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美少女が家族になった話  作者:


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13/21

謝罪

翌朝、七海はいつもと変わらぬ様子で楽器ケースを背負い、部活へと向かった。昨夜の甘い余韻と、胸を締め付けるような切なさを抱えながら、彼女はどこか浮き立つような足取りで家を出ていった。彼女を送り出した後、俺は入れ替わるようにして家を出た。目的地は病院。今日はどうしても、佐伯さんに伝えなければならないことがあったからだ。


病院のロビーに足を踏み入れると、消毒液の冷たい匂いが鼻を突き、俺の心臓は重苦しい緊張で支配された。七海を「預かっている」という理性のタガは、昨日の出来事――髪を撫でた時の感触や、満員電車で額を胸に預けられたあの密着の記憶――によって、すでに限界を超えていた。今の自分は、彼女を大切に守るべき保護者という立場でありながら、彼女を一人の女性として渇望してしまっている。そんな自分は、佐伯さんに対しても、何より七海自身に対しても不誠実極まりない存在ではないか。そう自問自答を繰り返すうちに、病室の扉の前に立っていた。


深く息を吐き出し、扉をノックする。


「どうぞ」


掠れた声に応え、中に入る。佐伯さんは窓の外を静かに眺めていた。初夏の柔らかな陽光がカーテンの隙間から差し込み、彼の横顔を白く照らしている。俺の姿を認めた彼は、いつものように穏やかで慈愛に満ちた表情を向けてくれた。それが今の俺には、かえって痛いほど胸に突き刺さった。


「……悠くんか。七海は部活か?」


「ええ。先ほど、送り出しました」


「そうか、精が出ているようで何よりだ」


俺はベッドの傍らに立ち、覚悟を決めて頭を下げた。心臓が早鐘のように鳴り、シャツが背中に張り付く。


「佐伯さん……どうしても、隠し事をしたままではいられませんでした」

「……どうした、そんな改まって。何かあったのか?」


俺は一度言葉を切り、喉の奥の渇きを潤すように飲み込んでから、視線をまっすぐに見据えて口を開いた。


「七海さんのことです。……正直に話します。俺は、七海さんをただ『預かっている』という立場以上に、一人の女性として、好きになってしまいました」


病室に重い沈黙が流れる。時計の秒針の音が、やけに大きく響く。俺は、これまでの信頼をすべて失い、七海の傍にいられなくなるかもしれないという恐怖で、指先まで震えていた。


「……父からも、あなたからも託された信頼を、私的な感情で踏み汚すようなことをして……本当に、申し訳ありません」


俺は顔を上げることができなかった。返ってくるはずの叱責、あるいは拒絶を待ちわびるしかなかった。しかし、返ってきたのは静かな呟きだけだった。


「……そうか」


佐伯さんはゆっくりと身を起こし、俺を静かに見つめた。そこには、俺が想定していたような怒りや拒絶は微塵もなく、ただ父親としての深い慈しみと、すべてを見通すような眼差しが湛えられていた。


「……悠くん。君は本当に、不器用で真っ直ぐだね」


佐伯さんは、俺の動揺をすべて見透かすように微笑んだ。彼が放つ独特の空気感は、病室という閉鎖的な空間にあっても、どこか広々とした慈愛に満ちていた。


「こうやって私に会いに来るように、君は本当に誠実だ。自分の感情を隠し通すこともできたはずなのに、それをしなかった。……週末、娘と出かけるんだろう?」


突然の問いかけに、俺は喉の奥を突かれたような衝撃を受け、言葉を詰まらせた。


「……なぜ、それを?」


「娘がずっと、楽しみにしていたからだ」


佐伯さんは、父親としての愛おしさを滲ませながら、少しだけ目を細めて遠くを見つめた。週末の水族館デート。それを彼女自身が父親に伝えていたという事実を知り、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。自分の未熟さや、「保護者」としての役割に悩み、一人で勝手に距離を置いていたその裏で、七海は真っ直ぐに俺との未来を夢見ていたのだ。


「……そうですか。あの子から、聞いていたんですね」


佐伯さんは、どこか遠くを見るような、しかし俺の心をまっすぐ射抜くような鋭さと温かさを併せ持つ眼差しを向けた。


「ああ。嬉しそうに話してくれたよ。まるで、ずっと待ち焦がれていた夢の話でもするようにね。……そして《《覚悟》》を決めたような顔をしていたよ。どういう意味かわかるね?」


その問いかけは、穏やかでありながらも、逃げ場のない真実を俺に突きつけた。俺は一瞬息を呑み、佐伯さんの瞳を見つめ返した。その言葉の意味するところが、俺の胸に痛いほど突き刺さる。


「……あの子にとって、この週末は……ただの外出じゃないってことですよね」


俺がそう絞り出すと、佐伯さんは満足そうに小さく頷いた。


「そうだ。あの子はもう、自分の気持ちに嘘をつくのをやめようとしている。……だからこそ、君にも覚悟をしておいてほしいんだ。あの子が自分から一歩踏み出したとき、君がどう応えるのかをね」


「……俺の、覚悟」


「そう。すべてを受け止める覚悟だ」


佐伯さんの言葉を聞き、俺の心臓は再び強く鳴り始めた。昨日、七海を撫でたとき、そして電車の中で彼女が俺の胸に額を預けたとき、彼女の震えるような呼吸と鼓動の中に感じた「何か」――それは、俺の甘えを許さない、彼女の切実な祈りにも似た決意だったのかもしれない。


「俺は……彼女の隣にいていいのか、ずっと迷っていて」


俺が正直な弱音を吐露すると、佐伯さんはゆっくりと首を振った。


「私は君を信用している、そう言っただろう。悩みもせず、ただ慣れ合いで隣にいるような男に、娘は預けない。君がそうして苦しむのは、それだけ七海を大切に想っている証拠だ」


佐伯さんの眼差しは、俺の不安や葛藤、そして七海に対して抱いている「男としての感情」すらも、すべて許容しているように見えた。


「君は、真剣に悩み、結論を出してくれるはずだ。……私は娘も、君も信じている。君たちが出した結論を、私は信じるよ」


「……結論、ですか」


「そうだ。君自身が、どうしたいのか。君自身が、どうありたいのか。それを決めるのは君だ。私はただ、君が選んだ道を尊重するだけだ」


佐伯さんの力強い励ましを受け、俺は胸の奥で渦巻いていた霧が、少しずつ晴れていくのを感じた。


「……ありがとうございます。次は、必ず二人で来ます」



俺はそう力強く言い切ると、病室のドアへと向かった。

ドアノブに手をかけたとき、背後から佐伯さんの少しだけ悪戯っぽい、けれどどこか寂しげな笑みを帯びた声が聞こえた。


「……ハメは外しすぎないようにしてくれよ?」


俺は一瞬きょとんとしてから、顔がみるみる熱くなっていくのを感じた。心臓が跳ね上がる。まさか父親である彼からそんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。


「……っ!? 佐伯さん、それは……!」


「ははっ、冗談だよ。だが、君のそんな慌てる顔が見たかったのさ」


佐伯さんは、まるで子供をからかうように愉しげに笑った。その屈託のない笑顔を見て、俺は自分の緊張がどれほど滑稽なものだったのかを思い知らされる。


「……もう、心臓に悪いですよ」


「悪かったな。だが、それくらい青臭いほうが、君は似合っている」


佐伯さんはそう言って、ベッドの枕元を少しだけ整えた。


「悠くん、私は君と七海が、どんな大人になっていくのかを見届けられないかもしれない。だが、今日君と話せて、少しだけ未来が見えた気がするよ。……二人で、人生という長い曲を奏でていくんだ。たまにはテンポがずれることもあるだろうが、それも音楽の一部さ」


その言葉は、まるで父親からの人生への祝福のようだった。俺は、言葉にできない熱いものが喉元までせり上がるのを感じた。


「……はい。精一杯、奏でてみます」


「ああ、期待しているよ」


俺はもう一度深く一礼し、今度こそ病室のドアを静かに閉めた。廊下の冷たい空気の中で、俺は自分の胸に手を当てる。先ほどまで感じていた罪悪感や重圧はもうどこにもなく、代わりに未来への、そして七海への確かな鼓動だけが響いていた。

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