不誠実な二人
「マリアネラ、どうした? 気分でも悪いのか?」
「いいえ、殿下。なんでもありませんわ」
わたくしの夫である王太子ケイセネジュは、細かいところによく気がつく人だ。
けれどそれは、わたくしに関すること限定であって他のことには少々鈍い。
「では、行こうか」
「はい、殿下」
二人で歩き出しながら、わたくしは知らず眉をひそめていた。
また、あの不快な光景を見なくてはならないのかと思うと、頭痛すらしてくる。けれど、当事者たる彼らに比べると、この程度の不快感は些細なことに過ぎない。
「……憂鬱だこと」
「マリアネラ、なにか言ったか?」
「いいえ? 殿下、急ぎましょう。皆さまお待ちでいらっしゃるわ」
──先日、国境付近で魔獣の大量発生が起きた。
その危機にわたくしの従兄弟を含む辺境の精鋭と聖騎士団が向かい、見事にすべての魔獣を討伐してみせた。幸いにして死者は出なかったが、重傷者は数多く出た。
今夜は尽力してくれた彼らとその家族を招いた、労いの宴。軍関係者には高位貴族も多くいるし、彼らが協力をしてくれたこともあってかなり豪華なパーティーになっている。
「皆さま、楽しんでくださっているかしら」
「だと、いいな」
わたくしを真っ直ぐに見つめる、殿下の青い目。
いつもこの青を見つめ返すたびに、わたくしは得も言われぬ幸福感に包まれる。
だからこそ、その幸福を味わえないあの二人のことがこうまでも気にかかるのだと思う。
◇
殿下が労いのお言葉を述べていらっしゃる最中、わたくしは目だけ動かし“彼ら”の姿を探した。
「……っ」
見つけた瞬間、吐き気にも似た不快感がこみ上げてくる。
──セドアレト・テアとイヴシェネア・レム。
かつては恋人同士だったという二人は、それぞれの伴侶の腰を抱き、また抱かれながらもお互いだけをじっとりとした眼差しで見つめ合っている。
「見て、テア伯爵とレム公爵夫人。あの熱い眼差し、こちらもなんだか照れてしまいますわね」
「あれだけ愛し合っていらしたお二人が、別の方とご結婚なさったときは驚きましたわ」
「しかたないとはいえ、お気の毒ですわよね」
殿下の挨拶が終わったところで、ここぞとばかりに噂話に花を咲かせる令嬢たちの会話が耳に入ってきた。
「でも、レム公爵もテア伯爵夫人も少しお気の毒ですわ。ご自身の配偶者が、他の方と見つめ合っているのですもの」
「そうね。ただ、お二人は誠実よ? テア伯爵は奥さまを絶対に一人ぼっちにはなさらないし、レム公爵夫人も旦那さまから離れることはないわ」
「熱い想いは、視線だけ。お言葉一つ交わされないそうですもの。それでは浮気と言えないものね」
──なんて夢見がちで、愚かなんでしょう。
わたくしはさりげなく振り返り、三人の令嬢をきっちりと確認しておいた。
この令嬢たちは、いえ、この令嬢の家は使えない。
「……よく我慢してらっしゃるわ、奥さまも公爵も」
「そうね。あんなに見つめ合って、なにがしたいのか意味がわからないわ」
わたくしの斜め前で、二人の令嬢が嫌悪に顔を歪めている。
彼女たちのことは、しっかり覚えておきましょう。道理というものを、よくわかっているようだから。
言葉を交わさず身体に触れなければ潔白、というわけじゃないの。むしろ心が繋がっている、と見せつけられる方が、よほど辛いことだわ。
けれど一部の貴族や平民たちの間では、テア伯爵とレム公爵夫人は“純愛の象徴”なのだそう。
わたくしからすると、彼らは“卑怯が服を着て歩いている存在”としか思えない。
不貞行為の事実がないから、レム公爵もテア伯爵夫人も離縁を申し出ることができない。あの見つめ合っている二人は、それをよくわかっている。わかっていて、利用している。
確かにセドアレト・テアもイヴシェネア・レムもそれぞれの配偶者を大切にしている。けれど、異性として愛しているかというと、そんな風には見えない。
ではやはり“元恋人”を愛しているのかというと、残念ながらそれも違う。
そんなのは先入観をなくし、よく観察していればわかることだと思うけれど。
「熱く甘い」と称されているあの眼差しには、お互いへの“愛”など欠片もないことに。
面白いことに、彼らはそれに気がついていないようだった。本気で、引き裂かれた恋人に『愛している』と言葉にしない代わりに、視線で想いを伝えていると思っている。
笑ってしまうわ、彼らが心底愛しているのは自分自身だけだというのに。
政略結婚の相手を裏切ることなく尊重する誠実さも保ちつつ、注目と賞賛を浴びることだけに執心している、ある意味とってもよく似た二人。
その気持ち悪い自己陶酔に、綻びが生じ始めていることにも気づかない二人。
目ざわりだから、そろそろ退場していただこうかしらね。
◇
「殿下。従兄弟から連絡が来ましたの。山間の谷底に、前回よりは小規模な瘴気渦が見つかったそうですわ」
「本当か!?」
「はい」
殿下は難しい顔をなさっている。
しかたないですわね。前回の討伐で傷を負った者の半数は、まだ復帰できていないのですもの。
それに魔獣を生み出す瘴気渦の大小と魔獣の強さにはなんの関係もない。危険であることに変わりはないし、人選を間違えたら全滅する可能性だってある。
──そう。人選を、間違ってしまったら。
「殿下。ここはやはり、セドアレト・テア伯爵に再び出ていただくしかないのではないでしょうか? 我が父もテア伯爵の武勇には目を見張っておりましたわ」
「なるほど、イネレンマート辺境伯がセドアレトを……」
「はい。テア伯爵が指揮をとれば、前線も士気があがりましょう」
「そうか。そうだな」
王太子殿下は立ち上がり、執務机から紙を一枚手に取った。そしてその紙に、万年筆で与える指示をさらさらと書きつけている。
わたくしは澄ました顔でその様子を見つめながら、内心では拍手喝采をしていた。
ようやく、撒いた種が芽を吹いた。
前回の討伐。
本来なら、勇猛な我が従兄弟たちがテオ伯爵ごときに遅れをとるなどあるはずがない。すべては、わたくしの根回しのせい。事前に今回の計画と、テオ伯爵が自分が優れていると絶妙に勘違いするくらいまで手柄を立てさせて欲しい、と頼んでおいたのだ。
従兄弟たちは大変だったと思う。
手を抜くということだけで考えれば、とっても簡単。問題は、そのせいで死者が出ないようにしなければならない、ということ。テオ伯爵の三倍近く、影で従兄弟たちは働いていたはず。
そして今回は、おそらく五倍近くは働かなくてはならないだろう。
なぜなら、今回の瘴気渦は前回のものより大きい、と言っていたから。
怪我人が多く出るのは想定済み。
だから前線には癒しの魔力を持つレム公爵夫人を向かわせる。彼女は「夫が心配するから」などと言って拒否しようとするでしょう。
でも残念ながら、レム公爵が反対することはまずないとわかっているの。本人はどうにかして拒否しようと画策するでしょうけど、世間がそれを許さないでしょうね。
だって世間は、期待しているのですもの。
あの二人なら命と隣り合わせの戦場で寝食をともにしていても、場の雰囲気に呑まれることなくきっと誠実に振舞うに違いない、と。
もしかしたらうっかり命を落とすかもしれないけれど、そう悲観する事もないと思う。
世間はきっとこう言うでしょうから。
『来世で結ばれることを選んだ、やっぱり誠実な方たちだ』
彼らの誠実さが恐ろしいまでの自己中心さであることを薄々わかっている者は、きっと鼻で笑うでしょう。でも平民たちの間でロマンスとして広まり後世まで語り継がれるのなら、本人たちもそれはそれで本望なのではないかしら。
◇
殿下とともにテア伯爵夫妻へ声をかけたあと、わたくしは伯爵の耳元にこっそり囁いてあげた。
『いつまでも、世間が味方だと思われないほうがよろしいわ?』
今回の件が上手くいったら、従兄弟たちにはたっぷりお礼をしておかなければ。




