117.魔王グラン・ディアヴォルス④
ライナの言葉が、静かに、しかし確かに二人の中へ落ちていく。
「……っ……」
ルミナの肩が震える。
俯いていた顔を、ゆっくりと上げる。
「……まだ……終わってないわ……」
その瞳に、かすかな光が戻る。
隣でリリスも、ぎゅっと竪琴を抱きしめる。
「……ほんと、バカですね……」
小さく笑う。
だがその声は、先ほどまでの震えとは違う。
「でも――」
指が、弦に触れる。
「そういうの、嫌いじゃないです」
音が、微かに響く。
消えかけていた戦意が、再び灯る。
その様子を見て――
魔王グラン・ディアヴォルスは、僅かに眉をひそめた。
(……分からぬ)
勝てぬと理解したはずだ。
絶望も与えた。
力の差も見せた。
それでも、立つ。
それでも、向かってくる。
(何故、折れぬ)
その思考を断ち切るように――
「行くぞッ!!」
ライナが地を蹴った。
一直線。
迷いのない突撃。
剣を振り上げ、そのまま斬り込む。
だが――
「同じことだ」
魔王は片手を上げる。
――ガキンッ!!
再び、指先で止められる刃。
「がっ……!」
押し込むが、やはり届かない。
「学習せぬな」
次の瞬間。
指が、軽く弾かれる。
それだけで――
「ぐあっ!!」
ライナの身体が吹き飛ぶ。
空中で回転し、床へと叩きつけられる。
だが、その直後。
「――今よ!」
ルミナの声。
凍てつく魔力が収束する。
「貫けッ!!」
無数の氷槍が、魔王へと降り注ぐ。
同時に――
「逃がさないです!」
リリスの音が重なる。
空間を縛る旋律。
回避の動きを封じる拘束。
完璧な挟撃。
だが――
魔王は、玉座に座ったまま。
わずかに身体を傾ける。
それだけで、すべてが外れる。
「遅い」
氷槍が空を切り、音がすり抜ける。
そして――
伸びた腕。
「……っ!?」
ルミナとリリスの身体が、同時に掴まれる。
「軽いな」
そのまま。
放る。
まるで物のように。
「きゃあっ!!」
「……っ!!」
二人の身体が宙を舞い、壁へと叩きつけられる。
鈍い音。
だが――
「まだ……!」
ルミナがすぐに立ち上がる。
リリスも、よろめきながら踏みとどまる。
「終わらせないです!」
三人、ほぼ同時に動く。
再び、仕掛ける。
連携。
間合い。
タイミング。
すべてが、先ほどより洗練されている。
魔王は、その攻撃を受けながら――
ふと、違和感を覚えた。
(……重い)
最初は、ただの“軽い打撃”に過ぎなかった。
防ぐ価値もない。
触れる前に弾ける程度のもの。
だが――
今は違う。
剣を受け止める腕に、わずかな“圧”を感じる。
魔術が、確かに空間へ干渉してくる。
音が、わずかに意識を揺らす。
(何だ……?)
気づけば。
ほんの僅かに。
身体が――
“構えている”。
無意識に、防御の姿勢を取っている。
(……あり得ぬ)
その一瞬の変化を――
ライナは見逃さなかった。
「……今だ」
低く、呟く。
瞳に、確信が宿る。
「効いてる……!」
次の瞬間。
踏み込む速度が、変わる。
「うおおおおおッ!!」
連撃。
一撃ではない。
二撃、三撃、四撃――
休むことなく叩き込む。
魔王は片手でそれを受ける。
だが――
「……っ」
わずかに、押される。
ほんの僅か。
だが、確実に。
「まだだッ!!」
ライナの速度が、さらに上がる。
剣が唸る。
空間が裂ける。
ルミナの魔術が追従し、リリスの音がそれを繋ぐ。
三人の力が、噛み合っていく。
魔王の腕が、初めて“止める”動きを見せる。
完全な余裕ではない。
「――面白い」
魔王の口元が、わずかに歪む。
初めて見せる、明確な“興味”。
それでもなお、圧倒的優位は揺るがない。
だが――
確かに。
ほんのわずかだが。
距離が、縮まり始めていた。
踏み込みの音すら消えるほどの速度で、ライナが間合いに入り込む。
「――はあああああッ!!」
振り下ろされる神竜剣グラネシス。
それを、魔王は片手で受け止める――はずだった。
だが。
「……っ?」
わずかに。
ほんの紙一重。
刃が、指先をすり抜けた。
――ザンッ!!
浅い。
だが確かに。
魔王の胸元を、斬り裂いた。
一瞬、時間が止まる。
ライナの目が見開かれる。
「……入った……!」
その確かな手応え。
今まで一度も届かなかった“壁”を、越えた感触。
次の瞬間。
「まだだッ!!」
迷いは消える。
剣が、さらに加速する。
横薙ぎ、斬り上げ、突き。
止まらない連撃。
魔王は腕で受ける。弾く。いなす。
だが――
「くっ……!」
再び。
刃が掠める。
さらに一撃。
今度は肩口。
浅い裂傷。
だが、確実に“通っている”。
「……っ!」
ライナの口元が歪む。
「行ける……!」
その背後から――
「合わせるわ!」
ルミナの声。
魔力が爆ぜる。
氷葬竜イグナ=ヘルヴァルの力が解き放たれ、極寒の刃が空間を走る。
「逃がさないです!」
リリスの旋律が重なる。
音が絡みつき、魔王の動きをわずかに鈍らせる。
その隙に。
氷の槍が突き刺さる。
「――ッ!」
小さな衝撃。
魔王の身体に、初めて“明確なダメージ”が刻まれる。
「まだまだ、です!」
リリスの音がさらに高まる。
三人の連携は、先ほどまでとは比べ物にならない。
繋がり、重なり、増幅する。
ライナの剣が斬り込み、ルミナの魔術が拘束し、リリスの音がすべてを導く。
「おおおおおおッ!!」
連撃が、止まらない。
魔王は防ぐ。
だが――
完全ではない。
一太刀。
また一太刀。
小さな傷が、確実に積み重なっていく。
やがて――
三人が距離を取る。
荒い呼吸。
限界に近い体。
それでも、目は死んでいない。
その先で。
魔王が、静かに立っていた。
身体には、いくつもの浅い傷。
血が、わずかに滴っている。
その光景に三人は息を呑む。
「……やった……?」
ルミナが、信じられないように呟く。
リリスも、目を細める。
「効いてる……です」
その時。
魔王が、ゆっくりと自身の傷に触れた。
指先に付着した血を見つめる。
「……なるほど」
低く、呟く。
その声には――
先ほどまでとは違う響きがあった。
「余に傷をつけるか」
顔を上げる。
その瞳に宿るのは、驚き。
そして――
「見事だ」
はっきりとした、賞賛。
三人の身体に、緊張が走る。
魔王は、ゆっくりと――
玉座から立ち上がった。
重い音が響く。
空気が変わる。
「力の差は歴然」
一歩、前へ。
「それでもなお、食らいつくか」
その声に、わずかな熱が混じる。
「理解はできぬが……」
もう一歩。
圧が、増す。
「その執念――」
口元が、わずかに歪む。
「嫌いではない」
完全に、三人を見据える。
もはや、余興を見る目ではない。
対等な“敵”としての視線。
「故に」
低く、響く声。
「敬意を表そう」
その瞬間――
魔力が、爆発する。
空間が軋み、床がひび割れる。
「――戦ってやる」
それは宣言。
遊びではない。
試しでもない。
“本気の戦い”の始まり。
三人の背筋に、震えが走る。
だが誰一人、下がらない。
ついに。
魔王が、戦場へ降りた。




