バベルの翻訳家
チリンチリンッ……
「ソー!来たわよ!」
扉が開かれると同時に掛けられた声に、彼女は振り返る。
聞き覚えがあると目を丸くし、そして確認したところで輝かせた。両手に抱えていた箱を無意識に床へ落とす。
「サンドラさん!お久しぶりです‼︎」
サイラスさんまで!と、ソーが駆ける先には店の扉を開くサンドラと、そして御者のサイラスが並んでいた。
後ろ手でサイラスが扉を閉める間に、サンドラが大きく開いた腕で彼女を抱きしめた。「元気そうじゃーん!」と明るい声で笑い、頭を撫でる。
「手紙ありがとね。化粧変えた?ちょっと見ない間にすっかり王都に馴染んじゃって」
「えっ。あっ化粧はエルフの店で覚えて……」
「化粧と服程度で許すの絶対いつか後悔するからな」
可愛い可愛いと褒めるサンドラの足元をするりと白い毛玉が抜けていく。
見覚えのあるその影に、サンドラだけでなくサイラスも眉を上げて視線で追った。元気そうだなと思いながら、相変わらず愛想がない狐に半笑う。
本五冊分にはなる紙の束を運びながらも、尖った鼻の先を顎ごと上げた。あの事件から半年が経過するが、いまだにルベンは許していない。
つんとした言葉で腰を折る白狐に、サンドラ達には言葉が通じていないことも忘れてソーは唇を負けずと尖らせる。
「ルベン!もうそのことは終わったから良いじゃん!結局盗まれるものもなかったんだし」
「ソーが盗まれただろ。あんな店俺達で潰してやりゃあ良かったのに」
「……私もそう思う」
部屋の奥から背中を丸めて現れた巨大な影に、今度はサンドラとサイラスも僅かに慄いた。足を半歩下げ、大きく見上げる。
背中を伸ばせば店の天井ぎりぎりの高さを誇る彼のことは、サンドラも手紙と帰ってきたサイラスからも聞いて知っていた。見るからにエルフである彼が、その実オークであることも。
サウロ!とソーがその名を呼べば、やはり彼かと一人サンドラは頷いた。サイラスが肩の位置で弱々しく手を振ってみるが、サウロは構わず脇に抱えてきた本棚を壁に置く。
「ソーが良いと言えば、今からでも壊して良いと思う」
「だから!そんなことしたら警察沙汰だし、訴えたら私のスキルまで話さないといけなくなるから!」
さらりと物騒なことをルベンと揃えるサウロに、ソーも声を荒げた。今日までも思い出すたびに言ってることをまた蒸し返され、余計に力が入る。
自分が攫われるきっかけとなった服飾店。
誘拐された自分だけでなく助けに駆けつけた二人もまた武器以外の私物を全て置いてきてしまった為、取り戻しに訪れたのは二週間も後のことだった。
湖に飛び込んだサウロに助け出され病院で寝込んでいたソーが、退院後に慌ててサウロ達と取りに行けば、拍子抜けなほどすんなりと全て返却された。財産に手をつけられた形跡もなく、服一枚処分もされず、そして注文した服も綺麗に仕上げられた上で無償提供された。
借金をかたに店員を脅迫し誘拐を行ったエルフ組織が〝壊滅〟したことは、即日で城下中に広まっていた。
被害はもちろんのこと、示談の意味合いも込めて誠心誠意謝罪を見せた店までもソーは報復する気にはならなかった。
チリンチリンッ
「!あっ、いらっしゃいませー!」
扉に仕掛けられた鈴の音と共に、今度は客だとソーは確かめる。邪魔にならないように店の隅に移動したサンドラ達に披露するように駆け寄った。
明らかに異種族である容姿の女性に店の説明をし、要件を聞く。分厚い本を受け取れば、そこで今日一番にソーの目は輝いた。引き取り日を決めて帰っていく客が扉を閉じるまで頭を下げ続け、そして弾かれるようにまた上げる。
「ッ見てルベン!サウロ!開店三日目で早速仕事!!しかも本一冊丸々!!」
「むしろ今日まで客来なかった方を考えろよ」
「ソーちゃん、相変わらずすげぇな。今の種族が言ってたこともわかるのか。水辺でも滅多に生息しない種族なのに」
一人燥ぐソーに溜息を返すルベンは腕を組む。このまま一生仕事がないことまで想定していた。
よかったじゃん!とサンドラに祝われるソーが本を抱きしめ跳ねる中、サイラスは、扉とソーの抱く本を交互に見比べる。
サイラスの言葉にソーも「珍しい種族なんですね」と瞬きを大きくした。まだ種族全てに会ったことない自分は、種族の希少性や数まではわからない。
「少し古いけど良い店ね。王都の一等地に近いし、結構良い値したんじゃない?仕入れ先まで確保して私より商才あったりして」
「いえ、まだ全然……。引退する本屋さんを中身ごと買い取っただけで、とりあえずこれだけ本あれば暫く困んないかな~と。あとは依頼をメインで」
中身の本ごと買い取ると言えば割安で売って貰えたと、語るソーにサンドラも小さく拍手した。
実質この半年でやったのは、物件探しからの本屋買取。そして店内の清掃と看板などの広告に、そして営業許可だ。しかしそれでも最短で進めた彼女は偉いと、サンドラは思う。
ちらりと目を向ければ、手紙でも何度も聞いた美形のオークも脅しとしては充分貢献したのだろうと察した。狐にだけは飽き足らず、こんなに巨大な用心棒まで道途中で拾う彼女はやはり先代転移者と同じ素質があると、彼の背中に担がれた鞘と斧を見ながら思う。
「じゃっ、こっちも商談あるからまた。今夜空いてる?お気に入りの店紹介するわよ」
「是非!ルベンとサウロも一緒で良いですか?」
勿論、と。そうウインクで返すサンドラは、そこでまた店の扉から去って行った。
チリンチリンと鈴が鳴る中で、サイラスもその後ろに続く。王都の商談ついでにサンドラに誘われた身だが、来てみて良かったと騒がしい彼女達を見て思う。半年前、医者に担ぎ込まれたと知った時にはこのまま元の港町に返すべきか本気で考えた。
扉を閉め、数歩離れてもう一度店へと向き直る。王都にしては古びた建物だが、趣深いといえなくもない。しっかりとペンキで塗り替えられた上で更には壁の模様を見れば、屋根へ大々的に掲げられた看板よりも遙かに通り過ぎる種族全員の興味を引くと思う。
「どんな言語も他言語に書き換えます」「全種族歓迎!」と、その言葉が様々な言語で壁に書き敷き詰められている。
サイラスとサンドラは当然人間語だけを読み取ったが、同じような手法で看板や張り紙を全ての種族の居住地に立て貼り付けたと、ソーの手紙で読んだ。
「なんだよソー!もうその仕事やるのかよ?!」
「当たり前でしょ。絵本だしすぐ終わるから」
挿絵に魅入られ買ったは良いが、異種族の本だった為読めなかった内容も気になると。そう依頼を受けたソーは、一度本の内容を改める。
自分も初めて手に取る絵本に、翻訳の前に中身を読みたくなってしまった。
いまだ店内の模様替えも日々試行錯誤している中、指導者のソーが指示してくれないとサウロにもルベンにもどうしようもない。本棚や本を適当な場所に置いたまま、手も足も止めた。
明らかに不満いっぱいを全身に表すルベンは、わざとソーの邪魔になるように彼女の机の上へと乗り上げ腰を下ろした。
「ていうか、ソーならいちいち全部の本翻訳しなくても良いだろ。本当に創造神の力なら世界中の言語統一してみろよ」
「ッ無理!絶対無理!!あのエルフ達相手でもなど死んだんだから!」
ルベンからのとんでもない提案に、ソーは絵本を素早く閉じて首を横に振る。
あの時に喋ったのはほんの数回だが、それでも二日目覚めずさらに一週間寝込みそして二週間声が出なかった。
回数の問題なのか対象人数や規模の問題なのかはわからないが、あの場にいたエルフ達の言語を全てバラけさせたところで一気に負荷がきたと思う。
同種であるエルフ同士でも互いに言葉が通じず文字も伝わらず意思疎通ができなくなった今、彼らが結託することは不可能になった。自分達のことを誰かに話そうにも調べようにも、文字や言葉が何も通じなければどうにもならない。
─ 神話の神様も、同じような気持ちだったのかな。
ふと以前の世界でもあった神話を思う。しかしまるで自分が神と同じになったような考え方に、ソーは直後に首を激しく横に振った。
少なくとも今後どんな反動があるかわからない以上、可能な限り使いたくない。面倒なことを目にする度に同じような提案をしてくるルベンに全力で拒否をする。
確かにあの言語を使えば店も模様替えも宣伝も全て簡単だったが、あれはスキルというよりも反則に近いと思う。エルフ達の集団相手で喉が潰れたなら、世界規模の言語統一など喉から血を吐くどころか死んでも足りない。
この世界の言葉を分裂させたのは創造神でも、自分は同じ言葉を使えるだけでただの人間だ。
憎まれ口ついでに言ってみただけのルベンも「つまんねぇの」と言うと、そこで欠伸した。うっかりモフモフした尻尾が絵本の上にかかり、ソーが手早く絵本を引っ張り確保する。
客から預かった大事な本であり依頼を尻尾置きにしないでと、少し唇を尖らせる。しかし尻尾を邪険にされたルベンはルベンでフンと高い鼻から息を吐き出した。
「……ルベンとサウロが本当に不死になってたらソーも責任取って不死になれよ」
んぐっっ!!と、これにはソーも唇を絞る。
当時、何故ルベンとサウロが息を吹き返したのか。その理由をやっぱり根に持っていると肩を狭めつつ、未だに解決策が思いつかない。
〝死なないで〟
自分が意識を手放す前に、何を願ったか。もしその言葉の通りに発揮されたのならば、二人とも回復や生き返っただけで済まないと打ち明けた時には冷や汗が溢れた。
あの時は思わずだったが、もし本当にそうなった場合撤回方法が難しい。「死んで」と言えば死んでしまう。「命令を撤回」と言った途端当時の傷が噴き出して死んでしまっては意味がない。
二日間も倒れた自分が、一度に何回やり直しできるのかもわからない。二人が死んでしまって自分も気を失ったら、最悪の場合も考えられる。生死を左右できるほどのスキルを人に話せない以上、三人での解決もまた課題だった。
半年前の事件以降から生死をかけた事態には巻き込まれず平和に生きている三人にとって、不死というのがどの程度の威力なのか、そもそも本当に不死なのかその場限りの蘇生だったのかも確信は持てなかった。
結局そのまま保留が今も続いている。
「ルベンとサウロだけ置いてソーだけ大往生なんて絶対許さねぇからな。ソーも道連れだからな」
「そうだな。ソーも一緒なら寂しくない」
「待ってそもそも二人とも長寿だよね?!私の方が絶対先に死ぬのにどうやって二人が不死かどうか判断するの??」
さらりとルベンにサウロまで同意したことで、逃げ場がなくなるソーは思わず手を顔の前で振る。
このまま平和に平凡に生きていたいソーにとって、また半年前のような命を狙われる事態には陥りたくない。このまま順調に行けば自分は看取られる側だ。
しかしそんなソーの訴えもルベンは「知るかよ」と尻尾で弧を描く。城下に入ってすぐにあんな事件に巻き込まれたソーならどうせ今後も似たようなことになるだろうと思いつつ、それは声に出さない。
「ソーが死んだら眷属も死ぬようにするのは無理なのか?」
「呪いじゃん!!やだそんなどっかの魔王みたいなの!!」
「不死も呪いだろ……。もうソーも呪われちまえよ」
寝る。と、仕事道具しかない机の上で一言宣言したルベンは猫のように丸くなる。
朝からソーが「今日こそお客さんを!」と張り切っていたせいで、ゆっくり眠れなかった。もう、この不死談義自体は思い出す度にしては常に平行線である。
サウロの希望通りでも自分は別に良い。「魔王みたい」「神様じゃないんだから」と言うソーだが、一度死んだ自分達を蘇生して全回復までしたなら充分に似たような領域だとルベンもそしてサウロも思う。
彼女が城に近い王都に残ることも、ここで翻訳家として生きていくことも止めようとは思わない。
スキルに覚醒しても変わらず一点を見ている彼女に、不死の有無がどちらであろうとも自分達も変わらない。
異種族共生国家バベル。
そこで一人の女性が名を馳せるまで、月日はかからない。
のちに〝エルフ〟と伝承されるその女性は、最期までただの翻訳家だった。
お付き合いありがとうございました。
読み続けて下さった方々に、心からの感謝を。




