預けようとしており、俺もまた、それを全力で受け止める覚悟を決めている。


人波が途切れた瞬間、淡い水色のワンピースに身を包んだ彼女を見つけた。今日の日のために整えられた髪、わずかに色づいた唇、そして少しだけ背伸びをした装い。彼女は俺を見つけると、ふわりと花が咲くような笑みを浮かべ、人混みを縫って駆け寄ってきた。


「……お待たせ、悠くん」

「ううん、俺も今着いたところだ。……すごく可愛い」


俺が率直な感想をこぼすと、七海はみるみる顔を赤くして、視線を泳がせた。彼女の華奢な指先が、バッグの持ち手を白くなるほどぎゅっと握りしめている。「一人の男としての悠」が、彼女の可憐な姿を前にして、激しく鼓動し始める。まるで、新しい関係が今日この場所から始まるかのような、新鮮で、そして少しだけ痛いような緊張感が、俺たちの間を支配していた。


水族館への道のりも、二人にとっては特別な時間だった。電車に揺られ、降りた駅から海沿いの遊歩道を歩く。潮風が七海の髪を揺らす。彼女が立ち止まり、ふと空を見上げて微笑むたびに、俺は彼女の存在が以前よりもずっと、肌に近い場所にあることを実感した。


水族館の重厚な自動ドアが開くと、冷んやりとした静寂と、深海を思わせる深い青の光が二人を包み込んだ。入ってすぐの巨大な大水槽の前で、七海は吸い寄せられるように足を止めた。


「わあ……綺麗。悠くん、見て。あそこ、大きなエイが泳いでるよ」


彼女はガラス越しに水槽を指さした。薄暗い館内を照らす青い光が、彼女の瞳の中でゆらゆらと揺れている。


「本当だ、あんなに近くまで来るんだな」

「うん……あ、見て、群れで泳いでる魚たちが、一斉に方向転換した。すごい、息がぴったりだね」


彼女は夢中になって水槽に顔を近づける。その横顔の美しさに、俺は一瞬息を呑み、言葉を失った。


「悠くん、あれはなんて名前の魚かな? 図鑑で見たことがある気がするけど……」

「確か……スズメダイの仲間だったか。あっちの銀色に光ってるのはイワシの群れだな」


俺が知識を披露すると、彼女は嬉しそうに振り返った。


「悠くんって、意外と詳しいんだね……」


「そうか? ……いや、少しでも格好いいところを見せたいだけかもしれない」


七海がキラキラとした瞳で俺を見上げてくる。その真っ直ぐな視線に、俺は少しだけ気恥ずかしくなって、苦笑いを浮かべながら視線を水槽の方へと逸らした。


「そうか? ……いや、少しでも格好いいところを見せたいだけかもしれない」


さらりとそう言ってのけたが、心臓は裏腹に激しく脈打っていた。実は、今日のこの水族館デートのために、俺は先週の平日に一度、仕事帰りにわざわざ下見に来ていたのだ。どの水槽が七海の好みそうか、どこで立ち止まって話せば落ち着けるか、順路はどこが一番混まないか……。自分でも驚くほど念入りにシミュレーションを重ねていた。

七海にはもちろん、そんな努力をしているなんて言えるはずがない。ただの「たまたま知識があった人」を演じている今の状況が、少しだけこそばゆい。


「格好いい……なんて言われると、逆に調子が狂うな」


「えっ、そうかな? 私は、悠くんと一緒に過ごせてすごく嬉しいよ」


彼女は少しだけ悪戯っぽく微笑むと、水槽の青い光を反射させて一層輝いて見えた。その言葉に、俺は自分が抱えていた下見の事実さえも、彼女を喜ばせるための小さな秘密として肯定できたような気がした。


「……そっか。そう言ってもらえると、下見した甲斐があったかな」


つい口から滑り出た言葉に、俺はハッとして口元を押さえた。七海が目を丸くして、小首を傾げる。


「えっ? 下見?」


「あ……いや、今の、なし! えっと、その、なんでもない!」


俺が慌てて誤魔化そうとすると、七海はクスクスと楽しそうに笑い声を上げた。


「なんだ、悠くん。そんなに色々考えてくれてたんだ」



七海はクスクスと楽しそうに笑い声を上げたが、その瞳の奥には、俺の不器用な努力に対する温かな慈しみが宿っていた。俺は気恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながらも、正直に告げるしかなかった。


「……だって、楽しみだったから。七海にも楽しんでもらいたいなって思って……気づいたら、順路まで完璧に把握してたんだ」


自分の言葉が、なんとも子供じみた告白に聞こえて、俺はさらに照れくさくなる。だが、七海は笑うのをやめ、真剣な眼差しで俺を見つめた。


「ありがとう、悠くん」


彼女の言葉には、嘘偽りのない真っ直ぐな響きがあった。その瞬間、俺の中にあった「下見をしていた自分」への少しばかりの後ろめたさが、完全に消え去った。彼女を喜ばせたいという一心で巡ったあの平日の夜も、全てはこの瞬間のためだったのだと思えた。


「……七海」


「……ん?」


彼女が振り返った瞬間、俺は意を決して、彼女の細い指先にそっと自分の手を伸ばした。彼女の指が驚いたように一度ピクリと跳ねたが、それを拒むことはなく、むしろ俺の指を求めて、そっと握り返してきた。俺の手のひらから、彼女の柔らかく、どこか華奢な体温が直接伝わってくる。


「……手、繋いでもいいか?」


そう尋ねた俺の言葉は、自分でも驚くほど静かで、それでいて確かな重みを持っていた。

彼女は俯きながらも、その華奢な手にぎゅっと力を込めた。言葉はない。けれど、その温もりは、昨日病室で佐伯さんに誓った言葉よりも遥かに雄弁に、彼女の「覚悟」を伝えていた。今日、この水族館で、俺たちは互いの心に隠していた「想い」を、この手を通じて完全に共有し始めたのだ。


「……うん。悠くんの手、あったかい」


彼女の小さな声が、水流の音の中に溶けていく。繋いだ指先から、彼女の鼓動のような熱が伝わってくる。静かに響く水音の中で、二人の手が重なり合い、昨日までの「保護者と預かり人」という境界線が、静かに、しかし抗いようもなく溶け出していく。

この手から伝わる体温こそが、俺たちを結ぶ絆であり、これから始まる長い人生という曲の、最初の旋律であることを、俺はその時、痛いほど理解していた。俺は彼女の指の隙間に、自分の指を絡める。彼女の反応を見て、俺は小さく、けれど隠しきれない微笑みをこぼした。


「……行こうか。次はクラゲの展示だ。見たがってたやつ」


「うん!」

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