109.ライナVSヴァルゼル⑦
リリスに向かって剣が振り下ろされる寸前・・・
ライナの意識は、黒い底のない深淵へ沈みかけていた。
だがその闇の中。
黄金の光がゆっくりと揺らめいた。
『聞け、ライナ』
グラウ=ネザルの声。
いつもの重々しさよりも、どこか決意を含んだ響きだった。
(・・・方法が・・・あるって・・・言ったよな・・・)
『ああ。この状況を覆す唯一の術』
ゆっくりと、光が形を成していく。
竜の瞳――
荘厳で、古の叡智を宿す瞳が、ライナを真っ直ぐ見た。
『完全同化だ』
胸の奥がざわついた。
(完全……同化……?)
神竜は静かに言葉を重ねた。
『今の我らはあくまで、“ライナ”と“グラウ=ネザル”がそれぞれの力を持ち寄り戦っているに過ぎぬ』
闇の中に二つの光が揺らめいた。
ひとつは人影、もうひとつは竜の影。
『いわば今の状況はライナ&グラウ=ネザル VS ヴァルゼル』
(……それでも……全然……勝てなかった……)
『あの男は強すぎる。個としての完成度、魔族としての格。ここまでとは正直想定外だった。今の我らはどう足掻いても“届かぬ”』
言われずとも分かっていた。
体が、否応なく教えてくれた。
光の竜が、ゆっくりとライナの方へにじり寄る。
『だが、もし我らが完全に一つとなり、魂を、肉体を、力を統合するならば』
竜と人の影が重なり、輪郭が一つの形になっていく。
それはまるで、ひとつの新しい命が生まれようとする瞬間のようだった。
『今よりは・・・勝機を見出せる』
(・・・今よりは・・・)
『だが代償として、“どちらかの意志”は消える』
光の竜の瞳が細められた。
『お前が残れば我は消える。我が残ればお前が消える』
ライナは息を呑む。
完全同化――
それは融合ではなく、“どちらかの死”を意味していた。
ライナは視線を落としたがすぐに顔を上げた。
(・・・それなら・・・答えは決まってる)
「この世界を・・・救ってくれるなら・・・」
ライナは震える体を支えながら、竜に言い放った。
「俺の体・・・お前に“くれてやる”。どうせ消えるなら・・・世界のために使ってくれればそれでいい」
揺らぎのない声音だった。
元より、グラウ=ネザルは“いずれライナの身体を乗っ取るつもり”だった。
だから――
(お前の目的と、俺の願いは一致するはずだ・・・)
『・・・愚か者』
竜の瞳が大きく見開かれた。
その声は、怒りに近かった。
『英雄ぶるな、ライナ』
(・・・え・・・?)
『我は、世界を救うなどという“英雄の真似事”をする気はない』
竜の声は静かだった。
しかしその奥にある感情は、今まで聞いたどの声よりも熱かった。
『この世界を守るだと?魔王を倒すだと?そんなつまらぬ大義のために我がお前の体を奪うとでも思ったか』
(・・・だって・・・お前は・・・)
『確かに昔の我は、”器としての体”を求めていた』
光の竜がライナの胸に触れる。
『だが・・・今は違う』
静寂。
胸の奥に温かな光が満ちる。
『我はこの世界を救う気もなければ、英雄になど興味はない』
竜は穏やかに告げた。
『だが・・・お前を消す気もない』
ライナの胸が震えた。
『そもそも、完全同化は魔王と戦う時に使うつもりでいた。そうでもしないと混沌竜と完全同化・・・いや、あやつの場合は強制同化か・・・。まあこの際どっちでもいい。とにかく今の魔王と戦うには完全同化は避けて通れない道ではあった。本来ならば、魔王と戦う時に完全同化して驚いた所を一気に叩く算段だったのだがな、ここで死んでしまっては元も子もないからな。仕方あるまい』
竜は軽いため息をついた後・・・
『だから我が消える』
(・・・ッ!?な・・・に・・・を・・・)
『完全同化は、お前を残す。我の意志は・・・消滅する』
竜の輪郭が淡く光り始める。
まるで溶けるように、形を失い始めていた。
『世界を救うためなどではない。ただ・・・それが、今の我の“選択”だ』
竜の瞳が、驚くほど静かに笑った。
『最後に一つだけ言っておく』
光が強くなる。
『お前はとの冒険、存外楽しかったぞ』
ライナの胸が熱くなる。
喉が震える。
(おい・・・やめろ・・・そんな言い方・・・やめろ・・・!)
『後は・・・任せた』
光が爆ぜた。
神竜グラウ=ネザルの姿がライナの内部へ、魂の奥へ静かに溶けていった。
ヴァルゼルの剣が振り下ろされようとしていた。
リリスは覚悟を決め、目を固く閉じて・・・
その瞬間。
ガキィィンッ!!
金属同士が噛み合う、鈍い衝突音。
リリスはハッと目を見開いた。
そこにあったのはヴァルゼルの剣を片手で受け止めている人影。
「・・・?」
光が揺れ、灰色の埃がゆっくり舞う。
その中央に立つのは、紛れもなくライナだった。
だが“同じライナ”ではなかった。
片手で剣を受け止めたライナは、視線を上げた。
ヴァルゼルと目が合う。
その瞬間、空気が変わった。
敵味方関係なく、そこにいる全員が空間が一段深く沈むような”圧”を感じた。
しかしそれは、暴力的な威圧ではない。
強引な覇気でもない。
無理やり押し潰す鋭さでもない。
まるで、「この男は、もう揺るがない」と宣言するかのような、静かな重力。
「・・・何だ、これは」
ヴァルゼルが低く、しかし隠せぬ驚きを滲ませた。
先ほどまでなら、ライナの剣は“触れるだけで砕けた”。
力の差は歴然だった。
だが今は違う。
本気で振り下ろした剣を人間が片手で受け止めている。
しかも、力で押し返すのではない。
“ただそこに差し出しただけ”のような自然さ。
まるで剣が、自ら止まりにいったような錯覚すら覚えるほどに。
「・・・ヴァルゼル」
ライナが口を開いた。
声の質が変わっていた。
低くなったわけでも、高くなったわけでもない。
しかし奥に、竜の共鳴が溶け込んでいる。
静かなのに、揺るぎない。
リリスは震えた。
恐怖ではなく安心感だった。
さっきまで倒れていたライナが、今はどんな刃も自分に届かないように見える。
目の前で振り下ろされた死が、あっさりと止められている。
「ライナ・・・?」
リリスの声は震えていた。
しかしその震えには希望の色が混じっていた。
ライナは振り返らない。
だが、背の向こうから言葉が落ちる。
「・・・もう大丈夫だ。ここからは俺がやる。ありがとう俺を守ってくれて」
一言一言が、まるで大地に杭を打つように響いた。
完全同化したライナは、竜になったわけではない。
だが、人以上の揺るぎなさをその身に宿していた。
彼の心にはもう、迷いも、恐れも、焦燥もない。
自分の命がどうなるか。
勝てるかどうか。
その全てを飲み込み、ただ“立つべき場所”に立っている。
それは、神竜の強さではない。
ライナ自身が辿り着いた意志だった。




